「おお振りの世界に異世界トリップ 第9章」
平日の1週間が終わって、土曜日を迎えた。今週は火曜日から金曜日まで毎日部活の後に9組のメンバーがナマエの家に集まって配給表の作成を手伝ってくれた。日中の授業の合間の休み時間にもビデオ機器に備え付けられている画面で試合観戦をしながら配給表作成を進めた。結果、この1週間で7試合分の配給表が作成できた。そして本日、土曜日も朝10時にナマエの家に9組メンバーが集合して丸1日配給表作りをやることになっている。
ピーンポーンと玄関のチャイムが鳴った。ナマエが玄関に迎えにいくと田島・泉・三橋の3人が揃っていた。
「お、一緒に来たの?」
「いや、門のところで待ち合わせて揃ってからチャイム押した。」
泉が答える。
「あら、みんな、いらっしゃい」
ナマエの母親が玄関にやってきて3人を出迎えた。
「ちわっす!」
「お邪魔します!」
「お、お、お邪魔…し、ます…」
田島・泉・三橋があいさつを返した。
「あの、これ、うちの母からです。うちで作った野菜です。うち農家なんで。」
田島が紙袋に入ったたくさんの野菜をナマエの母親に手渡した。
「うちの母親からもこれ預かってきました。受け取ってください。」
泉は菓子折りを持ってきてくれたようだった。
「あ…、お…、あの…!」
三橋は2kgのお米を差し出した。
「ええ~、そんな、気にしなくていいのに。なんだか悪いわね。でもありがとうね。」
ナマエの母親は田島・泉・三橋からの貢ぎ物を遠慮がちに受け取った。それから「みんなのお家の電話番号教えてもらえる?あとでお礼の電話がしたいから。」と言って3人の自宅の電話番号をメモにとった。3人は洗面所で手を洗ってからナマエの家に上がった。
さっそくリビングのTVに機材を繋げて試合の観戦を始める。今日もみんなであーだこーだ言いながら配給表を作成していった。ナマエは配給表への記入方法自体はもう把握した。しかし、自分の目で見て球種とコースが判断できない。それが問題だった。
「カーブとチェンジアップはもうわかるだろ?」
田島がナマエに訊ねた。
「そうだね、その2つは明らかに速度が遅いからわかるね」
「じゃー、たぶんシンカーも見ればわかるな。速度が遅くてカーブとは逆方向に曲がる球だ。」
「なるほど。それはいけそうだ。問題は打者の手前で曲がる球なんだよなー。」
「ま、慣れだ、慣れ。続けようぜ。泉、等倍再生して。」
「はいよ」
その日の1試合目を見終わったところで、昼食の時間になった。ナマエの父親が自分の部屋から出てきた。田島・泉・三橋の3人はナマエの父親に挨拶した。さて、ミョウジ家は3人家族なのでダイニングテーブルは4席分しかない。平日の夕食は父は仕事で不在だったし、母は先に自分の分は食べ終わっていたので問題なかったが、今日は父も母もいるためダイニングテーブルだけでは席が足りない。
「うちら4人はリビングのローテーブルで食べようよ」
ナマエは田島・泉・三橋に提案した。
「おう、そうしよう」
「おばさん、この辺の料理運んじゃっていいですか」
「うん、ありがとうね」
3人が配膳を手伝ってくれたおかげでスムーズに昼食の準備ができた。恒例の"うまそう"の儀式をやってから田島・泉・三橋はバクバクとごはんを食べ始めた。運動部の高校生男子というのは本当によく食べる。しかも食べるのも早い。ごはんもみそ汁おかわりして、それでもナマエより先に食べ終わるのだ。
「ぷっはー、うまかったー!」
田島・泉・三橋もお腹が満たされて満足気だ。
「今日は食い終わった食器、自分らで洗おうぜ。いつもは時間がなくて食べっぱなしだっただろ。」
泉が田島と三橋にそう提案した。
「おー、そーだな。ミョウジはゆっくり食ってていいからな。」
田島が食べ終わった食器を重ねながらナマエに声を掛けた。
「うん、ありがと」
ナマエは男子たちみたいに早くは食べられないのでまだ食事中だ。田島・泉・三橋は食器を持ってキッチンの方に向かう。
「おばさん、食器洗い自分でやります。スポンジと洗剤と食器用のふきん借りていいっスか?」
「あら、やってくれるの?ありがとね。」
昼食が終わったら午後は13時から19時まで6時間かけて3試合分の配給表を作った。ナマエはシンカーとスクリューとフォークも判別できるようになった。また、ストライクゾーンがどこまでなのかも大体認識できるようになった。
「まだストレート、スライダー、シュートは目が追い付かないか?」
泉が訊いてきた。
「うーん…、スロー再生ならわかるんだけど、等倍速だと無理かなー」
「でもコースは等倍速でもだいぶわかるようになったじゃん!すごい進歩だぞ!」
田島がナマエを褒めた。
「私の場合は判別できるのは4分割だけどねー」
「4分割でも十分だろ。9分割で投げ分けてる投手なんて三橋ぐらいしか聞いたことねーし。」
泉はナマエを励ました。ここで母親が「みんなー!もう夕食できてるよー!」と声を掛けた。昼食と同様にリビングのローテーブルで食事をするナマエたち4人。食事を終えたら泉たちは自分たちの食器を洗った。時刻はもう20時だ。今日はここで解散することになった。いつもと同じく田島と三橋は自転車で帰って、泉はナマエの母親が車で家まで送っていく。
「また明日もよろしくねー!」
「「「おー!」」」
ナマエは田島・泉・三橋を玄関先で見送った。そしていつものように埼玉新聞のスポーツ欄をチェックし、その情報を元にパソコンでデータ作成を行った。また、録画しておいた地元TV局の高校野球ニュースもチェックした。ナマエの頭の中には着々と野球の知識が積み重なっていた。
翌日の日曜日も田島・泉・三橋は朝10時にナマエの家に集合して配給表を作りを始めた。昨日4試合分の作成ができたので11試合分は作り終わったことになる。今日も4試合分作る予定なので合計で15試合は出来上がる予定だ。
「いいか、スライダーとシュートは画面のこの辺で軌道が変わるんだ。ここをよく見ておけ。」
田島がテレビ画面を指さしながら言う。
「じゃ、等倍速で再生すんぞ」
泉がリモコンを手に持って操作した。
ナマエは田島が指さした部分を凝視した。投手が構えて、投球動作を始め、投げる。一瞬でミットに収まる球。
「…うーん、ごめん、もう1回等倍速で!」
ナマエはまだ球種を捉えられなかった。
「投手が投げる直前にオレが"今!"って言うからそのタイミングでこの辺を見てみろ」
田島がアドバイスをくれる。泉はリモコンで今の投球を巻き戻している。
「おし、再生すんぞ」
「はい!」
投手が構えて、投球動作を始める。
「今!」
ナマエはその声と同時に田島が指さしている部分を目を皿のようにして見た。球が捕手側から見て右に曲がったのが見えた。
「見えた!右に曲がった!右投げの投手だからスライダーだ!」
「おー!!正解!!」
「やったー!」
ナマエは3人と順番にハイタッチした。
「おし、この調子でやっていこう」
この後もスロー再生は使わずに田島の掛け声に合わせて打者の手元を見るというのを繰り返した。田島の掛け声のタイミングは絶妙で、それのおかげでストレート、スライダー、シュートが見分けられるようになってきた。
今日の1試合目を見終わった頃には12時を過ぎていた。昼食の時間だ。
「次の試合からはオレの掛け声なしでも見分けられるようにしようぜ。オレの掛け声があれば見分けられるってことは投球開始のタイミングさえ掴めれば球を見る目はもうあるってことなんだよ。」
田島がごはんを食べながらそう提案した。
「でも投球のフォームって選手によって違うだろ。次の試合のビデオでタイミング掴めるようになっても応用利かなくねえか?」
泉が疑問を呈した。
「そりゃどの投手もフォームは一緒じゃねェけど、オレらだって色んな投手相手にこれまでの経験からタイミングを合わせるじゃん。要は球が投手の手から放たれた瞬間にそれに気付ければいいんだよ。どうやったらそれができるか工夫しようぜ。」
昼食を食べ終わって食器を洗った後は今日の2試合目の配給表の作成開始だ。
まずは田島の掛け声ありで投球を見る。
「ストレート、外角・低目だ」
「正解。じゃあ。次は掛け声なしな。」
投手が構えて、投球動作を始め、投げる。一瞬でミットに収まる球。
「うーん?ストレートか?」
「自信ないか?もう一回見るか。泉、巻き戻して再生。」
「はいよ」
泉がリモコンを操作する。投手が構えて、投球動作を始め、投げる。一瞬でミットに収まる球。
「うーん…やっぱ掛け声欲しいな」
「じゃあ、1回掛け声ありでやってみるか、泉、もう一回巻き戻して再生な。」
「おー」
泉がリモコンを操作する。投手が構えて、投球動作を始める。
「今!」
ナマエはその声と同時に打者の手元に注目した。やっぱり曲がってない。
「ストレート、内角・ベルト高だ」
「やっぱタイミングさえわかればもう見えてんだよなぁ」
田島は腕を組んで「うーん」と考えてから「三橋、なんかいいアイディアないか?」と訊いた。
「う、え…!?オ、オ、オレ…?」
突然話を振られて動揺する三橋。口をパクパクしている。
「……あ、の…、そ…の…、あ、足…とか」
「足?」
「…と、投手…足、…踏み、込む……したら、だ、打者、の、手元…見る…」
「投手の手元を見るんじゃなくて足の踏み込みで投球開始を判断すんのか」
田島が三橋語を翻訳した。
「確かに足の方が腕よりも動き見えやすいし、投げるよりも前に踏み込むから動体視力が弱いミョウジにはそっちの方がタイミング合わせやすいかもな」
泉も同意した。
「じゃあ、次の投球見てみるか」
泉がリモコンの再生ボタンを押した。次の投球はカーブだったのでボールの軌道で球種の判断がついてしまった。今はストレート、スライダー、シュートの判別ができるようになりたいので、続けて次の投球を見る。
投手が構えて、足を上げ、踏み込む。それと同時に打者の手元に注目した。打者の手元で捕手側から見て左に球が曲がったのが見えた。この投手は左投げだ。
「スライダー!」
ナマエは自信を持って宣言した。
「おお!」
「いけたじゃん!」
田島は「三橋、スゲーぞ!」と言いながら三橋の肩に腕を回している。その後もなるべくスロー再生は使わずに等倍速で試合を観戦しながら配給表を書き起こした。、午後は予定通り3試合分の配給表を書き起こすことができた。三橋のアドバイスに従ってやってみたら8割方は1回で球種の判別ができるようになった。
「来週からは試験週間だからしばらくはこれやる時間取れねぇよな」
夕食を食べながら泉が言った。
「ストレート、スライダー、シュートが8割判別できて、チェンジアップ、カーブ、シンカー、スクリュー、フォークはほぼ間違いなし。コース・高さも4分割なら判別できるし、スコア表への書き起こしはバッチリ。こんだけできりゃーもう十分だろ。」
田島は口にごはんを頬張りながら答えた。
「うん、とりあえずここまで仕上げられて私も満足!37試合中15試合分の配給が作成できたから4割は終わったし、続きは試験明けにやって精度をもっと上げてみせるよ。また相談するかもしれないけど、その時はよろしく。」
田島と泉は「おー」と返事をした。三橋もコクッと頷いている。
食事を終えた3人は昨日と同じく自ら食器を洗い、そして帰っていった。ナマエは玄関先で3人を見送った後はいつものように埼玉新聞のスポーツ欄を確認し、録画した地元TV局の高校野球ニュースを視聴した。その後はお風呂に入って明日に備えて寝るだけだ。
『もうすぐ定期試験か。試験週間になったら勉学が優先だ。配給表を書く作業は一旦ここで中断だ。』
ナマエは本心を言えばもっと配給表作りを進めたかった。いつの間にかナマエの頭は野球でいっぱいになっていた。そんな毎日が充実していてとても楽しい。ナマエは自分をこの世界に送り込んでくれた偉大なる何か――それは"神様"なのだろうか?…―に心から感謝をしながら眠りに落ちた。
<END>