「おお振りの世界に異世界トリップ 第3章」
日曜日、ナマエは料理を覚えるべく、母親と一緒に昼食と夕食作りをした。先日購入したアスリート向けレシピ本の中から食べたいものを選んで、食材の買い出しに行って、母親に教わりながら昼も夜も料理をした。料理以外の時間帯はひたすら読書だ。モモカンから借りた野球ルールブックの本を読み終わり、泉から借りた野球漫画も読み終わった。野球のルールをなんとなく把握できた気がするので次はスコア表の付け方に関する本に手を出した。
『うーん、机上の学習だけだといまいちピンとこないな。実際の試合を見て、スコア表に書き起こしてみたいな。』
ナマエは今朝の新聞のテレビ欄を開いた。今日はプロ野球の試合の中継があるようだ。ナマエはこれを録画予約してみた。夕食を食べ終わった後で、録画を見ながらスコア表に記入を始める。わからないところは何度も映像を止め、巻き戻し、再生を繰り返した。片手にはスコア表の付け方の本を持ちつつ、なんとか1試合分のスコア表を書き起こすことができた。
『一応、できたけど合ってるのかどうかわからないなー。誰かチェックしてくれる人がほしい。』
ナマエはそう思った。
翌朝、週明けの月曜日、学校に登校したナマエはまず泉に話しかけてみた。
「泉君、おはよ」
「おう。はよー。」
泉はまだ眠そうで「ふぁぁ」と欠伸をした。
「ねえ、泉君ってプロ野球興味ある人?」
「え?まあ、熱狂的なファンじゃねーけど、たまに見たりするよ。」
泉は「突然どうしたんだ?」と驚いている様子だ。
「昨日のプロ野球の試合って見てた?」
「いやー、昨日は見てねえや」
「泉君てスコア表は読める人?」
「おう、読めるよ。」
泉は"それが何か?"というような顔をしている。
「昨日のプロ野球の試合をスコア表に書き起こしてみたから合ってるかどうかチェックしてほしいって言ったら頼まれてくれる?」
「うわーめんどくさそー」
泉はあんまり乗り気じゃなさそうだ。
「そこをなんとか!」
ナマエは引き下がる。
「しゃーねーな。今度なんか奢れよ。」
泉は渋々引き受けてくれた。
「やったー!焼きそばパン奢ってあげるよ!これがDVDね。録画をダビングしてきた。あとこっちがスコア表のコピー。これ見て間違いあったら教えて!」
「用意周到だな」
「田島君と三橋君と千代ちゃんにも頼もうと思ってあと3セット持ってきたんだ。」
ここで田島が登校してきた。
「あっ、田島くーん!」
ナマエは田島にも同じお願いをした。田島は兄や父親も野球好きで普段から夕食を食べながらみんなで野球の試合を観戦しているらしく、今日の夕食の時にDVD再生しながらナマエの作ったスコア表をチェックしてくれると言った。
「ありがとう!よろしくお願いします!」
続けてナマエは三橋にも頼みに行った。
「……う、うん…わ、わかった…」
三橋もすんなりと依頼を受けてくれた。
「三橋君、ありがとねー!今週中に観てくれると助かる。じゃ!」
「あ…!ミョウジ…さん!」
三橋がナマエを呼び止めた。
「ん?何?」
「あ、の…睡眠、薬…、の…飲んでみた…」
「おお!どうだった?効果あった?」
ナマエは市販の睡眠薬にどれだけの効果があるのか半信半疑だった。
「少し…だけど、い、いつも…より、寝れた…気が、する」
「ホント!?少しでも効果あったならよかった!」
ナマエはニコッと笑った。
「あ…あ、あり、がとう、…ミョウジさん」
三橋も口をひし形にして顔を赤くしてフヘッと笑った。
『お、変な笑い方だけど、一応笑ったな。私、ちょっとは三橋と打ち解けられたかも!?』
ナマエは嬉しくてヘヘッと笑った。
お昼休み、いつもの4人組でお弁当を食べ終わった後、これまた昼休みの恒例行事となった草刈りのために篠岡のいる7組に向かった。ついでに篠岡にも昨日のプロ野球の試合のDVDとナマエが書き起こしたスコア表を渡して内容のチェックしてほしいとお願いをしてみた。
「いいけど、次からは同じ埼玉県内の高校野球部の試合でスコア表付けた方が有益なんじゃない?」
篠岡はそう提案した。
「え?他校の試合見学に行くってこと?」
「お金と時間があれば直接見学に行くのがベストだけど、なかなかそんな時間は取れないだろうからビデオでいいんじゃないかな。たぶん監督は今年から監督始めることは前々から決まってたはずだから今やってる春大とか去年の秋大の試合とかビデオ撮ってあると思うよ。」
「そっか!そういうライバル校の試合を撮るのも監督の役割の一つなのか!じゃあ今日の部活の時に監督に訊いてみるよ!」
ナマエはモモカンが他校の試合のビデオを持ってるなんて全く思いつかなかった。いいことを聞いた。
午後の授業が終わり、部活の時間を迎えた。毎週月曜日は練習はなく、ミーティングのみの日だ。なので今日はミーティング用に学校の一室を予約してある。部屋に入ってくるモモカンを見つけたナマエは即座に駆け寄った。
「監督!おつかれさまです!」
まずはあいさつをしてペコッと頭を下げるナマエ。
「私、野球のルール本読み終えました!で、今はスコア表の付け方の本に手を出したところなんですが、実際に試合を観ながら書き起こしてみたくて、去年の秋大や今期の春大の試合のビデオって撮ってあったりしませんか?あったらお借りできませんか?」
モモカンは目をキラキラと輝かせながら「あるよ!ちょうどやってもらいたいと思ってたの!」とノリノリだ。
「千代ちゃんは中学時代にソフトボール部だったからスコア表の付け方ももうわかってるみたいなの。でも埼玉県内の強豪校の攻略のためには千代ちゃんにもビデオには目を通しておいてほしいのよね。明日からしばらくは2人で一緒にビデオで試合観戦してちょうだい。それでナマエちゃんはスコア表付けて、隣で千代ちゃんにチェックしてもらって。当面の間、部活中の草刈りは中止ね。試合観戦とスコア表作成に専念しましょう。あ、1時間おきにジャグにドリンク作成するのだけは欠かさないでね。」
「はい!わかりました!」
ナマエは篠岡の方に駆け寄ってたった今モモカンから言われたことを伝えた。
「わかった、しばらくはビデオで他校のデータ収集・解析だね。」
「千代ちゃん、色々教えてね!」
ナマエは篠岡に頭を下げた。
ミーティングが終わったら今日はもう部活は終わりだ。ナマエは帰る前に図書館に寄ることにした。野球のルールに関する本やスコア表に関する本、配給に関する本など数冊をレンタルした。そうして家に帰ってきたナマエはひたすらそれらの本を読み漁った。今日はミーティングのみの日だったのでかなり時間に余裕がある。ナマエはその日できる限りたくさん本を読んで、野球に関する知識をひたすら頭に詰め込んだ。
翌日、田島と泉は昨日ナマエが渡したスコア表を早速チェックしてくれたらしい。ナマエのスコア表に赤ペンで修正をいれてきた。お昼休憩中にナマエはそれぞれからどこがどう間違っていたのか具体的に解説を受ける。
「そっか、わかった!見てくれて本当にありがとう!」
ナマエは田島と泉にお礼を言った。
「ミョウジ、さっ…ん、ごめ…オレ…まだ…」
三橋はまだDVDを観れてないらしい。
「あー、いいよいいよ。でも今週中には見てもらいたいかな。」
「きょ、今日…帰ったら、み、見る、よ!」
「ありがとう。でも部活終わりで疲れてるだろうから、無理はしなくていいからね。三橋君の健康が一番大事!」
三橋は睡眠薬のおかげで少しは眠れたと言ってはいたものの、まだ目のクマがすごかった。
「あっ、泉君、借りてた漫画読み終わったから返すよ。すごいおもしろかった!ありがとうね。」
ナマエは泉に漫画を返却した。
「おー。そりゃよかった。スコア表も8割くらいは書けてたし、かなり野球の知識身に着いたんじゃね?」
「今ね、猛烈に勉強中!モモカンにGWまでに習得しろって言われてんの。2週間後にはもうGW合宿始まるでしょ?もたもたしてられないのよ。」
ナマエは『この世界で新しい自分に生まれ変わる!』と闘志を燃やしていた。
午後の授業が終わって、部活の時間になった。ナマエは金曜の夜にエクセルを使って作成した野球部員の情報一覧表をモモカンに見せた。モモカンは「うん、わかりやすくていいね。助かるよ。これもファイルに一緒に綴じておいてちょうだい。」と答えた。ナマエは選手のプロフィールシートを綴じたファイルにその一覧表を追加した。
「これ、千代ちゃんにもあげる」
ナマエは一覧表のコピーを篠岡に渡した。
「ありがとう!これ、すっごくわかりやすいね!これなら覚えられそう!」
篠岡は嬉しそうに笑った。
さて今日からはモモカンが撮影した去年の秋大と今年の春大の試合をビデオを見ながらスコア表に書き起こすというビッグイベントがある。…が、その前に水撒きとジャグにドリンクの設置は欠かせない。それを終えたところで、モモカンに声を掛けた。
「今日から毎日視聴覚室を予約してあるからこのビデオ持っていって機材に繋げて視聴してください。一番最近の試合から遡る形にしよう。古いデータは役に立たないことがあるからね。ナマエちゃんはスコア表付けるのに精いっぱいだろうけど、千代ちゃんはナマエちゃんのスコア表見ながら各打者の特徴なんかも捉られるようにがんばってみて。」
「「はい」」
篠岡とナマエはモモカンに返事をした後、ビデオを持って視聴覚室に向かった。最新の試合を画面に映して視聴する。ナマエは試合展開をスコア表に書き起こし、横で篠岡がそれをチェックする。わからないところがあればビデオ止めて巻き戻してみたり、篠岡に訊ねたりした。間違いがあると篠岡が指摘をしてくれる。そんな感じでGW合宿までの2週間、部活中はひたすら視聴覚室で他校の試合を見ながらスコア表を書き起こして過ごした(ちなみに1時間おきにグラウンドに戻ってジャグのドリンク補充は欠かさなかった)。篠岡は篠岡で各打者の打席でのスタンスや打った球のコース・見逃した球のコース・球の飛んでいった方向なんかをメモって各打者毎の特徴をまとめたノートを作っていた。
その他、ナマエはお昼休みには篠岡と草刈りを続けたし、それ以外の時間はモモカンから借りた本や図書館でレンタルした野球関連の本をひたすら読み返していた。ビデオで試合を観戦してから野球ルール本を読み返すと『あの試合のあの場面ががこれか!』と気付けるようになったので新しい発見が得られておもしろい。そんなこんなでナマエはGW合宿の直前までには野球のルールは基本的なところは把握できたし、スコア表もしっかり書けるようになった。図書館で借りた本は図書館に返却した。モモカンから借りた本はモモカンから「備品棚に置いておいて。いつでも好きな時に見返していいよ。」と言われた
GW合宿前の月曜日、授業が終わって部活のミーティングの時間になった。ミーティング用に予約してある学校の一室に入ってくるモモカンと志賀先生は大きな段ボールを1箱ずつ抱えていた。
「ナマエちゃん、千代ちゃん、ちょっと手伝ってくれる?」
「「はい」」
篠岡とナマエはモモカンの元へ向かった。
「先日注文したオリジナルユニフォームが届いたの。みんながどのサイズを注文したのかはこのオーダーシート見ればわかるから選手たちに希望のサイズのシャツ・ズボン・ストッキング・帽子を渡していってくれる?」
「「わかりました」」
篠岡とナマエはオーダー表を見ながら、手分けして選手たちの希望のサイズの商品を取り出した。
「じゃあ、まず三橋君!」
ナマエが三橋を呼んだ。
「……は、い…」
三橋がノロノロと立ち上がって教壇までやってくる。
「これが三橋君のオーダーシートね。で、サイズが書かれたシールがそれぞれのプラスチック袋に貼ってあるのでサイズに間違いがないか確認してください。帽子のサイズはここ。シャツはここね。ズボンがここで、ストッキングがここ。間違いないですか?」
「…だ、だい、じょうぶ…です」
「はい、じゃ、これ持って席に戻って。」
三橋はノロノロと戻っていった。そうこうしている間に篠岡が次の人の分のユニフォームセットを教壇に置いてくれている。付箋に誰用か書いてある。
『さすが千代ちゃん、しっかりしてるな』
ナマエは篠岡の手際の良さに感心した。
「次、阿部君!」
「うす」
「これが阿部君のオーダーシートです。サイズが書かれたシールがそれぞれのプラスチック袋に貼ってあるのでサイズに間違いがないか確認してください。」
「ああ、間違いないよ」
「よし!じゃ、席に戻ってください。次、沖君!」
「はい!」
ナマエは選手全員にユニフォームセットを配り終えた。残りはモモカンの分のユニフォームセットと志賀先生・篠岡・ナマエの3人分の帽子だけだ。
「これ、監督の分です。サイズ確認お願いします。こちらがオーダーシートです。」
モモカンは1点1点しっかりサイズを確認した。
「はい、間違いなしよ。」
モモカンが答えた。
「ありがとうございます。次は志賀先生の帽子、Lサイズですね。確認してください。」
「うん、オッケーだよ。」
志賀先生の分も間違いなく渡せたので残った2つが篠岡とナマエの分だ。2人ともSサイズを注文してある。
「監督、これで全員に配り終えました!」
「ありがとう。じゃあ2人も席に着いて。まもなくGW合宿なので今日はその説明をします。」
モモカンからは合宿のしおりが配られた。そのしおりに従って順番に説明していくモモカン。集合時間と集合場所、合宿所の場所、緊急時のためのモモカンと志賀先生の連絡先、今回の合宿の目的、必要な持ち物などの説明を受けた。
GW合宿前日の夜、ナマエはエナメルバッグに持ち物を詰めた。GW合宿は5日間あるから4日分の下着がいる。運動着は持っている全4着とTシャツ1枚を持っていくことにした。それから筆記用具とノート・メモ帳。空いてる時間があったらスポーツ栄養学の本を読み進めよう。合宿最終日には練習試合があるからスコア表の付け方の本も忘れずに持っていく。ケータイの充電器は必需品だし、マイドライヤーとヘアアイロンも持っていきたい。洗顔料や化粧水や乳液、髪のトリートメントも入れなくちゃ。タオルはいくらあっても困ることはないだろう。それから体調が悪くなった時のためのお薬を何種類か持っていって…――。
合宿の準備は着々と進んでいった。
そうして迎えたGW合宿の当日、西浦高校の校門前に全員集合した。そこに貸し切りのバスがやってくる。野球部全員でぞろぞろと乗り込んだ。篠岡とナマエはバスの前方の席に2人で並んで座った。
「楽しみだね!私、部活の合宿って初めて参加するんだ!」
ナマエは初めての合宿にワクワクしていた。
「そうなんだ!私は中学時代にソフトボール部で経験あるよ。あの時は選手だったけど。」
「マネジは料理とか洗濯とか担当するのかなぁ?」
そんな風に篠岡と他愛のない雑談をしていると
「やっべえ、昨日オナニーすんの忘れた!!」
という田島の大声が後部から響いてきた。
『うっわ、そういやアニメにあったわ、こんなシーン』
ナマエは前の世界でアニメおお振りを観た時のことを思い出した。
「え?何か忘れもの?買えるものなら今のうちに…。」
篠岡はオナニーという言葉を知らないらしい。ピュアだ。
「千代ちゃん、忘れものじゃないから心配しなくていいよ。今のは聞かなかったことにしよう。」
ナマエは篠岡の腕を引っ張って座らせた。
「え?何か忘れたっていってなかった?」
「うん、忘れて困るもんじゃないからいいんだよ」
水谷も栄口も「なんも!」とか「平気!!」とか言ってどうにか誤魔化そうとしてくれている。
「そっか、平気ならいいんだけど…何忘れたのかな?」
「千代ちゃん、君はずっとそのままでいてくれ」
「なに?どういうこと?」
篠岡の頭にはハテナマークが飛んでいた。
『そういえば三橋の具合はどうかな?』
ナマエはここで前の世界で観たアニメおお振りでは三橋が車酔いしてしまうシーンがあったことを思い出して、後ろを振り返った。するとちょうど阿部が三橋に薬を渡しているところだった。
『うーん、ここは阿部に任せるべきか。原作の重要なシーンを改変するような動きをするのは良くない気がするし。』
ナマエは阿部がイライラしながらも三橋の側に座って三橋を見守ってる姿を見て、そっとしておくことにした。
合宿所に到着するとそれはものすごく古い古民家だった。となりのトトロにでも出てきそうな風貌の家だ。
「ゴキブリとかでないよね…?」
ナマエは虫が苦手なのだ。古い木造の家を見てついそっちの方向に想像が働いてしまった。
「気をつけないとムカデとかも出そうだよね…」
篠岡もあまりの古物件っぷりに若干引きぎみだった。そこに自家用車でモモカンが到着した。
「さあ、着替えてそうじそうじ!そうじ済んだら山菜摘んできてね。夕食も自分らで作るんだよ!」
各自、トイレ掃除やら食器洗いやら布団干しやらを始める。ナマエは無難に床の雑巾がけを始めた。そこで三橋が動けずに突っ立っていることに気付く。
「三橋君、一緒に雑巾がけしない?私、家から雑巾何枚か持ってきてるからあげるよ!」
「う、うん…!」
三橋はやることが見つかって一安心したみたいだ。ナマエがかばんから雑巾を取り出して三橋に渡すと三橋は「…あ、あり、あり…がとう!」とどもりながらもお礼を言った。そうじが終わったら阿部と三橋以外は山菜摘みに山に入る。ナマエは持参した虫よけスプレーを腕に撒いた。篠岡にも「使う?」と言って貸してあげた。そして志賀先生の後を追って山に入る。
「これがゼンマイ。それからこっちがフキノトウだよ。こうやって摘んでね。」
志賀先生がゼンマイとフキノトウの摘み方を教えてくれた
「じゃ、さっそく山菜摘み開始ね!今、別メニューをこなしてる阿部・三橋と監督の分も摘まなきゃいけないから1人あたり1.3人前分くらいは摘んでくれなきゃ足りないよ!でもあんまり夢中になって遠くに行っちゃわないように気を付けて。山で迷子になったら遭難だよ。」
「はーい!」
全員で元気よく返事をして山菜摘み開始だ。
『結構色んな所に生えてるぞ!こっちにもあるし、あっちにもある!』
どんどん摘んでビニール袋が重くなってくる。たくさん採れてなんだか嬉しい。最初は山に入ると聞いて虫が怖くて嫌がっていたナマエだが、山菜摘みは思っていたよりも楽しかった。
「みんな、集合!どのくらい摘めたか見せてごらん。」
野球部員たちはパンパンになったビニール袋を嬉々として見せつけた。
「うん、これだけあれば十分だね。帰って夕食作りをしよう!」
再び志賀先生の後を追って合宿所へと戻った。山菜は天ぷらにして食べるらしい。天ぷら作りは男子たちの担当だ。マネジの篠岡とナマエとモモカンの3人は炊飯とみそ汁作りを担当することになった。
「2人とも料理はできる?」
モモカンが篠岡とナマエに訊ねた。
「できます」
篠岡ははっきりと言い切った。
「私はマネジになってから母に料理を教わり始めました。なのでまだ初心者です。」
ナマエはまだ料理に自信があるとは言えないが勉強中であることは伝えた。
「じゃあ、2人とも炊飯はやったことあるよね。でも今回はいつもと違って14人分炊かなきゃいけないの。高校生男子はよく食べるからおかわりの分も考えたら12合は炊かないと足りないかな。12合を炊ける炊飯器は持っていないので今回はこの大きな釜とそこにあるダルマストーブで炊いていきます。」
「すみません、私、お釜で炊飯したことがありません…!」
ナマエはモモカンに申告した。
「最初は炊飯器で炊く時と一緒。12合のお米をボウルに入れて、水で洗う。普通は研ぎ汁が半透明になるまでやるんだけど12合でそれやってると日が暮れちゃうから勢いよくガッガッと3回くらい洗えばいいよ。それが終わったら水を入れ替えて今はあったかい時期だから30分吸水させましょう。30分時間をおいたら米1合につき200mlの水を加えて中火で煮込む。沸騰したら底面からひっくり返すようにご飯を混ぜる。そして弱火にして蓋をして15~20分くらいかな、水っぽさがなくなるまで加熱します。その後は火を止めて10分ほど蒸らして完成!」
ナマエはモモカンの説明を必死にメモった。
「どう?できそう?」
「わかりやすいです。できそうです!」
ナマエは答える。
「というわけで、まず1人は炊飯をしてください。もう1人は私と一緒にみそ汁の具材を切っていきましょう。どっちが炊飯やる?」
「私、やってみたいんだけどいい?」
ナマエは篠岡に訊ねてみた。篠岡はニコッと笑って「いいよ」と答えた。
「じゃあ、ナマエちゃんは炊飯よろしくね。お米と計量カップとお釜はこれね。」
「はい!」
ナマエはまずボウルに12合をはかって水で洗った。モモカンに言われた通りガシガシ3回洗う。まだ研ぎ汁の色は半透明になっていないが気にしない。一度米をざるにあげて水気を切ったら、再度ボウルに戻して米を水に浸けた。ケータイに30分後にアラームが鳴るようにタイマーをセットした。
「監督、30分間の浸水の時間手が空くので、みそ汁作り手伝います」
ナマエはモモカンに声を掛けた。
「ありがとう!じゃあ、もう野菜は洗い終わってあるから皮を剥いて切っていってほしいんだけど、皮を剥くのと食材を切るのどっちがやりたい?」
今は篠岡が皮を剥いて、モモカンが切っていた。
「皮剥くの、ピーラーはないですか?それだったら私は包丁で皮剥くのまだあまり得意じゃないので切る方やってもいいですか?」
ナマエは篠岡が包丁で野菜の皮を剥いているのを見てそう言った。
「わかった。そうしましょう。じゃあ私と千代ちゃんで皮剥いていくので、どんどん切っていって!」
「はい!」
ナマエは篠岡とモモカンが剥き終わった野菜をどんどん切っては鍋に放り込んだ。14人分のみそ汁の具を作るのは初めてだ。なかなか力仕事だが、3人で分担してるおかげか意外とサクサク進んだ。そんな折、志賀先生がつまみ食いしようとした田島を止めて3つのホルモンの話を始めた。具材を切りながら耳を傾けるナマエ。
『このシーンもアニメで観たなぁ』
当時このホルモンの話をナマエは非常に興味深く聞いていたので内容はしっかり頭に入っていた。
志賀先生のホルモン講義を聞き終わった後は30分経過したことを知らせるアラームが鳴ったのでナマエは炊飯に戻った。ボールからお釜に米を移し、2.4Lの水を注ぐ。そしてダルマストーブに薪をくべてお釜をセットして火をつけた。沸騰するまで約5分ほどだ。沸騰したらかき混ぜて弱火にして蓋をする。火を使っているので目を離すことはできない。15分経った辺りで一度蓋を外してご飯の状態をチェックしてみた。
『まだちょっと水っぽさがあるな』
再び蓋をして5分待ってみる。今度はよさそうだ。ナマエは火を消して、10分間蒸らすことにした。再びケータイのアラーム機能でタイマーをセットする。男子たちも山菜の天ぷら作りがほぼ完了したようでテーブルを拭いたり、食器を出してきたり、箸を並べたりと色々やってくれていた。ナマエも10分間の蒸らしの時間は他のことを手伝った。そして、10分後、炊きあがったご飯をお茶碗によそっていく。
「ごはん、テーブルに持って行っていいかな?」
栄口が訊いてきた。
「お!ありがとう。お願いします。」
一方、篠岡はみそ汁をお椀に注いでいた。みそ汁が注がれたお椀も男子たちがテーブルへと運んでいく。そうして全員分の食事が揃った。出来立てほかほかのおいしそうな夕食を見て、みんながみんな早く食べたくてうずうずしている。
「うまそう!」
志賀先生が食事をジッと見ながらそう声に出した。
「う…うまそう…!」
それに続いて野球部員たちも同様に声に出す。
「うまそう!!」
再び志賀先生が言う。
「うまそうっ」
再びそれに続く野球部員たち。
「うまそう!!!」
また志賀先生が言う。
「うまそうっっ」
野球部員たちはもうよだれが垂れそうな勢いだ。
「いただきます!」
モモカンの食前のあいさつと同時に「いただきますっ」と猛烈な勢いで食べ始める男子野球部員たち。
「千代ちゃん、私たちも食べよう!急がないと男子に食べつくされちゃうよ!」
「う、うん!」
男子たちの勢いに圧倒されていた篠岡にナマエは声を掛けた。
「うまいっ」
「うまぁぁいっ」
「おいしいねっ」
「うん、おいしい!」
野球部員たちは食事をしながらそのおいしさをしっかりと噛みしめる。12合炊いたごはんもおかわりする選手たちによってあっという間に空になった。みそ汁も同様だ。
「ごちそうさまでしたァ~」
みんなお腹いっぱいになるまで食べて大満足だ。もちろんナマエもしっかり食べて満腹だ。
ご飯を食べた後は近くの銭湯にお風呂に入りに行った。
「わーい、広いお風呂!」
ナマエは銭湯にくるのはかなり久々だった。広いお風呂が嬉しかった。
「アハハッ、広いと嬉しいよね」
はしゃぐナマエを見て篠岡は軽快に笑った。
「そうねぇ、やっぱり広い風呂は気持ちいいよねえ」
いつもはキリッとしているモモカンも銭湯のお湯につかってリラックスムードだ。
「ダルマストーブ用の薪って監督が用意してくれたんですか?」
ナマエはみんなで山菜摘みに行ってる間にいつの間にか用意されていた薪のことが気になっていた。
「うん、そうよ」
「薪割りできるんですか!すごい!さすが監督!」
篠岡はモモカンに惚れ惚れとした表情を向けている。
「明日からは男子部員たちにも手伝ってもらおうと思ってるよ」
「毎日3食分の薪を1人で用意するのはキツイですもんね」
「そういえば明日以降の朝食と昼食はナマエちゃん・千代ちゃん・志賀先生の3人で作ってもらいたいんだけどできるかな?レシピ本なら持ってきてあるから。」
ナマエは『おお、やっぱこの時が来たか』と思った。
「監督、私、実はそんなこともあろうかと思って今スポーツ栄養学の本読んでるんですよ!」
「えらい!」
モモカンはキラキラした目でナマエを見た。
「あ、でもまだ読み終わってないので未完成です…」
「大丈夫よ。最初のうちはそこまで気負わなくていいからね!ヨーグルトとフルーツと汁物とごはんは絶対出してほしくて、あとはタンパク質がとれるものが必要かな。具体的には肉か魚ね。あとはゆで卵とか納豆があれば十分。」
「肉か魚ってもう買ってありますか?」
「豚肉を買ってあるから明日の朝食は野菜と一緒に炒めて肉野菜炒めとかでいいんじゃないかな?」
「「承知しました!」」
篠岡とナマエはモモカンに返事をした。
銭湯から帰ってきた篠岡とナマエは冷蔵庫の食材チェックをした。モモカンが言っていたとおり豚肉とヨーグルトと納豆と卵がある。キッチンの方に行くと今日使ったじゃがいもやタマネギ、にんじん、リンゴがあった。
「さっき監督が言ってたレシピで大丈夫そうだね」
篠岡がそう言った。
「そだね、モモカンが志賀先生にも一応報告しとけって言ってたから言いに行こう」
ナマエがそう答えて男子たちの寝室に向かうと枕投げが始まっていた。
「わ、枕投げやってる!」
篠岡は驚いている。
「ちょっ、男子ー!ストーップ!女子が通りまーす!」
ナマエは選手たちに声を掛けて止めさせた。
「おお、わり!」
花井は我に返ったのか、冷静さを取り戻した。
「志賀先生いない?」
「うん?ミョウジと篠岡か。どうした?」
志賀先生はベランダにいた。傍らに三橋もいる。体育座りしている。
『三橋、やっぱ睡眠薬飲んでもあんまり眠れなかったんだな』
ナマエは明らかに調子の悪そうな三橋を見てそう思った。
「志賀先生、明日の朝食のレシピなんですけど、これでいいですか?」
篠岡はいつの間にやらノートにレシピを書きだしていたらしく、そのノートを志賀先生に見せる。
「うん、いいと思うよ。明日は何時にキッチンに集合にする?」
「朝食が7時なので…5時半はどうでしょうか?」
篠岡は「ナマエちゃんも、それでいいかな?」と尋ねてきた。ナマエはコクッと頷いた。
「了解。じゃあ、明日からごはん作りよろしくね。おやすみ。」
「「おやすみなさい」」
志賀先生のもとを離れる篠岡。ナマエは三橋の方を向いた。
「三橋君、明日の朝ごはんは肉野菜炒めだから楽しみにしててね!」
「う、お…!肉野菜炒め!」
食べ物の話になると元気になる三橋。ナマエは三橋が明日の朝ごはんのこと考えて少しでもリラックスできたらいいなと思ってそう声掛けしたのだった。
「じゃ、三橋君、おやすみ!」
「お…おやすみ、な、…さい」
ナマエはモモカンとマネジ用の寝室へと向かった。篠岡が布団を敷いていた。ナマエも押し入れから布団を取り出す。
「三橋君と話してたの?」
篠岡が訊いてきた。
「うん」
「ナマエちゃんって三橋君と仲良いよね」
「仲…悪くはないとおもうけど、良いって呼べるレベルまでは至ってないかなぁ」
ナマエは具合の悪そうな三橋が心配だしなんとか力になってやりたいと思っているのに、どうもうまくいかなくてもどかしかった。
「でも、今のところ三橋君が一番心許してるのはナマエちゃんじゃない?」
「んー?そうかー?」
たしかに睡眠薬を渡した時は距離が近づいた感じがしたが、結局睡眠薬はあまり効果を発揮しなかったようだった。
「もしかして好きだったりする?」
篠岡は好奇に満ちた目でこちらを見ている。
「三橋君にはそういう感情じゃないんだよな。恋愛対象というより庇護対象なのよ。息子を見守る母親というか?弟を見守る姉というか?」
「アハハッ、そういう感じか!」
篠岡は屈託なく笑った。
「千代ちゃんは誰か好きだったりすんの?」
「いやー、まだ誰ともそんな仲良くないもん。ナマエちゃんは9組の部員たちともうすっかり仲良さそうで羨ましいよ。」
「あー、私、お昼もあいつらと食べてるからね。同じクラスに心許せる女子の友達がいなくてこれでいいのかって自分でも心配になる。」
篠岡は「そっか。一長一短だね。」と笑った。
篠岡とナマエは今席を外しているモモカンの分まで布団を敷いておいた。そしてモモカンが戻ってくるまではスポーツ栄養学の本を読んで過ごした。篠岡はモモカンからもらったRICE処置について書かれた本を読んでいる。
「おまたせ。遅くなってごめんね。寝ようか。」
モモカンが帰ってきてそう言った。
「はーい、じゃ、電気消しますね」
こうしてGW合宿1日目は無事に終わり、ナマエはすやすやと眠りについたのだった。
<END>