「おお振りの世界に異世界トリップ 第38章」
8月中旬、甲子園観戦旅行を終えてから初の月曜日を迎えた。西浦高校野球部では毎週月曜日は学校の空き教室でミーティングを行うことになっている。そしてミーティングを終えた後はそのまま解散だ。月曜日は練習はお休みの日なのだ。そして今日はナマエは三橋と一緒に田島家で夕食をごちそうになる約束をしていた。
事の発端は甲子園観戦旅行開始前にまで遡る。田島と三橋が甲子園観戦旅行の行きの夜行バスに遅刻しないように自転車で2人の家まで迎えに行くことにしたナマエは会話の流れで三橋は月曜日は田島家で夕食を食べているということを田島から知らされたのだ。そんなこと聞かされたらナマエも田島の家に行ってみたくなった。しかも甲子園観戦旅行初日に田島を迎えに行った時、ナマエは田島と三橋が田島家ではお互いに下の名前で呼び合っているという事実も知ってしまった。
『なんか知らない間にすっごい仲良くなっちゃって…いや、それ自体はいいことなんだけど、そんなのなんか嫉妬するじゃん!』
ナマエはそう思った。こうなったら絶対に自分も田島家での夕食に参加させてもらおうと思ったのだ。そして今日ようやくその日がやってきた。
「三橋ー!ミョウジー!」
田島が三橋とナマエを呼んだ。三橋とナマエは田島のもとへと駆け寄る。
「今日の夕食は19時だってさ。だからそんくらいにうちに来てくれ。」
ナマエは「了解!」と答えた。三橋も「わ、かった…!」と言いながら頷いている。
「三橋君、一緒に行こうよ。甲子園観戦旅行の初日と同じで私が自転車で迎えに行くからさ。」
「う、うんっ、いいよっ!」
三橋は口をひし形に尖らせて嬉しそうにしている。ナマエはそんな三橋を見ながら『私も4月と比べたらだいぶ三橋と仲良くなれたよな』と思った。ナマエは胸がホカッとした。
「じゃ、また後でね」
ナマエは田島と三橋に別れを告げ、篠岡のもとへ向かった。今日は篠岡とナマエは17時まで教室に残って他校のデータ収集・解析作業をするのだ。というもの実は今は新人戦期間の真っ最中なのである。昨日の1回戦では西浦は無事に戸田市立に勝利した。なので数日後には2回戦が控えているし、それに勝てば来週には3回戦もある。それに新人戦が終わって9月になったら今度は秋大地区予選が始まる。夏大が終わったのでどの学校も3年生は引退して新しいチームになったところだ。新しいチームの情報をいかに早く集めるかが秋大突破の鍵となる。そんなわけでマネジの篠岡とナマエはここ最近は空いている時間はひたすら他校のデータ収集・解析作業に費やしていた。今日も篠岡とナマエは手分けしてデータ収集・分析作業を黙々と進めた。
「よし、新人戦の対戦相手候補のデータ集めは現時点ではもうこのくらいが限界だね」
篠岡は作業が一段落したらしく、「ふぅ…」と息を吐きながらそう言った。
「私も南部地区の強豪校の情報収集はおおかた終わったよ。まあ、まだ新人戦始まったばかりだから今の段階では露出のない学校も多くて未完成のデータだけどね。」
ナマエはノートパソコンを操作しながらそう言った。
「それは私も同じだよ。選手名鑑と新聞とテレビのニュースくらいしか情報ないもん。情報が集まってくるのはこれからだよね。」
「うん。これからも毎日新人戦の情報収集欠かさずにやっていこうね。」
ナマエがそう言うと篠岡は「そうだね」と言って笑った。
「さー、もう17時だ。帰ろー!」
ナマエはそう言って机の上を片付け始めた。篠岡もノートや新聞や筆箱をエナメルバッグにしまっていく。そうして教室を出た篠岡とナマエは校門のところで別れを告げて帰途に就いた。
家に着いたナマエは田島家に行く前にシャワーを浴びることにした。初めて田島家の人々にちゃんと対面する今日、一応身だしなみを整えておこうを思ったのだ。まあ、田島家に行く間に自転車を漕ぐのでどうせまた汗をかくことになるのだが…それでも浴びないよりは多少はマシだろう。それからナマエはクローゼットを開けて清楚めのお洋服を探した。
『これでいいかな?』
ナマエは襟付きの半袖トップスに膝下丈のAラインスカートを選んだ。それからヘアアイロンでいつもより丁寧に髪を整えた。
「これでよし!じゃ、お母さん、田島君の家に行ってくるね!」
ナマエは母親にあいさつをして家を出た。まずは自転車で三橋の家へ向かう。三橋の家はナマエの家から自転車で10分の距離なのですぐに三橋家に到着した。ナマエは三橋家の玄関のインターフォンのボタンを押した。するとダダダ…ッという音がし始めた。その音は少しずつ玄関へ近づいてくる。そしてガラッと玄関が開いた。玄関を開けたのは三橋だった。
「おおっ、今日はお母さんはいないの?」
「うんっ、し、仕事…!」
「そっか、共働きなんだっけ」
「うんっ」
三橋はコクコクッと首を何度も縦に振って頷いた。
「もう準備はできてる?」
「できてる、よっ!」
「じゃあ、行こっか」
ナマエがそう言って自転車を停めてある門の方へ歩き始めると三橋がゴニョゴニョっと何かを言った。
「ん?ごめん、なんか言った?聞こえなかった。」
ナマエがそう言うと三橋は顔を赤らめてあたふたし始めた。
「どーした?私は阿部と違って怒らないよ。言ってごらん?」
ナマエが三橋の顔を覗き込むようにしてそう言うと、三橋はゆっくり話し始めた。
「…あ、あの……、ミョウジっさん…っ、今日、いつもと、な…なんか…違う……?」
「え?ああ、制服とか運動着じゃなくて完全に私服だからかな?」
ナマエはスカートの裾を持ってフワッと広げて見せた。
「どう?かわいい?」
ナマエは冗談でそう言った。すると三橋は顔を真っ赤にして蚊の鳴くような小さな声で「……かっ、かわい、い…です」と答えた。ナマエはまさかあの三橋がそんなことを言ってくれるとは思っていなかったので驚いた。
「あ、ありがとう…」
ナマエは自分から"かわいい?"なんて訊ねたくせに三橋に褒められたら何だか恥ずかしくなってきてしまった。三橋とナマエは2人して顔を真っ赤にしてしばらくの間突っ立っていた。
「あ、三橋君、もう行こ!遅れちゃうっ!」
少し時間を置いて冷静さを取り戻したナマエはそう言って自転車に乗って走り出した。三橋もナマエの後を追いかけてくる。
「ごめん、三橋君、先走ってくれない?私まだ道覚えてない!」
ナマエが三橋にそう声を掛けると三橋は「うんっ」と言ってナマエの前に走り出た。三橋の後を追っていくと田島の家に到着した。三橋は田島家の玄関のインターフォンを押した。
「はーい?」
インターフォンから女性の声が聞こえる。
「こんばんはっ!レン、です。」
「レン!いらっしゃい。玄関の鍵開いてるから入っておいで!」
インターフォンの音声はプチッという音とともに切れた。三橋は勝手知ったるといった様子で田島家の玄関をガチャッと開け、田島家に入っていった。ナマエも三橋の後を追って入室する。
「こ、こんばんはーっ」
三橋が玄関口でそう言うと若い女性が顔を出した。
「レン、待ってたよ。もうすぐ晩ごはんできあがるからね。」
若い女性は三橋に声を掛けた。それから三橋の後ろに立っているナマエの方を見た。
「あなたがマネジの子かな?」
「はい!西浦高校1年9組ミョウジナマエです。野球部のマネジやらせてもらってます。今日はお世話になります。」
ナマエはバッと頭を下げた。
「ナマエちゃんっていうのね。私は悠の姉の佳乃子です。よろしくね。2人とも洗面所で手を洗っておいで。」
「「はいっ」」
三橋とナマエは田島姉に返事をした。そして三橋は「洗面所、は、こっち、だよ」と言ってナマエを案内する。三橋とナマエが手を洗い終わってダイニングルームに入っていくともう田島家の人たちがテーブルに集まっていた。田島もいる。
「おっす!」
田島が三橋とナマエに向かって右手をあげてあいさつした。
「おおっ、レン!それにナマエもいるじゃないか。」
田島の祖父が三橋とナマエの姿を見つけて声を掛けてきた。ナマエは田島の祖父には甲子園観戦旅行初日に一度会って自己紹介をしたことがある。なのでナマエは田島祖父からはもう下の名前で呼ばれている。
「レンとナマエはオレの隣の2席な」
田島がそう言った。田島は田島祖父に影響されてさっそくナマエのことを下の名前で呼び始めたようだ。ナマエは田島に下の名前で呼ばれて内心ギクッとなった。
『なんか…慣れないなァ』
ナマエはそう思いつつ、田島の言葉に従って席に着いた。
「さあ、じゃあごはんにしましょうね!」
テーブルにお皿を並べ終えた田島母がそう言って席に着いた。これで全員着席だ
「よっしゃー!うまそう!」
田島が当然のごとく"うまそう"の儀式を始めた。
「「うまそう!いただきます!」」
そして三橋とナマエは田島の"うまそう"の声を聞いたら反射でそれに続いた。
「ほう、ナマエもしっかり野球部の一員なんだな」
田島祖父は"うまそう"と言ったナマエを見て感心した様子でそう言った。
「へえ、キミが野球部のマネジの子か。ナマエっていうのか。」
若い男性がそう言った。
「悠、ナマエちゃんのことみんなに紹介してちょうだい」
田島母が田島に向かってそう言った。
「おお、そうだった!」
田島は口いっぱいに含んだごはんをゴクンッと飲み込んだ。
「じーちゃんとお母さん以外は初めて会うよな?野球部のマネジのミョウジナマエ。マネジは2人いるって前に話したけど、今日来てんのはオレと同じクラスの子な。パソコンを使ったデータ分析とか資料の作成が得意なんだ。」
田島はナマエのことをそう紹介した。
「ただいまご紹介に預かりましたマネジのミョウジナマエです。どうぞよろしくお願いします。」
ナマエは立ち上がって自己紹介をし、みんなに向かって頭を下げた。すると今度は田島家の人々が順番に自己紹介を始めた。田島家には曾祖父母・祖父母・両親・兄2人・姉2人・義姉1人がいるらしい。田島家が大家族だというのは知っていたが、改めてこの人数を紹介されるとなかなか迫力があった。
「野球部のマネジの仕事はどうだ?大変か?」
田島の上の兄がナマエに声を掛けた。
「はい、大変ではあります。でもやりがいを感じられるので楽しいですよ。」
「ナマエはなんで野球部のマネジをやろうと思ったんだ?もともと野球ファンなのか?」
「いえ、高校に入るまで野球とは無縁の人生でした。マネジになった理由は…―――」
ここでナマエは返答に迷った。まさかナマエが異世界からこの世界(おお振りの世界)にトリップしてきたことを話すわけにはいかない。ではなんて答えるべきなのだろうか。ナマエは必死に考えた。
「理由は…なんていうか、なりゆきです。入学式の日にグラウンドの近くで監督に出会って、"野球部に興味があるのか?"って訊かれて、ノリで見学に行って、それから三橋君が因縁のある中学時代のチームメイトと練習試合をするって聞いて…それで力になりたいと思ったんです。」
ナマエは嘘はつきたくなかった。なので余計なことは言わないように気を付けつつ、入学式初日の出来事を思い出しながら自分の身に起きた出来事を淡々と話した。
「え、それってつまりレンのためってことじゃない?」
田島の下の姉がそう言った。それを聞いた三橋はビクッと跳ね上がった。
「え…、もしかしてレンとナマエってそういう関係なの?」
田島の下の兄が驚いた顔でそう訊ねてきた。
「いやいやいや!違いますよっ!」
ナマエは顔を真っ赤にして慌ててその疑惑を否定した。三橋も顔を真っ赤にしてブンブンッと首を横に振っている。
「レンとナマエはそういうんじゃないよ。ナマエはレンのこと息子とか弟みたいにかわいがってんだよ。頑張り屋の健気な小さい子を応援するみてーな感覚だよ。な?」
田島がナマエに助け舟を出してくれた。
「そうそうそう!!恋愛感情じゃないんですっ。庇護対象なんですっ。」
ナマエがそう言うと田島の義姉が「その気持ち、ちょっとわかるなぁ」と言った。
「私も赤の他人のなのにレンのことは息子みたいにかわいがりたくなるもの」
「ですよね、ゆずさん(田島の義姉)はわかってくれますか!」
ナマエは田島の他にも理解者が表れてホッとした。
「えー、ゆずさん(田島の義姉)はレンより年上だからそうなるのもわかるけどナマエはレンとタメだぞ?」
田島の下の兄がそう言った。タメの男子を息子or弟みたいにかわいがる女子というのはイマイチピンとこないらしい。
「ナマエちゃんは大人びてるからね」
田島母がフォローしてくれたがナマエは内心『大人びてるというか、私は中身はとっくに大人なんです…ごめんなさい』と心の中で謝罪をした。
「へー。レンとそういう関係じゃないって言うのはわかったけどさ、じゃあ他に誰かと付き合ってたりする?」
田島の下の兄がナマエに訊ねた。
「ないです」
「そっかー。野球部の女子マネだったら選手の誰かと付き合ってたりするんかなって思ったけど違うのか。」
田島の下の兄はそう言って肩を落とした。
「まだ入部してから半年も経ってないんだし、そういうのはこれからなんじゃない?」
田島の上の姉がそう言った。
「そうよね、まだ高校1年生の夏だもん!ナマエちゃんもレンも悠も恋人ができたらちゃんと教えてね。」
田島の下の姉はそう言いながら目をキラキラと輝かせた。
「悠とレンも彼女いないんだったよな?作ろうとは思わないのか?」
田島祖父が2人に問いかけた。
「ん-、オレは今のところ野球で手一杯だよ。恋愛してる暇ない。」
田島がそう返事をした。
「レンは?」
「オレ…のこと、好き、に、なってくれる人、いないから…オレには、関係…ない、デス」
三橋は淡々とそう言った。
「いやいや、三橋君のこと好きな人、きっとこれからたくさん現れると思うよ。甲子園優勝したらやっぱ1番注目されるのは投手でしょ!1~2年後には三橋君は絶対西浦のモテ男になってるって!ってか私は既に何度か夏大の試合を観に来てたクラスメイトの女子から"三橋君に彼女はいるのか"って訊かれたことあるし。」
ナマエがそういうと三橋は「う、え、オ…オレが…!?」と言いながら目を見開いていた。
「レン、さすがじゃん!投手なんだもんね。」
田島の下の姉はそう言った。
「ナマエはレンのことまだ名字で呼んでるのか?もうチームメイトになってからもうすぐ半年だろ。いいかげん名前で読んだらどうだ?」
田島祖父がナマエに向かってそう言った。ナマエは困惑した。
『三橋のことをレンって呼ぶの?どうしても気恥ずかしいな…――』
ナマエがそうして躊躇していると田島祖父は今度は三橋に矛先を向けた。
「レンはナマエのことなんて呼んでるんだ?」
「えと…、ミョウジ…さん、です」
「レンもまだ名字呼びか。なんでだ?レンとナマエはクラスも同じだし仲良いんだろ?"レン"と"ナマエ"って呼び合えばいいじゃないか?」
田島祖父にそう突っ込まれて三橋とナマエの間には気まずい空気が流れた。
『ど、どうしよう…この状況…』
ナマエが頭を抱えていると田島祖父は「試しに1回呼んでみな」と言った。
「ほれ、まずはレンから!」
田島祖父に促された三橋はナマエの顔を見た。そして顔面蒼白になったり、逆に頬を赤らめたりと百面相をしながら「あ、う…その…」とモジモジし始めた。ナマエは『こりゃダメそうだな』と思った。しかし、次の瞬間、三橋は「あ、あの…、ナマエ…ちゃ、ん!」と呼んだ。さすがに呼び捨てはできなかったらしい。ナマエは三橋に下の名前で呼ばれて気恥ずかしい気持ちになったが、一方で三橋との距離が縮まった気がして嬉しくなった。
「レン!」
ナマエは三橋の下の名前を呼び捨てにした。さっきまで三橋のことをレンと呼ぶのは恥ずかしいと思っていたのだが、三橋が勇気を振り絞って下の名前で呼んでくれたのだから自分もその気持ちに応えたくなったのだ。
「おお、いいじゃないか」
田島祖父はそんな2人の様子を見て、褒めてくれた。
「ナマエ、オレのことも悠とか悠一郎って呼び捨てでいいからな!」
田島がナマエに言った。
「うーん、"ユウ"だと栄口君と被るんだよね。栄口君は下の名前"ユウト"だからさ。だから私は悠一郎って呼ぼうかな。」
ナマエはそう言った。田島は「へー、栄口ってユウトっていうのか~」と言いながらごはんを頬張っていた。
そうやって雑談をしながら夕食を食べ終わると時刻は20時半になっていた。ナマエは食器洗いを手伝おうと思って田島母に名乗り出たが、田島家には田島姉2人も田島の兄嫁もいるので手伝いは不要だと断られた。それならば西浦高校野球部は明日も朝から練習があるので三橋とナマエはここらでお暇させてもらうことにした。
「夕食、ごちそうさまでした!とてもおいしかったです。」
ナマエは田島家の家族に向かって深々と頭を下げた。
「よかったらまた来週も来てね。もっと色々お話聞きたいし、今度は女子だけでガールズトークでもしようよ!」
田島の下の姉がそう言った。
「わあ、したいです!」
ナマエはガールズトークと聞いて目をキラキラと輝かせた。やっぱり女子には女子の間でしか話せない話というものがあるのだ。それに田島家の女性陣と仲良くなれるのは嬉しい。
「レンもまた来週来るよな。待ってるぞ!」
田島祖父が三橋に話しかけた。三橋は「はいっ!」と言ってニカッと笑った。
『あ、三橋の本物の笑顔だ!あの貴重な笑顔を田島家では惜しげもなく披露しているってわけ?なんか悔しいな~。』
三橋とナマエが玄関で靴を履いていると田島が見送りに来てくれた。
「レン、ナマエ、気を付けて帰れよ」
「田島く…じゃなかった…!悠一郎、今日はありがとうね。」
ナマエは田島にお礼を言った。
「おう、また来週も来いよ!」
田島はニカッと屈託のない笑顔を見せた。
「うん!…じゃ、私たちはもう行くね。」
ナマエは玄関の扉をカチャッと開けた。
「ゆうくん、また明日!」
三橋は田島が相手の時はあまりどもらず話せるようだ。それに気づいたナマエはまた少し悔しい気持ちになった。
田島家の玄関を出て門の方へ歩いていると「またなー!」「もう暗いから気ィつけろよ!」と言う声が聞こえてきた。振り返ると田島家の家族が縁側に集まっていた。窓越しにお見送りをしてくれてるみたいだ。三橋とナマエは右手をあげてみんなに手を振った。それから自転車のサドルに腰かけ、家に向かって自転車を漕ぎ始めた。
「あ、あの、ナマエっ…ちゃんっ!」
自転車を走らせていると三橋がナマエのことを呼んだ。下の名前で呼ばれるのにまだ慣れてないナマエはギクっとした。
「ど、どうしたの?」
ナマエは自転車を漕ぐのをやめて立ち止まった。
「あ、あの、その……、あ、ありがとう」
三橋はナマエにお礼を言ったがナマエは何に対するお礼なのか見当がつかなかった。
「なんでありがとう?」
ナマエは首を傾げながら三橋に訊ねた。
「あ、あの…野球部、マネジ、なってくれたの…オレが三星と試合するからって、心配、してくれたって……」
ナマエはその言葉を聞いてようやく三橋のお礼の意図がわかった。
「ああ、それか!いいんだよ、私が勝手にみは…じゃなくてレンのこと応援したくなっただけだからさ。がんばってるレンを見てると私も勇気が貰えるんだよね。だから私はレンを応援することで自分自身が救われてるの。だからお互い様…っていうかむしろ私の方がお礼を言わなくちゃ。いつも私に勇気をくれてありがとうってね。」
ナマエがそう言うと三橋は顔を赤くして「うおお!!」と言っていつもの不器用な笑顔で笑った。
「これからも一緒にがんばろう」
「うんっ!」
三橋は口をひし形に尖らせ頬を赤くしていた。とても嬉しそうだ。
「じゃ、早く帰ろう!明日も練習だし、数日後には新人戦2回戦だよ。気合いれてこー!あと、怪我をしないためには休養がとっても大事なんだってモモカンが言ってた。ゆっくりお風呂に入って、しっかり寝て、明日からまた元気に部活に励もう!」
ナマエがそう言うと三橋は「おうっ!」と元気に返事をした。そして三橋とナマエは再度自転車を漕ぎ始めた。途中の分かれ道でナマエは三橋に別れを告げた。それから10分程自転車を漕いだらナマエの家に到着だ。時刻は21時になろうとしていた。ナマエは急いでお風呂に入った後、毎日の恒例作業となっている埼玉新聞のスポーツ欄の確認と地元TV局の高校野球ニュースの視聴した。それを終えたらあとは明日の練習に備えて眠るだけだ。ベッドに入ったナマエが目を閉じるとすぐに眠気がやってきた。今日はミーティングでは次回の対戦校のデータ収集・分析結果の発表をさせられたし、その後は篠岡と他の学校のデータ収集・分析作業を進めたし、その上田島家で夕食を食べさせてもらって楽しかったけど色々と動揺することもあった。そんなわけで今日のナマエはお疲れモードだ。
『モモカンは休養もトレーニングの一環だって言ってたしな』
そんなことを考えながらナマエはスーッと深い眠りに落ちていった。
野球部マネジの多忙な1日が今日も無事終わった。
<END>