「おお振りの世界に異世界トリップ 第22章」
試合終了後、阿部と阿部母は車で病院へと向かった。モモカンはまず車で荷物を裏グラまで運んでから篠岡の自転車を借りて阿部たちのいる接骨院に向かった。阿部たちと一緒に医師から容態を聞くつもりらしい。自転車で西浦高校裏グラに戻ってきた選手たちとマネジの篠岡・ナマエの2人はモモカンの車から荷物をおろして各道具を元の場所に戻した。その後は午後の練習に向けて練習着に着替えをする。モモカンが帰ってきたら今日の試合の反省会から始める予定だ。
「……ナマエちゃん、大丈夫?」
裏グラのベンチ横の倉庫内での着替え中、篠岡はナマエにおずおずと話かけてきた。
「あ、うん。ごめんね。感じ悪かった?」
ナマエは試合が終わってから今までの間、終始無言を貫いていた。そんなナマエの様子を隣で見ていた篠岡は、いつもと違うナマエのことが心配になったのだろう。
「ううん、感じ悪くはないよ。ただ相当思いつめた顔してるよ。」
「……うん、なんか、初めての敗北だからかな。割とメンタルにきてるかも。」
「そっか。今まで私たち練習試合含めて負けなしだったもんね。それにナマエちゃんは運動部に所属するの初めてだし…。私は中学時代にソフトボール部で負け試合も経験してるからねえ、ちょっと慣れちゃってるところはあるよ。でも、思い返すと初めて負けた時はたしかに結構落ち込んだかも。」
「……慣れ、るものなのかな。なんかさ、マネジが選手たちにしてやれることって少ないなって思ったら自分の無力さが悔しくてさ。」
「ナマエちゃんはよくやってるよ!たった数ヶ月で野球のルール覚えてスコア表も配給表も書けるようになったし、今日のRICE処置だってすごく手際よくて私すっごい感心しちゃったよ。それに今日なんて試合見ながらその場でノートパソコン使ってデータ分析行ってたし、全然無力なんかじゃないよ!ナマエちゃんはすっごく有能なマネジだよ!」
篠岡はナマエのことを必死に励ましてくれた。
「あはは、ありがとうね。……でも、今日は勝ちたかったな。」
阿部が怪我して負傷退場し、代理捕手となった田島と三橋のバッテリーはすごくがんばってた。三橋の渾身の"ワンナウトー!"のシャウトにも胸を打たれた。だから、勝ちたかった。あの子たちを勝たせてやりたかった。でもナマエは全然力になれなかった。ナマエの目に涙が込み上げてきた。
「監督は泣くなって言ってたけどね、私は少しくらい泣いたっていいと思うよ。監督が戻ってくるまでまだ時間あるだろうから、今のうちに泣いちゃいなよ。」
篠岡はナマエの背中をさすってくれた。ナマエはしばらくの間、ポロポロと涙を流した。
病院からモモカンが帰ってきた。花井が部員に集まるよう呼び掛ける。
「今日の試合の反省会の前にチームの目標をどこにすんのか、今の段階で一致させとこうと思う。人と相談しねーでまずは一人一人紙に書いてみてくれ。」
花井はそう言って紙を全員に回した。選手たちだけでなく、マネジの2人も書くらしい。
『チームの目標…?そりゃやっぱ甲子園出場じゃないかな。』
ナマエは紙に"甲子園出場"と書いた。そしてせーので部員全員が紙を見せた。ほどんどの部員が甲子園出場を目標とする中で田島と三橋の2人は甲子園優勝を目標に掲げていた。
『甲子園出場した上にそこで優勝までする気なの!?』
ナマエは背筋がゾクゾクッとした。
『さすが田島と三橋…ッ!!やっぱこいつらかっこいい…!!』
「全国制はで統一しようよ」
田島が言った。
「それだとオレにとっては現実感なさすぎ…つーか」
水谷が反論した。
「現実感ないくらいじゃないと"目標"っていわなくねー?」
「なことないと思う…つかむしろできなさそうな目標って目標ないのと変わらなくないかな」
「ええっ変わるよ!だって目指すんだよ?」
田島と巣山が意見を言い合う。沖は「そもそも目標は一人一人違ってもいいんじゃないかな」と言い出した。
「みんながそれぞれ精一杯ならそれはこのチームのMAXになるんじゃないかなーと…」
「それじゃ全国制ははできないよ!」
田島はわっと反論した。
『そりゃそうだ…野球は田島と三橋だけでやるんじゃない。2人だけが全国制覇を目指したって達成できない。全国制覇は全員で目指さなきゃ達成できない目標だ。』
それはすなわち、田島と三橋以外の部員が全国制覇を目指さないなら、私たちが2人にその目標をを諦めさせるということになる。
『田島と三橋に全国制覇を諦めさせる?そんなのは絶対にイヤだ!』
ナマエは自分の目標を書いた紙を取り上げた。"甲子園出場"と書いた部分の"出場"を横線で取り消して"優勝"と書く。
「私は田島君と三橋君に合わせる!」
「ミョウジ、マジィ!?」
水谷は驚愕の声をあげた。田島はニカアッと笑っている。
「全国制覇は全員で目指さなきゃ達成できない目標だよ。今私たちにある選択は田島君と三橋君に全国制覇を諦めさせるのか、一緒に目指すのかの2択!攻守の要たる2人が全国制覇を掲げてるのにそれを諦めさせて目標下げさせたいの!?」
ナマエはみんなに迫った。田島と三橋以外の部員たちは「ぐっ…」と言葉に詰まった。
「オレも全国制覇に変えるよ。2人の足を引っ張るようなことはしたくない。」
西広がそう言った。紙に"全国制覇"と書き直して出した。
「えええ、西広もかよ!?」
巣山が驚いてそう言った。
「えー…でもオレはどうしても全国制覇なんて現実的に思えねーよお」
水谷はそう嘆いた。沖と巣山も顔を見合わせて「…うん」と頷いている。
「だーかーらー、現実的じゃないくらいのもんを目指すためにあるのが目標だろー!」
田島は周囲に説得を試みている。
「田島にとっては甲子園優勝は現実味があるってことなんだろ!?」
巣山が田島にそう言った。
「~~…三橋!お前はどー考えてそれ書いたんだよ!」
田島は三橋に訊ねた。三橋はみんなからジッと見つめられて狼狽えている。
「…オ、レ、あんまり、か、考えて、な、くて、ご、ごめんなさい…」
三橋は俯いて謝った。
「花井!」
泉が手を挙げた。
「わり、オレもあんま考えねーで子どもの頃からの夢そのまんま書いたんだ。ちゃんと考えっから決めるの明日まで待ってくんねーか。」
「お、そうか」
花井はモモカンの方を見た。
「いいよ、明日また時間とりましょ。ところで今の練習それなりにキツイと思うけど目標決まったら私はそこへ向けて日割りでメニュー組むからね。高い目標立てるならそれ相応の覚悟もしてください。」
モモカンはそう宣言した。
「監督!監督の目標聞かせてください!」
田島がモモカンに訊ねた。
「私は全部勝ちたいよ。でも野球するのはあなたたちだからね。あなたたちの高校野球生活はあと丸2年!この2年をどう過ごすのか、明日までよく考えてきてちょうだい!」
「はいっ」
モモカンからのお達しに全員が元気よく返事をした。
続けて今日の試合の反省会に入る。選手たちが今日の試合の中での気付きや今後の試合に活かせることを次々と挙げていった。篠岡とナマエはいつも通りメモ帳にその内容を書き起こしていった。
反省会が終わったら練習開始だ。まずは視覚トレーニングをやり、その後選手たちはアップとキャッチボールに入る。その間にマネジの2人は水撒きとドリンクを作成した。今日はモモカンと志賀先生が父母会とのミーティングがあるらしく、6時で練習終了となる。そのため、今日はおにぎり作成はしなくていい。今日で夏大も終わったから次の試合に備えて慌ててデータ収集・分析をやることもない。ナマエはノートパソコンを使って先程の反省会の議事録をワードファイルに書き起こした。その隣で篠岡はボール磨き・ボール修理をやっている。
「さっきのナマエちゃん、すごいかっこよかったよ」
篠岡がナマエに話しかけた。
「え?」
「"田島君と三橋君に目標を下げさせたいの?"ってみんなに凄んだところ、よかった。」
ナマエは篠岡の方にバッと振り返った。
「ねえ!千代ちゃんも全国制覇にしようよ!田島君と三橋君に目標を下げさせるなんて、私はそんなのは絶対にイヤなのっ。お願いっ!」
ナマエは篠岡にグイグイッと詰め寄った。
「うん!私も全国制覇にするよ!ナマエちゃんの意見に賛成だよ!」
篠岡はニコッと笑った。
「千代ちゃん!!アイラブユー!」
ナマエは篠岡に抱き着いた。篠岡はアハハッと明るく笑って「私もだよー」と言った。
6時になって今日の練習は終わりになった。篠岡とナマエはベンチ横の倉庫で着替えをした。
「あ、そういえば蚊取り線香取り替えてないや」
篠岡とナマエはベンチに吊り下げている蚊取り線香を取り替えに行った。ベンチでは三橋がケータイをいじっていた。
「急げよー!三橋、手止まってんぞ!」
ビクゥッとなった三橋が花井の方を振り返る。その時に手に持っているケータイの画面を篠岡の方に見せるような体勢になってしまった。篠岡はパッと顔を逸らして読まないようにしたが、一瞬で読めてしまったらしい。
「三橋君、ごめんね、メール読めちゃった」
「!?」
三橋はハッとして慌てている。ナマエは花井と一緒に三橋が手に持ってるケータイを覗き込んだ。
「それで、ね、今日早く終わったし、三橋君さ、阿部君ちお見舞いに行ってあげたら?ゆっくり話せるの今日くらいかも。」
「でも、場所」
「場所わかるよー。地図書くね。」
篠岡は紙に地図を描いた。その傍らで栄口や沖も三橋のケータイを覗き込んでいる。
「こりゃ行ってやんなよ」
栄口がそう言った。そして栄口は地図を見て「オレも行くよ。土地勘ないと難しいよな。」と言ってくれた。
「オレも行く」
田島もついていく気らしい。
『うわ~、阿部と三橋が今日の試合を経てどんな会話をするのか聞きたいっ!!』
ナマエは自分も一緒に行きたいと思った。でもナマエがついていったら邪魔になるんじゃないかと思った。バッテリー2人きりでしか話せない話をするんじゃないのか?
『この世界に来る前におお振り原作全話読んでおけばよかった…!』
この後、阿部と三橋は絶対に素敵な会話をするって予感がした。それを聞けないなんて…。
「そんなに行きてーなら行きゃいいだろ」
ナマエの背後から誰かが声を掛けてきた。振り返ると泉だった。
「え!?」
「顔に行きたいってモロに書いてあんぞ。ミョウジの家って阿部とか三橋と同じ上り方面だろ。家近いんだし、行きたいならお前も行けばいいじゃん。何をそんなに躊躇することがあんだ?」
「う…だって私がついていったらあのバッテリーが大事な話をできないかもしれないじゃん。2人きりで話したいかもしれないじゃん。」
「そうかぁ~?でも栄口と田島はついていくの確定してんだぞ。2人きりで話したいなら阿部からそう言ってくるだろ。そう言われたら席外せばいいんじゃね?行ってこいよ!」
「うっ…ぐ…っ」
「三橋ー!田島ー!ミョウジも行きたいんだって!いいよな?」
泉が三橋のケータイを操作して阿部にメールの返信を作っている田島と三橋にそう呼びかけた。
「おー、いんじゃね?三橋もいいよな?」
三橋は横でコクッと頷いた。
「い、いいのかなっ!?阿部はイヤじゃないかな?」
ナマエは田島に訊ねてみた。
「イヤじゃねーだろ。お前ら仲良いじゃん。そんなに心配ならメールで訊いてやるよ。」
田島は三橋のケータイを操作した。
「送信したぞ。阿部ん家向かってる途中に返信くるだろ。三橋は早く着替えろ。」
三橋が着替え終わる頃には阿部から返信が来た。"別に誰が来たってオレは構わねーよ"という返信だったのでナマエは行くことにした。土地勘のある栄口を先頭に4人で自転車を漕いで阿部の家へと向かった。
「ここだな」
"阿部"と書かれた表札のある家に到着した。阿部の弟が「いらっしゃい!」と迎えてくれた。阿部の弟は元荒川シーブリームスの田島に会えて嬉しいらしくて興奮していた。阿部は客間にいた。
「うっすー。ここ客間?なんかちゃんともてなされているような…?」
栄口がそう言った。
「座布団テキトーに使ってな。」
ナマエは「お邪魔します」と言ってから近くにあった座布団を1枚取ってその上に正座して座った。栄口は畳に直にあぐらをかいて座った。三橋は棒立ちだ。
「そーだ!ヒザ!」
田島が阿部弟と一緒に客間に入ってきた。阿部弟はグラスとポカリを持ってきてくれている。ナマエは立ち上がって阿部弟が持ってきてくれたグラスにポカリを注いでみんなに手渡していった。
「お前、新人戦どーなの?」
田島が阿部に訊ねた。
「ギリギリ間に合う」
「ホントにか!?オレ今日かなりきつかったからさー。」
「わりー」
「謝らなくていいけど!怪我したくてすんじゃねーし、オレも崎玉の時迷惑かけたし。でも油断あっから怪我すんだよな!お互い気をつけようぜ!」
「おお!」
「でもお前Ⅱ度だったんだろ。2週間じゃ無理じゃねーか?」
「オレの友達足首Ⅱ度やった時は2ヶ月くらい試合出なかったぞ」
栄口もそう言った。
「私もⅡ度の捻挫で2週間で試合は無理があると思うよ」
ナマエは以前モモカンから借りたスポーツ事故の応急処置の本を読んだのでⅡ度の捻挫がどういうものかという知識は頭に合った。阿部はモモカンの意見を訊ねた。田島曰くモモカンも阿部と同じでギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際だと言っていたらしい。でも田島としては捻挫はちゃんと治さないと癖になるから一旦治療に専念した方がいいという意見だった。
「新人戦と、場合によっちゃ秋大もオレがキャッチャーやるからお前はキッチリ治せ!」
田島がそう言うと阿部は複雑そうな顔で黙り込んだ。ここで阿部弟が夕食の出前を取ろうとメニューを持ってきた。栄口は弟を家で一人で待たせているらしく、自分は先に帰ると言った。
「阿部、オレも完璧に治しちゃうのが結局は早いと思うよ」
栄口はずっと突っ立っている三橋を座らせながらそう言った。それから「じゃ、お先」と言って帰っていった。田島と阿部弟は出前のメニューを見ながら「オレかつ丼!」「オレも!」と話をしている。
「ソバ屋か。オレはかつ丼と豚角煮とうなぎ。」
阿部は3つも頼む気らしい。
「怪我治すには栄養がいいんだって。治るまでは食えるだけ食うんだよ。」
「オレはお前が早く治るように応援してるかんなっ」
田島が阿部にそう言った。阿部は「なーこたわかってんよ」と返事をした。
「阿部が怪我して立ち上がれなくて田島君と三橋君に抱えられてベンチに帰ってきた時は、肝が冷えたよ、私は」
ナマエはその時のことを思い出して身震いした。
「あー、ミョウジもRICE処置あんがとな。お前なんであんなに手際いいんだ?野球もマネジも初心者だろ?」
「マネジになってすぐにモモカンに教わったし、本も読んで頭に叩き込んでおいたからね」
「いくら教わったって、本読んだって、あの場面であんな冷静に対応できんのはお前自身の力だろ。ほんっとに優秀なマネジで助かるよ。」
「…そう言ってもらえるとちょっとは私も気が楽になるよ。私は今日自分って無力だなって思って落ち込んだからさ。」
ナマエと阿部が話し始めたら阿部弟は田島にスイングを見てほしいと頼んで2人で部屋を出ていった。
「無力なんかじゃねーよ。オレは今日あんたに助けられたんだから。これはRICE処置の話だけじゃねーぞ。」
ナマエは阿部がナマエの肩に頭を乗せてきた時のことを思い出した。あんなんで助けになれたのか不安だったけど、なれたって本人が言ってくれてるんだから素直にそのまま受け取ろう。
「で、ミョウジと三橋は何食う?」
ナマエは三橋とメニューを覗き込んだ。
三橋は「……カ……テン……ウナ…」と迷いまくっている。
「何食うんだよっ」
「カッ…ウ…ウナッ」
「………かつ丼とうな重だな!」
「カッ、カカッ、カツ丼でっ」
三橋は阿部の勢いに押されてカツ丼に決めた。
「ミョウジは?」
「私は豚角煮だけでいいや。この後家に帰ったら晩ごはんあるからさ。」
「わかった」
阿部はソバ屋に出前依頼の電話をかけた。その間にテレビから高校野球のニュースが流れ始める。ナマエはそれをチェックしながらノートに情報を書き込んでいった。西浦はこの夏は負けてしまったけど、まだ来年と再来年がある。甲子園優勝を目指すなら今からでも情報収集を開始して早すぎるなんてことはないはずだ。それから阿部が今日の夕刊を三橋に投げてよこした。
「その新聞、今日の結果載ってるぞ」
ナマエは三橋の横からその新聞を覗き込んだ。そしてこれもノートに情報を書き出していく。
「……負けちったな」
「うん」
阿部がテレビを消した。
「メールの」
「へへっ、返信しな、くて、ごご、ごめんなさいっ」
「あーもー件名はいいから、内容の方」
「あ、話、オ、オレも、あっ、ある」
「何?」
「…う、ぐ」
ナマエは三橋が手放した新聞を手に取り、いつも持ち歩いているやぐら表をポケットから取り出して赤ペンで線を引き始めた。
「オレから言う!オレ約束破ったからごめん!」
ナマエはその言葉を聞いて顔を上げて阿部の方を見た。阿部が頭下げていた。
「怪我も病気もしねーでお前の投げる試合は全部捕るって言っただろ?」
「あ、アレ、は、オレ、情けないから、安心」
「そーだけど!オレが捕ればお前が自信持つってのがオレは…嬉しかったのに…悔しいから謝らせろよ!ごめんな!」
「うっ、うんっ」
ナマエはバッテリー2人が大事な話をしているのに自分がこの場にいて聞いてていいものかと迷ったが、今更席を外すのもわざとらしい気がしておとなしくしていることにした。
「それから初めて会った時、首振んなっつってごめん。あれはオレの間違いだったんだ。ごめんな。」
ナマエは胸にグッと熱いものが込み上げてくるのを感じた。
『阿部、ちゃんと謝れたじゃん!あれは間違いだったって認められるようになったんだ!』
三橋は一瞬面食らったような顔をした後、口を開いた。
「オレも、それ、話、あの…オレ今日、首、振ったんだよ。そしたら、田島君、と、相談した、みたくて、オレは、田島君に、頼られた!スゴイよね!」
「うん、スゲー」
「オレは、阿部君に、頼るばっかだった。オレ、オレ、がんばるから、阿部君、オレを、頼ってくれ!」
「わかった、力合わせて強くなろう!」
「うん!」
三橋はニカッと笑った。それはいつも三橋が見せる口をひし形にした変な笑顔じゃなくて、大きく口を広げて両目を閉じて弧を描いて、ちゃんとした本物の笑顔だった。阿部もナマエもその本物の笑顔をまじまじと見た。そして2人は顔を見合わせた。
「三橋君、笑った…ね」
「笑ったとこ、初めて、みた…ぞ」
阿部はもう3ヶ月も一緒にいて三橋の本物の笑顔を見たのが今回初と言う事実にビミョーな顔をしていた。
「あっ、そーだ!ミョウジ、さん、阿部君に…反省会、と、目標…」
三橋は阿部に今日の反省会と目標の議事録を見せたいようだ。ナマエはノートパソコンを取り出した。今日のミーティングの議事録を書いたワードファイルを開いてから阿部に渡した。
「お前ら甲子園優勝かよっ、でっけえなァ」
議事録を見た阿部は三橋とナマエにそう言った。
「私は最初甲子園出場にしてたけど、田島君と三橋君が甲子園優勝を掲げてたからそっちについた」
ナマエは自分の事情を説明した。
「チームの、1つの、目標、するから、明日もっかい、決める」
「監督はなんつってた?」
「かん、監督は、覚悟しろって。目標、決めたら、きびしく、する?、って。」
「録音も再生もおぼつかねーな」
阿部は途切れ途切れに話す三橋の話を聞いてそう言った。
「あと、監督は、全部勝ちたいって、言ったよ!」
「おし、オレも"甲子園優勝"にしよ」
阿部がそう言った。
「え」
三橋はちょっと驚いていた。
「阿部ぇ!!」
ナマエは感激して目をキラキラと輝かせた。
「練習が厳しいのは望むとこだし、まあ…まだ実感はねーけど、監督とお前らと田島が優勝目指すんならオレだってそっち側へ入りてーよ!」
「…うお」
三橋は顔を赤くして嬉しそうだ。
「だよねえ!そう思うよねえ!」
ナマエはもう気持ち的には阿部に抱きつきたいくらい嬉しかったがさすがにそれはやめておいた。ここで田島と阿部弟が届いた出前を持ってきた。
「メシだよーっ」
「食おうぜいっ!」
恒例の"うまそう"の儀式をやってからみんなでご飯を食べた。食べ終わったら田島・三橋・ナマエは阿部の家からお暇する。
「そんじゃーお大事にな」
「ご、ごちそー、さま、でした」
「お邪魔しました」
ナマエは頭をペコッと下げた。
「田島さんありがとーございました!」
阿部弟はすっかり田島に夢中だ。
「おめーらもありがとな」
阿部は三橋とナマエに言った。
「あの、お、お大事にっ」
「合宿は行くから。そん時またな。」
「うんっ」
三橋はまた自然な笑顔でニカッと笑った。
「三橋君、いい笑顔だね」
ナマエも三橋の笑顔につられてニコニコの笑顔になった。
「う?」
三橋は自分が今とても自然に笑えていることに気付いていないみたいだった。
「あははっ、なんでもないよ!」
ナマエは三橋が気付いてないならそれはそれでいいと思ったので、今のナマエの発言は気にしないようにと伝えた。そして自転車にまたがって田島を筆頭に帰途についた。けれど、行きは栄口が案内してくれたので迷わずに阿部宅に到着したが、その栄口がいなくなったので途中で帰り道がわからなくなってしまった。三橋もナマエも埼玉に引っ越してきたばかりなので土地勘があまりない。
「た、田島君、道、わかる?」
「よゆーっ」
田島はそう答えてるわりにはキョロキョロと周りを見回していた。
「わかんなかったら、ケータイの地図機能で調べる?」
ナマエはケータイを取り出そうとした。そこにヒャリリリリンという音が鳴った。
「お?」
ナマエは自分のケータイかと思ったが違った。
「オ、オレだ」
三橋がケータイを取り出す。
「誰?」
「か、叶君」
「お、三星の」
三橋はケータイの画面を眺めた。メールを読んでいるようだ。
「田島、君」
三橋が田島にケータイの画面を見せた。次に田島はナマエに三橋のケータイを渡した。ナマエも叶からのメールを読ませてもらった。
「三星、甲子園優勝目指すのか!」
ナマエは叶のメールを読んで思わず声に出た。
「ライバルじゃん。いいな、三橋!」
田島が三橋に言った。
「!」
三橋は顔を真っ赤にしている。
「オレ、田島君、に、そそのかされて、ないよっ!オレの、目標は、全国制覇、だ!」
田島はそれを聞いて一瞬呆気にとられたが、すぐに満面の笑みになった。
「だよなあああっ」
ナマエは自転車を乗り捨てて田島と三橋の背後から2人の肩に両腕を回してぎゅっと抱きしめた。
「う、お、ミョウジ、さん」
三橋はそんなナマエの行動に驚いたようだ。
「もーお前ら最高!大好き!」
「なんだ、感動しちゃったのか、ミョウジ」
田島はワハハッと笑いながらもナマエの肩に腕を回してきた。
「やろうぜ、全国制覇!」
田島が宣言した。
「「おー!!」」
三橋とナマエは田島の掛け声に応じた。その後田島の後を追うように自転車を漕いでいると見慣れた道に出た。
「あ、私、ここからなら道わかるわ。私の家はこっちだから、じゃーここで!」
「おう、また明日なー!」
「き、気を、付けて、ね!」
「うん、また明日ね!」
ナマエは田島と三橋に別れを告げて、家に帰った。家についたら、ラップをかけた夕食がテーブルに置かれていた。母から"レンチンして食べてね"とのメッセージが残っている。
「そっか、今日は父母会の飲み会に参加するって言ってたっけ…」
ナマエは先にお風呂に入ってからレンチンで温めた夕食を食べた。その後、もはや日課となった高校野球の情報収集作業を行った。
『負けた。でも落ち込んでる暇はない。だって私たちは全国制覇をしてみせるんだから。』
ナマエは今日のこの負けの悔しさをバネにしてもっと高みへと進んでいこうと思った。試合の後、あんなに落ち込んでいたナマエが今こうしてポジティブな気持ちになれたのは、田島と三橋が全国制覇を目標に掲げてくれたおかげだ。
――この世界に来て、西浦高校野球部のマネジになって、本当によかった。あいつらと一緒なら私はまだがんばれる…!
<END>