阿部夢小説「番外編2 ~恋心を自覚した阿部の回想話~」
10月下旬の水曜日、阿部隆也は同じクラスの花井と水谷に恋愛相談をした。いや、阿部としては"恋愛の"相談をしたつもりはなかった。しかし、相談の末、阿部は自分が白石咲良への恋心を抱いていることに気付かされた。故に結果的に阿部は2人に恋愛相談をしたことになってしまった。阿部はまさか自分が他人に恋愛相談なんてものをする日が来るとは夢にも思っていなかった。『改めて思い返すとなんか気恥ずかしィよな……』
放課後の部活を終えた帰り道で1人になった阿部は今日の昼食時の出来事を思い返して頭を抱えた。
『つーか、オレ、いつからあいつのこと好きだったんだ…?』
阿部は家へ向かって自転車を漕ぎながら白石との馴れ初めを思い返し始めた。
◇◆◇
阿部が初めて白石と接点を持ったのは9月の上旬、文化祭が終わったばかりの頃だった。日直当番が一緒になったのだ。最初、阿部は自分がその日の日直当番だということを全く認識していなかった。そんなわけで朝練が終わって7組の教室に到着した阿部はいつも通り自席で仮眠を取ろうとした。そこにクラスメイトの女子がおずおずと阿部の名前を呼んできた。それが白石咲良だった。白石は青い顔をしながら「あの…、私たち、今日、日直当番なんだけど…」と恐る恐る言った。それを聞いて阿部はようやく自分がその日の日直当番であることを思い出した。
『うわー、めんどくせえな』
阿部は心の中でそう思いながら白石に「日直って何すんの?」と訊ねた。以前にも2回ほど日直当番になったことはある。しかし、その時は2回とも相手の女子が1人でほぼ全てのことをやっといてくれたので阿部は日直当番の仕事が何なのか全く把握していなかったのだ。
「まずは朝のホームルームの前に職員室に学級日誌を取りに行かないと」
白石がそう言った。阿部はその言葉でこの女子が自分に声を掛けてきた理由を理解した。
「じゃあ、行くか」
阿部は席から立ち上がって教員室に向かって歩き始めた。白石は阿部の数歩後ろをついてきた。
『前に当番をやった時は女子の方から"阿部君は野球部で忙しいからいいよ"っつって全部1人でやっといてくれたんだけどねェ…』
律儀に日直当番2人で教員室に学級日誌を取りに行っているその状況を阿部は内心バカらしいと思っていた。ただ学級日誌を取りに行くだけのことに2人も人数を掛ける必要はないだろう。どちらか片方だけでできる作業だ。しかも、白石は見るからに阿部のことを怖がっている。阿部は『そんなにオレに近寄りたくないなら勝手に1人で取りに行けばいいのに……』と内心考えていた。怯えながらもわざわざ阿部に声を掛けにきたところから察するに、白石はどうやら"真面目ないい子ちゃん"のようだ。
『クソ真面目な優等生女子と日直当番ってことは今回はちゃんと日直の仕事やんなきゃなんねーか』
そう考えた阿部は後ろを歩いている白石に日直当番の仕事内容について詳細を訊ねた。白石は事細かに日直の仕事内容を教えてくれた。思っていたよりもやることが多い。阿部は「うわ、だりィな」と言いながら大きな欠伸をした。すると白石は学級日誌と黒板消しは白石の方で担当するから阿部は授業の号令をやってくれないかと提案してきた。白石は人前で大きな声を出すのは嫌だそうだ。それは阿部にとっても都合のいい提案だった。阿部は二つ返事で承諾した。
『よし、号令だけならたいした仕事じゃねーな』
日直当番と聞いて憂鬱になっていた阿部だったが少し気分が上がった。
そうして歩いていると職員室に到着した。阿部は大きな声で担任教師を呼んだ。
「センセー!日直なので学級日誌取りに来ました!」
「おお、きたか。ホレ、これな。今日は頼んだぞ。学級日誌は終礼終わったらまた2人で届けに来てな。」
―――また2人で届けに来てな
担任教師のその言葉を聞いた阿部は一瞬固まった。
『は?2人で?』
以前、日直当番をやった時は阿部が「オレ、部活早く行きてーんだけど」と言ったら相手の女子が「あ、私1人で出しとくよ!」と気を利かせてくれた。阿部は今回もそうしてもらおうと思っていたのだ。学級日誌なんて1人で運べるサイズなんだし、わざわざ2人で提出する意味がどこにあるんだと阿部は不満に思った。
「え、学級日誌届けんのって2人でじゃないとダメなんスか。オレ、終礼後は早く部活行きたいんスけど。」
阿部は担任教師に率直な意見をぶつけてみた。しかし、担任教師は首を横に振った。
「いや、ダメだよ。2人で日直なんだから最後まで2人でやること!」
担任教師はキッパリとそう言った。有無を言わさぬその物言いに阿部は渋々「はぁい…」と頷いた。上がったはずだった気分はまた少し降下した。阿部は少しでも早く部活に行けるように「学級日誌、終礼までにできる限り全部埋めといて。すぐ提出して部活行きたいから。」と白石に向かってピシャリと言い放った。ここで予想外のことが起きた。ビクビク怯えた様子のいかにも気の弱い女の子って感じの印象だった白石の顔付きがキッとキツくなったのだ。
「わかってる。私も部活あるし。野球部だけ特別じゃないんだよ。」
そう言った白石の語気は強く、またその瞳は阿部のことを非難がましく見ていた。
「は?そんなこと言ってねーじゃん。」
阿部は咄嗟にそう返事をしたが、白石の辛辣な口調は収まらなかった。
「言ったようなもんじゃない?私に1人で学級日誌提出させて、自分は先に部活行く気だったんでしょ?私も部活あるのにさ。」
「いや、あんたが部活あるとかオレ知らねーし」
「知らないと勝手に帰宅部だって決めつけるんだ?っていうか仮に帰宅部だったとしても、早く日直から解放されたいのはお互い様なのに片方に押し付けて当然っていうのはおかしいんじゃないかな?」
阿部を見る白石の目には明らかに怒りや不満といった負の感情が込められていた。阿部はまさか"おとなしくて真面目な優等生女子"にそんな反撃を食らうとは思っていなかったし、これまでの経験から女子は野球部の阿部に気を利かせて自ら進んで1人でやっといてくれるもんだというイメージがあったので、終礼後の学級日誌の提出を女子に任せようとしたことでこんなに非難されるとは全く予想だにしていなかった。阿部の頭は少し混乱していた。でも自分に向けられた負の感情が決して気持ちのいいものではないことだけは確かだった。阿部は思わず「……チッ」と舌打ちをした。自分に怒りと不満の感情をぶつけてくる白石とこれ以上一緒に居たくなかったので阿部は「オレ、先戻るわ」と言って白石を置いて1人でさっさか教室に帰った。
『なんだ、あの女?おとなしそうだと思ってたのに、意外と強気で食ってかかるじゃねーか。』
阿部は白石に対して少し苦々しい感情を抱いた。それと同時に白石咲良と言う女子に対して興味が湧いたのも事実だった。阿部は少し遅れて教室に戻ってきた白石の様子をこっそり眺めた。白石は席に着いたら真っ先に学級日誌を開いてものすごい勢いで書き込み始めた。それから黒板のところに行って今日の日付・曜日と日直の名前を埋めてくれた。
朝のホームルームの号令は約束通り阿部が声を出した。それから阿部は白石の様子をまた眺めた。担任教師が出席を取り始めると白石は遅刻者と欠席者の情報を聞き漏らすまいと神経を尖らせているのがわかった。その後も担任教師からの連絡事項を聞きながら必死に学級日誌にペンを走らせていた。
『やっぱ"真面目ないい子ちゃん"……なのは間違いないよな?』
阿部はそう思った。
1限目の終わりになると阿部は再度白石の様子を眺めた。白石はまた学級日誌に向かって必死に何かを書いていた。そしてそれを書き終わった白石は次の授業に備えて黒板の板書を消しに行った。黒板消しで端から板書を消していく白石だったが、白石は背があまり高くないので黒板の上の方に書かれた文字まで手が届かないようだった。何度もジャンプをしながら少しずつ消していた。
『届かねーならテキトーに近くの男子でも捕まえてやらせりゃいいのに、ホントに真面目ちゃんだな』
そんなことを考えながら阿部は黒板に近づいた。そして白石の背後に立って白石の右手から黒板消しを取り上げた。そして白石が消せなかった上の方の板書をするすると消してやった。白石はパッと後ろを振り返った。そして白石は阿部の姿を目視した瞬間、目を見開いて動揺を見せた。
「あ、阿部君!?」
「何?」
阿部がいつも通りの飾り気のない返事を返すと白石は少し戸惑った様子を見せた。が、それでも「手伝ってくれてありがとう」と阿部にお礼を言った。阿部にはお礼を言われる意味がわからなかった。だって今日は阿部も日直当番なのだからこれは"手伝い"じゃなくて"自分の仕事をやっただけ"だ。阿部がそう説明すると白石は朝に決めた役割分担(学級日誌と黒板消しは白石担当、授業の号令は阿部担当ってやつのことだ)について言及してきた。
「たしかに白石が黒板消し当番って話はしたけど、物理的に届かないもんは仕方ないだろ。んで白石が届かなくて困ってんのを見てて日直のオレが何もしないわけにいかないし。」
お互いに日直当番としてやるべき仕事をやっただけ。何もお礼とか必要ない。それが阿部の持論だった。阿部がそう言うと白石は少し考え込むような様子を見せた後、「……そっか」と言葉を漏らした。白石も納得したなら会話はこれで終わりだ、と阿部は思った。しかし、白石は続けて口を開いた。
「それでも嬉しかったから、ありがとう、阿部君」
白石はエヘヘッと心底嬉しそうに笑った。白石は、朝から今までの間、阿部に対して怯えたり怒ったりといったマイナスな感情しか見せてこなかった。そんな白石から初めてプラスの感情を向けられた阿部は面食らった。白石の笑顔の威力はそれはもう凄まじかった。めちゃくちゃかわいい。阿部は思わず頬が熱を帯びるのを感じた。でもそんな顔を見られるのは恥ずかしくて顔を横に逸らして「どーいたしまして」とぶっきらぼうに返事を返した。阿部は赤面している自分の顔をあまり見られたくなかったのだが、白石は阿部の顔を珍しそうにジロジロと眺めてきた。
「なんだよ、見んなよ」
阿部がそう言うと白石は「あ、どうもすいませーん」と後頭部に右手を当てて昔のお笑い芸人みたいな白々しい反応でおどけてみせた。朝、あんなに阿部のことを怖がっていた女子が今やこうして阿部の前でふざけている。阿部は『こいつ、ただの"真面目ないい子ちゃん"じゃねーぞ?』と確信を持った。
「あんた、なんか、朝一に話しかけてきた時とだいぶ印象違うぞ」
阿部は青ざめながらジト目で白石の顔を見た。
「阿部君もちょっとイメージ変わったよ」
「は?オレ?」
「うん、ヤなヤツからマシなヤツに変わった」
白石はニヤッと笑いながら言った。
『あ、こいつ、結構いい性格してやがんな』
そう思った阿部は白石にちょっとちょっかいを掛けてみることにした。
「てめー、言うじゃねえか。この口か!?」
阿部は白石の両頬をつねった。白石は「ひゃめてよー!(やめてよー!)」と言いながら抵抗したが、野球部で日々厳しい訓練を受けている阿部の腕力に敵うはずがない。白石はもともとは整った綺麗な顔立ちをしているのだが、阿部に頬を引っ張られた今はすっかり変な顔になっていた。阿部は「フッ」と吹き出して笑ってしまった。その時、予鈴が鳴った。阿部はパッと手を放して白石に「おら、もう2限目始まんぞ。席着け。」と促した。白石は素直に「はーい」と言って自席に戻っていった。
授業中、阿部は白石が「ありがとう、阿部君」と言いながら嬉しそうに笑ったその笑顔を何度も頭の中で反芻した。本当にめちゃくちゃいい笑顔だった。その後に「あ、どうもすいませーん」と言っておどけてみせた様子も、「ヤなヤツからマシなヤツに変わった」と言いながらニヤッと笑った不敵な顔も、両頬をつねった時の変顔も、今日最初に阿部に対してビクビク怯えながら話しかけてきた時の子ウサギみたいな印象とは全然違った。最初は"気の弱くてクソ真面目な優等生女子"だと思っていたし、その印象も間違ってはいないんだろうけれど、どうも白石はそれだけの女じゃなさそうだと阿部は思った。阿部は白石咲良と言う女子に対して強く興味を持ち始めた。こいつはもっと他にも色んな顔を持ってるはずだ。そういうの全部見てみたいと思った。
2限目の終わりの黒板消しは阿部も最初から一緒にやることにした。阿部が上の方から消していって、白石は下から消していく。消し終わった2人は顔を見合わせた。お互いに自然に笑顔になった。
「朝、悪かったな。あんたの言ったことが正しいよ。」
阿部は白石に謝罪をした。前の日直の時に相手の女子が全部引き取ってくれたからってそれが当然みたいに阿部は思ってしまっていた。でも、白石が言った通り、野球部が他の部活よりも優先だなんていうような上下関係は存在しない。前回は相手の女子が、気を使ってくれたのか、それとも単に阿部と一緒に日直やるのが嫌だったのか、理由はわからないがほぼ全部の仕事引き取ってくれた。けれど片方に仕事を押し付けてそれで平気でいられた自分はあまりに自分勝手だったんだと阿部は考え直した。考えを改める前の阿部に対して怒りや不満を覚えた白石は何も間違っていないし、最初は阿部に対してあんなに怯えていたのにそこはハッキリと異議を申し立ててきた白石は芯が通っている立派な女の子だと阿部は思った。この時点で既に阿部の中での白石の評価は上々だった。阿部の謝罪に対して白石は「わかればいーんだよ。早く部活行けるように学級日誌完璧に書いておくから安心して!」と屈託のない笑顔を見せた。あんなに怒ってたのに阿部が謝ったらすんなり許してくれてまったく後腐れない白石を見て、阿部の中で白石への好感度は更に高まった。
そうして1日の授業が終わり、終礼も終わると白石は学級日誌を持って阿部のもとへとやってきた。
「ほい、残り阿部君の感想だけ」
「おー、サンキュー!」
「ここに感想書いて」
白石が感想欄を指さした。
「おー……」
阿部は自分の感想を書こうとした。その瞬間、白石の感想が目に入ってきた。
"阿部君は意外と表情豊かでいい人だった。日直当番、一緒になれてよかった。"
白石の感想にはそう書いてあった。最初、阿部に対して明らかにマイナスな感情を抱いていたはずの白石がこの1日で自分についてプラスの感情を抱いてくれるようになったということが阿部はとても嬉しかった。阿部は白石の顔を見てニヤッと笑った。白石は恥ずかしそうな顔をしていた。
阿部は、白石が日誌にそう書いてくれるなら、自分も最初はマイナスな印象を持っていた白石への評価がこの1日を通してプラスの方向に変わったことをちゃんと記したいと思った。それで阿部はペンを走らせた。
"白石は真面目だししっかりしてるし、日直当番がこの人と一緒で助かった。"
阿部はそう書いた後、日誌を閉じて白石の頭に載せた。それから職員室に向かって先に歩き始めた。途中で足を止めた阿部は後ろを振り返った。学級日誌を頭に載せられた白石はそれを落とさないように慎重にそっと掴んだところだった。阿部は自分の感想を白石にも目を通してほしかった。だから口を開いた。
「オレの感想も読んでいいぞ」
阿部の言葉を聞いた白石はハッとした表情をして学級日誌を開き始めた。そして日誌を読み終わった白石は顔をあげた。頬が少し赤く染まっていた。たぶん、喜んでもらえたんだろうと阿部は思った。阿部は自然に笑みがこぼれた。
「さ、今度こそ行くぞ」
阿部は白石に背中を向けて再び職員室に向かって歩き出した。すると背中をパシンッと叩かれた。阿部の横に白石が並んでいた。
「いてーな、なんだよ」
正直に言うとたいして痛くないのだが、阿部は一応文句を言ってみた。
「えへへ」
白石は嬉しくて嬉しくてたまらないといった様子でデレデレとした笑みを浮かべていた。
「そんな喜ぶことか?ったく。」
阿部は口ではそう言ったが、たったあれだけの感想で白石がすごく喜んでくれている姿を見たら決して悪い気はしなかった。
「ねー、阿部君、私、今日が終わってももっと阿部君と色々お話してみたいな」
白石はそう言った。阿部は白石がそんな風に思ってくれたことを嬉しいと感じた。でも、阿部は素直に「オレも」とは言えなくて照れ隠しで「するだろ、同じクラスなんだから」と素っ気なく返事をした。すると白石は頬をむくれさせた。
「今までしなかったじゃん!てか私の名前も覚えてなかったくせに!」
実は朝の時点で白石の名前を覚えてなかった阿部は「そういや、あんた名前何だっけ?」と白石に訊ねたのだ。白石はそのことを指摘してきた。どうやら阿部が白石の名前を覚えていなかったことについて白石は内心快く思ってなかったようだ。阿部は「あーワリワリ。もう忘れないからよ。白石咲良、な!」と返事をした。それに対して白石は「そうだよ、阿部隆也!」と言って笑った。
これをきっかけに阿部と白石は友達になったのだ。
◇◆◇
日直当番の日、阿部は最初は白石のことをネガティブな意味合いで"クソ真面目で気の弱い優等生女子"と評価していた。それがその日の終わりには白石の真面目さや優等生っぷりをポジティブな意味合いで評価するように変わっていた。少し気が弱いところがあるのも事実だが、それでも筋を通すべきところは決して譲らない芯の強さがある女の子だということもわかった。それから意外にもおどけてみせたりするし、笑った顔は格別にかわいい。
今思い返せばこの時点で既に阿部は白石に惹かれ始めていたことは間違いない。でなきゃ「私、今日が終わってももっと阿部君と色々お話してみたいな」なんて言葉に阿部が快く応じるはずがないのだから。
◇◆◇
日直当番の翌日から阿部は毎朝登校する度に白石にちゃんと朝の挨拶をするようになった。数学の宿題がある日は白石の解答をチェックしてやったし、野球部が公休を取った時の授業のノートは白石に見せてもらった。阿部が苦手な現国や古典のことを白石に教えてもらったりもした。阿部は機会を見つけては何かと白石に話しかけた。それは「もっと阿部君と色々お話してみたいな」と言った白石の気持ちに応えたいと思ったからというのももちろん理由の1つではあるが、阿部自身も白石咲良と言う人間に興味を持っていてもっとこいつのことを知りたいと思っていたからだった。
白石は阿部が話しかけにいくとその度に嬉しそうに微笑んだ。それから何かっつーと「エヘヘッ、阿部君と仲良くなれて嬉しいな」と言って阿部にデレデレの笑顔を見せたりもした。
話しかけにいくとそんな風にあからさまに喜ばれて、事あるごとに「仲良くなれて嬉しい」なんて言われて、しまいにはデレデレのめちゃくちゃかわいい笑顔を惜しげもなく披露されて、それで嬉しくない人間なんているだろうか。朴念仁と呼ばれる阿部でもさすがに白石のド直球の好意表現にはたじたじになった。
そもそも白石咲良という人間はその容姿の時点で阿部の好みのドストライクなのだ。阿部は色白で肌が綺麗で清楚な女子が好みなのだが、白石はその条件を完璧に満たしていた。驚くほど白い肌は思春期でホルモンバランスが崩れやすい時期であるにもかかわらずニキビの1つも存在しない。染めていない地毛の黒髪は、細いからなのだろうか、とても柔らかそうで白石が動くと優雅になびいた。同じ黒髪でも白石の髪は阿部のそれとは全然質が違うのだ。阿部の髪は太くて硬くて黒々としているが、白石の髪色は黒髪なのに透明感がある。それから白石のスカート丈は膝が見えるくらいの長さで、長すぎず短すぎずちょいどよい。清楚な印象だ。ブラウスはいつも上のボタンを1つ開けているけれどリボンやネクタイをしているので決して胸元が大きく乱れることはない。その堅すぎず崩しすぎない制服の着こなしが阿部の中では好印象だった。それから割と校則が自由な西浦ではネイルを派手な色にしてきたりデコレーションを施すような女子も少なくない中で、白石の場合は決して爪を伸ばすこともなく何か色を塗ることもなく素朴な爪のままだった(ただ透明のツヤ出し用の何かは塗っているようだ)。爪を伸ばしていなくても色を塗っていなくても白石の縦長の爪は十分にキレイだと阿部は思っていた。
◇◆◇
白石との馴れ初めを思い出しながら家に向かって自転車を漕ぐ阿部は『たぶん、鎌倉遠足の前にはもう好きになってたな』と思った。阿部は好きでもない人間の容姿をそんな風にじっくり観察なんかしない。たしかに白石の容姿は阿部が白石のことを好きになる前から阿部にとっては好みのドストライクだったんだと思う。でも阿部は容姿だけで人を好きになることはないし、中身も知らないのに容姿の良さだけにつられて優しくしてやったりほだされたりしない。阿部は白石を好きになったから白石の容姿の良さに改めて気が付いたという話だ。
◇◆◇
約1ヶ月ほど、阿部と白石は毎日朝の挨拶を交わしたり勉強を教え合ったりして親睦を深めた。そうして阿部がすっかり白石に惚れた頃、鎌倉遠足の時期がやってきた。鎌倉遠足では女子3名+男子3名の6名で1組となり、丸1日その6名で自由に鎌倉を観光することになっていた。班決めの方法としては、まずは女子3名のグループと、男子3名のグループを自由に仲のいい者同士で組み、そして男女グループの組み合わせはクジ引きで決めることになった。
阿部は当然花井と水谷と一緒に男子3名のグループを組んだ。そして男子グループの代表の花井は紙に自分の名前を書いて折り畳み、クジ引き用の箱の中にその紙を放り込んだ。あとは女子グループの代表がクジを引きに行く。その結果で男女の組み合わせが決まる。
イベント実行委員が「じゃー、女子グループの中から1人代表でクジを引きに前まで出てきてください!」とクラスに呼びかけた時、阿部は白石の姿をずっと目で追っていた。クラスの女子とろくに関わりのない阿部にとって白石は唯一の女友達だった。今になって振り返るともうこの時点で阿部は白石のことを"友達として"ではなく"女の子"として好きだったんだとわかるのだが、その時はまだ自覚してなかった。自身の恋心に無自覚だった阿部ではあるが『白石と組めりゃいいのにな』とは思っていた。同時に『そんな都合のいいように事が進むわけないよな』とも思っていた。しかし、女子の中で1番にクジを引いた白石は白い紙を広げた後、イベント実行委員に向かって「花井グループです」と報告をした。
「おっ、マジか」
阿部は無意識のうちに声が出ていた。
「あ?嬉しいの?」
阿部の声を聞いた花井が阿部に訊ねてきた。
「ああ、白石とは友達だから」
「あー、阿部って最近よく白石さんと話してるよね」
水谷がそう言った。
「ああ、そう言われてみれば話してたな。へー、阿部にも女子の友達ができたんだ?」
花井は少し驚いているようだった。
「はい、じゃあ白石さんのところと花井君のところが1班ね。この後、班でどこ観光するか話し合いをしてもらうのでこの6人で集まって待っててください。」
イベント実行委員がそう言うと白石を筆頭に女子3人がこちらに向かってやってきた。
「阿部君!」
白石は真っ先に阿部のもとへとやってきた。ニコニコと嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「おー、白石。同じ班だな。」
阿部はそう言って白石を出迎えた。阿部の方も嬉しくて自然に笑顔になった。
「阿部君のいるところでよかった!私、阿部君の他にろくに話せる男子いないもん。」
「オレも白石んとこでよかったわ。オレも他の女子わかんねーもん。」
「へ?篠岡さんがいるでしょ。野球部のマネジでしょ、あの子?」
「あー、まー、篠岡とは話さなくもないけど、オレは女子の中じゃあんたが1番話すよ」
阿部がそう言うと白石は"1番"と言われたことが嬉しかったようでエヘヘッと笑った。またあのデレデレの笑顔だ。阿部は胸がキュッとなった。阿部は照れ隠しで「んな喜ぶことかね」と言ったが内心では白石がそんな風に喜んでくれて阿部も嬉しかった。
鎌倉遠足当日、白石はその日も遺憾なく"真面目な優等生"っぷりを発揮していた。東京駅から鎌倉駅に向かう時には「1番線ホームの横須賀線で1本で行けるよ」とか「総武線も同じホームに来るから乗り間違えないようにしないと!」とか言って班のメンバーに情報提供や注意を促していたし、鎌倉駅に到着したら真っ先に鎌倉市観光総合案内所に向かって観光ガイドマップやパンフレットを手に入れていた。それから観光中はパンフレットを熟読しながら「若宮大路の段葛は源頼朝が北条政子の安産を祈って造った道なんだって」とか「長谷寺では6月頃にはアジサイの花が咲いてすごくキレイなんだって」と観光情報を班のメンバーに案内していた。
『ホントしっかりしてんよなァ』
阿部は白石のそんな姿を好ましく思いながらずっと眺めていた。
そう、鎌倉遠足の間、阿部はほぼずっと白石のそばにいたし、ずっと白石のことを見ていた。それは白石への配慮という側面もあった。というのも鎌倉遠足前にちょろっと白石から聞いた話だと白石は今回の鎌倉遠足で普段仲良くしている女友達とは違うグループになってしまったらしいのだ。だからこの班の中で白石にとって心を許せるメンバーは阿部だけなんだと言っていた。白石はもともと気が弱い方だし、社交的な部類でもない。そんな白石にとってあまり親しくない人たちに囲まれて1日知らない場所を観光するというのは少し勇気のいることらしかった。それを聞いた阿部は鎌倉遠足ではなるべく白石のそばにいてやろうと思っていた。
◇◆◇
でも、今になって思い返すとあの時点で阿部はすっかり白石に惚れていたわけで(無自覚だけど)、きっとそんな情報がなくても阿部は自然に白石のことを見ていただろう。
『オレのことだから機会があればすかさず白石の隣を確保していただろうな』
自宅に到着した阿部は家の敷地内に自転車を停めながらそんなことを考えていた。そして「ただいまー」と言いながら家の中に入っていった。阿部は帰宅したら夕食の前に風呂に入ることにしている。野球部の練習では全身汗だくになるのでまずはベタベタになった身体を綺麗にしたい。阿部は玄関にエナメルバッグを置いたまま風呂場に直行した。服を脱いで風呂場に入った阿部はまずはシャワーを浴びて汗を流した。それから頭や身体を洗っていく。頭・身体を洗い終わったら今度は阿部は湯船に浸かった。温かくて気持ちいい。
「ふあ~」
阿部は思わず声が出た。そしてお湯に浸かりながら阿部は再び鎌倉遠足の時のことを思い返した。
◇◆◇
阿部は鎌倉に向かう横須賀線の電車内での会話で白石が吹奏楽部だということを知った。今はサックスを吹いているが中学時代はトランペットをやっていたらしい。それを聞いた水谷が図々しくも「そいじゃさ、次の夏、野球部の応援で楽器演奏してくれたりしない!?」なんて言い出した。白石は「私、前向きに検討してみるよ!」と言ってくれた。その時、阿部は白石がスタンドで楽器を吹いて野球部の応援をしている姿を頭の中で想像して胸がキュッとなるのを感じた。
鶴岡八幡宮では舞殿で神前結婚式を行っている新婚夫婦に出くわした。白石を含めた女子3人は「キャーッ」と黄色い悲鳴をあげて喜んでいた。阿部は新婦が着ている白無垢を見ながら『あ、これ、白石も似合いそうだな』と思った。色白で清楚な白石にピッタリの衣装だと思ったのだ。それから会話の流れで白石は阿部に「浴衣とか着ないの?」と訊ねてきた。阿部は夏は野球部の練習に明け暮れていて浴衣なんて着る機会はなかった。逆に「白石は着たのか?」と訊き返したら夏休み中に友達と花火大会に行った時に着たらしい。
「てか文化祭でも浴衣着たじゃん」
白石にそう言われて阿部はハッとした。そういや文化祭では7組はグリーンティーカフェ(という名の団子屋)を開いていて、女子は浴衣にエプロンにカチューシャを身に着けて和風メイド姿で接客をやったのだ。つまり白石も和風メイド服を着ていたということだ。でも阿部はその姿を見ていない。阿部が白石と仲良くなったのは文化祭が終わった後の日直当番がきっかけなので文化祭の時点では阿部は白石に微塵も興味を持っていなかったのだ。阿部は後悔をした。白石の和風メイド姿なんて絶対かわいいに決まってる。阿部は白石に写真はないのかと訊ねてみたら、白石は嬉々として「あるよー!見るー?」とスマホを取り出した。阿部は白石のスマホ画面で花火大会の時の浴衣姿と文化祭の時の和風メイド姿を見せてもらった。めちゃめちゃかわいい。阿部はその画像が欲しくて白石とLINEでフレンドになった。そんで「浴衣の写真送ってくれよ。欲しい。」と白石に頼んだら「え、いいけど、なんで?」と疑問を投げかけられた。
「え、浴衣かわいいから」
阿部が率直にそう答えたら白石は顔を真っ赤にしていた。白石のそんな顔を見たら阿部は「かわいい」なんてポロッと言ってしまった自分が恥ずかしくなってつられて顔を赤くしたのだった。
鶴岡八幡宮への参拝を終え、小町通りで腹を満たした後は、江ノ電に乗った。江ノ電は車両が短い上に車内も狭くそこそこ混雑していた。人混みに揉まれて遠くへ押し流されそうになった白石を阿部はつかまえた。
「あ、ありがとう阿部君」
白石は阿部にお礼を言った。混雑する車内で阿部と白石は至近距離で立つことになった。阿部は近くで白石の顔を見ながら『改めてみるとやっぱすげーかわいい顔してんのな』なんて考えていた。
長谷駅に着いたら高徳院に向かって歩き出した。狭い道なので2列になることにした。当然、白石の隣は阿部だ。そうして歩いている途中で白石は「阿部君、あのさ、これあげる!」と言いながら鶴岡八幡宮で買ったという勝守を差し出してきた。阿部はまさか白石が自分にプレゼントを贈ってくれるとは微塵も予想していなかったので驚いた。神様とかお守りとかそういう非科学的な物はあまり信じていない阿部だが、白石が阿部の勝利を願ってくれているんだと思ったらとても嬉しかった。
高徳院で大仏を拝んだ後は長谷寺に行った。長谷寺の眺望散策路にはアジサイが沢山植えてあって6月頃には辺り一面にアジサイの花が咲いてとてもキレイなんだそうだ。長谷寺の名物になっているという。それを知った白石は「いつか見てみたいな」と言っていた。眺望散策路の上段から鎌倉の街並みと海と由比ヶ浜海岸を一望した後は境内の3ヶ所に隠れているという良縁地蔵探しをした。女子3人がキャッキャッと楽しそうに境内を歩き回っている姿を後ろから眺めていた阿部は近くに授与所があることに気が付いた。阿部は先程貰った勝守のお返しに白石にも何かプレゼントをしようと思い立った。コソッと授与所に立ち寄った阿部は沢山のお守りを眺めた。長谷寺のお守りは女子が好きそうな可愛らしいデザインのものが多かった。イチゴの形をしていたり、ハートの形をしていたり、水引の結びの形をしていたり……。
『どれがいいんだ?』
阿部はあまり女心というものがわからない。女兄弟もいないし、カノジョもいたことないし、女友達にしたってたぶん白石が初めてだと思う。阿部が『選び方がわかんねー』と困惑しながらあれこれと様々なお守りを手に取っては戻して…と言う動作を繰り返していたら、アジサイの形をしたお守りが目に付いた。阿部は長谷寺のアジサイが有名だという話と先程白石が「いつか見てみたいな」と言っていたことを思い出した。そのお守りのご利益は恋愛成就らしい。阿部は『白石に成就させたい恋愛なんかあるのか?もしなかったらこんなん貰っても困るか?』と躊躇した。それで一旦それを戻して、また他のお守りを探してみたけどやっぱりさっきのアジサイの形をしたお守りが1番いいと思った。今の時期は本物のアジサイは見られないけど、お守りでなら見れる。アジサイを見たがっていた白石に見せてやりたいと阿部は思った。それに涼し気なブルーのアジサイは色白で清楚な白石にピッタリ似合う気がした。阿部はそのお守りを購入することに決めた。
長谷寺を出た後は由比ヶ浜海岸に向かった。水谷は何の躊躇もなく海に飛び込んでいった。花井はそれを見て呆れていたが、水谷に誘われた白石は「私も入る!」と言いながら靴を脱ぎ始めた。白石が入るなら自分も…と阿部は水遊びに参加することにした。結局班の全員で足を海に浸して遊んだ。
由比ヶ浜海岸で遊び終わったら、最終集合地点である鎌倉駅へと戻るために長谷駅に向かって再び2列で歩き出しだ。阿部はそのタイミングで白石にアジサイのお守りを渡すことにした。阿部が白石にアジサイのお守りを見せると白石は目をキラキラと輝かせて喜んでくれた。そんな白石の顔がとてもかわいらしくて阿部は愛おしい気持ちになった。
「阿部君、今日は一日ずっと側にいてくれてありがとう。阿部君って本当はすごく優しいよね。」
白石はそう言って微笑みを浮かべた。どうやら白石は阿部がなるべく白石のそばにいてやろうと動いていたことに気付いていたみたいだった。
「あ?別にこんなんたいしたことじゃねーよ」
阿部はそう言った。たしかにそばにいてやろうと心掛けてはいた。でも仮に白石が仲の良い女子たちと一緒の班だったとしても阿部は機会があればすかさず白石の隣に行ったと思う。だって阿部にはもとから白石ともっと話したいという気持ちがあったから。でもそんなことを知る由もない白石は「私にとってはたいしたことだったんだ」と感謝の気持ちを述べた。それから続けて口を開いた。
「阿部君がいなかったらこんなに楽しい鎌倉遠足にはなってなかった、絶対に」
白石にそう言われた阿部は『楽しかったならよかった』と思った。それと同時に自分も今日1日沢山白石と居られて幸せだったなと思い返した。
「……オレもあんたのおかげで楽しかったからお互い様だな」
阿部はそう返事をした。すると白石はポカンとした顔で阿部の顔を眺めた。
『そんな驚くことか?』
阿部は白石の顔をジッと見返した。白石は「ホント?」と訊ねてきた。
「ホント」
阿部がそう答えると白石は無言で阿部の顔を見つめてきた。頬が少し赤い。阿部も白石の顔を見つめ返した。白石の大きな目で、少し赤くなった頬で、そんなにジッと見つめられると阿部はなんだか気恥ずかしくなってきた。それで阿部も自分の頬が熱を帯びていくのを感じた。白石はそんな阿部の様子に気付いたようで、そして同じく気恥ずかしくなってきたみたいで、結果、阿部と白石はどちらからともなくフッと笑い出した。白石と心が通じ合ったような、そんな感覚がした瞬間だった。
その後は長谷駅から再び江ノ電に乗って鎌倉駅へと戻った。それで学年主任の教師からの締めの挨拶を聞いて鎌倉遠足は解散となったのだった。鎌倉からの帰り道、阿部は電車に揺られながら白石から貰った勝守を眺めた。そして今日1日の間に白石が見せた色んな表情を思い出し、胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
◇◆◇
鎌倉遠足についての回想を終えた阿部は風呂から出た。今になって思い返すとなんであの時点で白石への恋心を自覚できなかったんだか自分でも不思議に思うほどに鎌倉遠足中の阿部はずっと白石にときめいていた。いや、そもそも鎌倉遠足の班決めで白石と一緒になれて嬉しかった時点で気付くべきだった。阿部は自分で自分に呆れてしまった。阿部は「ハァ~」と大きなため息をついた。
『あの時、自分で気付けてりゃ今日あんな形で花井と水谷に白石への恋心を暴露するハメにはならなかったのに』
阿部は"白石に良く思われたいと思うその理由が何かわからない"と伝えた時の水谷のデヘッとした気味の悪い笑みと花井の赤面を思い返してなんだか悔しい気持ちになった。
『ぜってーあいつら内心おもしろがってたよ。特に水谷。あいつの顔は今思い返すとちょっと腹立つな。』
阿部がそんなことを考えながらフェイスタオルを片手にダイニングルームに入っていくと母親が既にテーブルに夕食を並べておいてくれていた。
「タカ、なんか今日珍しく長風呂だったね。もしかしたら冷めちゃったかも。温め直す?」
「いや、いーよ。腹減ったし、早く食いたい。」
阿部はダイニングテーブルの自分の席に着席し、「いただきます」と言ってから夕食を食べ始めた。
「そういえば白石さんってすっごいかわいいよね。初めて会った時ビックリしちゃった。」
唐突に母親がそう言った。このタイミングで白石の名前を出された阿部は食事を喉に詰まらせそうになった。阿部がゴホゴホッと咳込んでいると母親は「ちょっと、大丈夫?ゆっくり食べなさいね。」と言いながら阿部の背中をトントンと叩いた。阿部は咳が収まってから口を開いた。
「なんでビックリ?事前に写真見せただろ。」
「たしかに写真で見た時からかわいかったけどさ、生であんな子みたらやっぱビックリするよ!」
母親がそう言うとリビングのソファでテレビを見ていた父親が「誰がかわいいって?」と口を挟んできた。
「タカの友達!白石さんっていうかわいい女の子がいるの。」
「えぇ?タカに友達?女の子の?」
「そうなのよ、お父さん!ビックリでしょ?」
「どれ、写真は?」
父親がそういうと母親は「ちょっと待ってね」と言いながらスマホを操作し始めた。以前、阿部はLINEで母親に白石の写真を送ってあげたことがあるのだ。というのも白石が4市大会予選リーグの試合の観戦に来てくれることが決まった際、阿部は母親に観戦素人の白石の案内をしてやってほしいと頼んだのだ。阿部の母親と白石は球場で待ち合わせをすることになった。2人がすれ違うことのないように阿部は母親に白石の顔を知らせておこうと考えた。で、白石の写真を送ったというわけだ。母親はようやくその時の写真を見つけ出したようで父親にスマホ画面を見せていた。
「おー、こりゃべっぴんさんだな」
「でしょ?今時写真なんて色々加工できちゃうけど、この子は実物もこのまんまの美少女だったの!」
阿部は両親の会話を黙って聞きながら内心ものすごくモヤモヤしていた。両親が自分が片想いしている女子の写真を見ながらその容姿を絶賛している。しかも自分はその子への恋心を今日自覚したばかりで、ついさっきまでその子との馴れ初めを思い返していたところだった……。
『親父が変なこと言い出す前に部屋に戻ろう』
阿部は早く夕食を食べ終えてしまおうと食事のスピードを速めた。ガツガツと夕食を口に放り込む阿部の思惑とは裏腹に父親はまさに阿部が予期していた"変なこと"を言い始めた。
「タカ、お前、この子ホントに友達かぁ?」
「……オレのこと友達だと思ってくれてなかったら、わざわざ試合観に来てくれるわけねーだろ」
阿部は父親が本当に言わんとしていることが何か理解していたが、わざとすっとぼけてズレた回答をした。
「そーさな、向こうは友達だと思ってくれてんだろうよ。よかったな!いや、タカとしてはそれじゃよくないかぁ?」
父親はニヤニヤと笑っている。
「は?なんで?友達に友達だと思われてよくないことなんかねーよ。」
阿部は再びすっとぼけてみせた。それから父親のニヤけた顔を視界に入れないように目の前の食事に意識を向ける。でも内心は『マジでウゼェ、この親父』とイラついていた。
「へえ、こんなかわいい子、友達のままでいいのか?本心?」
「容姿がかわいいと友達じゃダメなわけ?」
阿部はそう言った後、両手を合わせて「ごちそうさま」と食後の挨拶をした。そして食器を片付けてキッチンシンクに運んだ。
「ダメじゃないけどねぇ、こんなかわいい子がわざわざ試合の応援まで来てくれちゃってるわけでしょ。男としちゃ、ちょっとその気になっちゃってもおかしくないよねぇ?ねー、お母さん?」
「まさか~!お父さん、実物見たらそんなこと言えなくなるよぉ。そんな淡い幻想なんて抱けないくらい美少女なんだから!」
母親はそう言って笑っていた。阿部は両親の会話は聞かなかったふりをしてダイニングルームを出て洗面所に向かった。歯ブラシと歯磨き粉を取り出して歯磨きを開始する。
『クッソ、マジでイライラした……!』
阿部は両親に音を聞かれないように少し気を使いつつも拳で洗面台をガンッと叩いた。何がムカつくって、まずは父親の態度だ。自分の子どもが誰かに片想いしてるかもしれないと気付いた時にそれを揶揄うようなマネをすんのは親としてどうなんだと思う。それからあの言い方。まるで阿部が白石の容姿がかわいいってだけで好きになったかのような言われようだった。
『たしかに白石の容姿は客観的に見てもかわいい。けどオレは別に容姿がかわいいから白石を好きになったわけじゃねェ。』
阿部は自分の白石への気持ちをそんな軽率なモンと同じ扱いにしないでほしいと感じた。そして最後の母親の言葉も癪に障った。
―――そんな淡い幻想なんて抱けないくらい美少女なんだから!
『"淡い幻想"ってつまりオレは白石に振り向いてもらえるはずがねェし、そんなのを期待してるオレはありえない夢を見てるって言いたいわけだろ?』
阿部は怒りに任せて歯ブラシを乱暴に動かした。ガッガッと歯を磨いていたら手が滑ってうっかり歯茎を傷付けてしまった。阿部は痛みで手を止めた。洗面台にペッと唾と歯磨き粉を吐き出すと血が滲んでいた。
「あー、クソッ」
阿部は傷付けてしまった歯茎を舌でなぞった。これは口内炎になるの確実だ。ため息をついた阿部は今度は手を滑らせないように気を付けながらゆっくりと他の歯を磨いた。全部の歯を磨き終わったら水で口を濯いで洗面台に吐き出した。歯磨きを終えた阿部は自室へ向かった。
自室に到着した阿部はベッドにゴロリと横になった。そして阿部は頭の中に白石の姿を思い浮かべた。
「……そんなにありえねー話かな?」
阿部はボソッと独り言をつぶやいた。
実際のところ、阿部と白石はかなり仲が良い方だと阿部自身は思っている。日直当番を一緒にやってからというもの、朝登校すれば必ず挨拶を交わすし、数学の宿題がある日は阿部が白石の解答のチェックをしてやるのが恒例になっている。それから阿部は苦手な現国・古典についてわからないことがあれば白石に教えてもらうこともあるし、野球部が公休を取った時には白石がその日の授業のノートを写させてくれて阿部の分のプリントも貰っておいてくれる。それ以外でも阿部は何かと機会を見つけては白石に話しかけにいくし、白石は阿部が話しかけるといつもとても嬉しそうに笑ってくれる。
鎌倉遠足では阿部はほぼずっと白石と一緒に居た。お互いにプレゼントを渡し合ったし、心が通じ合えたと感じられる瞬間もあった。
鎌倉遠足の後は白石は野球部の応援のためにトランペットを吹くと決意してくれたようで休日もわざわざ学校に登校しては自主練に励んでいるようだった。白石の裏グラ外周ランニング中、阿部と白石はよく目が合う。そんな時、白石はいつも嬉しそうに微笑んでくれる。自主練終わりには毎回裏グラに顔を出してくれるし、「帰る前に阿部君の顔が見たかった」というようなことを言われたこともある。
それから白石は野球部の応援でトランペットを吹くことを決心したのは阿部に良く思われたいという下心があってのことだとも言っていた。
また、ある日の月曜日、阿部が白石と一緒に帰りたくて勝手に吹奏楽部の部活終わりの時間まで待ってたら白石は全く嫌がる素振りを見せずに放課後デートに付き合ってくれた。その時、野球部の試合の観戦に来てほしいと頼んだら二つ返事で了承してくれたし、約束通り4市大会予選リーグの2試合を観に来てくれた。
来年以降は文理でクラス分けがされるから文系の白石と理系の阿部はもう同じクラスになれないだろうという話になった時には白石は「寂しい」と口にしていた。
そうして今までの出来事を振り返ってみれば白石が阿部のことを好意的に思っていてくれていることは間違いないとわかる。それは決して阿部の自惚れとか希望的観測なんかじゃない、客観的事実だ。問題なのはその白石の阿部への好意が"ただの友情"なのか、それとも阿部と同じで"恋心"を抱いてくれているのかという点だ。
先程、阿部の母親は白石が阿部を好きになってくれるなんて考えるのは"淡い幻想"だと言っていた。その理由は白石が美少女だからだと。たしかに白石の容姿はかわいい。美少女の白石に対して阿部は特別美男子なわけでもなく、たしかに並んだら見劣りするのかもしれない。でも白石は決して男を容姿だけで選ぶような子じゃない。それに見劣りするとは言っても別に阿部はそこまで酷い容姿はしていない(…と思う)。垂れ目が特徴的な阿部の顔は少しクセのある顔ではあるのかもしれないが、美醜という観点で言えば普通レベルには達していると阿部自身は思っている。
また、白石はあんな美少女のくせに意外にも男子とはほとんど縁がない。鎌倉遠足の班決めの時には「私、阿部君の他にろくに話せる男子いないもん」と言っていたし、実際白石が阿部以外の男子と絡んでいる姿はほぼ見たことがない。鎌倉遠足以降は水谷と花井に対しては心を開いたようだがそれでも圧倒的に阿部の方が仲が良いし、最近は人懐っこい田島が白石が裏グラに顔を出す度に積極的に絡みに行ってる様子が見受けられるけど、まだまだ阿部との仲の良さには遠く及ばない。
『現時点で白石と1番仲が良い男子はオレで間違いないだろ』
阿部はそう思って右手をグッと握った。そして阿部は先程ダイニングルームで「まさか~!」と言いながら笑っていた母親のことを思い出して『この状況を知ってもまだ"淡い幻想"なんて言うかね?』とフンッと鼻を鳴らした。少なくとも阿部は白石が自分のことを恋愛感情で好きになってくれる可能性は十分にあると信じている。
……で、話は戻るが問題なのは今白石が阿部に向けてくれている好意は友情と恋愛どっちなのかをどうやったら確かめられるのかという話だ。
『そもそも白石は自分の下心の正体をわかっているのか?』
阿部の場合はわかってなかった。故に花井と水谷に相談した。結果として自分が白石へ向けている好意は恋愛感情なんだということが発覚した。でも白石の場合は……?
阿部は一昨日のファミレスでの出来事を思い返した。阿部が「そもそもなんで白石はオレに良く思われたいんだ?」と尋ねたら白石は「……逆に阿部君はなんで私に良く思われたいんですか?」と質問で返してきた。その後、阿部がもう1度「参考までに白石側の答えを聞きてーんだ」と頼んでみた時も気まずそうな、困惑したような顔をして黙り込んでいた。
『もし白石が正体をわかってねーなら、"なんだろう?"とか"私もわかんない"って正直に言うよな?』
しかし、白石は決してそうは言わなかった。それはすなわち白石は自分の下心の正体を分かっているってことなんだろうと阿部は判断した。
『じゃあ、どっちだ……?』
仮に"友情の好き"が答えだったとしよう。それなら白石は素直に「阿部君に良い友達だと思われたいから」と答えればいい話じゃないだろうか。気まずそうな顔で黙り込む必要性なんてどこにもない。じゃあ、仮に"恋愛の好き"が答えだった場合はどうだろうか。その場合、白石は素直に「阿部君のことが恋愛感情で好きだから」と答えることができるだろうか。――白石の性格からしてそんな大胆なことをサラリと言えるわけがない。ここで阿部はハッとして勢いよく起き上がった。
「だから、気まずそうな、困惑したような顔で黙り込んだんじゃねーの?」
思わず思考をそのまま口に出してしまった阿部の頭の中には今日の昼食時に水谷から言われた言葉が浮かんできた。
―――高校生男子が同じクラスの仲のいい女の子から良く思われたいって言い出したら、普通はその子に恋したんだなって思うよ
『水谷の言う理論は男女の性別を入れ替えても成立するんじゃないか?』
阿部はそう考えた。つまり、女子高校生が同じクラスの仲のいい男子から良く思われたいって言い出した場合、その女子高生はその男子に恋したんだと考えるのが普通なんじゃないのか。その仮説が正しいなら白石も阿部のことが恋愛感情で好きなんじゃないのか。だからあんなにがんばってトランペットの自主練をやってくれて、さらには野球のルールの勉強まで始めてくれたんじゃないのか。そう考えたら色々と筋が通っていると思うのは阿部の自惚れだろうか。
「"淡い幻想"……なんてもんで終わらせてたまるかよ」
阿部は今日の昼間に阿部の頭の中に走馬灯のように駆け巡った白石の様々な笑顔をもう一度思い出した。
『あの笑顔、全部、オレへの特別であってほしい。あれが他の男に向けられるなんて死んでも嫌だ!』
阿部は先程の歯磨きの時に傷付けてしまった歯茎を再度舌でなぞった。少し痛いけどこのくらいどうってことない。
「……やってやろうじゃねェか」
阿部は明日から白石に対して恋のアプローチを仕掛けることを決意した。
<END>