「あの…阿部君?」
「は?」
阿部隆也の不愛想で冷たい返事に白石咲良は思わず後ずさりをした。
阿部夢小説「些細なきっかけ」
私、白石咲良は男子のことが元々苦手だ。男子って基本バカだしイジワルだしうるさいし、中身はガキのくせに身体だけデカくて威圧感あるし。だから咲良は基本男子とは喋らない。だけど今日はどうしても話さなければならない理由があった。それは日直当番だ。今日は阿部隆也と白石咲良が日直の日なのだ。日直はまず朝のホームルームの前に職員室に学級日誌を取りに行かなければならない。そのために咲良は阿部に声を掛けたのだ。「なに?」
阿部の不愛想っぷりが怖くて言葉を失ってしまった咲良に、阿部は尚もニコリともせずにキツい口調で問うてきた。どうやらこの男、自分が日直だということを微塵も認識していないようだ。
「あの…、私たち、今日、日直当番なんだけど…」
咲良は恐る恐るそう告げてみた。
「……ああ!」
阿部は咲良に言われてようやく気付いたらしい。そして、いかにも"めんどくせえな"という顔で頭をポリポリ書きながら「日直って何すんの?」と聞いてきた。
「まずは朝のホームルームの前に職員室に学級日誌を取りに行かないと」
「あー、そういうこと」
阿部は咲良が話しかけてきた理由をそれで察したらしく、椅子から立ち上がった。
「じゃあ、行くか」
「うん」
職員室に向かって歩き始めた阿部の後を咲良は追いかけた。職員室に向かいながら阿部が咲良に話しかけてきた。
「日直って学級日誌受け取った後は何すんの?」
「授業の開始時と終了時に号令をかけたり、授業終わりに黒板消したり、あと学級日誌を書いて終礼後に職員室に提出に行きます。」
「へー」
「学級日誌には今日の授業の内容と遅刻者・欠席者と連絡事項を書きます。そんで最後に日直2人の各々の感想も書かなきゃいけない。」
「うわ、だりィな」
阿部はふぁ~と大きな欠伸をした。
「……あのう」
咲良はおずおずと阿部に話しかけた。
「なに?」
「学級日誌は、感想のところ以外は私が全部書くし黒板消しも私がやるから、阿部君は号令やってくれません?私、人前で大きな声出すのちょっと苦手で…。」
「あー、いいよ。つかオレもその方が助かるわ。」
咲良はホッとした。咲良にとっては授業の号令が一番イヤな日直の仕事だった。
「じゃあ、そういうことでお願いします」
咲良はペコッと頭を下げた。
「そういや、あんた名前何だっけ?」
「白石です」
咲良は内心『知らなかったんかい!同じクラスになってからだいぶ経つんですけど!?』と若干イラっとした。
「白石サンね。なんでさっきから敬語なの?オレらタメだろ?」
咲良は内心『あなたの態度が怖いからですが!?』と思ったが口にはしなかった。
「あー、じゃあ、タメ口にしま…じゃなかった…するね」
「おう」
職員室に着いた。
「センセー!日直なので学級日誌取りに来ました!」
阿部が担任教師を大声で呼ぶ。
「おお、きたか。ホレ、これな。今日は頼んだぞ。学級日誌は終礼終わったらまた2人で届けに来てな。」
「え、学級日誌届けんのって2人でじゃないとダメなんスか。オレ終礼後は早く部活行きたいんスけど。」
阿部はどうやら終礼後の学級日誌提出は咲良に1人でやらせて自分はさっさか部活に行く気だったらしい。咲良は内心『私だって部活やってるんですけど!?』と思い、なんだか嫌な気分になった。
『なんで野球部だけ特別待遇受けられるって思ってんだろ』
元々男子のことが苦手な咲良ではあるが、この短期間の阿部の言動で既に『阿部君のことは男子の中でも特に好きになれないや』と思い始めていた。なぜよりによってこの人と日直当番なのだろう。
「いや、ダメだよ。2人で日直なんだから最後まで2人でやること!」
担任教師にたしなめられて阿部は渋々「はぁい…」と頷いた。学級日誌を受け取って職員室を後にした2人は教室に戻り始めた。
「学級日誌、終礼までにできる限り全部埋めといて。すぐ提出して部活行きたいから。」
阿部はぶっきらぼうに咲良に言い放った。
「わかってる。私も部活あるし。野球部だけ特別じゃないんだよ。」
咲良はさっきの阿部の発言にイラついていた上に、このぶっきらぼうな態度で腹が立ったのでつい一言言わずにはいられなかった。
「は?そんなこと言ってねーじゃん。」
「言ったようなもんじゃない?私に一人で学級日誌提出させて、自分は先に部活行く気だったんでしょ?私も部活あるのにさ。」
「いや、あんたが部活あるとかオレ知らねーし」
「知らないと勝手に帰宅部だって決めつけるんだ?っていうか仮に帰宅部だったとしても、早く日直から解放されたいのはお互い様なのに片方に押し付けて当然っていうのはおかしいんじゃないかな?」
「……チッ」
阿部は舌打ちをして「オレ先戻るわ」と咲良を置いてスタスタと行ってしまった。
『ふんっ、なにあの態度。正論言われて言い返せないからって!』
咲良は心の中で毒づいた。
『阿部君ってヤなヤツ!』
咲良は教室に戻って席についたら真っ先に学級日誌を開いて、その時点で埋められる部分は全部埋めた。終礼の後に阿部に文句を言われる隙を一切与えてやるもんかと思ったのだ。それから黒板のところに行って今日の日付・曜日と日直の名前を埋めた。そして朝のホームルームが始まる。号令をかけるのは阿部だ。出席を取り始める担任教師。日直はその日の遅刻者と欠席者も学級日誌に書かなければならないので咲良はしっかり周りの状況を確認して学級日誌に記入した。もちろん連絡事項も欠かさずに書いた。
『順調、順調!』
咲良は阿部にいちゃもんをつけられてなるものかと燃えていた。
1限目の終わり、学級日誌にその授業の要約を書き終わった咲良は次の授業に備えて黒板を消しに行った。黒板消しで端から板書を消していく咲良だが、黒板の上の方に書かれた文字まで手が届かない。ジャンプをしながら少しずつ消していると誰かが咲良の右手から黒板消しをスッと取り上げた。そしてその人は咲良が届かなくて消せなかった文字をするすると消してくれた。
『優しい。誰だろう?』
咲良が振り返ると阿部が立っていた。
「あ、阿部君」
意外な人物に咲良は驚いた。
「なに?」
「え、あ、や、手伝ってくれてありがとう」
咲良は戸惑いながらもお礼を言った。
「いや、オレも日直だから。手伝ったんじゃなくて、もともとオレの仕事でもあるだろ。」
「でも、朝、黒板消しは私が担当するって…」
「そういう話はしたけど、物理的に届かないもんは仕方ないだろ。んで白石が届かなくて困ってんのを見てて日直のオレが何もしないわけにいかないし。」
「……そっか」
言ってることはごもっともなのだが、咲良は今朝の言い争いがあったのにこんな風に阿部が咲良を手助けしてくれる人だとは思っていなかったので、やっぱり意外だったし、なんだか嬉しくて胸がホカッとした。
「それでも嬉しかったから、ありがとう、阿部君」
咲良は改めてお礼を言った。自然に笑顔がこぼれた。そんな咲良の顔を見て阿部は一瞬面食らった様子を見せたが、その後、照れたのか少し頬を染めて顔を横に向けながら「どーいたしまして」と言った。
『あれ?阿部君、意外にもウブな反応だぞ?』
阿部が顔を赤くするとは思ってもいなくて、思わず咲良はその顔をまじまじと眺めた。
「なんだよ、見んなよ」
「あ、どうもすいませーん」
咲良は若干おどけてみせた。
「あんた、なんか、朝一に話しかけてきた時とだいぶ印象違うぞ」
阿部は青ざめながらジト目でこちらを見ている。
「阿部君もちょっとイメージ変わったよ」
「は?オレ?」
「うん、ヤなヤツからマシなヤツに変わった」
咲良はニヤッ笑いながら言った。
「てめー、言うじゃねえか。この口か!?」
阿部は咲良の両頬をつねった。ニヤリと不敵な笑みを浮かべている。
「ひゃめてよー!(やめてよー!)」
咲良は阿部の両手首を掴んで抵抗したが運動部男子の力に敵うはずがなかった。阿部は咲良の顔がおかしかったのか「フッ」と吹き出して笑った。その時、予鈴が鳴った。パッと手を放す阿部。
「おら、もう2限目始まんぞ。席着け。」
「はーい」
2限目の号令も約束通り阿部がやってくれた。授業を受けながら咲良は先ほど阿部が見せた様々な表情を思い返していた。照れて顔を赤くしたり、青ざめたり、ジト目をしてみたり、ニヤリと不敵に笑ったり、フッと吹き出したり。今まで咲良は阿部の仏頂面しか見てこなかっただけに意外だった。
『阿部君って結構表情豊かなんだな』
咲良はフフッと思い出し笑いをした。
2限目の終わりの黒板消しは阿部が最初から一緒にやってくれた。阿部が上の方から消していって、咲良が下から消していった。消しおわった2人は顔を見合わせてニッと笑った。
「朝、悪かったな。あんたの言ったことが正しいよ」
阿部は咲良に面と向き合ってそう言った。
「朝って言い争いになったアレ?」
「それ。自分が早く部活行きてぇからって任せて当然って思ってた。悪かった。」
「わかればいーんだよ。早く部活行けるように学級日誌完璧に書いておくから安心して!阿部君は感想欄に何書くのか事前に考えておいてね!」
「おお、そうか。感想書かなきゃいけねーんだった!事前に考えとくわ。教えてくれてサンキューな。」
その後も順調に日直の仕事は進み、ついに終礼の時間になった。あとは終礼での連絡事項と日直当番の感想を書けば学級日誌は終わりだ。
『よし、先に私の感想書いちゃおう!感想…感想…私の今日の感想は……』
咲良はその日の授業の中で印象深かったことについて書いた。
『これでいいかな…?』
その時、今日一日の間に見た阿部の様々な表情が咲良の頭をよぎった。咲良は再びペンを手にして感想を付け加えた。
『これでよし!』
その日の終礼では連絡事項は特になかった。なのであとは阿部に感想を書いてもらって学級日誌を職員室の担任教師に提出すれば終わりだ。終礼の終わりの号令を阿部が言った。それでその日のクラスは解散となった。咲良は学級日誌を持って阿部の席に向かう。
「ほい、残り阿部君の感想だけ」
「おー、サンキュー!」
「ここに感想書いて」
咲良が感想欄を指さした。
「おー……」
自分の感想を書こうとした阿部がピタリと手を止めた。そして顔をあげて咲良を見る。
「なにさ」
咲良は阿部がその反応をしている理由がわかっていたので、少し気恥ずかしさを感じた。阿部はニヤッと笑って「いーや、なんでも」と言って自分の感想を書き始めた。さらさらとペンを走らせる阿部。
「おし、オレもできた。提出しに行くか。」
阿部は学級日誌をポンッと咲良の頭に置いて、職員室に向かって先に歩き始めた。咲良は頭に乗せられた学級日誌を落とさないように慎重に掴んだ。阿部がくるりと振り返る。
「オレの感想も読んでいいぞ」
「!」
咲良は急いで今日のページを開いて感想欄を見た。
白石:
古典の授業でこの世の無常を詠った和歌の解説があった。
切なくてとてもいい和歌だと思った。
阿部君は意外と表情豊かでいい人だった。日直当番、一緒になれてよかった。
阿部:
数学の確率の問題が興味深かった。
白石は真面目だししっかりしてるし、日直当番がこの人と一緒で助かった。
咲良は顔を上げて阿部の方を見た。阿部は微かに笑っているように見えた。
「さ、今度こそ行くぞ」
咲良に背中を向けて歩き出した阿部。咲良は阿部を追いかけて、その背中をパシンッと叩いた。
「いてーな、なんだよ」
「えへへ」
咲良は阿部が書いてくれた感想が嬉しくて嬉しくて笑みが止まらなかった。
「そんな喜ぶことか?ったく。」
そう言ってる割には阿部もなんだか嬉しそうに見える。
「ねー阿部君、私、今日が終わってももっと阿部君と色々お話してみたいな」
「するだろ、同じクラスなんだから」
「今までしなかったじゃん!てか私の名前も覚えてなかったくせに!」
「あーワリワリ。もう忘れないからよ。白石咲良、な!」
「そうだよ、阿部隆也!」
2人は顔を見合わせてニッと笑い合った。
この日を境に私たちは毎朝挨拶を交わすようになった。休み時間に会話することも増えた。日直当番なんてめんどくさいばっかりと思っていたけれど、案外いいこともあるもんだ。
<END>