「おお振りの世界に異世界トリップ 第50章」
9月最終週、西浦高校野球部は秋大県大会の初戦の日を迎えた。相手は県内No.2と称される超強豪校・千朶高校だ。抽選会の日から今日の試合までは約1週間ほど期間があった。その間に篠岡とナマエは千朶高校の夏大・新人戦・秋大地区予選の記録を集めてデータ分析を入念に行った。篠岡とナマエは今自分たちが選手にしてあげられることは全部したつもりだ。今日は県内トップ2の座に君臨する千朶相手に西浦は自分たちの持てる全てをぶつけて勝利に向かって突き進む、ただそれだけだ。
試合開始前、キャプテンの花井から今日の打順について発表があった。今回の打順はこれまでと比べて大きな変更点が2ヶ所あった。1つ目は2番が栄口ではなく沖になったこと。2つ目は4番が田島ではなく花井になったことだ。栄口は6番になり、田島は5番になった。モモカン曰く、打順を変えたのはチャンスを1つも逃したくないからということらしい。
『田島を4番から外すんだ…。まあ、たしかに花井は武蔵野第一の榛名からホームランを打ったけど…。』
いつも明るい顔をしている田島は、4番から外されたせいなのだろうか、今日は少し表情が硬いように見える。ナマエは田島のことが少し心配で、試合前の準備をしながらもずっと田島の様子を窺っていた。そんな田島に花井が話しかけた。
「おい、クリンナップの変更ってどういう意味かわかるか?」
「たぶんオレが第2の1番打者だ。今まで下位で得点するパターンが少なかったから考えたんじゃねーかな。やることは変わんねえよ。ランナーいりゃ返すし、いなけりゃ出る。」
田島はそう言った。田島の言葉を聞いたナマエは田島が冷静に今回の打順の変更を受け止めているようで一安心した。
「まーでも千朶もお前が榛名からホームラン打ったことは知ってるだろうし、それでなくても4番はマークきつくなるからがんばれよ!」
田島がそう言うと花井は「うおお」と言って狼狽えていた。そこに栄口が「あんまプレッシャーかけんじゃないの」と言いながら登場した。
「花井、後ろに田島がいてくれるって思うと気が楽になるんじゃない?」
ナマエは『栄口はさすがフォローが上手い』と思った。
「監督に期待されてるのはたしかだろ。栄口もさ。」
田島はそう言った。それを聞いた花井はドキッとしているし、栄口も「…おお」と答えつつちょっとプレッシャーを感じたようだ。
「モモカンは勝つ気で打順を変えたんだ。オレはモモカンについてく!お前がビビってんならぶっとばす!」
田島はキッパリとそう言った。それを聞いたナマエは『た、田島君ってめちゃめちゃかっこいい~~!』と思った。全身にビビビッと電撃が走ったような感覚を覚えた。
「ビビってねーし、今日はオレが相手にプレッシャーかけてやっから、お前は楽に打て!」
花井はそう答えた。
「よく言った!!」
田島はそう言ってバシッと花井の身体を叩いた。ナマエは田島に後ろから抱きついた。
「おっ?え、ミョウジ!?な、何だよ…!」
田島は抱きついてきたのがナマエだと気付いて動揺していた。花井と栄口もギョッとしている。
「あんた、かっこいいよ!マジで!」
ナマエは田島をぎゅーっと抱きしめた。
「ちょ、ちょ、ちょ…」
田島は顔を赤くしている。
「ミョウジ、田島の発言に感激した気持ちはオレもわかるけど、ベンチの中も結構外から見えるし誰が見てるかわからないから離れよう?」
栄口がナマエにそう言った。ナマエはパッと田島を放した。
「スミマセン、気持ちが昂りました」
「お前なーっ!オレはこれでもちゃんと男なんだぞ!女子が軽々しくくっつくなよ。試合前に勃ったらどうしてくれんだ。」
田島はそう言った。そんな田島に今度は栄口が「コラ、女子の前でそういうこと言わないの」と叱っていた。
いよいよ試合が始まる。西浦は後攻だ。というか千朶は勝っても先攻を選ぶ押せ押せのチームなのだ。
「1回!しまっていこー!!」
キャッチャーボックスに立つ阿部がグラウンドに向かって呼びかけた。
1回表、千朶高校の攻撃は1番岩崎が1球目から打ってきた。センター・ライト間に向かって飛んでいく球を泉と花井の両方がキャッチしようと駆け出した。このままだとぶつかりそうだ。
「声出せ!」
栄口が大声で注意をした。
「ライト優先!!」
即座に花井が指示を出す。それを聞いた泉はバッと左に避けた。球は無事花井がキャッチした。これで一死だ。
「あっぶな!」
ベンチでスコア表を付けていたナマエは接触寸前だった2人を見て思わずそんな言葉が口から出た。
「ヒヤヒヤしたね…」
篠岡は顔が青くなっていた。
2番東川はセンターの頭を超えるツーベースヒットを打った。一死二塁。3番櫻井は三振に取ることができた。二死二塁。4番江口はファーストフライでアウトになった。三死で攻守交代だ。
1回裏、西浦高校の攻撃は1番泉がツーベースヒットを打った。無死二塁。2番沖はピッチャー前ゴロでアウトになった。一死二塁。3番巣山はシングルヒットで出塁した。一死一・三塁。4番花井はスクイズ成功でサードランナー泉がホームに帰って西浦高校に1点が入った。なお、花井はアウトになったため二死二塁。5番田島は内野の頭を超えるヒットを打ち、ファーストランナー巣山がホームに帰って西浦に2点目が入った。二死一塁。6番栄口の打席では1球目で田島が二塁盗塁を試みるが、これは千朶に読まれていたようで投手遠藤はクイックモーションで投球した。そのクイックはとても速く、あの田島が二塁で刺されてアウトになった。これで三死で攻守交代だ。
「クイックはえーな。田島君が刺されるとは。」
ナマエはベンチでそう感想を漏らした。
2回表、千朶高校の攻撃は5番久保・6番大迫・7番長谷川が三者三振で攻守交代となった。ここで千朶は次の投手がアップを始めた。
「誰だ?」
泉がそう言うと田島は「あのテイクバックは吉成だ」と答えた。
「正解!」
篠岡がマネジ2人で作った資料を見ながら答えた。
「対戦経験あるとかじゃないよな?」
泉は田島の背中から腕を回しながらそう訊ねた。
「ないけど、みんなでビデオ見たじゃん?」
田島はそう答えた。
「それにしたって1球見ただけでわかるもん!?」
泉は驚愕していた。その会話を聞きながらナマエは内心『いや、普通はわからないよな。さすが田島様だわ。』と思っていた。
2回裏、西浦高校の攻撃は6番栄口がフォアボールで出塁した。無死一塁。7番水谷は送りバントを成功させた。一死二塁。8番阿部は一・二塁間を抜けるヒットを打ち、セカンドランナー栄口がホームに帰って西浦高校に3点目が入った。一死一塁。9番三橋は送りバントを成功させた。二死二塁。ここで千朶は選手交代で遠藤が抜けて吉成が入った。
「吉成選手、夏の登板は2回戦・3回戦ともに4~6回と投げて5回と2/3。被安打6。三振4。内野ゴロ8。外飛5。夏に投げていた球種はストレート・チェンジアップ・スライダー・カーブです!」
篠岡はマネジ2人で作った資料を見ながらみんなに情報連携をした。
続く1番泉は三振し、三死で攻守交代となった。
3回表、千朶高校の攻撃は8番谷嶋がレフトフライでアウト。一死。9番吉成は三振。二死。1番岩崎はライト前に落ちるツーベースヒットを打った。二死二塁。2番東川はレフトの頭を超えるヒットでセカンドランナー岩崎がホームに帰って千朶高校に1点目が入った。二死二塁。3番櫻井はライトの頭を超えるスリーベースヒットを打った。セカンドランナー東川がホームに帰って千朶高校に2点目が入った。なお二死三塁だ。4番には飯田が代打に入った。飯田はセンター前ヒットを打ち、サードランナー櫻井がホームに帰って千朶に3点目が入った。これで同点だ。二死一塁。そして千朶は再度選手を交代させた。飯田に代わって俊足の島が入った。
ここで西浦高校はタイムを取った。選手たちは何かを話し合った後、「おお」と声出しをしていた。
4番江口の打席では2球目でファーストランナー島が二塁盗塁に成功した。二死二塁。さらに3球目では島は三塁にまで到達した。二死三塁。
「田島様の言う通りだ」
西広がそう言った。
「どういう意味?」
篠岡が訊ねると西広は先ほどタイムを取った時に田島が千朶の走塁の意識の高さを指摘していたと説明をしてくれた。田島は島が三塁まで盗塁する可能性が高いと読んでいたらしい。
「マジか。田島君って本当にすごい子だなぁ!」
話を聞いていたナマエはそう感想を漏らした。
続く4球目では江口はバントを試みたがこれはセカンドフライとなった。三死で攻守交代だ。
3回裏、西浦高校の攻撃は2番沖が三振。一死。3番巣山がショートゴロでアウト。二死。4番花井はレフトの頭を超えるツーベースヒットを打った。二死二塁。5番田島はいつもならボール球は余裕で見送るのに今回は2球とも手を出してファールになった。
『どういう意図…?』
ナマエが違和感を抱いていると田島はタイムを取ってスパイクの紐を結び始めた。
『あ…っ!!』
ナマエは田島がスパイクの紐を結び直す意味を知っていた。以前、9組で昼休みに昼食を食べていた時に田島は寝る前にスパイクの紐の穴を数えるようルーティンを仕込んでいると言っていたのだ。そうすることでリラックスとスパイクの紐を数えることが結びつくんだそうだ。
『つまり今の田島はリラックスできていないってことだよね!?今までこんなことなかったのにどうしたんだろ?』
ナマエがそう考えながらソワソワしていると「バッター!サードランナー!」という三橋の大声が聞こえてきた。ちなみに今は二死二塁なのでサードランナーはいない。それでも三橋は再度「サードランナー!」と叫んだ。
『三橋も田島が集中できていないことに気付いて田島のことを案じているんだ…!』
ナマエは三橋の掛け声の意味を理解した。
「田島ー!サードランナー!」
ナマエもベンチから声を出した。
「サードランナー!」
ナマエに続いて泉も田島にそう声を掛けた。田島は三橋・ナマエ・泉のその掛け声に対して右手をチョイッと振って応じた。
「ど、どうしたの?今サードランナーいないよね?」
篠岡は驚いた顔でナマエに訊ねた。
「そうなんだけどね、これは田島君に対して"お前のこと案じてるぞ!"ってアピールしただけだよ。田島君、集中切れてるみたいだったからさ。」
「そうなんだ?よくわかんないけど、これが9組なりの絆…って感じ?」
「まあ、そんなんだね」
ナマエはそう言ってハハッと笑った。
田島の打席の3球目は打ち上げてしまいフライキャッチでアウトになった。三死で攻守交代だ。
「田島君!」
ベンチに戻ってきた田島にナマエは帽子とグラブを手渡した。代わりに田島が身に着けているヘルメット・肘当て・バットを受け取る。
「もっかいハグしてあげようか?」
ナマエはそう言って両腕を広げた。
「イラネェ!ミョウジってオレのこと男だと思ってないだろ?」
田島はそう言いながらクッと笑った。
「そっちだって私のこと姉御だとか言ってたじゃんよ」
「姉御は女だろ」
「ああ、一応女だとは思ってくれてんのね」
ナマエはそう言ってニシシッと笑った。
「さっきはあんがとな」
田島はナマエにそう言ってからグラウンドへと駆け出していった。
4回表、千朶高校の攻撃は6番大迫がライトフライでアウトになった。一死。7番長谷川は三振。二死。8番谷嶋も三振。三死で攻守交代となった。
三橋は最後の球を投げた後、マウンドで転んだ。三橋のその異変を阿部が見逃すはずがなく、ベンチに戻ってきた阿部は三橋に即座に「おい!」と声を掛けた。
「オレッ、どこもっ、い、いたく…」
三橋はそう言い返しながらもビクビクと怯えている。
「屈伸!」
阿部は三橋にそう言った。三橋は即座にヒョッヒョッと屈伸をして見せた。
「おめーらベンチん中入ってやれよ」
泉が阿部と三橋に声を掛けた。泉に促されるがままベンチに入った阿部は今度は三橋に「右手貸してみろ」と要求した。阿部は三橋の右手の指一本一本をじっくり触り、異常がないか確認していく。
『うわあ…、阿部は捕手として投手の手に問題がないか確認しているだけなんだとわかってはいるんだけど、そんなベタベタ手を触り合ってるのを見るとなんかこちらとしては胸がむずむずするんですケド…』
ナマエがそう思っていると水谷が「どっちも間違ってないのにどっちにもツッコミたい気分…」とボソッとつぶやいていた。泉も「あー、胃袋の内側がかゆい」と言って呆れた顔をしている。みんな感じていることは同じらしい。
4回裏、西浦高校の攻撃は6番栄口がセーフティバントを成功させた。無死一塁。7番水谷は送りバントを成功させた。一死二塁。8番阿部は外野の頭を越すツーベースヒットを打った。セカンドランナー栄口がホームに帰って西浦高校に4点目が入った。なお、一死二塁。9番三橋もセーフティバントを成功させた。一死一・三塁。1番泉はセーフティスクイズを狙うも失敗し、泉はアウトになった。しかしファーストランナー三橋は二塁に到達した。二死二・三塁。2番沖は打ち上げてしまいフライキャッチでアウトになった。これで三死で攻守交代だ。
5回表、千朶高校の攻撃は9番吉成がセンターフライでアウト。一死。1番岩崎は三振。二死。2番東川も三振。三死で攻守交代となった。
この回の最後の投球の際、三橋はぐるんと回転するような動きになった。ナマエは『また転ぶ!?』と一瞬心配になったが、今回は転ばなかった。ナマエは一安心したが、ベンチに戻ってきた三橋は明らかに顔色が悪かった。そして青い顔のまま阿部に「投げ込みしたい」と言っているのが聞こえてきた。それを聞いた阿部の表情も硬い。ナマエは『なんかあったのかな?』と思った。だが今日のナマエはスコア表担当なので試合の経過をちゃんと見ておかなければいけないため2人に声を掛ける余裕はなかった。
5回裏、3番巣山はフォアボールで出塁した。無死一塁。
ここで投げ込みのためにブルペンに行ったはずの阿部が1人でベンチに戻ってきた。阿部はモモカンに相談があるらしい。ナマエはスコア表を書きながら、その報告内容に耳を傾けた。阿部の報告によると三橋の球速を上げるために踏み込み幅の修正をした方がいいとコーチからアドバイスがあったそうだ。だが踏み込み幅はそう簡単に変えられるものではないので、フォーム改造は大会が終わってからじっくりやるという方針だった。しかし、三橋は1人で勝手にフォーム改造を進めてしまったそうだ。その結果、今、三橋は踏み込み幅の感覚が狂ってしまって調子を崩し始めているという。
『それで投げた後に転んだりぐるりと回転したりしてたのね…』
でも三橋は序盤はかなり調子が良さそうだったし、それに今の戦況としてはまだ西浦が勝っている。ナマエは『どうか三橋が持ちこたえてくれますように』と心の中で祈った。
続く4番花井はチェンジアップに引っ掛かり、ピッチャー前ゴロとなった。ピッチャー吉成はセカンドへ送球した。巣山がアウトになるかと思いきや、幸運なことに送球位置が高すぎてオフ・ザ・バックの判定でセーフとなった。無死一・二塁。5番田島の打席ではモモカンからエンドランの指示があった。田島は開いた三遊間を狙って上手く球を打ったが、ショート長谷川がダイビングキャッチし、6-4-3のトリプルプレーを食らってしまった。三死で攻守交代だ。
ベンチに戻ってきた田島はモモカンに「スンマセン」と謝罪をした。しかし、モモカンは"今のは捕ったショートがすごかっただけで普通ならエンドラン成功してる"と言って決して田島のことを責めなかった。
6回表、千朶高校の攻撃は3番櫻井が打ち損じた球が足元でワンバンして巣山のグラブに収まった。巣山はファーストへの送球をするが櫻井の方が一歩早かった。無死一塁。4番前田は外の球を打ち損じた。しかし、打ち損じた球であるにもかかわらず内野の頭を越え、ヒットとなった。無死一・二塁。5番久保は内のシュートを打ち損じた。巣山が捕球してセカンドへ送球を試みたが悪送球となってしまい、セカンド栄口が捕りこぼした。その隙に櫻井が塁を蹴ってホームに帰還した。千朶高校に4点目が入った。同点だ。なおも無死一・二塁。
『くー、全部打ち損じてるのになんてアンラッキーなの…!三橋ふんばれよ!調子崩してるらしいけど、今のところ全部打ち取ってるんだからね!』
ナマエはベンチからマウンドにいる三橋へ心の中でエールを送った。
6番大迫はレフトフライでアウトになった。一死一・二塁…かと思いきやセカンドランナー前田は二塁を蹴った。まさかレフトフライでタッチアップするとは思っていなかった西浦側は送球が遅れ、前田は三塁に到達した。一死一・三塁。7番長谷川はシュートを打ち損じた。栄口が捕球しようとしたがちょうど打球と栄口との間にファーストランナー久保が走ってきて一瞬死角が生まれた影響で栄口は上手く捕球できずにグラブで弾いてしまった。結果、サードランナー前田がホームに帰って千朶に5点目が入った。逆転された。一死一・二塁。8番谷嶋は三橋のまっすぐをジャストミートしてツーベースヒットを打った。セカンドランナー久保とファーストランナー長谷川がホームに帰って千朶高校に7点目が入った。一死二塁。ここで千朶は9番に代打の管野を入れた。9番管野の2球目、三橋がナックルカーブを投げるとセカンドランナー谷嶋が塁を蹴った。巣山が気付いて阿部に「3つ!!」と声を掛けるが送球は間に合わず、谷嶋は三塁盗塁を成功させた。一死三塁。3球目はモモカンからの指示でスクイズ警戒で外にボール球を放ってみたが、管野に動きはなかった。千朶はスクイズはやらないと思いきや、意外にも4球目で管野はスクイズを行った。打球は一塁側のラインのすぐそばを転がっていく。これはファウルになるかと思ったが、ギリギリフェアだった。結果、谷嶋はホームに帰って千朶高校に8点目。管野も生き残り、一死一塁。1番岩崎はセンターフライでアウトになった。二死一塁。2番東川はスライダーを打ち損じた。球はワンバンでファースト沖のグラブに収まった。しかし、一塁のカバーに入ろうとした三橋と打者東川が接触し、三橋がボールを取りこぼした。結果、東川はセーフになった。また、ファーストランナー管野は三塁まで到達した。二死一・三塁。3番櫻井はナックルカーブを上手にタイミングを合わせてタイムリーヒットにした。結果、打球は外野の頭を越えた。サードランナー管野とファーストランナー東川がホームに帰って千朶高校に10点目が入った。打者櫻井は三塁まで到達した。二死三塁。そして4番前田の打席ではなんと三橋がボークをしてしまった。サードランナー櫻井がホームに帰って千朶高校に11点目が入った。
「えええっ!?」
ナマエはあの三橋がボークという初歩的なミスをやらかしたという事実に我が目を疑った。
『三橋、相当焦ってるってことよね…。たしかにもう7点差だし、苦しい場面だ。きっと三橋は今、相当なプレッシャーの中にいる。…でも、エースなら乗り越えてくれ!』
ナマエは胸の前で両手を組んでマウンドの三橋を見守った。
前田はシュートを打ったが、田島がダイビングキャッチしてアウトにした。これでようやく三死で攻守交代だ。ここで千朶は9番管野に変わって宮森を出してきた。投手も吉成から宮森に変更になった。
6回裏、西浦高校の攻撃は6番栄口・7番水谷・8番阿部が三者凡退で攻守交代となった。
7回表、千朶高校の攻撃は5番久保がスライダーを打ち損じてセカンドゴロになった。栄口が捕球してファーストへ送球。アウト。一死。6番大迫はセンターフライでアウトになった。二死。7番長谷川の打球はショートゴロとなった。巣山が捕球しファーストへ送球した。アウト。これで三死で攻守交代だ。
ベンチに戻ってきた田島・三橋・泉の3人は"くすぐりジャンケン"を始めた。ジャンケンは田島が負けて三橋と泉の2人が田島をくすぐった。「ひゃーっ、ぎゃはははっ」という田島の笑い声がベンチに響いた。
『さっきまで暗い顔してた三橋も、険しい顔してた田島も、もう笑ってる!』
いつもの9組3人の姿が見られてナマエは顔が自然にほころぶのを感じた。
「ねー!ほんとにリラックスの効果あんのそれ!オレは絶対やんないかんね!」
栄口はくすぐられている田島を見て青ざめながらそう言った。
「私も自分がやられるのは嫌だけど見てる分にはリラックスするかも」
ナマエはそう言って笑った。栄口は「えええ、どこがー!?」と驚愕の表情を浮かべていた。
7回裏、西浦高校の攻撃は9番三橋・1番泉・2番沖が三者凡退となった。これで7回が終了し、この時点で7点差がついている。すなわち、これで西浦高校のコールド負けが決まった…。千朶のベンチや応援席からは「わああ」と歓声があがっていた。
選手たちと篠岡とナマエがベンチのあと片付けを終えて球場の外に出るとモモカンは千朶の監督と話をしていた。おそらく練習試合を申し込んでいるのだろう、モモカンは片手にスケジュール帳を持っている。花井を筆頭に部員たちがモモカンに近づくとちょうど話し終わったようで千朶の監督は去っていった。部員たちはモモカンの周りを取り囲むようにして輪を作った。
「公式戦でコールドは初めてだね」
モモカンはそう言って話し始めた。モモカンはまず三橋のことを褒めた。
「調子悪い時に大崩れしないのはとても大事なことだよ。必要以上に落ち込まないで。上位打線を打ち取れるイメトレをしておくように!」
モモカンにそう言われた三橋は「は、はいっ」と返事をした。次に打撃に関しては遠藤選手と吉成選手から4点取ったことについては自信を持っていいと言ってくれた。しかし、ここからモモカンの視線は鋭くなった。
「宮森君からは全く打てなかった!打てないどころか打とうともしないでうっとり眺めてるような人もいたね。」
モモカンがそう言うと阿部と三橋はギクッと表情が硬くなった。それからモモカンは宮森の球を経験した選手たちに順番に感想を訊ねていった。篠岡とナマエは選手たちの感想をメモに書き起こしていく。ちなみに阿部は宮森のストレートについて「オレが今まで見た中では1番のストレートです」と述べた。そして、それを聞いた三橋は明らかに落ち込んでいた。
『ストレートが投げられないことをコンプレックスに感じている三橋はそりゃ今の感想はへこむよなぁ』
ナマエはそう思って思わず苦笑してしまった。モモカンは最後に花井の意見を求めた。
「はい、前半たしかにリードしてたんスけど、これはオレだけなのかもしれないスけど勝てる気がしなかったんです。逆に千朶の選手はリードされてても全然焦ったところがなくてそれもあって余計に勝つイメージを持てませんでした。オレらメントレやってますけど、千朶にはそれとは別なベクトルの精神的な強さを感じました。」
花井はそう言った。それを聞いたナマエは正直言って花井の意見には賛成できなかった。
『私は序盤にリードしてた時、このまま勝てるって本気で思ってた。だって最初はみんな絶好調だったもん!』
ナマエがそう思って呆然としているとモモカンは「別なベクトルってもうちょっと具体的に説明できる?」と訊ねた。花井はそれは"伝統"なのではないかと答えていた。
「千朶で野球やりたい人たちが集まってきて野球しているわけですから、そのチームでプレイすること自体がタフさの土台になっているような気がします。"自分たちは強い!勝てる!"って思う根拠…伝統ってそういうもんかなと。」
「残念ながらうちには伝統はないんだけど、どうすればいいと思う?」
モモカンは花井に訊ねた。
「オレたちは監督みたいには強くはなれないかもしれません。だけど千朶みたいにはなれます!田島と三橋は千朶に入っても見劣りしないと思います!この2人から学んで、オレたち全員勝ちを信じられるメンタルを持たなきゃいけないと思いました!」
花井はそうハッキリと宣言した。ナマエはその言葉を聞いて一安心した。
『花井は田島だけじゃなくて三橋のメンタルの強さもちゃんと認めてくれてる。この2人が攻守の要をやってくれてる西浦は絶対に強いって私は信じている。今日は負けたけど次やる時は三橋はフォーム改造を完了させてもっと投手として磨きがかかっているはずだ。私は飽くなき向上心を持つエース三橋を心から信じている!花井にも、他の選手にも、三橋のことをもっと信じてほしい!もちろん自分自身のことも!』
ナマエがそうして静かに闘志を燃やしているとモモカンは田島と三橋に「みんなを引っ張っていってくれるかな?」と訊ねた。田島は大きな声で「もちろんです!」と答えた。三橋は小さな声で「…はい…っ」と返事をした。それからモモカンは「千朶から学ぶことはとても多かった」と言い、千朶のやっていたことを理解して取り入れようと提案した。
「さあ、次は4市大会だよ。今度はARCと戦えるよう決勝リーグに勝ち進みましょう!」
「はい!」
選手たちは大きな声で返事をした。今日は負けた。色んな課題が見つかった。落ち込んでる暇はない。前進あるのみだ。
<END>