「おお振りの世界に異世界トリップ 第5章」
まもなく試合が始まる。今回打順が3番の阿部はキャッチボールを泉と交代してベンチに戻ってきた。そんな阿部に花井が話しかける。
「三橋ってたしかに中学時代から脱出してない感じだよなァ」
花井は三星の選手たちと三橋の様子を見て「スゲエ嫌われてたんだろうな。接し方が元チームメイト同士とは思えねえよ」と言う。それに対して阿部は三橋が元チームメイトたちへの罪の意識でいっぱいであることや中学時代の暗い思い出が今の三橋の厄介な性格を作っていると西浦のみんなに説明する。
「この試合に勝てば三橋は一歩踏み出せると思う。あいつのためにこの試合どうしても勝ってほしいんだ!頼む。」
阿部はそう熱弁した。
「お前の言うことはわかったよ。今日の試合はただの練習試合じゃなくて、うちの投手の将来が決まる試合だと思えってことだな?」
花井が阿部の話を要約した。それを聞いて気を引き締める栄口・巣山・沖。田島は「テンションあがった!」と乗り気になっている。
「阿部君!三橋君のことバカにしてた三星のやつらに、三橋君の真の実力をわからせてあげてね!」
ナマエは阿部にそう声を掛けた。
「お?おお…!」
阿部はナマエがそんなことを言ってくるとは思っていなかったみたいで驚いていた。
「あの畠って言う野郎に、自分がキャッチャーとしていかに無能だったか思い知らせてやってちょうだい!阿部君のその頭脳を思う存分発揮して格の違いをわからせてやるんだよ!」
阿部は真剣な顔付きになって「おう!わかってんよ!」と答えた。
いざ、試合開始だ。1回表は西浦高校の攻撃だ。1番バッターの栄口が審判から呼ばれた。ナマエはスコア表をつけるために一番前のベンチに座って試合を観戦する。
「1番セカンド栄口君」
鶯嬢をやっている篠岡がアナウンスする。栄口の1打席目はバント失敗で一死となった。2番ファースト沖は振り遅れてサード前ゴロで二死。3番キャッチャー阿部は三振。この回は1点も取れずに西浦高校の攻撃が終わった。ナマエは順調にスコア表をつけていった。
1回裏、三星学園の攻撃が始まる。ナマエは阿部のキャッチャー防具の装着を手伝おうかと思ったが、三橋が防具を持って阿部の方へ向かっていったので見守ることにした。
『そういや防具付けるふりして阿部の後ろに隠れてるんだっけ』
ナマエは前の世界で観たアニメおお振りの記憶を掘り起こした。でも最終的に三橋はちゃんとマウンドに出ていった。
『三橋って本当にえらい子!』
ナマエは三橋のそういうところが好きだ。普段は気弱でもやる時はちゃんとやる。そんなところがたまらない。
三星学園の1番セカンド宮川はイン低目のボールになるスライダーを打ち損じてピッチャー前ゴロとなり、一死となった。2番センター柊は三振で二死。3番ショート吉も三振で攻守交代となった。
2回表、西浦高校の攻撃は4番サード田島からスタートだ。田島は2ストライクに追い込まれたところで叶の決め球であるフォークをステップして打った。
「ほらねーー!!」
田島は得意気だ。レフトとセンターの間に球が落ち、初打席からツーベースヒット!無死二塁だ。
「せーのお、ナイバッチー!!!」
泉・栄口・西広・巣山がベンチから掛け声をかける。ナマエも一緒に「ナイバッチー!」と叫んでみた。とても楽しい!続く5番センター花井は田島と張り合ってフォークを待ったが打てなかった。結果三振となり、一死二塁。6番ショート巣山は打つも外野フライとなってしまい、二死二塁。7番ライト泉は三振で結局この回も点は取れなかった。でもここまでナマエは順調にスコア表を書けている。
2回裏、三星学園攻撃は4番ファースト織田からだ。織田は三振で一死。5番キャッチャー畠はピッチャーフライとなった。三橋は落ちてきた球を胸元でグラブを水平に動かしてパンッと捕ってみせた。
「え!三橋かっけえ!」
ナマエは思わず感想が口から出てしまった。普段みんなの前では君付けで読んでいるナマエはハッとした。しかし、幸いにも今は守備中だからベンチにはモモカンと志賀先生と西広くらいしかいない。
「今の捕り方はかっこよかったね」
西広がナマエの言葉を聞いて話しかけてきた。
「そう思うよね!」
西広はナマエが三橋を呼び捨てにしたことにそんなに違和感を感じていないみたいだ。一安心だ。6番ライト門田は三振した。攻守交代だ。
3回表、西浦高校の攻撃は8番レフト水谷、9番ピッチャー三橋、1番セカンド栄口と三者凡退だった。
3回裏、三星学園の攻撃は7番レフト田口が三振で一死。8番サード松岡ががファースト前ゴロで二死。9番ピッチャー叶がサード前ゴロで攻守交代となった。叶は練習試合なのに、しかもピッチャーなのにヘッドスライディングをした。そんな叶に駆け寄り何か声を掛ける畠。なにか少し揉めたように見えた。
『たしか畠が叶に"練習試合でヘッスラなんかするな"って言って、叶が"お前こそもっと真剣にやれ"とか言い返したんだったっけな?』
ナマエは前の世界で観たアニメおお振りの記憶を掘り起こした。
4回表、西浦高校の攻撃は2番ファースト沖の打席で叶がフォアボールを出し、無死一塁になった。
「ナイセーン!」
他の選手たちと一緒にナマエも声を出した。3番キャッチャー阿部は送りバント成功で一死二塁。4番サード田島はこの打席ではストレートに手を出してライトとセンターの間に落ちるツーベースヒットを打った。二塁から沖がホームに帰って西浦高校に1点目の得点。一死二塁。
「ナイバッチー!」
ナマエは他の選手たちと合わせて声を出した。野球観戦はなんといってもこれが楽しいのだ。5番センター花井の1球目はフォークを畠が後逸してその隙に田島が三塁への盗塁を成功させた。一死三塁。そして2球目に花井がストレートを打った。打ち上げてしまいレフトフライとなったが、三塁の田島がホームに帰るには十分な飛距離だ。西浦高校に2点目の得点が入った。今は二死でランナーなしだ。6番ショート巣山はフォアボールで出塁。二死一塁。ここで三星学園がタイムを取った。何やら言い争っている。
『たしかここで叶がキレて"勝てなかったのはお前らのせいだろ"とか言うんだったよな。んで、ここから三星は本気を出すんだ。』
ナマエは前の世界で観たアニメおお振りの記憶を辿った。
『でも前の世界のアニメでは最終的にうちが勝ったんだ…!というか今日は三橋のためにどうしてもうちが勝たなきゃいけない試合なんだ!』
ナマエがこの世界に来たことでおお振りの展開は元来の作品と違いが生じている。ナマエはどうかそれがこの試合の勝敗に何も影響を与えていないようにと願った。自分がこの世界に来たせいで三星学園に負けたなんてことになったら目も当てられない。7番ライト泉は三振して攻守交代となった。
4回裏、三星学園の攻撃は1番セカンド宮川、2番センター柊、3番ショート吉の三者凡退となった。
5回表、西浦高校の攻撃も8番レフト水谷、9番ピッチャー三橋、1番セカンド栄口が同じく三者凡退だった。
5回裏、三星学園の攻撃は4番ファースト織田は三振で一死。5番キャッチャー畠は打ち上げてしまいフライキャッチで二死。6番ライト門田はセカンドフライとなった。攻守交代。
ここでグラウンド整備の時間になった。ナマエは篠岡と鶯嬢を交代する約束をしていたので放送室に向かった。
「千代ちゃん、お疲れ!アナウンス上手だったよ。」
「ナマエちゃーん!すっごい緊張したよ!でも今のところうちが勝ってるね!」
「やったねー!」
篠岡とナマエはハイタッチをした。そして篠岡は「アイちゃんをよろしくねー!」と言ってベンチに戻っていった。篠岡が去った後、「失礼します!」と言いながら三星学園の選手が何人かやってきた。
「アナウンス引き受けてくださって、ありがとうございます!お茶とお菓子の差し入れ持ってきました!」
紙コップ入った麦茶とチョコレートやらクッキーやらを用意してくれている。
「え!ありがとうございます。ありがたく頂戴します!」
ナマエは遠慮なく受け取った。
そして始まった6回表、西浦高校の攻撃。
「2番ファースト沖君」
初めてのアナウンスでナマエは若干声が震えた。沖は三振となった。一死。
「3番キャッチャー阿部君」
ナマエの声はまだ震えている。阿部はフォアボールで出塁した。一死一塁。アナウンスをやりながらもスコア表はしっかり付けていく。
「4番サード田島君」
ここで畠が立ち上がった。敬遠だ。一死一・二塁。
「5番センター花井君」
花井はサード前ゴロで二塁にいた阿部がアウトになった。二死一・二塁。
「6番ショート巣山君」
巣山は三振し、攻守交代となった。ナマエはそろそろアナウンスにも慣れてきた。
6回裏、三星学園の攻撃は7~9番の三者凡退で終わった。
7回表、西浦高校の攻撃も7~9番の三者凡退となる。
7回裏、三星学園の攻撃は1番・2番は三振。3番ショート吉はレフトフライで三者凡退になるかと思いきや、水谷が凡ミスでフライを落としてしまい、出塁を許してしまった。二死一塁。
『うわー、でた!これが有名な"クソレフト"のシーンだ!』
ナマエは放送室からでも阿部が怒りに震えているのが見えてクスクスと笑った。でも、よくよく考えてみたら、笑っている場合じゃない。ナマエの前の世界の記憶では、たしかこの後に織田と畠に打たれて逆転されてしまうんじゃなかったか。
「4番ファースト織田君」
ナマエは阿部に織田が1球目をつぶってバットを振ることを教えに行きたいと思った。でも、アナウンスの仕事があるし、そもそも女子は試合中はグラウンドには出られないし、何よりそうやってこの世界の重要な出来事を変えてしまうのはいけないことだと感じたので泣く泣く我慢した。ナマエの記憶していた通り、織田はスリーベースヒットを打って、吉がホームに帰って三星学園に1点目が入った。二死三塁。阿部は三橋のフォローも忘れて呆然としている。三橋が動揺しているのも放送席から見えた。
『ああ、できることなら今すぐ三橋のところに駆け寄って励ましてやりたい』
でも、それはできないことだった。
『この先のつらい展開をわかっててなにもできないっていうのもなかなかに酷だな』
ナマエは己の無力さを痛感して失笑した。
「5番キャッチャー畠君」
ナマエの記憶していた通り、畠にはツーランホームランを打たれた。織田と畠がホームに帰って三星学園に3点目が入って逆転された。二死ランナーなし。三橋は両腕を膝について頭を垂れている。ナマエは見守ることしかできない。それでも三橋は立ち上がって投球の構えをしてみせた。
『三橋、がんばれよ!』
ナマエは心の中で三橋にエールを送った。
「6番ライト門田君」
門田は打ち上げてライトフライとなった。ようやく攻守交代だ。だが、ホームランを打たれた三橋はベンチに入れないでいる。ベンチ脇にしゃがみこんでいる三橋を見て、ナマエは今すぐにでも放送室を飛び出して三橋を迎えに行きたいと思った。でもアナウンスの仕事があるし、三橋をベンチに連れて帰るのは田島の役目だ。田島がベンチに入れない三橋を連れ戻す場面はすごくいいシーンだった。あのシーンを無くすわけにはいかない。
8回表、西浦高校の攻撃。
「1番セカンド栄口君」
栄口はフォアボールで出塁した。無死一塁。
「2番ファースト沖君」
沖はデッドボールを食らって出塁となった。無死一・二塁。
「3番キャッチャー阿部君」
阿部は1球目から2遊間を抜けるヒットを打った。無死満塁。
「4番サード田島君」
満塁で4番田島に回って期待するナマエ。ライトフライとなるが三塁栄口はホームに帰って西浦高校に3点目。続いて沖もホームへの帰還を狙うがこれはアウトになり、二死二・三塁。ここで田島が三橋に声を掛けているところが放送室からも確認できた。
『田島君ー!ありがとうねー!』
ナマエは田島に心の中で感謝の念を述べた。
「5番センター花井君」
花井はバントをした。三塁の阿部は塁を蹴ってホームへの帰還を試みる。捕球した叶はファーストへ送球し三死目を取る算段だったが足を滑らせて送球できず、阿部は無事にホームに帰って西浦高校に4点目が入った。逆転だ!二死一・三塁。一方、その頃、西浦のベンチでは田島に引きずられる形で三橋がベンチに戻っていった。ナマエはその姿を目視で確認して一安心したのだった。
「6番ショート巣山君」
巣山は三振となった。攻守交代。
8回裏、三星学園の攻撃は7・8番は凡退となったが、9番ピッチャー叶がピッチャー横を抜けるヒットで二死一塁となった。しかし、1番セカンド宮川は三振し、攻守交代。
9回表、西浦高校の攻撃は7~9番の三者凡退で終わった。
9回裏、三星学園の攻撃。この回を守り切れば西浦高校の勝利だ。
「2番センター柊君」
ナマエはもうアナウンスには慣れたはずなのにまた声が震えそうになるのを感じた。柊はファーストフライで一死。
「3番ショート吉君」
ナマエは胸がドキドキしてきた。この緊張はアナウンスをやるのが怖いからじゃない。吉もフライで二死。
「4番ファースト織田君」
ナマエはあまりの緊張にこの心臓の音をマイクが拾ってしまうんじゃないかと心配になった。西浦も三星もみんながみんな、織田の打席を固唾を飲んで見守っている。結果、織田は三球三振。4-3で西浦高校の勝利が決まった。
「やったァァアア!!」
放送室でナマエは勝利の喜びに浸った。前の世界でアニメおお振りを観て三星学園には勝利する展開を知っていたとはいえ、ナマエがこの世界に来たことで状況が変わってしまった可能性もゼロじゃなかったし、やっぱり生で西浦高校の野球部員として試合を観戦するというのはアニメで見るのとは違う楽しみがあった。
試合が終わってアイちゃんを連れて放送室から出たナマエのところに先ほどお茶やお菓子を用意してくれた数名の三星学園の選手たちがやってきた。
「アナウンスお疲れさまでした!ありがとうございました!」
バッと頭を下げる三星学園の選手たち。
「いえいえー。緊張して声震えちゃって上手くできなくてごめんなさいね。」
「そんなことないっす!お茶とお菓子のゴミ貰います。」
「あっ、どうも」
お茶を飲み干して空になった紙コップにチョコやクッキーの包装紙を入れて三星学園の選手に渡した。
「ごちそうさまでした」
「いえ!では失礼します!」
三星学園の選手たちはもう一度頭を下げてから去っていった。ナマエはベンチにいるみんなと合流し、アイちゃんをモモカンに返した。そしてヘルメットやバット等の道具をバッグにしまって帰る準備をする。その後は道具を持って全員で着替えのために部室棟の更衣室へと向かった。その途中、ナマエは前を歩いている三橋の姿を見つけて追いかけた。三橋の背中をバシンッと叩く。
「三橋君、お疲れさま!よく投げ切った!かっこよかったぞ!」
「あ…、ミョウジ…さん、あ、あり…が、とう…!」
続いてナマエは三橋の一歩後ろを歩いている阿部の隣に並んだ。
「阿部君もお疲れさま!ちゃんと三星のやつらに思い知らせてやったじゃない!」
ナマエはニコッと笑った。
「どーだか。畠にはツーランホームラン打たれちまったしな。」
「でも、結果的に勝ったんだからさっ!」
ナマエは阿部の肩をポンッと叩いた。それからナマエは先頭を歩く田島のところに向かった。
「たっじまくーん!ナイスプレー!さすが4番!」
「ヘッヘーン!」
田島は得意気だ。
「あと三橋君のことベンチに連れ帰ってくれてありがとね!いやー、もう放送室からベンチに入れない三橋君を見てて私はずっとモヤモヤしてたんだ。」
「おお、そうだったのか!そういやミョウジは鶯嬢やってたよな。お疲れさん!」
「ホント、チョー疲れたよぉ!」
ナマエは今更になって緊張疲れでどっと肩が重くなったように感じた。部室棟に着いたら男女で別になっている更衣室に入って着替えをする。着替え終わったらタクシーを呼ぶ必要がある。行きはナマエがタクシー会社に電話したので、帰りの分は篠岡が電話してくれた。
「車10分くらいだそうです」
篠岡がモモカンに報告した。
「ありがと。荷物持って!門まで行くよー!」
部員に声を掛けるモモカン。そこに畠を筆頭とした三星学園野球部の1年生がやってきた。逃げる三橋と三橋の首根っこを捕まえる阿部。阿部は三橋を畠の前に差し出した。畠たちは三橋に中学時代のことを詫びて頭を下げた。そして、三星学園に戻ってこないかと声を掛けた。それを聞いている阿部とモモカンは緊張した面持ちだ。でも三橋は戻らないと言ってくれた。それから三橋も中学時代は自分のせいで"野球"にならなかったと詫びた上で、今日一緒にちゃんと"野球"をできてよかったと言った。ナマエは阿部近くに立ってその会話を聞いていたのだが、感動で目頭が熱くなるのを感じた。それから叶に「転校までしちゃって、お前一人でさみしくねーのかよ!」と問われた三橋は後ろにいる西浦の野球部員を見てからさみしくないと言い切ってくれた。ナマエは目から零れ落ちそうになる涙を必死で堪えた。畠は「そりゃ、そうだよな。既にそっちのチームでやり始めてんだもんな。」と納得していた。最後に三橋と叶はまた試合する約束を交わした。
「あとこれだけは言っとくけどな、試合は負けたけど投手としては叶の方が上だからな!」
畠は三橋にそう宣言した。叶は「負けてもゆうか~」と畠の胸倉を掴んでいる。
「いーや、うちのバッテリーは最高のコンビなんで!うちが勝ったんで!」
ナマエは阿部と三橋の後ろからぬっと顔を出して畠にそう言い返した。阿部と三橋はギョッとしている。畠も叶もまさか女子マネに言い返されるとは思ってなかったみたいで唖然としている。
「なによ、私は西浦高校野球部のマネジなんだから自分のところの選手たちが最高だって思ってて当たり前でしょ!」
ナマエは阿部と三橋に言った。
「いや、それにしても他校の選手相手にそーゆーこと言うなよなァ」
阿部は呆れている。
「向こうが先に言ってきたんだから!むしろ阿部君が"うちの投手が最高だ!"くらい言い返しなさいよね。」
「そんなこと言うか!」
阿部のその言葉を聞いて三橋はずーんとへこんでしまった。
「あー、阿部がそんなこと言うから三橋のこと傷付けた!」
「は?なんで!?」
ナマエは阿部に耳元で「たぶん、"三橋が最高の投手なわけがない"って言われたって勘違いしてる」と伝えた。そして「ちゃんとフォローしろよ!」と言って阿部と三橋の側を離れて2人っきりにしてあげた。阿部の性格からして人前では言えない言葉があるだろうと思ったからだ。ナマエは校門近くでタクシーを待っている篠岡の元に向かった。
今日の昼食は試合が終わったばかりで作ってる時間も元気もないので出前を取った。それからみんなで銭湯に行った。試合でたくさん汗をかいたし、今夜は夕食後すぐにバスに乗って帰るので銭湯に行く時間が取れないからだ。銭湯から戻った後は試合で泥だらけになったユニフォームや汚れたタオルを近くのコインランドリーで洗濯した。今日は時間の早いうちにコインランドリーに来れたので、お金の節約のためにも乾燥機は使わずに合宿所で洗濯物を干すことになった。洗濯物を干すのは選手たちも手伝ってくれた。それからモモカンは今日の夕食は勝利のお祝いで良いお肉を買おうと言い出した。喜ぶ野球部員たち。モモカンと篠岡とナマエの3人で夕食の買い出しに出かけた。選手たちはその間に今日の試合で使った道具の手入れをしたり、今夜帰るにあたって古民家に備え付けてあった道具を綺麗に片づけたり、5日間使わせてもらった古民家の掃除をしたりして少しずつ帰り支度を進めた。
モモカンと篠岡とナマエの3人が買い出しから帰ってきたら、さっそく夕食作りを開始する。今夜はステーキだ。今まで通りメインディッシュを志賀先生と選手たちで作って、炊飯とみそ汁をモモカンと篠岡とナマエの3人が担当した。食事を作っている途中で三橋が起きてきた。
「オ、オレ…寝ちゃ…ご、ごめん、なさい…!」
三橋は自分だけ眠ってしまったことを申し訳なく思っているらしく、青ざめていた。
「あー、いーんだよ。オレが監督にお前のこと寝かせておいてくれって頼んだんだ。監督からちゃんと許可もらってんよ。」
阿部が答えた。
「あ…そ、そうなのか…」
「まずは顔洗ってこいよ。んで今から晩メシ作り手伝え。今日はステーキだぞ!」
「ス、ス、ステーキ!!」
三橋は目をキラキラと輝かせた。阿部は「早く顔洗ってこい」と三橋を急かした。三橋は慌てて外の蛇口の方へと向かっていった。
『お、やっぱ阿部と三橋は今日の試合で距離が縮まったみたいだ!』
三橋と阿部のやり取りが以前よりスムーズになった感じがして、ナマエは嬉しくなった。
そうして無事に最後の夕食ができあがった。全員で食卓につく西浦高校野球部。恒例の"うまそう"をやってから夕食を食べ始めた。やっぱりいいお肉を使ったステーキはすごくおいしい。みんな「うまいっ」と言いながらバクバク食べていった。
夕食の後はみんなで手分けして食器を洗ったり干していた洗濯物をしまった。三橋には今日の昼寝中に使った布団を自分で干してもらった。そうやってあと片付けを全部済ませたら道具をモモカンの車に運び入れる。そして最後は各自持ち物をエナメルバッグにしまって帰り支度が完了した。あとはバスに乗って帰るだけだ。バスは18時50分頃に到着する予定で、今はその10分前だ。モモカンが合宿の締めのあいさつをするために部員全員を和室に集めた。
「5日間の合宿お疲れさま!みんなで山菜を摘んだり、料理をしたり、チームメイト同士で親睦を深められたんじゃないかなと思います。今回の合宿の一番の目的はそれだったからね。それに今日の練習試合は勝利を収められた!みんな、よくがんばったよ!この調子でこれからも一緒に勝利を手にしていきましょう。もうすぐバスが来るからね、気を付けて帰ってちょうだい。家に帰るまでが合宿だよ!それから明日も朝から練習があるよ!家についたらゆっくり休んで、疲れを翌日に持ち越さないように!私からは以上です。お疲れさまでした!」
野球部員全員で「お疲れさまでした!」と言って頭を下げた。モモカンは車にアイちゃんを乗せ、「じゃあ、お先に!」と言って出発した。志賀先生と野球部員はバスが来るのを待った。数分後、到着したバスにぞろぞろで乗り込む。最後に志賀先生が合宿所に忘れものがないかチェックし、部員全員がバスに乗っていることを確認して19時ちょうどにバスが出発した。篠岡もナマエも含めた全員がバスの中で爆睡し、気付いたら西浦高校の校門に着いていた。
「じゃあ、みんな気を付けて帰ってね。また明日。」
志賀先生が野球部員に声をかける。全員、眠くてフラフラの状態だが「あーっした」とあいさつだけは欠かさなかった。
「じゃー、千代ちゃん、また明日ね」
ナマエは重い瞼を手でこすりながら篠岡に別れを告げた。
「うん、気を付けて帰ってね」
篠岡もうとうとしながら返事をした。
こうして西浦高校野球部のGW合宿は幕を閉じたのだった。
<END>