※注意:三橋相手の夢小説です※


まるで昔の自分を見ているみたいだと思った。他人事に思えなくて目が離せなかった。
最初は、例えるならば、幼子を見守る親のような気分だったんだ。
そう、最初は、ただそれだけだった…。

なのに、

それが違う感情に変わったのはいつからだっただろう。

三橋夢小説「鳴かぬ蛍 第1章」


 4月8日、私、西野夏波は埼玉県立西浦高等学校に入学した。クラス発表によると私の所属は1年9組になったらしい。私は親の転職が理由で中学卒業と同時に埼玉県に引っ越してきたのでこのクラスには1人も知り合いがいない。というかそもそもこの学校に知り合いが1人もいない。
『きっと、他の人たちは同じ中学出身の子とかがいて、もう既にグループみたいなのが出来上がってるんだろうな』
そんな中で自分は誰も知り合いのいないこの場所でゼロから友達を作らなきゃいけない。もともとあまり社交的な性格ではない夏波は自分にちゃんと友達ができるか不安な気持ちでいっぱいだった。

 今日は新入生が校内で道に迷わないように、学校の敷地の至る所に教室への道を示す看板が立てられている。その立て看板を見ながら夏波は1年9組への教室へと向かった。
『…ここだ』
目的の教室に着いた夏波は恐る恐る教室内の様子を覗う。隣の席同士で自己紹介をし合っている人もいれば、中学時代からの友人なのか既に親しげな人たちもいるし、1人で静かに席に座ってケータイをいじってる人もいる。夏波は黒板に張られた用紙を見て自分の座席を確認する。
『えーっと、あそこの席か』
夏波は自分の席に座った。自分から知らない誰かに話しかける勇気はない。あと10分もすれば朝のHRの時間だ。きっと今日は最初に自己紹介の時間があるはず。何を話すか今のうちに考えておこうと夏波は考えた。友達を作るのはその自己紹介を聞いてからでも遅くないはずだ。


 予鈴が鳴るとともに担任の教師が教室に入ってきた。
「えー、まずはみなさん、埼玉県立西浦高等学校への入学、本当におめでとう!こうしてここで皆さんに出会えたことを心から嬉しく思います。私は今日から1年間、この1年9組の担任を務めます、名前は…――」
まずは担任教師の自己紹介から始まるHR。
『ふーん、この人が担任の先生か。どんな人なのかな。良い先生だといいけど…』
夏波は担任教師の姿をぼんやりと眺めた。
「まずはこの1年間同じクラスで過ごす皆さんに自己紹介をしてもらいたいと思います。話してほしい内容は、まずは氏名。あとは何でもいいんだけど、まあ例えば出身中学とか、趣味・特技とか、入る予定の部活…ああ中学時代にやってた部活とかでもいいですね。そして最後に一言、この一年間の抱負・意気込みを言いましょう。今から3分あげるので各自何を話すかちょっと考えてみて下さい。3分後、出席番号順に自己紹介を始めましょう。」
 担任教師はストップウォッチで3分間を計り始めた。3分の間に自己紹介を考えるクラスメイトたち。中には「ね、何話す?」と席の隣同士や前後の席同士で相談を始めている人もいる。そして3分後、出席番号1番の人から順番に自己紹介が始まった。
『えーと、あの人は足立君で、それから泉君か…それから次の人が…あームリムリ、1回で覚えきれるわけないよ!』
夏波は人の顔と名前を覚えるのが苦手だ。最初は皆の自己紹介を一生懸命聞いて覚えようとしたが到底覚えきれそうもなくて断念した。
『とりあえず、優しそうな子とか趣味・特技とかが同じような子だけ覚えておいて後で話しかけてみよっと』
夏波はそう決めてクラスメイト達の自己紹介に耳を傾けた。クラスメイトの自己紹介はどんどん進み、ついに自己紹介タイムは終盤へと近づいていった。
「はい、じゃあ次の人」
担任教師が声を掛ける。ゆっくりと、ぎこちない動作で立ち上がる少年。とても緊張しているのか身体が少し震えている。俯いているせいで顔がよく見えない。そのかわりにふわふわで柔らかそうな天然パーマのクセ毛が目についた。その人は消え入りそうなほどの小さな声でゆっくりと話始めた。
「………み、み、みはし…れん…です…。…ちゅ、中学は…み、三星…学園…で、…特技…は、ない、です。………よ、ろしく、おねがい…します。」
どもりながら、たどたどしく話したその人の変わった様子に、クラスからは「なに、あの人」「全然聞こえなかった」「なんか変な人だね」といった話し声がコソコソと聞こえてくる。
『…ミハシレン君?』
夏波はその人の顔と名前を一発で覚えた。それはあの変わった話し方が特徴的だったから、というのはもちろんあるが、何より夏波はその人のその話し方を見てあることを思ったからだった…。

――小学生の頃の私みたい。

 実は夏波は、もともと幼少期から人見知りが激しい子だったのだが、小学校に入学して知らない人たちに囲まれた結果、場面緘黙症になってしまったのだ。場面緘黙症とは"ある特定の社会的状況において話すことができなくなる"という症状で、夏波の場合は家の中や放課後に親しい友人たちと遊んでいる時は普通に話せるのだが学校で知らない人・親しくない人がいる場面では全く喋れなくなってしまうというものだった。だから授業中に先生から当てられても声が出せなかったし、作文の発表会などで教室の前方に立たされてもただひたすら黙り込んでしまった。そんな夏波を周囲は当然"変な子"だと思っていたし、授業の妨害になってしまっていたので小学生の頃は夏波を嫌うクラスメイトも少なくなかった。
 "ミハシ君"の場合はどもりながらも一応話せてはいるから場面緘黙症とはちょっと違うのだろうけれど、人前でうまく話ができない感じや周囲からの好奇の目に曝されている様子は、夏波が"ミハシ君"に小学生時代の自分を重ねて見るには十分すぎる要素だった。
 ちなみ夏波の場合は、場面緘黙症の自分を変えるために中学受験をして小学校の同級生が一人もいない私立中学校に入学し、"中学デビュー"をすることで場面緘黙症は解決した。なぜなら周囲から"あの子は喋れない子"というレッテル貼られていること自体が夏波の場面緘黙症に拍車をかけていたことを夏波は自覚していたからだ。少し声を出しただけで「うわ!西野が喋った!」と騒ぎ立てられ注目されては、喋れるものも喋れなくなるものだ。
 "中学デビュー"のおかげで夏波は今は知らない人相手でも話すことはできるようになった。相変わらず人見知りで気が弱い性格ではあるけれど、今の夏波はもう"喋れない子"ではない。けれど、そんな過去があるから、夏波は"ミハシ君"の気持ちがわかってあげられる気がしたし、私はあの子に優しく接してあげたいと思った。


 高校入学から2週間、夏波には無事友達ができて休み時間や教室移動なんかはその友人たちと一緒に過ごしていた。"ミハシ君"――正式には三橋廉という名前のその男の子のことはずっと気にかけてはいたけど、異性なので友達になるというのは夏波にとってはちょっとハードルが高すぎて、ただ遠目から彼の様子を見守っていた。どうやら"三橋君"は野球部に入部したらしく、同じく野球部の"泉君"や"田島君"と一緒にいることが多くなった。でも、同じ野球部のチームメイトなはずなのに"三橋君"は彼らとは未だに打ち解けた様子はなくて常に緊張しているように見えたし、例えばランチを食べている間なんかもほぼ全く話さず、縮こまって食事をしていた。それから最近なんだか目にクマができていて具合が悪そうに見える。
『三橋君、野球部なんてオラオラした性格の人が多そうな部活で、うまくやっていけてるのかな…』
余計なお世話かもしれないが、夏波は高校入学から2週間が経った今も全然学校に馴染めていない様子の三橋のことがとても心配だった。

 そんな三橋が少し変わり始めたことに気付いたのは5月下旬の頃だ。なんだか泉や田島と距離が縮まったように見える。特に田島とはかなり仲良くなったみたいだ。というより田島が三橋のことを気に入ったらしい。何を話しているかまではわからないが、三橋は時々「うんっ!」と元気な返事をしている姿が見られるようになった。また、あれは"笑顔"と呼ぶにはあまりにぎこちなさすぎるが、口をヒヨコみたいに尖らせながら嬉しそうな顔をしてみせることも増えた。それから、最近は他クラスの"阿部君"という人がよく三橋に会いに9組にやってくる。どうやら"阿部君"も野球部らしい。"三橋君"がピッチャーで"阿部君"がキャッチャーなんだそうだ。野球に詳しくない夏波もバッテリーという概念は知っている。阿部は三橋のことを相当気にかけているようだった。やんややんやと三橋の世話を焼いている様子が遠目からも見てとれた。というか阿部の声が大きいから話の内容がよく聞こえてくるのだ。
『三橋君、野球部にだいぶ馴染めてきたんだな。よかったな。』
夏波はそう思って少し一安心したのだった。

 6月になると三橋に新しい友達ができた。同じクラスの浜田だ。それまで三橋・田島・泉の3人でランチを食べていたが、そこに浜田が加わるようになった。浜田はどうやら野球部の応援団長をやることになったみたいで、休み時間中はひたすら裁縫をしていた。応援団の横断幕を作っているらしい。
『横断幕って手縫いで作るんだ…。すごっ、めっちゃ大変そう。』
夏波はその様子もまた遠目から見守っていた。

 その頃の夏波にとって三橋は"幼い頃の自分"を投影する存在だった。気分としては、三橋が色々抱えているだろう困難をちゃんと乗り越えられるかどうか、親が幼子を見守るような感じで三橋のことを見守っていた。
『もし何か困っていることがあるなら、私にできることがあるなら助けてあげたい。ツラいことから守ってあげたい。もし三橋君が、小学生の頃の私が悩み苦しんでいたあの時と同じ思いをしているなら、放っておけない』
夏波がその時三橋に対して抱いていたのはそういう保護者目線の感情だった。

 しかし、その感情は別の何かに変わっていった。そのきっかけは、夏大2回戦の対桐青高校との試合だった。応援団長の浜田は同じクラスのみんなに野球部の夏の大会の試合に応援に来ないかと呼びかけていた。それは夏波とその友人たちも例外ではなく、浜田に観戦に誘われた。元より三橋のことを気にかけていた夏波は、ぜひ野球をしている三橋を見てみたいと思った。幸いなことに友人たちも浜田の誘いに乗り気で夏波は友人たちとともに桐青高校との試合を応援に行くことになったのだった。
『野球のルールなんてよくわからないけど、三橋君はピッチャーなんだから試合中に沢山姿を見れるのは間違いないよね』
普段はオドオド、キョドキョドとしている三橋が野球部ではどんな風に過ごしているのか、夏波は非常に興味があった。

 そうして見に行った桐青高校との試合は、一言でいうとすごかった。野球のルールに疎い夏波でもピンチかチャンスかくらいはわかるし、応援で打席に立ってる選手の名前をみんなで呼んだり、選手が打ったら「ナイバッチー!」とみんなで声を出すのは楽しかった。そして何より…
『…三橋君、カッコよかった』
普段あんなにオドオドしているのに(いやマウンドでもまだちょっとオドオドしてたけど)、三橋は沢山三振を取っていたしアウトを稼いでいた。雨が降る中一生懸命投球していることもスタンドから見ててわかったし、守備が終わるたびに野球部の仲間に声を掛けてもらっていたのも見れた。
『ちゃんと仲間がいるんだな』
夏波は三橋が野球部の仲間にちゃんと受け入れられている姿を見てなんだか嬉しくなった。三橋は試合中に派手に転んだりデッドボールが当たったりとヒヤヒヤする場面もあった。あと、雨のせいでピッチング中に足を滑らせてしまったり、終盤は体力の限界が近づいていたのか崩れかけたりもした。でも三橋は根性をみせた。何とか持ち直して最後まで一人で投げ切って、そして…勝った!
 夏波は試合を見て泣いてしまった。夏波は三橋のことを幼子みたいなか弱い存在だと思っていたけど、今日の試合でみた彼の姿はとても力強くて、全然"幼子"なんかじゃない。自分の力で立つことのできて、根性があって、とても立派でカッコイイ人だった。

 それまで夏波が三橋に対して抱いていた感情は、"心配"とか"同情"とかそういったもので、それは言い換えれば三橋のことを甘く見てた、下に見ていたということだ。
『私って三橋君を舐めてたんだな』
そのことに桐青戦の試合を見て初めて夏波は気が付いた。
『三橋君は立派で強い人だ。私は勘違いをしていた。小学生の頃の自分を三橋君に重ねて、"弱くて可哀想で守ってあげなきゃいけない子"だと思っていた。…でもそれは私が彼に自己投影して彼を案ずることで、自分の過去の傷を癒そうとしていただけだ。三橋君は一見あの頃の私に似ているように見えたけど、でも全然違った。』
夏波は自分が三橋を利用して自分の傷を癒そうとしていたことに気付いて恥ずかしくなった。それと同時に三橋に対して別の感情が生まれた。それは"憧憬"と"尊敬"だった。自分にはない強さを三橋は持ってる。それが羨ましいし、すごいと思った。

 夏波はそれまでもずっと遠目から三橋を眺めてきたが桐青戦の観戦をしてからは、違う意味で三橋から目が離せなくなった。普段は見ることができないが桐青戦で三橋が確かに見せた芯の強さに惹かれていたし、きっと三橋は他にももっと色んな一面を持ってる。それをもっと見てみたいと思うようになった。

「浜田君」
人見知りの夏波だが、意を決して応援団長の浜田に声を掛けた。
「おお、西野。どした?」
「浜田君、あのさ、野球部ってまだ勝ち進んでる…よね?」
「おお!昨日3回戦だったんだけど勝ったってよ!平日だからオレらは応援は行けなかったけどな~」
浜田はポリポリと頭を掻いた。本当は行きたかったけど許可が降りなかったらしい。
「じゃあ、夏休み中も試合ある?浜田君また応援団長やる?」
「あるよ!やるよ!おっ?もしかして西野また応援来てくれるの?」
「うん、行きたいっ!この間すごい楽しかった!感動した!」
「なー!あれは感動したよなー!応援来てくれたらあいつらも喜ぶよ!」
浜田は野球部3人の方を親指でクイッと指さす。
「あのさ、行ける限り全部行きたいから、予定空けとくから夏の大会の日程教えてくれない?」
「おっ、西野スゲーやる気あんね!じゃあさ、メアド交換しようぜ。あとで今後の試合日程連絡するよ。あと当日の球場とか待ち合わせ場所とかの連絡も取りたいし。」
「えー、ありがとう!それはすごく助かる」
浜田と夏波はお互いにケータイを取り出してアドレスを交換し合った。
西野、他にも友達とか誘ってみてよ。応援は多ければ多いほどいいからね!」
「うん、もちろん誘ってみるつもりだよ。でも、もし断られても私は1人でも行くから!」
「ははっ!すげー情熱だね!ありがたいよ。もしかした野球ハマった?」
「うん、ハマったかも~」
「いいじゃん!」
浜田と夏波は顔を見合わせて笑った。

 夏波は7月21日の4回戦も、7月23日の5回戦も野球部の応援に行った。ありがたいことに友人たちも付き合ってくれた。残念ながら5回戦で西浦高校は敗退となった。5回戦の対美丞大狭山戦は、序盤から相手にヒットを打たれまくったり、途中でキャッチャーの阿部が怪我で退場したりと西浦高校にとってはかなりしんどい試合だった。でも、そのしんどい試合の中でがんばる選手たちはみんなとてもカッコよかった。
 特に9回表はすごかった。HRを打たれて6点差がついてしまい、その影響か三橋が崩れてフォアボールを出した。しかもその後フライキャッチのミスもあって、このままチーム全体が崩れていってしまうかと思われたその時、あの三橋が大きな声で「ワンナウトー!」と叫んだのだった。それがきっかけでチームは持ち直した。

 三橋のシャウトを聞いた時、夏波は泣いてしまった。普段は小さな声でどもりながらしか喋らない三橋がチームの危機に瀕して、あんな風に声を出してチーム全体を鼓舞してみせたということに胸を打たれた。
『三橋君って、すごい、カッコイイ…!』

入学してからずっと見てきたから、わかる。あの人は、毎日がんばってて、毎日一歩ずつ着実に前進してる。か弱そうに見えるけど、ホントは芯が強くて、努力家で、向上心があって…――

――…とても愛おしい
夏波の中にそんな感情が湧き上がった。

この気持ちはもう"心配"や"同情"じゃない。"尊敬"と"憧憬"の気持ちは今でもあるけど、それだけでもない。
『私、三橋君のことが好きだ』
あの人のことをもっと見ていたい。あの人のもっと色んな顔が知りたい。毎日がんばるあの人を応援したい。あの人の力になりたい。あの人の側にいたい。

そうして、夏波は自分の中に生まれた"恋慕"の気持ちに気が付いたのだった。

<END>