「おお振りの世界に異世界トリップ 第24章」
7月26日、西浦高校野球部は夏合宿1日目を迎えた。夏合宿はGW合宿で使ったような古民家ではなく学校に宿泊する。今回の合宿は父母会も手伝ってくれるのでマネジとしては大変ありがたい。GW合宿の時はマネジは朝から晩まで3食作成しなければいけなかったが、今回は食事は父母会が担当してくれるそうだ。ナマエの母親も、試合観戦には来ないが夏合宿は手伝ってくれると言っていた。朝、学校に集まった部員たちはまずは父母会が用意してくれた食料を車からおろして宿泊所のキッチンに運び入れることになった。みんなでぞろぞろと列を成して運んでいるとそこに別の車が到着した。その車から阿部が降りてきた。
「お!阿部だ!」
田島が一番最初に気が付いた。ナマエもその声につられて阿部の方を振り返った。
「なつかしー!」
「元気だったかー!」
わらわらと阿部を取り囲む田島・沖・栄口・西広。たった2日会わなかっただけなのだが、毎日ハードな練習をこなして濃い1日を過ごしている野球部員からするとなんだかずいぶん長いこと会ってなかったかのような気分になるのだ。
「歓迎するふりしてオメーらメールの一通もくんねーしよー」
阿部は元気そうだ。もう松葉杖もついていない。ナマエは三橋の方を見た。三橋は阿部に駆け寄りはしないが阿部の登場をすごく意識しているのが見ていてわかった。阿部と阿部母はモモカンにあいさつをしている。ナマエは三橋のそばに駆け寄った。
「三橋君、阿部来たよ。話しかけないの?」
「うお、は、話…でも、じ、ジャガイモ…」
三橋はジャガイモを運んでいる最中だった。おそらく、今はこれを運んでいるから行けないということを言いたいんだろう。
「三橋君!」
そんな三橋をモモカンが呼び止めた。ビクーッと立ち止まる三橋。三橋の後ろでスイカを運んでいた水谷と花井は急に立ち止まった三橋にぶつかりそうになって「おっ」「と、おーっ」と言いながら慌てていた。
「三橋君、ジャガイモは私が運ぶからモモカンのところ行っておいで」
「あ、あ、ありがとう…」
ナマエは三橋からジャガイモが入ったダンボールを受け取った。三橋はモモカンの元へと走っていった。
食材を宿泊所のキッチンに運び入れたら、さっそく練習の開始だ。だけど午前の練習は三橋は不在だ。モモカンからの説明によると阿部は今日病院に行く必要があって、三橋には付き添いをさせることにしたらしい。また、今回の食事はてっきり3食とも父母会が担当してくれるのかと思っていたら、朝食は阿部と三橋の2人で作るんだとか。
『阿部と三橋って料理できるのかな…?』
ナマエはあの2人が料理できるイメージは湧かなかった。少なくともナマエが前の世界のアニメおお振りを見た限りではあの2人が料理するようなシーンはなかった。
『ちゃんとした食べ物出てくるかな…不安だ…』
まあ、最悪、ナマエは朝ごはんは納豆ご飯だけでも構わないけれど、選手たちはそれだけじゃ物足りないだろう。ナマエはモモカンはなぜよりにもよってあの2人に朝食を作らせることにしたんだろうかと疑問に思った。父母会のメンバーが朝から来れないというのが理由ならGW合宿の時と同様に篠岡とナマエが作ればいいのにとも思った。ナマエは4月にマネジになってから母親に料理を教わり始めたし、スポーツ栄養学の本も読んだ。最近では毎週月曜日は家族の夕食をナマエ1人で作れるまでに料理の腕を磨いた(毎週月曜日は部活がミーティングのみの日なので早く上がれるのだ)。GW合宿の頃はナマエはまだ料理初心者だったけど、今なら自信をもって"自分は料理できます"と宣言できる。
『手伝っちゃダメかな…?』
そんなことを考えていたら、午前の練習の終了時刻になった。今日は昼食の前に志賀先生から食事と栄養についての講義を受けることになっている。ちょうどその講義が始まるタイミングで阿部と三橋が病院から帰ってきた。三橋はゼーハーと息切れしていた。選手たちがそんな三橋を見て「大丈夫かー?」と声を掛けていた。
志賀先生の講義はスポーツ栄養学の本を履修済みのナマエにとってはもう知っていることばかりだったが、一応講義の記録を作るためにナマエはメモを取った。
午後の練習が始まった。阿部は怪我をしているのでしばらくの間はベンチでひたすらボール磨きをしてもらうことになった。ナマエはその横でノートパソコンを使って先程の講義の内容の要約をワードファイルに書き起こしていた。そこにモモカンがやってきた。
「阿部君!スポーツ選手用の料理の本持ってきた。これ見て夜までに献立決めて志賀先生にチェックしてもらってね。」
「あ、ありがとうございます…」
阿部は口ではお礼を言いつつも、青ざめていて困惑している様子が見て取れた。
「どーかした?」
「スンマセン!オレらだけじゃ無理です!」
阿部はバッと頭を下げた。
『やっぱそーだよねえ』
隣で阿部の様子を見ていたナマエは予想通りの展開だと思った。
「…そうねェ。じゃ、ナマエちゃん。」
モモカンは横に座っているナマエを呼んだ。
「はいっ!」
ナマエはキリッと返事をした
「それから…千代ちゃーん!と、三橋君!」
モモカンはグラウンドにいる篠岡と三橋のことも呼んだ。阿部・三橋・篠岡・ナマエの4名がベンチに集まったところでモモカンは事情を説明した上で最初の3日間だけは篠岡とナマエも手伝うようにと伝えた。
「でも、ナマエちゃんと千代ちゃんはあくまでサポートで、なるべく2人に作らせてね!」
モモカンは篠岡とナマエに念押しした。
『阿部の病院への付き添いといい、朝食作りといい、モモカンはこの2人に協力して何かをやらせたいんだな。この2人の関係性をなんとか改善しようとしてるんだ。』
ナマエはモモカンがやろうとしていることにようやく気が付いた。おそらく今の阿部と三橋の関係性は阿部が上で三橋が下という上下関係が出来上がってしまっていて、対等な関係性とは言えないし、それは良くないことだとモモカンは判断したのだろう。
「献立は今決めちゃおうか」
モモカンがそう言うと三橋が反応した。
「…あ、の、オ、今、ブ、ルペ…」
「あー、いーよ。オレとミョウジと篠岡で決めとく―――」
阿部は三橋を練習に戻らせようとした。
「それじゃ、ダ メ !」
当然モモカンがそれを阻止した。
『阿部も、頭はいいはずなのに、なんでモモカンの狙いに気付けないかねぇ』
ナマエは変なところで鈍い阿部に呆れてしまった。
「投球練習はあとで時間作ってあげるから献立は阿部君と三橋君で決めてちょうだいね!」
「は、は、はっ、い」
「…はい」
三橋と阿部が返事をした。
「じゃあ、パッパと決めちゃおっ」
篠岡が話を切り出した。
「主食はごはんにする?パンにする?」
ナマエが阿部と三橋に訊ねると三橋は両方ともに頷いた。
「どっちも食う気なの!?」
ナマエはそんな三橋にツッコミを入れた。
「おっまえなァ……」
阿部は呆れている。篠岡はプクッと吹き出した。
「あはははっ、三橋君っておもしろいよねっ」
篠岡はいつもの屈託ない笑顔で笑った。
「おもしろいかあ?」
阿部は同意できないらしい。
「あっ、ご、ごめんね」
篠岡は謝った。
「三橋君はおもろいし、かわいいよ。私は好きだよ。阿部はいちいちそんなことでイラつかないの。ほんっと短気だよねえ。」
ナマエは阿部に言った。
「オレってそんな短気か?」
「阿部が短気じゃなかったら誰を短気と呼んだらいいんだよ?」
「オイ、ミョウジ、てめー言うじゃねえか」
阿部がナマエをジロッと睨んだ。ナマエはそんな睨みは意にも介さない。
「まあまあ、2人とも落ち着いて。で、結局主食はどうしようか」
篠岡が阿部とナマエの間に仲裁に入った。
「米でいーよ。パンだと焼くの面倒だもんな。」
阿部が答えた。
「三橋君もごはんでいい?」
「う、うん」
三橋が頷いた。
「じゃー、次は主菜だね」
ナマエがそう言った。
「じゃ、三橋君」
篠岡は三橋にレシピ本を渡し、この本の4500以上のところから作れそうなものを探してみるようにと提案した。三橋は「う、う、うう」と言いながらキョドっている。
「なんでもいいから言ってみろよ」
「食べたいもので良いんだよ!」
阿部と篠岡にそう促されて三橋は次々と食べたいものを挙げていった。食べ物のことを考えてる三橋は幸せそうだ。ナマエがそんな三橋を『まあ、なんてかわいらしいの』と思いながら眺めていると阿部が「お前んなもん作れんのかよ!」と釘を刺した。三橋は一気に青ざめて「う…う…」と再びキョドり始めた。阿部はイラつき始めている。
「ちょっと阿部!ほら短気!」
ナマエは阿部を窘めた。阿部はハッとして必死にイライラを抑えようとした。
「オ、レ、ハ、ハ、ハム、エッグ…」
「ハムエッグ作れるの?」
篠岡はパアッと明るい笑顔になった。
「…う、うんっ」
三橋は控えめに頷いた。
「じゃあメインはハムエッグにしよっかね」
ナマエはそう提案した。
「そだね。で、納豆も出せばいいんじゃないかな?」
篠岡がそう返した。
「ビタミンとミネラルの意味がわかんねんだけど」
阿部がそう言い出すと篠岡は「あはははっ!」と笑い出した。
「はっ、ご、ごめんね!朝はごはんをたくさん食べられればひとまずいいと思うよ。汁物はあったかいものにして香りで食欲出して、果物は何かつけようか」
「そだねー。あと、たしか朝用にヨーグルトも買ってあったよね。」
ナマエは篠岡の意見に同意した。
「あるね。それで十分だよね。」
篠岡とナマエの会話を聞いていた阿部と三橋は尊敬のまなざしを2人に向けてきた。
「あっ、ごめん!口出しスギたっ!」
「ああ、そだね、阿部と三橋君に決めさせなきゃいけなかったのに」
篠岡とナマエは勝手に2人で話を進めてしまったことに気付いて慌てた。なので、その後、みそ汁の具や果物やハムエッグに添える野菜などは阿部と三橋に選ばせた。
「できたあ~」
篠岡が献立をノートに書き起こしてくれた。
「篠岡、さん、ミョウジ、さん、あっ、ありがとうっ」
「はいっ、明日からがんばりましょー」
三橋がお礼を言い、篠岡がそれに返答をした。
「じゃ、オ、オレ」
三橋は早く練習に戻りたいらしくてソワソワしている。
「おー、行っていいぞ」
阿部がそう言うと三橋はダッと走って投球練習に戻っていった。
「三橋君て練習大好きだよねェ」
篠岡がそう言った。
「そーだけど、そーでなきゃダメだろ」
阿部が答える。
「いやー、あんなに投げるの好きな子はそうそういないでしょ。あれは三橋君の才能だよ。」
ナマエは素直に三橋を褒めた。
「でもスッゲー助かったよ。オレと三橋じゃどーにもなんなかったもん」
阿部は篠岡とナマエに感謝の言葉を述べた。
「えーそんなことないと思うよー」
篠岡は謙遜している。
「いや、私は阿部と三橋君が朝食担当と聞いた時から不安でいっぱいだった」
一方、ナマエは率直な感想を述べた。
「そーだよ。だってオレらが考えてたのごはんと納豆と生卵と海苔だぞ。」
阿部はそう言った。篠岡はアハハハッと笑いながら「でもそれあと果物あれば案外いーと思う!」と言った。
「マジで?じゃあ4日目はそれにすっか」
「えー、それは手抜きすぎー!」
ナマエは阿部に抗議した。
「だよなァ。3日間で煮たり焼いたりを教えてくれよ。」
「「はーい」」
篠岡とナマエは返事をした。
「じゃー、食材チェックして買うものあれば頼んでおくね」
篠岡は裏グラから出ていこうとした。
「千代ちゃん、私も行くよ」
「あ、いいよ。ナマエちゃんはまだ講義記録の作成中だよね?それ続けてて。こっちは私1人でできるから。」
「ほんと?ありがとね。じゃー、お願いします。」
ナマエは明日の朝食の献立を考えるために一時中断していた志賀先生の講義内容の要約作業を再開した。それが終わった後はジャグのドリンク補充をしたり、ノックのボール渡しをしたりして過ごした。合宿中は17時のおにぎり休憩はないのでだいぶ楽だ。17時半には練習を終えてみんなで学校の宿泊所に戻った。
18時からは選手たちと一緒に夕食の時間だ。夕食は父母会の母親たちが作ってくれた。とてもおいしい。ナマエはまだ父母会が発足していなかったGW合宿の食事作りの時のことを思い出して、今回父母会からの協力が得られたことに心から感謝した。夕食が終わると選手たちは食休みで仮眠を取る。その間、マネジの篠岡とナマエは父母会の母親たちと一緒に食べ終わった食器を洗ったりテーブルを拭いたりと色々と片づけを手伝った。
19時からは1時間お勉強タイムを設ける。ナマエは今日も泉に勉強を教えて過ごした。ちなみに父母会のメンバーはこの時間に選手たちの夜食用のおにぎりを作ってくれて、それが終わると帰っていく。
20時には選手たちは夜練がある。一方、マネジの篠岡とナマエはこの時間にお風呂を済ませる。
21時には選手たちは夜練を終えてお腹を空かせて帰ってくるため、マネジの篠岡とナマエは父母会のメンバーが作ってくれた夜食のおにぎりをみんなに配った。配り終わったらおにぎりを乗せていたトレーを洗う。
21時半からミーティングと日誌記入して、23時には眠りに就いた。
そうして西浦高校野球部は夏合宿1日目を終えたのだった。
<END>