阿部夢小説「立派な嫉妬心」
白石咲良は昨晩から少し落ち込んでいた。というのも咲良には現在片想いをしている人物がいるのだが、その人がどうやら自分のことを全く恋愛対象としては見ていないようなのだ。阿部隆也――それが咲良が片想いをしている人物の名前だ。阿部と咲良は9月に日直当番を一緒にやったことがきっかけで友達になった。友達になってからは阿部と咲良は毎朝必ず挨拶を交わすようになった。それから数学の宿題がある日は阿部が咲良の解答をチェックしてくれたり、阿部が公休で授業を受けられなかった日には咲良のノートを阿部に貸して写させてあげたり、そんな風にして2人は日々親睦を深めていった。
10月中旬の鎌倉遠足では咲良はたまたま阿部と同じ班になり、おかげで咲良は阿部と一緒に鎌倉を観光し、楽しい1日を過ごすことができた。咲良はそこで阿部への恋心を自覚したのだ。
恋心を自覚してからというもの、咲良は来年の夏大では野球部の応援でトランペットを吹くと決意したし、早く野球部の応援曲をトランペットで演奏できるようになりたくて休日も学校に登校して自主練に励むようになった。自主練では野球部が活動している裏グラ周辺をランニングするので部活中の阿部の姿を見ることができるし、時には阿部と会話する時間を貰えたりもする。
先週と今週の月曜日には吹奏楽部の部活終わりの18時まで阿部が待っててくれて一緒に放課後デートをした。
阿部と友達になってからまだ2ヶ月も経っていないけれど、この短期間のうちにかなり仲良くなれたと咲良は思っている。鎌倉遠足の班決めで一緒になれた時には阿部は「オレは女子の中じゃあんたが1番話すよ」と言ってくれたし、実際阿部を見ていると他の女子とはあまり交流しているようには見受けられない。見るとしても野球部のマネジの篠岡が何かの資料を阿部に差し出して阿部はそれを「おー、サンキュ!」と言いながら受け取るくらいだ。
だから咲良は少し期待をしてしまっていた。阿部も咲良のことを特別だと思ってくれてはいないだろうかと。
しかし、そんな期待は昨晩打ち砕かれた。
事の経緯はこうだ。
昨日、月曜日、咲良は部活終わりに阿部と一緒に隣駅のショッピングモールで買い物をした。その後、ファミレスで一緒に夕食を食べることになった。そのファミレスでの会話の流れで阿部は咲良に「なんでそんなにオレのためにがんばってくれるんだ?」と訊ねてきたのだ。最近の咲良が休日も登校してトランペットを練習していたり、野球のルールとちゃんと勉強し直そうと本を購入したりしているのを見て疑問に思ったらしい。
訊ねられた咲良は内心ギクッとなった。だってその質問への正直な回答は"咲良は阿部のことを好きだから"だ。恋愛感情で。けれどもそれを言ってしまったらもはや恋の告白になってしまう。咲良にはその覚悟はまだできていなかった。だから誤魔化すことにした。
「え?一昨日話したよね?下心の話」
咲良はそう答えた。
下心の話というのは数日前に阿部と咲良の間で交わされた会話のことだ。"下心"といっても全くゲスな話ではない。どうやら阿部は咲良に良く思われたいから咲良に優しくしてくれているらしく、一方で咲良は阿部に良く思われたいから野球部の応援でトランペットを吹くことに決めたということを伝え合って、「お互いに相手に良く思われたいという下心があるね」という内容の会話を交わしたというだけのことだ。
――つまり、咲良が阿部のために色々がんばっているのは、咲良には阿部から良く思われたいっていう下心があるから
咲良はその回答で阿部に納得してもらおうと思った。けれど阿部はそれでは納得してくれなかった。
「知りたいのはその下心の理由な。そもそもなんで白石はオレに良く思われたいんだろなって疑問に思ってさ」
阿部はそう言って咲良の下心の根底にあるものを知ろうとしてきた。根底にあるもの――それは阿部への恋心だ。そんなの答えるわけにいかない。だって振られたくない。少なくとも阿部の方も咲良に対して特別な感情を抱いてくれているのだと確かめられるまでは絶対に告白なんて考えられない。
そこまで思考して、咲良は不意に阿部の方はなんで下心があるのだろうかと疑問に思った。それで訊ねてみることにした。
「……逆に阿部君はなんで私に良く思われたいんですか?」
咲良がそう言うと阿部は一瞬キョトンとした顔になった。そして顎に手を当てながら「なんでって……、なんでだろうな?」と考え込んでいた。そんな阿部の様子を見た咲良は『あ、これは脈ナシ確定だ』と思った。咲良は今阿部と1番仲のいい女子は自分なんじゃなかろうかと思っていたし、最近は『実は阿部君も私のこと好きだったらいいな』なんて薄っすら期待していたのだが、そんな期待がバキバキに打ち砕かれた瞬間だった。
阿部が咲良に対して特別な感情を抱いていないことを確信した咲良は『告白なんて一生しない…!』と心に誓った。もし告白して振られて阿部と疎遠になったら……と思うとツラかった。疎遠になるくらいならずっと友達のままがいい。恋人になろうなんて欲張りなこと言わない。それが咲良の出した結論だった。
そんな結論を出したとはいえ、やっぱり好きな人が自分のことを何とも思ってないことが発覚しておいて何の痛みも感じない、なんてことは決してなくて、咲良は昨晩から気落ちしていた。今朝も阿部とはいつも通り朝の挨拶を交わしたし、阿部は昨晩ファミレスで具合が悪くなった咲良のことを「もう平気になったか?」と案じてくれていた。それから今日は数学の宿題があったので阿部は咲良の解答に間違いがないかチェックもしてくれた。阿部はいつも通りだった。咲良もいつも通りに振る舞おうとした。でも、ちゃんといつも通りにできていたかは自信がない。いつもは胸をときめかせながら眺めていた阿部の姿を今日はなんだか直視できなかった。
『でも阿部君とはこれからも仲良しでいたいから、絶対変な空気にはしない!落ち込みを表に出さない!』
咲良はそう決心した。
そうして火曜~水曜の2日間を咲良は努めて平静を装いながら阿部と接した。
日にち薬とはよく言ったもので、月曜の晩には体調が悪くなるほどに心に傷を負った咲良だったけれど2日も経過すると胸の痛みも和らいできた。阿部が自分のことを全く恋愛対象としては見ていないという事実は悲しいが、少なくとも仲のいい友達であることは間違いない。阿部は以前「白石に良く思われたい」と言ってくれていたわけで友人としては好かれているはずだ、と咲良は考え直した。
『恋人になれなくても、友達としては好意的に思われてるんだからそれで十分だよ』
咲良は自分にそう言い聞かせた。
木曜日、朝登校した咲良が仲良しの女子グループメンバーと教室の片隅で雑談していると朝練を終えた阿部が1年7組の教室に到着した。咲良はいつもこのくらいの時間にやって来る阿部のことを内心ソワソワしながら待っている。なので阿部が到着するとすぐに気が付く。そしてそんな咲良に阿部はいつも真っ先に朝の挨拶をしてくれる。
「うす」
「おはよう、阿部君」
このやりとりが咲良と阿部の毎朝の恒例だ。
数学の宿題がある日は挨拶の後に阿部に咲良の解答をチェックしてもらうのだが、今日は数学の授業はない。咲良としては他に阿部に話すべき用事もない。というわけで今日の咲良は再び女友達との会話に混ざるために阿部に背を向けた。しかし、咲良が背を向けるとズンズンと足音が近づいてきた。咲良がパッと振り返ると阿部がこちらに向かってきていた。
「白石」
「えっ、は、はい?」
咲良は迫ってくる阿部の迫力に圧倒されて思わず声が上擦った。
「話してーんだけど、今いい?」
阿部はなんだか神妙な面持ちをしていた。
『なんかあったのかな?』
咲良はそう考えながら即座に「うん、いいよ」と返事をした。そして一緒にいる女友達に「ごめん、私抜けるね」と声を掛けてから阿部のもとへ向かった。
「なんか……改まった話なのかな?どこで話す?」
咲良は阿部にそう問いかけた。
「いや、別にそんなたいした話じゃねーからどこでもいい。でも2人でゆっくり話したい」
「えと、じゃあ、阿部君の席のところでいい?」
咲良はそう言った。今の阿部の席は最も窓側の1番前、つまり教室の隅っこなのだ。ここは教室の中でも人が少なめの場所だからゆっくり話せるだろうと咲良は考えた。
「おお、そうだな」
阿部はそう答えながら自席に向かった。咲良はその後ろをついていった。自席に到着した阿部はエナメルバッグを床に下ろし席に座った。咲良は阿部の向かい側に立った。
「何かあった?」
そう言って首を傾げる咲良を阿部はジッと見つめてきた。しげしげと咲良の姿を眺めている。
「?」
咲良がいつもと違った様子の阿部のことを不思議に思っていると阿部はパチンッと右手で自分の右頬を叩いた。
「え、どうしたの?」
阿部の意味不明な行動に何事かと咲良は慌てふためいた。
「なんでもねー。気にしないでくれ」
「? わかった……。で、話って何?」
咲良がそう言うと阿部の眉間に皺が寄った。そして黙ってしまった。でも何かを一生懸命考えているみたいだ。咲良は阿部が口を開くのを静かに待つことにした。しばらく間を置いてから阿部は口を開いた。
「もっとお前のことを教えてくれよ」
阿部の言葉を聞いた咲良はポカーンと口を開けた。あまりに唐突な話すぎてその意図がよくわからない。
「私のこと?別にいいけど、えっと、具体的には何が知りたいのかな?」
咲良はそう言った。阿部は再び眉間に皺を寄せて黙り込んでしまった。でも今回も一生懸命何かを考えているみたいなので咲良はまた静かに待った。阿部はさっきよりは幾分か早く口を開いた。
「具体的に何か知りたいか、オレもわかんねー。だから、なんでもいいからオレがまだ知らない白石のことを何か話してくんねーか?っていうのは無茶振りすぎるか?」
「えー?」
咲良は少し困惑した。でも、理由はよくわからないが阿部が咲良のことを知ろうとしてくれているらしい。それは咲良にとっては喜ばしいことだと思った。それでつい笑みがこぼれた。何から話そうか……と少し考えて、咲良は口を開いた。
「えっとね、埼玉県立西浦高校1年7組の白石咲良っていいます」
「それはもう知ってっから!」
阿部がすかさずツッコミを入れてきた。阿部が的確なツッコミをしてくれたことが嬉しくて、阿部の勢いがおかしくて、咲良はアハハッとお腹を抱えて笑ってしまった。咲良につられて阿部もクッと笑った。
「阿部君はちゃんとつっこんでくれるのがいいよね」
咲良はそう言って微笑んだ。
「オレじゃなくてもつっこんでくれると思うぞ……。ったく、白石は突然ボケるよなぁ」
「私はちゃんと私のボケをわかってくれそうな人の前でしかボケないよ」
咲良はそう言った。阿部なら咲良のボケをわかってくれる。咲良はそう思っているから阿部の前ではボケをかますのだ。これは咲良が阿部に心を開いていることと信頼していることの証なのだ。
「あー、お前、お堅い真面目ちゃんに見えるもんな。まさかこういうコミカルなやりとりができるようになるとは、9月の日直当番の時には思わなかったよ」
「それを言ったら阿部君もこんなにノリのいい人だとはあの時は思わなかったよ?」
日直当番の日、最初に話しかけた時の阿部の反応はめちゃくちゃ怖かった。でも今は阿部はこうして咲良にとって安心してボケをかますことのできる相手になった。そう考えたら咲良の胸はホカッと温かくなった。
「阿部君と仲良くなれて本当に嬉しいよ」
咲良は阿部の顔を見つめながらそう言った。それを聞いた阿部の頬が少し赤く染まった。
「――で、白石の話の続きを頼むよ」
阿部が咲良に自己紹介の続きを促した。
「うーんと……部活は吹奏楽部でサックスをやってます」
「うおーい、それも知ってるよー??」
阿部は再び咲良にツッコミを入れた。咲良はクスクスと笑った。
「中学時代はトランペット担当で」
「うん、知ってるね」
「来年の夏は野球部の応援でトランペットを吹くつもりで」
「うん、知ってる知ってる」
「得意科目は国語系、苦手科目は数学」
「全部知ってる情報だなァ??」
阿部は椅子から立ち上がって両手で咲良の両頬をムニッと掴んだ。
「オレの知らねー話をしてくれっつってんだろぉー?」
「ひゃー、ごめんなさいぃ」
咲良が謝ると阿部は両手をパッと放した。
「そろそろちゃんとオレの知らない白石のこと教えろよな」
「はーい!ごめんなさい、ふざけすぎましたぁ?!」
咲良はペロッと舌を出し、テヘッと笑った。それから咲良は生年月日、住んでる場所、出身の小学校・中学校の名前、好きな食べ物・嫌いな食べ物、趣味や家にいる時の過ごし方、好きな映画・本やアーティストのことまで阿部に話した。
「――こんなんでどうかな? 他に知りたいことある?」
ひととおり自己紹介を終えた咲良が訊ねた。
「……好きな男性のタイプは?」
阿部はそう言いながら咲良の顔を見つめた。咲良は恥ずかしさで頬が熱くなった。
「えー……?」
咲良は困惑してつい頭をポリポリと掻いた。阿部は咲良の顔をジッと見つめくる。まるで「絶対答えろ」と言っているかのような、そんな圧がある。
「や、優しい人かな?」
「うわ、ありきたりな回答だな」
「今まで全然恋愛してこなかったからタイプって言われてもわかんないんだもん」
咲良は顔をむくれさせながらそう答えた。実際、ホントにそうなのだ。咲良にとっては阿部が初恋だ。今までの人生で他に好きになった人はいない。好きになった実例が1人しかいないのにタイプなんかわかるはずがない。今好きな人――阿部のことだ――の話ならできるけど、そんなの話したら当人に咲良の気持ちがバレる可能性が高い。
「小学校・中学校時代には好きなやつとかできなかったのか?」
「できなかったねー」
咲良は乾いた笑いを漏らした。小学生の頃に咲良の髪を引っ張ったりスカートを捲ってきたりした意地悪な男子たちの顔が咲良の脳裏をよぎった。今思い出しても嫌な気分になる。
「……で、今は?」
阿部はそう言った。咲良はギクッと固まった。この話題は困る。だって正直に好きな人がいると答えて、深堀りでもされたら……。
「今もいねーの?」
阿部は黙り込んだ咲良に再度問いかけてきた。どうやら誤魔化すのは無理そうだ。
「……えと、いないです」
咲良は俯いて小さな声でそう言った。心の中で『嘘をついてごめんなさい』と謝罪をした。でも正直に答えるわけにはいかなかったのだ。深掘りされたら困るし、そもそも咲良には仲のいい男子なんて阿部しかいないのだから「いる」と答えた時点でバレるんじゃないだろうか。
「…………」
咲良の答えを聞いた阿部は何も言わない。咲良が不思議に思って顔をあげると阿部は顔に薄ら笑いを浮かべていた。
「阿部君、なんでニヤニヤしてるの」
咲良は阿部にそう訊ねた。内心『もしかして嘘ってバレた!?』とヒヤヒヤしていた。
「え、いや、別に?」
阿部はスッと真顔に戻った。咲良は『バレてないといいけど……』と思いながら阿部の顔を眺めた。完全に普通の顔に戻っている。しばらく様子を見てみたが阿部は真顔のまま何も言わない。会話が途切れたと思った咲良は阿部に質問をしてみることにした。実はさっきから訊いてみたいことがあったのだ。
「……ちなみに阿部君の場合は?」
「は?」
「阿部君の好きなタイプの女の子はどんな子なの?」
咲良はそう訊ねながら、自分の胸がバクバクと音を立てているのを感じた。
「そうねェ、容姿でいうなら、色白で肌がキレイで髪がサラサラで清楚な感じの子がいいかねェ」
阿部はそう答えた。咲良は咄嗟に「うわ、理想高いね」と言ってしまった。肌の白さなら咲良は自信があるけれど、その上、肌がキレイとか髪がサラサラとか……そんなの芸能人レベルじゃなきゃ無理じゃないだろうかと咲良は思った。
『阿部君ってすごい美人が好きなんだ』
咲良はまた少し気分が落ち込んだ。そんな咲良とは裏腹に阿部はなぜかプッと吹き出して笑った。
「え?なんで笑うの?」
咲良は意味がわからなくてキョトンとした。阿部は「いや、なんでもねー」と答えながらまたスッと真顔に戻った。
「……ちなみに内面は真面目でしっかりしてて、ちょっと気が弱くて、でも芯は強い子がいい」
「え、なんか注文すごい多くない??」
咲良は阿部がそこまで具体的に好みのタイプを述べるとは予想していなくて驚きで目を見開いた。
『ん?具体的……?』
そう思った瞬間、咲良の頭にはある考えが浮かんだ。ハッと息を飲んだ。
「……もしかして具体的に頭に思い描いている子がいる?」
「さあ?どーだろな?」
阿部はそう言ってニッと笑った。その顔を見た咲良はこの言い方はいるってことだ、と考えた。
『――阿部君には好きなタイプを訊かれた時に具体的に頭に思い描くような女の子がいる。もしかしたらただ好きな芸能人のことかもしれない。でも……今、好きな子がいるのかもしれない。もしくは過去に昔好きだった子とか』
咲良は頭から冷や水を浴びせられたかのような気分になった。視界が真っ白になった。
「……おい?」
阿部の声を聞いて咲良は我に返った。
『いけない!私は友達のままでいるって決めたんだからショックを受ける必要はないよ』
咲良は自分に言い聞かせた。そして気になったことをそのまま訊いてみることにした。
「……あの、それって昔好きだった子の話?それとももしかして今好きな子がいるの?」
咲良が訊ねると阿部は小さく「マジか……」とつぶやいた。そのタイミングで担任教師が教室に入ってきた。朝のホームルームの時間だ。咲良は「あ、席に戻らないと」と言って自席に向かった。
朝のホームルームの時間も、1限目の授業中も、咲良は心ここにあらずだった。阿部の好きなタイプの女の子の話についてずっと考えていた。
『やっぱ好きな子の話だよね。だって内面のことまで具体的に話してたもん。仮に芸能人だとしても相当熱狂的なファンだよ。……っていうか、よくよく考えたら阿部君が芸能人なんかに興味あるわけない。好きな子の話で確定だ。過去の話なのかな。今の話なのかな。てか阿部君って誰かと付き合ったことあるのかな?あー、私ってそんなことすら知らない……』
考えれば考えるほどに咲良の気分は沈んでいった。
1限目の授業後、休み時間になると阿部は咲良のもとへやってきた。
「白石、あのさ、さっきの話の続きなんだけど……――」
「待って!」
咲良は阿部の話を遮った。
「え、なに?」
「あの質問は忘れて!答えなくていい!」
咲良はキッパリとそう言った。
「は?」
「阿部君が過去に好きだった子がどんな子かとか、今好きな子がいるのかどうかとか、いるとしてそれがどんな子かとか、そういうの別に私は知る必要ないなって気が付いた!だから答えなくていいよ!」
咲良は授業中ずっとこの件で頭を悩ませた。その結論として『これ以上、この話は聞かない方がいい』と思った。咲良は阿部とは友達のままでいると決めたのだから、阿部が過去に誰を好きだろうが今誰を好きだろうがそんなことは知らなくていい話なのだ。
「いや、でもよ……」
意外にも阿部は食い下がってきた。咲良はそんな阿部の言葉を再び遮った。
「聞きたくない!」
咲良はピシャリとそう言った。咲良にとってはそれは"知らない方がいい話"だ。もっと言えば"知りたくもない話"でもある。
「……私、お手洗い行ってくるね」
咲良の語気の強さに驚いて固まっている阿部を尻目に、咲良は席から立ち上がって教室を出た。トイレの個室に入った咲良の目からは涙がポロポロとこぼれてきた。涙の理由は自分でもよくわからない。阿部にキツく当たってしまったことを申し訳なく思う気持ちのせいか。阿部に好きな子がいるorいたということが受け入れがたいからか。いや、告白する勇気も好きになってもらえる自信もないくせに、ずっと友達のままでいいって思ったくせに、そのくせ嫉妬心だけは立派にある自分が愚かで恥ずかしいからか。
2限目の授業が終わると阿部はすぐに立ち上がって咲良の方を振り向いた。咲良に話しかけようとしているんだとわかる。また例の話をしようとしていると咲良の直感がそう言っている。
『その話はホントに無理!』
咲良はまだ心の整理がついていない。あの話をされたら次は阿部の目の前で泣いてしまうかもしれない。そんな醜態は曝したくない。そう考えた咲良は阿部がこちらに到着する前にまたトイレに逃げてしまうことにした。休み時間が終わるギリギリまでトイレの個室に引きこもった。3限目の終わりも同様にして阿部から逃げ続けた。
4限目が終わると昼休みになった。いつも通り食堂で友人たちと昼食を食べた咲良は「じゃ、教室に戻ろっか」と言う友人たちの誘いを断って1人で中庭のベンチで時間を潰した。昼休みの終わり、すなわち5限目の授業開始時刻のギリギリに教室に戻るつもりだ。そうすれば執拗に咲良に例の話をしようとしてくる阿部からまた逃げ切れると思った。
しかし、咲良が5限目の授業開始時刻のギリギリに教室に戻ってくると咲良の席に阿部が座っていた。咲良はギクッと固まった。教室に戻ってきた咲良に気が付いた阿部は席から立ち上がって咲良の方へと歩いてきた。咲良は阿部が近づく度に1歩、2歩…と後退りをした。
『どうしよう?今からトイレに逃げたら授業に遅刻するよね……』
「どこ行くんだ?もう授業始まんぞ?」
阿部が咲良が気にしている痛いところを突いてきた。咲良はしかたなく立ち止まった。
『それってそこまでして私に聞かせなきゃいけない話?なんでよ……!』
咲良はぎゅっと目をつぶった。心に鉛を埋め込まれたみたいな最悪な気分だ。
「あんなァ、もうわかったから。お前が聞きたくねー話はもうしねーから、だから逃げんのやめてくんねェか?」
阿部がそう言った。咲良は驚いてパッと目を開けた。
「……ホントにしないの?」
「しない、絶対に」
阿部はそう断言した。阿部が近づいてくる。でも、例の話をされないならもう逃げなくてもいいはずだ。咲良の目の前に立った阿部は右手で咲良の左手を掴んだ。
「オレ、白石に避けられるの、すげー悲しい」
阿部がそう言った。阿部は今までみたことのないほどの切なげな瞳をしていた。好きな人から手を握られて、そんな瞳で見つめられて、避けられたくないと言われた。嬉しさと恥ずかしさで咲良の頬はだんだんと熱を帯びていった。
「ごめんね!もう逃げたりしない。でも阿部君の好きな女の子の話だけはどうしても聞けないから、それだけは勘弁してください」
「わーったよ。でも、一応言っておくけどさ、オレが今1番仲良い女子は間違いなく白石だぜ?それくらいはわかるよな?」
――オレが今1番仲良い女子は間違いなく白石だぜ?
その阿部の言葉が咲良の心に埋め込まれた鉛を取っ払ってくれた。
「うん、わかった!少なくとも今の時点では私が阿部君にとっての1番仲良しの女子なんだね。……いつか私が1番じゃいられなくなる日がくるんだろうけど、でも今1番を貰えたってことを私は一生忘れないし一生誇りに思うよ」
咲良はエヘヘッと笑った。
『いつかは阿部君に恋人ができる日が来る。それは避けられない。でも、少なくとも"今の時点では"私が阿部君にとっての1番目の女の子なんだ。この事実だけは一生揺るがない。私は今日貰ったその言葉を一生大事にしよう。いつか阿部君に恋人ができる日までにこの醜い嫉妬心はどうにかしておくからね……!』
咲良がそう思った時、阿部が咲良の左手をギュッと握った。もしかして想いが伝わったのかな、と咲良は思った。
「お2人さん、仲良きことは美しきかな……と言いますが、もう授業始めますよ」
阿部と咲良にそう声を掛けたのは5限目の授業の担当教員だった。ハッと我に返った2人は慌てて自席に着席した。クラス中から小さな笑い声やコソコソ話が聞こえてくる。みんなに見られていたみたいだ。咲良は『え~ん、どっから見られてたの!?やらかした~!』と顔を真っ赤に染めた。
<END>