「おお振りの世界に異世界トリップ 第45章」
秋大地区予選1回戦の翌朝、ナマエは普段よりも遅い時間に起きてゆっくりと支度をしてから学校に向かった。普段のナマエは野球部の朝練があるので朝7時半には裏グラに到着するように家を出るのだが、なんと今日は珍しく朝練がない日なのだ。というのも今は秋大期間中であり、昨日秋大地区予選1回戦を突破した西浦高校野球部は数日後には2回戦を控えているためモモカンから今日は朝練はお休みにして十分に休養を取るようにとの指導があったのだ。ちなみに野球部の選手たちは9月からは昼休みにも自主練するようになったが、今日は昼練も休みなさいとモモカンから言いつけられている。ただし、放課後の部活は普段通り行う予定だ。
ナマエは朝7時50分に1年9組のクラスに到着した。浜田がもう来ている。ナマエは浜田に「おはよう」とあいさつをした。それから教室を見回すと三橋の机にカバンが置いてあるのが見えた。
『三橋が朝練でもないのに早く到着するって意外だな?どこ行っているんだろう?』
ナマエはそんなことを考えながら次に田島と泉の座席を確認した。田島も泉もまだ来ていない。ナマエは自席に着いて家から持ってきた埼玉新聞を広げて秋大の他校の情報をチェックし始めた。そして事前に印刷しておいたやぐら表に赤ペンで線を引いていく。
「よっ、ミョウジ」
誰かに名前を呼ばれてナマエが顔を上げると登校してきたばかりの泉が立っていた。
「おはよう、泉君」
「もう次の対戦相手のデータ収集してんのか?さすがだな。」
「そりゃ私はマネジだからね。私は私のやるべき仕事をちゃんとこなして、みんなを甲子園に連れていけるよう最大限の努力をするよ!」
ナマエはそう言ってニカッと笑った。泉はそんなナマエの言葉を聞いて「頼もしいマネジでホント助かるぜ」と言った。
「ちなみに次の対戦相手は今日の午前中の試合で決まるんだよ」
「そうなんか。じゃあ、昼になったらケータイでニュースをチェックしないとな。」
「うん、わかったら資料作成開始する!」
「おー、頼んだ」
泉とナマエがそんな会話をしていると田島が登校してきた。
「おっす、泉!ミョウジ!」
田島は今日も朝から元気いっぱいだ。ナマエは田島に「おはよう」とあいさつを返した。
「ミョウジ~、これうちの親からの差し入れ!」
田島はそう言ってビニール袋を差し出してきた。
「おお、ありがとう!助かる。」
ナマエは田島にお礼を言ってビニール袋を受け取った。中を見るとシャケフレークとおかかが入っている。
「あ、そうだ!オレも今日差し入れあるんだ!」
泉はそう言ってエナメルバッグの中を漁り始めた。そして保冷バッグを取り出した。
「これ、生モノなんだよ。保冷バッグの中に入れてきたし、保冷剤も一緒に入れてあるからすぐに痛むことはないと思うけど、やっぱ数学準備室の冷蔵庫に入れといた方がいいか?」
泉はそう言った。ナマエは教室の時計をチラッと見た。まだ8時になったところだ。今から数学準備室に行っても朝のホームルームまでには教室に帰ってこれるだろう。
「泉君、ありがと!私、今のうちに数学準備室に置いてくるよ。ついでに他のクラスの野球部にも差し入れ持ってきてくれてる人いないか聞いてみる。」
「おお、わりぃな」
「いーえ!」
ナマエは席から立ち上がり、田島と泉から貰った差し入れを持って教室を出た。まずは7組に顔を出そうと思いながら廊下を歩いていると7組の教室の前に三橋と阿部の姿を見つけた。何かを話しているようだ。
「あ、おーい!」
ナマエは"三橋くーん!阿部ー!"と2人に声を掛けようとした。その時だった。
「聞こえねェ!」
阿部が大きな声で三橋に向かって怒鳴った。阿部は普段から声量がデカいが、その比にもならないくらいの本物の大声だ。近くを歩いていた生徒たちも阿部のあまりの声のデカさにビクッとなっていた。阿部の声量のデカさにはもう慣れているナマエですらも一瞬ビビって足が止まった。
「故障したくて故障するやつぁいねェよ!」
阿部は再び大きな声で三橋に向かって怒鳴った。ナマエは慌てて阿部と三橋のもとへと駆け出した。
「ちょっと!阿部!なんつー声出してんの!」
ナマエは阿部と三橋の間に割って入った。7組からは水谷と花井と篠岡(と篠岡の女友達)が驚いた表情で教室から出てきた。
「う、う、うぐ~~」
三橋はそう言いながら両腕で目から溢れる涙を拭った。
「三橋君、大丈夫?」
ナマエは大声で阿部に怒鳴られた三橋のことが心配だった。でも三橋はしばらくゴシゴシと腕で涙を拭った後、再び顔を上げて阿部の方をピッと見た。
「じゃあ、あ、阿部君は、さ、オ、オレの球で、優勝できると、思ってるの、ですかっ。オレは、思わない。」
三橋はどもりながらではあるが阿部の顔をまっすぐ見てキッパリとそう言った。ここで花井と水谷も仲裁に入ってくれた。
「何言い争ってんの」
花井は阿部にそう訊ねた。阿部は黙り込んだまま何も返さない。水谷は三橋に「どしたー」と声を掛けている。
「な、なにも!オレは、なんでも…。また、話す、あとで。」
三橋は水谷にそう答えた。時計を見るともうすぐ朝のホームルームが始まる時間になっていた。
「阿部君、また、あとで!」
三橋はそう言って9組に向かって走り出した。
「あ、ちょっと、三橋君!待って!」
ナマエは三橋を追いかけたが運動部男子に追いつくはずもなかった。
「みーはーしーーーー!!」
ナマエが大きな声で三橋を呼ぶと三橋はハッと我に返って立ち止まった。
「あ、ミョウジさ…、ん。ご、ごめん…!」
三橋が立ち止まってる間にナマエはようやく三橋に追いついた。
「さっきのあれ、何なの?ちゃんと説明してよー!」
「あ…っと、その…」
「阿部と喧嘩?」
「喧嘩じゃない、よ!」
三橋とナマエがそんな会話をしながら9組の教室に入っていくと田島と泉と浜田が駆け寄ってきた。
「おー、三橋。お前今までどこいたんだ?喧嘩って何の話?」
泉はそう訊ねてきた。
「オレが登校した時、三橋は7組の教室の前にいたよ。阿部を待ってるっつってたよな。阿部となんかあったのか?」
今度は田島がそう言った。
「う…っと、オレ、バックスピン練習したい、って、言った…。そしたら、あ、阿部君が故障するかもって…。」
三橋はナマエたちにそう説明した。
「へー、バックスピン練習したくなったんだ?なんで今更?」
ナマエがそう訊ねると三橋は昨日の試合後に榛名から"バックスピン練習しろ"って言われたことや昨日武蔵野第一にまっすぐをライナー性のヒットにされたことをどもりながらゆっくり説明した。
「あー、なるほどね。でもなんでバックスピン練習すると故障するって話になるの?」
ナマエが再度質問すると田島が口を開いた。
「そりゃ今まで自然に投げてたフォームを意識して変えてバックスピンにしようってんだから多少なりとも肩とか肘とかに負担がかかるだろうな」
「そういうもんなのか…」
ナマエはそう言って頭を抱えた。たしかに三橋のまっすぐは昨日武蔵野第一に捉えられてしまった。三橋本人が言っていたが、今の三橋のままで甲子園優勝という目標が叶えられるかと言われると…正直ナマエも自信をもって今のままでいいとは言えない。もちろん今の三橋も投手として充分魅力的だし立派なエースだとナマエは思っているが甲子園優勝という高い目標を達成するにはもっと球速を上げるとか球種を増やすとか何かしらの改善は必要になるだろう。一方で阿部が三橋の故障を心配する気持ちもわかる。
「オ、オレ…昼、また、あ、阿部君と話す…から、食堂行く」
三橋はそう言った。
「おー、じゃあ、オレらも一緒に行こうぜ」
田島が泉とナマエと浜田の方を向いてそう言った。ナマエと泉は「オッケー」と返事をした。浜田は「野球部内の大事な話だろ?そしたらオレは遠慮しとくよ。」と言った。そこに担任の教師が教室に入ってきた。
「はーい、じゃあ朝のホームルーム始めまーす」
その声を聞いたナマエたちは慌てて自席へと戻った。
授業1限目が終わった後の休み時間、ナマエは7組に向かった。花井と水谷と阿部に何か差し入れがあるなら数学準備室に持っていくから今渡してほしいと頼むためだ。まずは花井に話しかけた。
「あー、あるぜ。生モノじゃないから別に後でもいいかと思ってたんだけど。」
花井はそう言いながらエナメルバッグを漁った。そして差し入れをナマエに渡しながら「つか今朝のアレなんだったんだ?三橋からなんか聞いてっか?」と訊ねてきた。
「事情はちょっと聞いたよ。そっちは阿部から聞いてないの?」
「あいつ、朝からずっとムスッとしててろくに口もきかねーの」
花井のその言葉を聞いたナマエが阿部の方を見るとたしかに"話しかけんな"オーラが出ていた。
「あーらら…」
ナマエが呆れた顔をしていると水谷が近づいてきて「ね、やばいでしょ」と半笑いで言った。
「あのさ、三橋君がお昼また話したいって言ってたから今日のランチは食堂に集合しようよ」
ナマエがそう言うと花井と水谷は「わかった」と返事をした。ナマエは"話しかけんな"オーラを出している阿部には声を掛けずに7組を出た。それから3組と1組にも寄って差し入れを回収したナマエは数学準備室にそれらを置いてから9組の教室へと戻った。
お昼休み、田島・三橋・泉・ナマエの4人はお弁当を持って食堂へと向かった。そこでは花井・水谷・栄口・巣山が既にテーブルに集まっていた。阿部の姿はない。
「あの、阿部君は?」
三橋が花井に訊ねた。
「来るっつってたけど、お前ら朝のは何だったんだ?」
花井は三橋にそう言った。結局あの後も阿部は口を割らなかったようだ。
「あ、の、え、は、榛名さんが、オレのこと、バックスピンが、練習…。阿部君は、心配して…、オレ、オレ…オレが、ダメだから…」
三橋は一生懸命事情を説明してくれているのだが、花井と水谷は三橋語がわからないらしく困惑した表情を浮かべていた。
「だからオレ…」
三橋は話を続けながらお弁当箱のフタを開けた。ごはんを見た三橋は急に顔をキラキラと輝かせ始めた。
「オレ、ごはん食べるよ!」
三橋のお弁当の中身を見た水谷は「わー、うまそーじゃん」と言った。
「ま、腹減ってると考え下向くからな、食うか」
花井も三橋語はあまり理解できなかったようだが、まずは腹ごしらえをしようと提案した。野球部は食前の恒例の"うまそう"の儀式をやってから昼食を食べ始めた。野球部男子がお弁当を食べ終わったところで阿部が登場した。昼食はもう別のところで済ませてきたらしい。三橋と阿部の間で何かが勃発してると聞いた野球部員たちは好奇に満ちた目で阿部をじいっと見つめた。
「……、メシ終わったよな?行くか。」
阿部は三橋にそう言って三橋を食堂から連れ出した。水谷は「行っちゃった」と言って残念そうな顔をしている。ナマエは内心あの2人のことが心配だった。朝に阿部があんな大声で怒鳴ってる姿を見てしまったのだから、そりゃ心配せずにはいられない。けれどこの問題は阿部と三橋が2人でちゃんと話し合いをして解決しなければいけない問題なのだろうとも思った。
『今度は阿部と三橋が落ち着いて話し合いができますように』
ナマエにはそう祈ることしかできなかった。
昼食を食べ終わった田島・泉・ナマエの3人は9組で三橋の帰りを待った。帰ってきた三橋はとても明るい顔をしていて一目で話し合いが上手くいったんだとわかった。
「あ、阿部君、が、バックスピン練習、いいって!」
三橋は頬を赤く染めて口をひし形に尖らせながら嬉しそうにそう言った。
「マジか!」
泉がそう言った。
「なんで急にいいって言ってくれたの!?」
ナマエがそう訊ねると三橋は「阿部君、と、モモカン、が見てるところで、練習…なら、いい!」と返事した。
「そっか、そっかー!」
ナマエはそう言ってニコッと笑った。阿部と三橋が2人でちゃんと着地点を見つけられたことが嬉しかった。
午後の授業が終わって放課後になった。篠岡とナマエはいつも通り裏グラのベンチ横の倉庫で着替えを始めた。
「ねえ、ナマエちゃん。今朝の阿部君と三橋君の言い争いの件って結局何だったの?」
篠岡がナマエにそう訊ねた。
「あのねー、昨日の試合で三橋君のまっすぐ打たれちゃったでしょ?その上、試合後に榛名さんからバックスピン練習した方がいいってアドバイス貰ったんだって。それで三橋君はバックスピンを覚えたいって阿部に相談したんだけど、阿部は無理にバックスピンを練習して三橋君が故障するのが心配で拒否したんだって。それが今朝の言い争い。」
ナマエがそう説明すると篠岡は「なるほど」と返事をした。
「でも、お昼に再度話し合いをして、バックスピンの練習はモモカンと阿部の前でやることを条件に阿部は許可してくれたらしいよ」
「そっか、そんなことがあったんだね」
「なんにせよ、ちゃんと話がまとまってよかったよ。今朝阿部が怒鳴ってるのを見つけた時は肝が冷えたわ。」
「私も廊下から阿部君の怒鳴り声が聞こえてきてびっくりしたよ。しかも阿部君はその後もずっと不機嫌そうだったから…。」
篠岡は眉をハの字にして「ハハ…」と乾いた笑いをした。
「胸中お察しします」
ナマエはそう言って篠岡の肩にポンッと手を置いたのだった。
着替えを終えて外に出た篠岡とナマエは水撒きやジャグのドリンクの作成、練習中のボール渡し、炊飯といったいつもの作業をこなした。また、西浦の次の対戦相手は戸田商業高校に決まったので、ナマエと篠岡は空いてる時間は戸田商のデータ収集・分析作業を進めた。そんな折、モモカンが「休憩終わり!全員集合!」と野球部員に呼びかけた。当然、マネジの篠岡とナマエもモモカンの前に整列した。モモカンの隣には知らない男性が1人立っている。今日の部活開始前に裏グラにやって来てずっと西浦高校野球部を見学していた人だ。練習開始前にみんなでコソッと「誰だろうね?」なんて話をした。
「こちら、これから主に投手の指導を引き受けてくださる百枝利昭さん。私の父です。東京の斉徳高校の出身で甲子園でも投げた経験があります。専門は投手だけど、あなたたちの何倍も経験があるから守備・走塁・打撃のことなんでも聞いてください。」
モモカンはそう言ってその男性のことを紹介した。
『モモカンの父親!?斉徳高校出身!?甲子園で投げた経験あり!?』
ナマエはあまりの情報量の多さに頭がついていかなかった。モモカンが新たに連れてきたそのコーチはさっそく三橋の投球指導に入った。ナマエはコーチが三橋にどんな指導をするのか気になったが、ここはマネジの出る幕ではないのでおとなしく他の選手たちのティーバッティングを手伝った。三橋の投球指導を終えたコーチは今度はバッティング練習をしている選手たちのところにやってきた。コーチは選手一人一人の動きやフォームをじっくり見ながらアドバイスをしてくれていた。ナマエはコーチの話を聞き漏らさないように注意深く耳を傾けながら必死でメモを取った。その短時間だけでもコーチの実力を思い知るには十分すぎるほどにアドバイスは的確で選手たちのバッティングは明らかに良くなった。
『こんなすごい人が父親だから、モモカンという素晴らしい監督が育ったってわけなのね!』
ナマエはモモカンの他にコーチがついてくれて指導者が2人になった西浦高校野球部の今後の発展をとても楽しみに思った。
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