阿部夢小説「真っすぐな嘘」
木曜日の5限目の授業が終わるといつも一緒に過ごしている3人の女友達が咲良の席にワッと詰め寄ってきた。「ねえ、さっきのってどういうこと!?」
友人たちの内の1人がそう言った。
「さっきの?」
咲良は首を傾げた。
「5限目の最初に阿部君と手繋いで何か話し込んでたじゃん!
「前々から親しそうだなって思ってはいたけど、やっぱ阿部君と咲良って恋愛的な関係なの?」
友人たちは口々にそう言った。
「え、違うよ!私たちは単なる友達だよ!」
咲良は右の手の平をぶんぶんと横に振って恋愛関係疑惑を否定した。
「でも咲良"1番を貰えた"とか言ってなかった?」
「そう、それ聞こえた!あれってどういう意味?阿部君に告白されたんじゃないの?」
友人の口から出た"告白"という言葉を聞いた咲良はカァァと顔が赤くなった。
「されてない!むしろ逆と言ってもいい!」
咲良がそう言うと友人3人はキョトンという顔をした。
「あれは友達宣言だと思う。なんかね、阿部君って好きな女の子がいるみたい。」
「「「ええー!」」」
咲良の言葉に友人3人は驚きで目を見開いた。
「咲良のことが好きってことじゃなくて?」
友人の1人がそう言って首を傾げた。
「違うよ!そんなわけないじゃん。なんかね、阿部君の好きな人って芸能人みたいな子らしいよ」
「わー、阿部君ってすごい理想高いんだ?」
「え、誰なんだろう?西浦の子かな?」
「あ!あの人じゃない?2年生にさ、モデルやってるってウワサの美人の先輩いるじゃん」
友人達はそうして2年生の"越智先輩"という人物の話で盛り上がり始めた。
『へえ、モデルやってる美人な先輩がいるんだ。知らなかった。じゃあ、きっとその人なんだろうな』
咲良は友人たちに自分の阿部への想いがバレないように細心の注意を払ってポーカーフェイスを貫いた。しかし、内心では少し嫉妬心が疼くのを感じていた。
「じゃ、ホントに阿部君と咲良ってただの友達なんだ?」
「うん、そう!」
「じゃあ、1番を貰ったって咲良が喜んでたのはどういうこと?」
「阿部君は好きな人がいるけど、でも今のところ1番親しい友人は私だって言われたの」
「え、それが嬉しいってことは咲良は阿部君のこと好きなんじゃん?」
友人の1人が核心を突いてきた。咲良はギクッとなった。
『ポーカーフェイスを崩しちゃだめ……!』
咲良は自分にそう言い聞かせながら「そんなわけないよ」と口にした。
「もし私が恋愛感情で阿部君のことを好きだったら友人宣言されて嬉しいわけないでしょ?」
咲良がそう言うと友人の1人が「あー、たしかにそうかな?」と言いながら顎に手を当てて考え込んだ。
「あのさ、私って男子苦手でしょ?でも阿部君と仲良くなって、初めての男友達ができて嬉しかった。だから私の中で阿部君はちょっと特別なの。って言っても恋愛感情で意味じゃなくて友達としてだよ?特別な友達って意味ね」
咲良はペラペラとそう言った。嘘が苦手だったはずの自分がこんな風に堂々と嘘をついていることに内心驚いていた。嘘なんて本当はつきたくない。良心の呵責がある。けれどここは嘘を突き通さなければならない。だって阿部には好きな人がいる。阿部と咲良が恋愛関係にあるなんて周囲に誤解されたら迷惑を被るのは阿部だ。それから咲良が阿部に恋心を抱いていることがバレるのもダメだ。阿部は咲良にとても優しいのだ。阿部がそんなことを知ったらきっと咲良を傷つけないためにどうしようか頭を悩ませるだろう。
「阿部君は私にとって特別な友達だから、私も阿部君にとって1番親しい女子でありたいなって思ってたの。だけど好きな人がいるって聞かされて自分は1番じゃなかったってちょっとショックを受けちゃって……。でも阿部君が友人としての1番は私だって言ってくれたから私は嬉しかった。そんな言葉が嬉しいってことは私の阿部君への気持ちは間違いなく友情だよ。そう思うでしょ?」
咲良がそう言うと友人たちは「へえー!」と感心した素振りを見せた。
「男女の友情ってホントにあるんだね」
「ね、珍しいよね?」
「でも咲良の言うこと聞いてたらホントに友情なんだって納得したわ」
3人の友人たちが口々にそう言った。それを聞いた咲良はホッと胸を撫でおろした。
『阿部君、私、ちゃんと説得したよ……!』
咲良は視界の端にぼんやりと映る阿部の姿を捉えながら自分の努力――すなわち、嘘をついたこと――の成果を心の中で訴えた。咲良が誤解を解き終わったところでちょうど6限目の授業の開始時刻になった。友人たちは自席へと戻っていった。
金曜日を迎えた。今日は10月31日でハロウィンだ。咲良は前日の夜に家で手作りのお菓子を作ってきた。事前に友人たちと「ハロウィンは手作りお菓子の交換会をしようね」と約束をしていたからだ。朝登校した咲良はさっそく手作りのパウンドケーキを持って仲良しの女子3人のところに向かった。女子同士で楽しくお菓子交換会をしていたら朝練終わりの阿部が教室に到着した。咲良はいつもこの時間に教室にやって来る阿部のことを密かに心待ちにしている。なので阿部が姿を表したらすぐに教室の扉に視線を向ける。すると阿部は真っ先に咲良に向かって「うす」と声を掛けてくる。そしたら咲良はニコッと笑って「おはよう、阿部君」と返事をするのだ。これがいつもの阿部と咲良の朝のやりとりだ。
朝の挨拶を交わした後は数学の宿題があれば阿部が咲良の解答をチェックしてやることになっているし、それがなくても用事があればそのまま会話を始める。ちなみに今日は数学の宿題はない。用事は……咲良にはある。実は咲良は阿部の分のパウンドケーキも作ってきたのだ。でも渡していいものか迷っていた。
『どうしようかな……』
咲良が迷っていると阿部の方から「白石、あのさ……」と声を掛けてきた。阿部は咲良のいる方へ近づいてくる。
「んー?なあに?」
咲良も女子の友人たちの集団から抜けて阿部の方へと歩き出した。
「コレ、やる」
阿部はそう言いながら咲良に何かを差し出した。――それは咲良が大好きな市販のお菓子だった。
「え、買ってきてくれたの?貰っちゃっていいの?」
「おう」
「えーっ、ありがとう!嬉しい!」
咲良は喜びで目をキラキラと輝かせた。まさか阿部の方からお菓子を用意してくれるとは思っていなかった。阿部はハロウィンなんて全く興味がないと思っていた。でも、お菓子をくれた。咲良は『それならば自分も……!』と勇気を振り絞った。
「……あの、阿部君は甘いものって嫌いかな?」
咲良はおずおずとそう言った。
「あ?まあ、あんまり得意じゃねーけど、なんで?」
阿部のその言葉を聞いた咲良は一瞬怯んだ。
『でも阿部君はお菓子くれたんだし、一応、ダメ元で訊いてみよう』
咲良は再度勇気を出した。
「えっとね、今日ってハロウィンでしょ?だからお菓子を作ってきたんだ。さっき女子の間でお菓子交換会やったんだよ!それでね、もしよかったら阿部君にも……って思ったんだけど、甘いもの好きじゃないなら迷惑だよね」
咲良は眉尻を下げるようにして笑った。もし阿部が要らないなら自分で食べるからいい。
「いや、欲しい!くれ!」
阿部は間髪入れずにそう言った。咲良は胸がホカッと温かくなるのを感じた。
「あ、ホント?じゃあ、ちょっと待ってね」
咲良は自席に向かった。そしてスクールバッグの中から阿部用の小さな手提げの紙袋を取り出す。
「はい、これ阿部君の分ね」
咲良は阿部にその紙袋を差し出した。
「うお、サンキュ!」
阿部はお礼を言いながら受け取ってくれた。
「……あの、なるべく甘くならないようにコーヒー風味のパウンドケーキにしてみた。でもやっぱりお菓子はお菓子だから砂糖は使ってるし、完全に甘みを無くすっていうのは無理だったんだ……」
咲良は阿部に言い訳を述べた。でも阿部はむしろ喜んでくれた。
「おお、そんな気ィ使ってくれたのか。あんがとな。手間かけさせて悪いな」
「ううん、私が作りたかっただけだから全然気にしないで。もし口に合わなかったら捨てていいし」
「は?捨てねーよ、バーカ」
阿部はそう言って咲良の頭にポンッと手を乗せた。"バーカ"の言い方が優しくて、絶対捨てたりしないんだって阿部の想いが伝わってきて、咲良は思わず笑顔が溢れた。
「でも、まさか阿部君もハロウィンのお菓子を用意してくれるとは思ってなかったな」
咲良はそう言いながら阿部がくれたコンビニのお菓子をキュッと胸に抱いた。
「あー……」
阿部は頭をポリポリと掻いた。おそらく照れてるのだろう。ここで咲良は昨日の夜から考えていた話題を阿部に振ることにした。
「ねえ、阿部君」
「あ?なに?」
「私ももっと阿部君のこと教えてほしいな」
咲良はニコニコの笑顔でそう言った。
「は?オレのこと?何を知りてーんだ?」
「なんでもいいから私がまだ知らない阿部君のことを何か話してよ。昨日は私が話したでしょ?今日は阿部君の番だよ」
「おー、そうか。オレの番か」
阿部は顎に手を当てて「そうねェ……」と言いながら考え込んだ。
「まず、名前は阿部隆也な。埼玉県立西浦高校1年7組」
「知ってるよっ!」
咲良は阿部の胸の辺りを手の甲でバシッと叩いてツッコミを入れた。これは昨日の咲良のボケをそのまま返されたのだとすぐにわかった。咲良は阿部がボケ返してきたのが可笑しくてフフフッと笑った。咲良につられて阿部もクッと笑う。
「んで、部活は野球部で、ポジションはキャッチャーな」
「うん、それも知ってるね!」
咲良はそう言いながらクスクスと笑った。これも昨日の咲良のボケの真似だ。
「野球部の目標は甲子園優勝なんだ」
「え、それは知らなかった!!」
咲良は目を真ん丸にして驚いた。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてないよっ。え、甲子園優勝って全国で1位になるってことだよね?」
「そうだな。全国制覇だ」
「ひえ~!だから野球部って毎日朝から晩まで練習やってるのね!」
咲良はそう言った。その時、咲良は以前阿部と日直当番をやった時に阿部が終礼後はすぐに部活に行きたがっていた理由を理解した。咲良が「ああ!」と言うと阿部は「何?」と訊ねてきた。
「日直当番やった時、阿部君が終礼後の日誌提出を嫌がってたのってそういうことなんだ?」
咲良がそう言うと阿部は「単に野球が好きだから早く部活やりたいだけだな」と答えた。
「へえ、阿部君は本当に野球が好きなんだね!」
咲良は野球部の部活中の生き生きとした阿部の姿を頭に思い浮かべた。
「そういや白石は野球のルールの本はもう読んだか?」
「えっとね、初心者向けのルール解説本の方は一旦読み終わったよ。でも1回だけじゃ覚えきれないから、今2周目読んでるところ」
「へえ。公認野球規則の本はまだか?」
「私がそっちに手を出すのは時期尚早です!」
咲良はドヤ顔でそう言った。阿部は「それはえばることじゃねーぞ」と言いながらクッと笑っていた。
「わかんねーことあったらいつでも訊きにこいよ。オレは小学生から野球やってっし、具体例を交えながら説明してやれると思う」
「わあ、具体例を出してもらえたらすごいわかりやすそうだね」
「だろ?」
阿部はそう言ってニィッと笑った。
「じゃあ、今度一緒に公認野球規則の本の読み合わせをしてくれる?」
「おお、やろうぜ!休み時間使ってもいいし、月曜の部活終わりでもいいし、な?」
阿部のその言葉を受けて咲良は「ありがとう!」とお礼を言った。
「……で、阿部君の自己紹介をもっと聞かせて?」
「あ、そうか、話が逸れちまってたな」
阿部はコホンッと咳払いをした。
「んで、オレの得意科目は数学で、苦手科目は国語系だ」
「それは知ってますぅ~」
咲良はそう言って口を尖らせた。
「あとは……誕生日は12月11日で、血液型はO型。身長は7月に計った時は172cmだった。今はもうちょっと伸びたんじゃねーかと思う」
「あ、今度はちゃんと知らないこと教えてくれたね!」
咲良はそう言いながらスマホを取り出した。
「カレンダーに阿部君の誕生日登録するからちょっと待って」
咲良はそう言ってスマホを操作した。カレンダーアプリを開いて12月11日に"阿部君誕生日"と登録をした。咲良が「できた!」と宣言すると阿部は自己紹介を続けた。
「で、他は……家族構成でも話すか。うちは両親とオレと弟の4人家族な」
「へえ、弟がいるんだ」
「そう、1個下」
「仲良い?」
「別に悪くはねーけど、特別良くもないし、普通じゃねーか?」
「へー!顔は似てる?」
「どーだろな?写真見るか?」
阿部はそう言ってスマホを取り出して弟の写真を咲良に見せた。
「あー、顔のパーツ自体は割と似てるかも?でもなんか阿部君よりも顔付きが幼くて、そんで阿部君と違ってなんかピュアそう!」
咲良はそう言ってクスクスと笑った。要するに阿部はピュアじゃないとちょっとした軽口を言ってみたのだ。
「あー、そうだな。オレとは違って旬はすげー素直なやつだよ。……悪かったな、オレは捻くれてて!」
阿部はそう言って目に角を立てた。――といっても阿部も別に本気で怒っている訳じゃないことは咲良にはわかる。咲良はフフッと笑いながら「ごめん、ごめん!」と阿部に軽く謝罪をした。
「でも、私は阿部君のそういう素直じゃないところもいいと思うよ」
そう言って咲良はニコッと笑った。惚れた弱みなのかもしれないが咲良としてはむしろそんな素直じゃない阿部の不器用さが阿部の魅力だと思っていた。
阿部は続けて住所、出身の小学校・中学校の名前、好きな食べ物・嫌いな食べ物、家にいる時の過ごし方などをつらつらと述べた。咲良は知らなかった阿部のことを沢山教えてもらえて嬉しくて笑顔が溢れて止まらなかった。
「――……ざっとこんなんか?他に訊きてェことある?」
阿部がそう訊ねた。咲良は「大丈夫」と返事をした。
「色々教えてくれてありがとうね!」
「おう」
阿部が自己紹介を終えたところでちょうど担任教師が教室に入ってきた。朝のホームルームの時間だ。阿部と咲良は自分の席に着席した。
1限目の授業が終わり、休み時間になった。咲良は仲良しの友人たちとお喋りをしようと立ち上がった。が、そんな咲良のもとに友井と小川が近づいてきた。
「ねえねえ、白石さん!ちょっと訊いてもいいー?」
友井がそう言った。
「うん?なあに?」
咲良がそう言うと友井と小川は2人で顔を見合わせてモジモジし始めた。
「ホントに訊いてもいいのかな?」
「ダメかな?でも気になるよぉ」
2人のそんな会話が聞こえてくる。
「何が気になるの?」
咲良がそう言うと友井が「えーい、訊いちゃえ!」と言いながら咲良に詰め寄った。
「あのさ、阿部君ってやっぱ白石さんのカレシなの?」
「えっ!」
咲良は驚いて目を見開いた。友井と小川は頬を赤く染めながらニマニマとした笑みを浮かべていた。
『あー、昨日のあれの続きか』
咲良は昨日の昼休みの終わり、すなわち5限目の始まりに阿部との会話や手を繋いでいたところをクラス中から目撃されたことを思い出した。仲良し3人にはもう事情を説明済み――と言ってもかなり嘘が含まれている――だけれど、あれを見ていたのはあの3人だけじゃない。クラスの他の人たちだってそれを見たはずだし、咲良の友人たちと同じように2人の仲を邪推する人は沢山いるんだろう。
咲良はふと教室を見回した。咲良が目を向けた途端にパッと顔を逸らした人たちが何人かいる。
『たぶん、この会話に聞き耳を立てているクラスメイトが沢山いるんだろうな』
咲良はそう思った。咲良は深呼吸をした。そして敢えて大きめな声を出した。
「カレシじゃないよ!友達だよ。お互いに全く恋愛感情なんて抱いてないよ」
「えー、でも昨日手繋いでなかった?」
「手を握ったって言うか掴まれただけ。ちょっと喧嘩しちゃってさ、話したくなくて私が逃げてばかりいたから捕まえられたの」
「へー、そうだったんだ。ちなみになんで喧嘩したか訊いていい?」
「話すと長くなるんだけど、私は阿部君にとって異性の中では1番目に仲が良いはずだって思ってたのに実は違うんじゃないかなって感じさせるような出来事があって、それでちょっとショック……みたいな?でも阿部君はちゃんと私のことを1番の友達だって思ってるって言ってくれたの。それが昨日のアレね」
咲良がそう言うと小川は「へー、そういうことだったんだ!」と目を丸くした。
「え、でもさ、その話だと阿部君側は白石さんのことを友達だって思ってるってわかったけど、白石さん側は恋愛感情あるってことじゃないの?」
そう言う友井はニヤニヤと笑っている。
「ううん、私、"1番の友達"って言われてすごく嬉しかったから違うよ。もし私が恋愛感情で阿部君のことを好きだったら友人宣言されて嬉しいわけないじゃない?あのね、実は私って男子のことが苦手なんだけど……――」
そうして咲良は友井と小川と聞き耳を立てているクラスメイトたちに対して昨日同じように嘘の事情を説明をした。ちなみに今回は阿部に好きな人がいるって話は伏せておいた。信頼している友人3人になら阿部の好きな人の話はしてもいいと思ったが、さすがによく知らないクラスメイトにまで阿部のそんな話を勝手に広めるのはよろしくないと考えてのことだ。
咲良が話し終わると友井と小川は「そっか~」「なんか深い話だった」と言った。そして友井たちは「色々教えてくれてありがとう」と咲良にお礼を言ってから去っていった。
友井たちとの話を終えた咲良は『また嘘をついてしまった……』と少し気分が落ちた。でもこれは必要な嘘だ。いや、嘘と言うよりもこれを本当にしなきゃいけないのだ。
『私は阿部君の"友達"で嬉しい!阿部君とは"友達"でいい!』
咲良は自分にそう言い聞かせた。でも心の中でそう唱えるほどに胸は苦しくなった。咲良は深呼吸をしてみた。
『よし!』
それから咲良はいつも仲良しメンバーのもとへと向かった。咲良が3人の雑談に加わろうとした時、友人が「あ、咲良」と口にした。
「ん?」
そう返事をした咲良に対してその友人はサッと手の平をある方向に向けた。促されるままに咲良が後ろを振り返ったら阿部がこっちに向かってきていた。
「あ、阿部君!どうしたの?」
咲良は阿部の方に向かって歩き出した。
「これ、やるよ」
阿部はそう言いながら何かを差し出してきた。
「あ、これ、私が毎日飲んでるやつ!」
阿部が差し出したのは咲良が大好きなレモン系の清涼飲料水だった。
「え、くれるの?」
「おう」
「ありがとう!……でもなんで?」
咲良はそう言いながら首を傾げた。
「今、自販機のところ行ってきたらたまたま目に付いた」
「私がこれ好きなの知ってたんだ?」
「そりゃそうだろ。お前いつもそれ飲んでるじゃん。オレら友達になってもうすぐ2ヶ月になるんだぜ?さすがに覚えるって」
阿部がそう言った。普段なら自分が好きなものを阿部が覚えていてくれたら嬉しいと思うところだ。でも今の咲良は"友達"という言葉が引っかかってしまって素直に喜べなかった。胸がまた苦しくなった。
『ダメだよ、ちゃんと喜ばなくちゃ!私は阿部君の"友達"で嬉しい!阿部君とは"友達"でいい!』
咲良は心の中で再度その言葉を復唱した。
「……白石?」
阿部が咲良の名前を呼んだ。その声には困惑の色が滲んでいた。咲良はハッと我に返った。
「あ、ごめん、ちょっと考え事しちゃってた」
咲良はそう言いながらポリポリと頭を掻いた。
「私、阿部君と友達になれて嬉しいよ。ホントに。これからもずっと友達でいて?」
咲良は阿部に対してと言うよりも自分に対して言い聞かせるようにそう言葉にした。それから咲良は両方の口角をあげるようにして無理やり笑顔を作った。
「…………」
阿部は咲良の顔を凝視しながら黙り込んだ。
『あれ?なんで何も言わないの?』
咲良の顔は次第に不安になった。自分の今の発言はどこかおかしかっただろうか。それとも上手く笑えていなかっただろうか。
「……阿部君?」
今度は咲良の方からと呼び掛けてみた。阿部は慌てて「悪い、オレも一瞬考え事してた」と謝った。
「おう、これからもよろしくな」
阿部からはっきりと「よろしくな」という返事をもらえた咲良はホッと一安心した。しかし、阿部はまた無言で咲良の顔をジッと見つめてきた。無言で咲良の顔を見ているという点はさっきと同じだが、今回の阿部は何か言いたげに見える。咲良は『なんだろ?』と思いながら阿部の顔を見つめ返した。
「なぁ、もし迷惑だったらハッキリそう言えよ?」
阿部はそう言った。
『んー?迷惑って何の話だ?』
そう考えた咲良の目には阿部の手にあるレモン系飲料が目に入った。咲良は『これのことか!』とようやく合点がいった。
「え、迷惑じゃないよ?私、今日もそれ飲むつもりだったし。お昼休みにでも買いに行こうと思ってたんだよね」
咲良はそう答えた。すると阿部は「そうか。ホラよ」と言ってそのドリンクの瓶を咲良の手の平に押し付けた。咲良は「ありがとうございます!」と言いながら受け取り、阿部にペコッと頭を下げた。
その日の午前中、阿部はいつもよりも積極的に咲良に声を掛けてくれているような感じがした。昨日のちょっとした喧嘩(?)のことを気にしてくれているのかな、と咲良は思った。何にせよ咲良としては阿部と沢山話ができることは嬉しいことだった。しかし、午後になるとそれがパタリと止んだ。咲良は少し違和感を覚えたが『単にもう用事とか話題がなくなったのかも』と考え直した。そうして金曜日の授業は全部終了し、咲良はいつも通り部活に励んだ。そうして金曜日は終わった。
土曜日になった。今日は第1土曜日なので午前のみ授業のある日だ。朝登校した咲良はいつも通り友人たちと談笑を始め、いつも通り阿部が登場し、いつも通り挨拶を交わした。何もかもいつも通り……と思ったら、咲良と挨拶を交わした後の阿部の表情に変化があった。クラスの様子を見ながらイラついているように見える。不自然に思った咲良が同様にクラスを見渡すと――一部のクラスメイトが阿部と咲良のことを好奇に満ちた目でチラチラと窺っていることがわかった。
『ああ、これが不愉快なのか』
咲良はそう理解した。阿部は不満げな顔のまま自席に向かって歩き始めた。咲良としては今日は阿部と話そうと思っていた話題があったのだが、阿部のその様子を見て今はやめておくことにした。
『また後で話せばいいや』
咲良はそう思っていたが、その日の阿部は終始不機嫌で咲良は話しかける勇気が出なかった。結局、土曜日は朝の挨拶を交わしただけで以後一言も阿部と会話できなかった。
『もしかして私と恋愛関係だと誤解されているってことがすごく嫌なのかな?』
午後の部活中、咲良は阿部について思考を巡らせた。日直当番で阿部と友人になってからもうすぐ2ヶ月が経つが、こんなに会話をしなかった日はたぶんなかったと思う。クラスメイトから好奇の目で見られるのが不愉快な気持ちは理解できるが、それだけであんなに不機嫌になったり咲良との接触を止めたりするだろうか。
『もしかして知らないうちに嫌な思いさせちゃったかな?それとも昨日のパウンドケーキが不味かったかな?』
咲良は阿部と話ができなかった今日1日はなんだか空虚に感じた。もし明日も話してくれなかったらどうしよう、という不安の気持ちもある。
「次、サックス!」
指揮者を務める顧問教師の呼びかけで咲良はハッと我に返った。咲良は慌てて演奏を始めた。
日曜日を迎えた。学校は休みだがこの日も咲良はトランペットの自主練のために午後から学校に登校した。いつも通り1年7組の教室に荷物を置いた咲良は運動着に着替えて裏グラに向かう。阿部が咲良に気が付いた。咲良は一瞬ギクッとした。
『挨拶してくれなかったらどうしよう……?』
咲良はそんな心配をしたが杞憂だった。阿部は手を上にあげて咲良にジェスチャーで挨拶をしてくれた。顔には爽やかな笑みが浮かんでいる。咲良はニコッと笑って同じジェスチャーで挨拶を返した。そして咲良は裏グラ周りのランニング開始した。咲良はランニング中は基本的にずっと阿部の練習姿を横目で眺めている。そして阿部はちょくちょく咲良の方を見る。目が合う。阿部の顔を見ると咲良は自然に笑みがこぼれてしまうのだった。
1時間のランニングを終えた咲良は裏グラを離れた。次は体育館の隅で筋トレをする。そうして身体のトレーニングを終えたら、いよいよトランペットの練習ができる。1年7組の教室で咲良は楽譜が入ったポケットファイルを取り出した。今日からは"サウスポー"を練習することにした。咲良は18時までみっちり練習に励んだ。
18時になった。今日の練習はここまでだ。咲良はトランペットの手入れをしてからケースにしまった。そして他の荷物も片付けたら自転車に乗って裏グラに向かった。その途中にある坂道――通称、地獄坂で野球部の集団に遭遇した。どうやら今は地獄坂タイムアタック中のようだ。咲良は自転車から降りて坂道の1番上で阿部がやってくるのを待った。阿部の番になるまでの間に田島が「お、白石サーン!」とニコニコの笑顔を向けてくれたり、水谷が「やっほー」と声を掛けてくれたり、花井が「うっす」と挨拶をしてくれた。そうしているうちにいよいよ阿部が地獄坂をダッシュで登ってきた。
「おお、白石か」
坂を登り切った阿部は咲良の存在に気が付いてくれた。阿部は額の汗を腕で拭いながら咲良に近付いた。
「やあやあ、今日も大変そうですなぁ」
咲良は阿部がいつも通りに話しかけてくれたことが嬉しくていつもより陽気に話しかけた。
「あー、すげーキツいよ」
「だって甲子園優勝するんだもんね!」
咲良はそう言ってニコッと笑った。それから咲良は右手をグッと握った。
「野球部が甲子園優勝するなら野球部応援団の吹奏楽員として私もちゃんと体力作りして、夏の試合は最初から最後まで全部応援しないと!」
咲良はメラメラと闘志を燃やした。そんな咲良の姿を見て阿部はフッと笑った。
「来週の土日は4市大会決勝リーグ1回戦と2回戦があるって知ってるよな?来てくれるんだろ?」
「もちろん!モモンガのぬいぐるみ貰った時に約束したもん。それに来週土日勝ち進めたら、再来週の日曜日には決勝戦だね!」
「そうだ、よく覚えてんな」
阿部はニッと笑った。咲良は「当然だよ」と言った。
「4市大会が終わったら、もう野球部は来年4月まで公式戦はないんだよ。12月から3月頃まではオフシーズンで練習試合も組めなくなるしな」
「そうなんだ、じゃあ私は4市大会を最後にしばらくは試合見納めだねぇ」
咲良は少し残念に思った。もっと阿部が野球やってる姿を見たかった。
「オフシーズンのうちに公認野球規則の本の読み合わせやって野球ルールを習得しようぜ。冬は日が短い上に裏グラは照明ないから練習時間がこれまでよりは短めになるんだよ。朝練もなくなるし夜も上がる時間が少し早くなる。だから夜とかLINEで通話しながら読み合わせしような。あとは嫌じゃなかったら今度うちに遊びに来いよ。オレ、よく親父と過去の試合のビデオを観ながら戦略・戦術面に関して色々議論してんだ。もしかしたら白石も参考にできるかもしんねェ。ま、もれなくクソうぜーうちの親父が付いてくるっていうデメリットはあるけどな」
阿部はそう言って片方の口角を吊り上げるようにして笑った。
「ウザくないです!色々教えてもらいたいです!」
咲良は身を乗りだした。
「じゃ、4市大会が終わったらそんな感じでやってくか」
「わかった!それまでに初心者向けルールブックは全部頭に叩き込んでおくね!」
阿部と咲良がそんな会話をしていたら篠岡が「この次がまた阿部君の番だよ!すぐ坂降りて!」と阿部に促した。
「あ、ワリィ、もう行かねーと。今日も来てくれてありがとな。久々にゆっくり話せてよかったわ」
「あ、うん。金曜の午後と土曜日はあんま話せなかったもんね。……あの、なんかあった?」
咲良はおずおずとそう言った。
「あー、ちょっと、色々あってさ。その話もしてーんだった。今日の夜ってLINE通話できるか?22時半とか23時くらいになっちまうかもだけど……」
「いいよ。明日は祝日だから朝ゆっくりできるし、遅い時間でも平気だよ」
咲良がそう言うと阿部は「じゃ、よろしく」と言って地獄坂を急いで降りていった。阿部と会話できたので咲良は今日はもう帰ることにした。自転車に乗って来た道を引き返し、帰途についた。
夜、22時半になると阿部から"起きてるか?今からLINE通話できる?"というメッセージが届いた。
"練習おつかれさま。私はいつでも大丈夫だよ"
"んじゃ、今からかけるわ"
そのメッセージを咲良が確認してすぐに阿部からLINE通話がかかってきた。咲良は応答ボタンを押した。
「もしもし?阿部君?」
「おー、オレ。悪いな、遅い時間に」
「全然いいよ!……で、色々あったって何?」
咲良は金曜午後と土曜日のあの態度の理由が気になってしかたなかった。ので、口調がやや厳しくなった。
「えっとだな……」
阿部は説明の仕方に迷っているのか口籠った。
「…………」
咲良は無言で阿部の次の言葉を待った。
「木曜日の昼休みの終わり、オレ、教室で咲良に"1番仲良い女子だ"とか言ったろ?」
「うん」
「白石も"少なくとも今1番なことは今後関係性が変わっても一生誇る"っていうようなこと言ってくれたじゃん?」
「……ああ、はい」
「あのやりとり、クラス中に聞かれちゃったのって把握してたか?」
「あー、うん。なんかいつの間にか5限目の時間になってて先生に注意されちゃったよね。恥ずかしかったね」
咲良はそう言いながらハハッと笑った。
「あ、意外と気にしてねー感じ?なんか水谷と花井から聞いた話だと、あれのせいでオレたち今クラスメイトから好奇の目で見られてるらしいんだよ」
阿部は咲良にそう言った。
「あー、そんな雰囲気は察してたよ。クラスの仲良しの3人の友達から"阿部君と咲良って恋愛的な関係なの?"とか訊かれたし、あと友井さん・小川さんからも"やっぱカレシなの?"って訊かれたりした。でも、阿部君、安心して!私ちゃんとみんなに真実伝えたよ!私と阿部君はただの友達だって言った。それに阿部君には私じゃなくって他に好きな子がいるみたいって話もした。で、私たちの関係は恋愛なんかじゃないってこと、珍しいかもしれないけど男女の友情は成立するってこと、しっかり力説しておきました!少なくとも友人たちのことは説得できたと思う」
咲良は苦手な嘘を今回は上手に話せたと思っている。それも阿部のためだ。咲良はうまいこと誤魔化せた自分を少し誇らしく思った。それで凛々しい声で阿部に報告をした。
「なんか色々動いてくれてたんだな。あんがとな。オレの軽率な行動のせいでクラス中から好奇の目に晒されるようなことになってごめんな」
「ううん、実は男子とほぼ交流がない私が阿部君と仲良くなった時点でクラスの子からちょいちょいそんなことを訊かれたりしてたんだ。吹奏楽部の友達からも言われたことあるし、男女が仲良い友達になるとみんなまずは恋愛を疑っちゃうみたい。ま、私たち思春期でそういうことに興味持ったりする時期だからさ、しょうがないよね。でも、はっきり否定すればみんなわかってくれるから!」
咲良がそう言うと阿部は「案外冷静なんだな」と言った。
「……オレ、白石がクラスメイトから好奇の目で晒されるのが申し訳なくて金曜午後と土曜はなるべく話しかけないようにしてたんだ」
「あー、そういうことだったんだ!気遣ってくれてありがとう。……でも、私は阿部君が話しかけに来てくれなくなったことの方が……寂しかった、な。『私と恋愛関係だと誤解されるの、そんなに嫌だったのかな?』とか『もしかして知らないうちに嫌な思いさせちゃったかな?』とか『パウンドケーキ不味かったかな?』とか色々考えちゃったよ」
「あ、パウンドケーキめっちゃうまかった。甘すぎなくてよかった。ありがとな。あと、オレは白石と恋愛関係だと思われても別に気にしねーよ?」
「え、でも一昨日の自己紹介の時、好きな子の特徴めっちゃ具体的に挙げてたじゃん。好きな子いるんでしょ?その子に誤解されたくないでしょ?」
阿部は一瞬黙り込んだ。しかし、すぐに口を開いた。
「……オレはそれは一旦保留にしてんだよ。誤解を解く方法は後で考えるから気にすんな」
阿部はそう言った。やはり阿部には好きな子がいるのだ。そして今咲良のせいで誤解されている。申し訳ないやら嫉妬してしまうやらで咲良は弱々しく返事をした。
「どうした?」
「あ、ううん、なんでもない。……とにかく私はクラスメイトから冷やかされても平気だから、阿部君が嫌じゃなかったら、気にせずに今まで通り仲良いお友達として沢山お話してほしいよ」
「……わかった。じゃあ、また今週の連休明けからは今まで通り絡みに行くからな!」
「うん!」
咲良はそう言った。気持ちが上向きになった。
「話したかったのはそんだけだ。じゃ、もう23時だし寝ようぜ」
阿部がそう言った。咲良も「うん、私も眠くなってきた」と返事をした。眠いと言った途端に欠伸が漏れた。
「おう、じゃ、おやすみ」
「おやすみ、阿部君」
そうして阿部と咲良は電話を切った。
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