阿部夢小説「私にできること」
鎌倉遠足の翌日、朝登校した咲良が仲良しグループの女子たちと雑談をしていると朝練を終えた阿部が花井・水谷と一緒に教室に入ってきた。阿部は教室に入って来るなりズカズカと咲良の方に向かってきた。「あ、阿部君、おはよう」
咲良は勢いよく自分の方に向かってくる阿部に少し圧倒されつつも朝の挨拶をした。
「おう!白石、これ見ろ。」
阿部はそう言って背負っていたエナメルバッグを前に持ってきた。そこには咲良があげた勝守がついてた。
「あ、私も見せる!」
咲良はそう言って自分の机に向かった。そして机の横のフックに引っ掛けてあるスクールバッグを持ち上げる。阿部は咲良の後ろをついてきた。
「見て!」
咲良はそう言ってスクールバッグに付いているアジサイのお守りを手に取った。
「おー、いいじゃん」
「でしょ。やっぱこのお守りかわいいよね。」
咲良はそう言ってニコッと笑った。
「そういやさ、勝手に恋愛成就守りにしちまったけど、白石にはあるのか?成就させたい恋愛ってやつ。」
阿部は咲良にそう訊ねた。咲良はピシッと固まった。
『どう返すのが正解?正直にあるって言って深堀りされたら困る…。だってまだ告白とかする勇気ないし。でもないって言っちゃうとせっかく恋愛成就のお守りくれた阿部君に悪くない?』
咲良がつい黙り込んでしまうと阿部は「あー、ワリィ。そんなこと話したくないか。」と言ってスタスタと自分の席に歩いていった。咲良はホッとしたような、申し訳ないような、何とも言えない気分になった。阿部は自分の席でぐーすかと居眠りを始めた。咲良はそんな阿部の背中を見つめた。
『カッコイイな。好きだな。もっと話したいし、もっと仲良くなりたい!……でも、どーしたらいいのか全然わかんないよ。』
咲良は今まで恋をしたことがない。恋愛感情で人を好きになるのはこれが初めてなのだ。好きな人ができたらどうしたらいいのか、みんなどうしているのか、さっぱり見当がつかない。それに咲良には自分から相手にアプローチなんてとてもじゃないが恥ずかしくてできそうもなかった。
『友達に相談してみる…?でも好きな人がいるって打ち明けることすらも恥ずかしいよ~!』
結局その日の咲良は阿部に対して特別何かアプローチをしかけるでもなく、これまで通りに"友達"として接することしかできなかった。
その日の放課後、吹奏楽部の部室に到着した咲良はまず先輩の深見に声を掛けた。
「深見先輩、夏に野球部の応援で太鼓やったって本当ですか?」
「うん、やったよ?」
「お話詳しく伺ってもいいでしょうか?」
「いいよ。でも急にどうしたの?」
咲良は昨日の鎌倉遠足で野球部男子と同じ班だったことや次の夏大で楽器を演奏してほしいと頼まれたことなどを説明した。
「そっか、咲良って中学はトランペット吹いてたんだっけ。今年の夏は3人しか集まらなかったから2時間吹きっぱなし、叩きっぱなしで大変だったけど、人が増えたら交代しながらやるって方法も取れるし、演奏してくれる人は多ければ多いほどいいよ!それに応援はすっごいやりがいあるよ!ぜひ一緒にやろう!」
「わー、やりますっ!他の子にも声掛けてみますね。」
咲良はそう言って同学年の他の吹奏楽部員を勧誘した。意外にもみんなあっさりと承諾してくれた。
「野球部、今年の夏は埼玉県ベスト16まで行ったって聞いたよ!1年生だけの新設の部でこんだけの成績を残せるってすごいなって思ってたんだよね。来年はぜひ私も応援したい!」
「実は私も興味あったんだよね。野球部の応援って言ったら吹奏楽部の出番じゃん?」
「オレは野球は興味ないけど、演奏する機会が貰えるなら喜んで出るよ」
そう言って参加表明をしてくれた部員たちに咲良は「みんな、ありがとう」と言って頭を下げた。そして咲良は参加表明してくれたメンバーの名前を深見に報告した。
「お、結構集まったじゃん!咲良はトランペットとサックスどっちやる?」
「たぶんトランペットの音の方が野球場に響きますよね?それに人数もまだ2人しかいないっていうし、1人でサックスやるよりトランペット要員増やして交代制にした方がいいのかなって思いました。」
「咲良は優しいね。ありがとね。じゃあ、野球部の応援で弾く曲の楽譜渡すから人数分コピーしてみんなに配っておいてくれる?」
深見はそう言うと手に持っているポケットファイルから楽譜を何枚か取り出した。
「ありがとうございます!お借りします。」
咲良は借りた楽譜を持って購買の近くのコピー機に向かった。楽譜を人数分コピーし終わったらまず深見に楽譜を返却し、その後、野球部の応援への参加表明をしてくれた部員たちにそれを配った。そして咲良は早速トランペットを取り出して野球部の応援ソングの練習を始めた。
「咲良、トランペット持ってきてたんだ。用意周到だね。」
吹奏楽部の友人の1人がそう言った。実は咲良は昨日の鎌倉遠足で阿部への恋心を自覚した瞬間から『次の夏大では絶対に阿部君を応援する!』と心に決めていたのだ。そんなわけで今日は家からトランペットを持ってきていた。
高校に入ってからサックスを担当するようになった咲良はサックスの習得のために毎日の時間を費やしてきたのでトランペットを吹くのはかなり久しぶりだった。咲良はトランペットを吹く感覚をすっかり忘れてしまっていて最初は上手く吹けなくて焦った。でも中学3年の間ずっと吹奏楽部でトランペットを吹き続けた経験は無駄にはなってなかった。1時間ほど練習をしたら感覚を取り戻すことができた。
「やば、久々のトランペット楽しいかも!」
咲良がそう言うと友人は「咲良、やっぱトランペット上手いね」と褒めてくれた。その日、咲良はひたすらルパン三世のテーマを練習して過ごした。
その翌日は日曜日で休日だった。普段の咲良なら休日は家でテレビを見たり漫画を読んだりして自由にぐーたらして過ごすことが多い。でも、その日の咲良は早くトランペットで野球部の応援曲を吹けるようになりたいという気持ちが抑えられなくて午前中ずっとうずうずしていた。咲良の家は普通の一軒家なので当然防音室などはない。家でトランペットを吹いたら近所迷惑だ。散々迷った末、咲良は午後から学校に向かうことに決めた。西浦の吹奏楽部は休日には部活はないが、運動部は土日祝日も休まずに学校で部活をやっていると聞いたことがある。運動部が部活をやっているなら咲良だって学校に入っていいはずだ。部室はたぶん鍵がかかっていて開いてないだろうけれど、日曜日ならテキトーに空き教室を使っても怒られないだろう。昼食を食べ終わった咲良はリュック型のトランペットケースを背負って自転車を漕いで学校へ向かった。
学校に到着した咲良はどこに行くか迷った末、とりあえず1年7組の教室にやってきた。誰もいない。咲良は自席に荷物を置いた。
「さて、まずはランニングからやりますか」
楽器を吹くにあたって肺活量はとても重要なので吹奏楽部では筋トレやランニングを練習に取り入れている。吹奏楽部がよく"体育会系文化部"と揶揄される所以にはここにある。咲良はせっかく学校に来たのだからまずはがっつりランニングをやってやろうと思っていた。運動着もちゃんと持ってきている。早速咲良は女子更衣室に行って着替えを済ませた。それから第一グランドに向かった。普段の部活中は吹奏楽部のみんなで第一グランドを走るのだが、今日は日曜日なので第一グラウンドはサッカー部が独占していた。咲良1人でこの中に入っていく勇気は出なかった。
『今日は裏グラの周りの公道を走ることにするかー』
咲良はとりあえずその場でストレッチを行って身体をほぐした。そして裏グラに向かって走り始める。裏グラの近くにやってくるとカキーンという金属音が聞こえてきた。フェンスの中を覗くと野球部と思われる軍団が練習をしている姿が見えた。
『あ、そっか。野球部は裏グラが練習場所なんだっけ。』
咲良はあまり裏グラとは縁がないのでそのことをすっかり忘れていたのだった。
『……ってことは阿部君もいるんだよね?』
咲良はランニングをしながら裏グラの野球部員の顔を確認していった。まず真っ先に花井を見つけた。やっぱり背が高いと目立つ。次に水谷を見つけた。咲良は9月に阿部と一緒に日直当番をやるまで野球部には微塵も興味がなかったので野球部員は同じクラスの阿部・花井・水谷・篠岡の4人しか知らない。
『あれ~?阿部君はどこ?』
咲良はそう思って立ち止まり、フェンスの中を覗き込んだ。阿部は咲良が立っているフェンスのすぐ近くでキャッチャー防具を身に着けてしゃがみ込んでいた。灯台下暗しとはこのことだ。
「あ、いた!」
咲良はボソッとそう言った。野球部の練習着とキャッチャー防具を身に着けている阿部の姿を咲良は初めて見た。普段と違う姿を見れるのはすごく新鮮だ。咲良はつい阿部の姿に見惚れてしまってしばらくの間そうして足を止めてフェンスの中を覗き込んでいた。
「はい、じゃあ10分休憩!」
キリッとした雰囲気の背の高い女性(あれが噂の女監督だろうか?)がそう言うとグラウンドにいた選手たちがワッとベンチの方にやってきた。咲良が立っている場所はベンチのすぐ近くだ。すわなち選手たちは咲良の立っている場所へ向かってきていることになる。
『うわ、やばい、見つかる!』
そう思った咲良はフェンスから離れて再びランニングを再開しようとした。が、時既に遅し。
「あれ、野球部に何か用ッスか?」
小柄で人懐っこそうな野球部の男子が咲良に話しかけてきた。
「い、いえ…、たまたま通りかかっただけです…!」
咲良はそう言って後ずさりをした。
「ランニング中?ソフト部…じゃないよな。何部ッスか?」
その男子は逃げ出そうとしている咲良に構わず話しかける。そうしているうちに他の選手たちも咲良の存在に気が付いようで、「え、どなた?」「田島の知り合い?」という声が聞こえてきた。どうやらこの小柄な男の子の名前は田島というらしい。
「あれ、白石さんじゃん!なんでこんなところにいるの?」
水谷が笑顔で近づいてきた。
「水谷、知り合いなの?」
「クラスメイトだよ。一昨日の鎌倉遠足で同じ班だったんだ。」
水谷はそう言うとくるりと後ろを振り返った。
「阿部!白石さんが来てるよー!」
「は?」
ベンチでドリンクを飲んでいた阿部は一瞬面食らったような顔をしたが、咲良の姿を目視するとズカズカと近づいてきた。
「何やってんの?吹奏楽部も日曜に部活やってんのか?」
阿部がそう言うと田島は「へー、吹奏楽部の子か」と言いながら頭の後ろで腕を組んだ。
「いや、部活じゃなくて……自主練に来たの。」
咲良は観念して全てを話すことにした。
「裏グラの周りをランニングしようと思ってここにきたら野球部の姿が見えたからこっそり見学してた。んで見つかっちゃった。」
咲良はテヘッと笑った。
「あー、吹奏楽部って文化部だけど外周とか筋トレやるって言うよね。でも日曜にわざわざ学校まで来て自主練って白石さんエラいね!」
水谷は"感心っ!"といった表情を浮かべていた。
「今までも休日は自主練に来てたのか?」
阿部が咲良に訊ねた。
「ううん、今日が初めてだよ」
「へー、なんで急に自主練しようと思ったわけ?」
「……えっと、あの、実はさ、私、来年の夏大は野球部の応援でトランペット吹こうと思って…!」
そう言った咲良は自分の顔が熱を帯びていくのを感じた。いつか阿部には言おうと思っていたが、こんなに早く暴露することになるとは思ってなかった。阿部と水谷と田島は一瞬ポカーンという顔をした。
「白石さん、ホントにやってくれんのっ!?」
水谷は声が大きくなった。
「すげー!吹奏楽部の子が来年オレらの応援するために自主練してくれてんだってさー!」
田島は他の選手たちにそう吹聴して回り始めた。ベンチから「マジィ?」「誰?オレらの学年の子?」といった声が聞こえてくる。
「……マジでやってくれんのか」
阿部はそう言いながら咲良の顔をまじまじと眺めた。頬が少し赤いように見える。
「……マジでやります!」
咲良がそう宣言すると阿部はフッと微笑んだ。
「あんがとな、白石」
「いーえっ!だからお互い練習がんばろうね!」
「おう!」
「じゃ、私、ランニング再開するからもう行くね」
「おー、気ィ付けてな」
阿部はそう言いながら咲良に向かって右手を上に掲げて挨拶をした。咲良も同様に右手を上げて挨拶を返した。そうして咲良は野球部の練習を横目に眺めながら約1時間ほど裏グラの周りを走り続けた。咲良の気のせいかもしれないが、時々阿部と目が合ったような気がした。咲良はその度に胸がホカッと温かくなるのを感じた。
ランニングが終わったら、次は体育館の隅っこで筋トレをした。そうして身体のトレーニングを終わらせたら、咲良は女子更衣室で服を着替えた後、1年7組の教室に戻ってきた。ようやくトランペットの練習を開始できる。咲良は昨日に引き続いてルパン三世のテーマを練習した。野球部の応援では他にも"狙い撃ち"、"サウスポー"、"アルプス一万尺"、"コンバットマーチ"、"ポパイ"など沢山の曲を使用する。それから深見から聞いた話だと高校野球では得点が入った時には校歌を歌う習慣があるらしい。というわけで校歌も吹けるようにならないといけない。
『練習しなきゃいけない曲が山積みだ~っ!』
でも今は10月で、次の夏大は来年の7月だ。まだまだ時間はたっぷりある。焦る必要はない。
『1曲、1曲、順番に丁寧に仕上げていこう』
結局、その日咲良は18時までみっちりトランペットの練習を行った。
10月下旬の今日の日の入り時刻は17時頃だ。練習を終えた咲良が校舎を出るともう辺りはすっかり暗くなっていた。
『野球部って何時まで練習やってるのかな?まだいるかな?』
咲良は家に帰る前にもう一度阿部の姿が見たくなって裏グラへ向かい始めた。すると途中の坂道でダッシュしている野球部と遭遇した。
「うわあっ!」
咲良は思わず声をあげてしまった。
「お?あ、さっきの吹奏楽部の!」
1番に坂を登り切った田島がそう言いながら咲良を指さした。
「あー、どうも」
「水谷と阿部なら次の番だぞ」
「いや、なんか大変そうだし、邪魔しちゃ悪いから帰ります」
「でも会いに来たんだろ?邪魔にならねーところで見ていけばいいじゃん。」
田島はそう言ってチョイチョイッと咲良を手招きした。咲良は手招きされるがままに田島に近づいた。
「ワリィ、名前なんだっけ?」
「白石っていいます。これは何をやってるんですか?」
「地獄坂タイムアタック。数値が早いやつが明日好きなおにぎりの具を食べられるんだ。」
「おにぎりの具?」
「そー。毎日おにぎり休憩があってさ、マネジのしのーかが作ってくれるんだよ。」
「ああ、篠岡さんか」
「しのーかのこと知ってんだ?あ、そうか、7組だもんな。」
田島と咲良がそんな会話をしていると水谷と阿部が地獄坂をダッシュで登ってきた。
「あ?白石?」
坂を登ってきた阿部は咲良の姿を見つけてそう言った。ゼェハァと息を切らしている。
「阿部君、おつかれさま」
咲良は阿部に向かって手を振った。阿部は咲良に近づいてきた。
「まだいたのか」
「もう帰るよ。帰る前にこっそり阿部君の姿を見ていこうかなって思ったら、なんかこんなところでバッタリ野球部に出くわしちゃってね……。」
「なんでこっそりなんだよ。普通に声掛けろって。」
「いやいや、練習の邪魔しちゃ悪いし」
「オレらの応援のためにわざわざ日曜に自主練してくれてるやつのこと誰も邪魔なんて思わねーよ」
阿部はそう言いながら咲良の頭を頭をポンッと叩いた。
「これからも好きな時に顔出しに来いよ」
「え、部外者なのにいいの?」
「野球部の応援でトランペット吹いてくれるんだろ?じゃ、白石はもう野球部応援団の一員だ。部外者じゃねーな。」
阿部はそう言って微笑んだ。
「そっか、私、野球部応援団の一員なんだ…!部外者じゃないんだ…!」
咲良は嬉しくて胸がホクホクと温かくなるのを感じた。
「阿部君、私、応援曲の練習がんばるね!」
「おう、オレも野球がんばるよ。……じゃ、オレは4回目の地獄坂タイムアタックやるからもう戻んねーと。」
「うん、私ももう帰るね。帰る前に阿部君と話せてよかった。ありがとう。」
「オレも白石の顔見たらなんかやる気出た。来てくれてあんがとな。気ィ付けて帰れよ。」
阿部は片方の口角を吊り上げるようにして笑い、そして坂道を降っていった。咲良は阿部の後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから地獄坂を後にした。
<END>