「おお振りの世界に異世界トリップ 第72章」
1月の第2土曜日と第2日曜日は大学入学共通テストがある。西浦高校は大学入学共通テストの試験会場となっているため大学受験生が大勢西浦高校にやってくる。2月の入試休暇と同様にこの2日間は他の生徒たちは学校へ入ることができないらしい。裏グラを利用するだけなら問題ないかと思っていたが、どうやら不正防止のために裏グラも含めて完全に学校への立ち入り禁止だそうだ。しかたがないので急遽この2日間は部活が休みになった。そして休み2日間、選手たちの一部は田島家で自主練をすることに決まった。田島・三橋・阿部は固定で、その他は午前1人・午後1人という形で土日2日間…すなわち4名が参加できる。誰が参加するかはジャンケンで決めた。巣山・沖・西広・泉が勝った。
「ナマエも来るか?今回は試験休みじゃないんだからまだ勉強しなくてもいいだろ?」
田島がそう言った。
「そうだね。悠一郎のご家族に新年のごあいさつもしたいし、今回は一緒に行って練習見学してようかな。」
「しのーかも来るか?」
「ううん、うちは遠いし、久々の休みくらいはお母さんの手伝いしたいからやめとくね」
篠岡はそう言って断った。
大学入学共通テスト1日目の土曜日、朝10時に阿部・三橋・巣山・ナマエは田島家に集合した。練習に必要なヘルメットやホームベース等の道具は前日に借りて田島に持って帰ってもらった。ナマエたち4人はまず田島の家族に新年のごあいさつをした。生まれたばかりの赤ちゃんも見せてもらった。そして選手たちはさっそく練習に入る。ナマエは縁側の阿部の真後ろの位置に腰かけた。
「ナマエちゃん、この時期の縁側は寒いでしょ?クッションと電気ひざ掛け持ってきたよ。」
田島母がナマエを気遣ってくれた。
「ありがとうございます!大変助かります。」
「もしそれでも身体冷えてきたらこたつ好きに入っていいからね」
田島の下の姉の佳乃子がそういいながら温かいお茶を出してくれた。
「わあ、新年早々に至れり尽くせりの大サービスを受けてしまった!すみません!本当にありがとうございます!」
ナマエはそう言いながら笑った。
1時間阿部と三橋の投球練習を眺めたナマエは昼食の準備を始めた田島母たちの手伝いをすることにした。食糧庫から野菜を運んできたり、お米を研いだり、食材の下ごしらえをしたり、ナマエはテキパキと動いた。田島家にはもう何度も足を運んでいるのでキッチンの使い勝手も慣れてきた。
「ナマエちゃんもすっかりうちの一員って感じだね。もう嫁に来ちゃえば?」
田島の義姉のゆず香がそう言って笑った。
「それはいいね。ナマエちゃんが悠のお嫁さんになるなら大歓迎だよ!あ、でもナマエちゃんにはレンがいるんだっけ?」
佳乃子はそう言っていたずらっぽく笑った。
「佳乃子さん!レンとはそういう仲じゃないですってばぁ~!」
ナマエは顔を赤くしてそう言った。
「ごめんごめんっ!」
佳乃子はそう言いながら笑っている。どうやらナマエをからかっているらしい。
「でもそれならまだ悠のお嫁さんになってくれる可能性もゼロじゃないってことだよね!」
続けて佳乃子がそう言った。
「あれ、でも野球部ってこの間恋愛禁止になったんでしょう?」
ゆず香がそう言った。
「あ!そういえばそんな話聞いたね。じゃあ、うちの航はどう?今大学2年生。ちょっと年上すぎるかな?」
佳乃子がそう言った。
「いえ、部内だけじゃなくて全面的に恋愛禁止なんで…。」
ナマエがそう言うと佳乃子は「部内恋愛だけじゃなくて全面禁止なんだ!?」と驚いていた。
「実際のところ、恋愛禁止は嫌じゃないの?せっかくの高校生活なのにって思わない?」
「最初はそう思ったりもしましたけど、禁止にしなくても毎日部活三昧で誰かとデートする時間なんてないに等しいので恋愛禁止でも何も変わらないなって気付いたんです」
「え、でも禁止されてても好きになっちゃうことってない…?」
「あるかもしれないですね。でも片想いを内に秘めてる分には問題ないんじゃないですか?恋愛禁止で有名なAKB48も片想いするだけならOKだそうですよ。もし好きな人ができたら引退するまでは心の内に留めておいて、引退したら告白する…とかそんな感じにすればいいかと。」
ナマエがそういうと佳乃子は「そっかぁ」と感心した様子を見せた。
「ちなみに…まだ好きな人はできてない?」
「ない…と思います」
ナマエはそう答えたが、つい泉の姿が脳裏をよぎってしまい歯切れが悪くなった。
「え、なんか変な間あったけどホントにない?」
佳乃子はそう言いながら笑った。
「………」
嘘をつくのが苦手なナマエは思わず黙り込んだ。
「あれ?その反応は実はいるってこと?」
佳乃子がそう言った。興味津々といった顔をしている。
「………まだ好きのレベルまで至ってないけど、ちょっと気になっている人はいます」
ナマエは正直に打ち明けた。
「えーっ!それって野球部?それとも部外の人?」
「すみません、これ以上は言えないッス!」
ナマエはそう言って頭を下げた。
「そっか!わかった。教えてくれてありがとうね。」
佳乃子はそう言って微笑んだ。
「あ、この件は野郎どもには秘密でお願いします!」
ナマエがそう言うと佳乃子は「うん、了解!」と答えた。
12時になると選手たちは練習を中断してダウンに入った。キッチンにいるナマエたちはその間にテーブルに作り終わった料理を並べていった。12時半になると田島一家と阿部・三橋・巣山・ナマエは食卓に着いて恒例の"うまそう"の儀式をやってから食事を食べ始めた。当然のことながら巣山も田島家では"ショウジ"と連呼されていた。ナマエは選手たちの田島家での自主練に付き合うのは10月の中間試験前休み以来なので巣山と一緒に田島家に来るのはバーベキューの時を除くとこれが初だ。ナマエは田島・阿部・三橋・泉・栄口・水谷のことは既に名前呼びを始めてからそれなりの時間が経っているが未だに巣山のことは名字呼びだった。でも田島家の人たちも阿部・三橋も既に巣山のことを"ショウジ(君)"と呼んでいる。
『もう野球部男子全員名前呼びでいっか』
ナマエはそう考えた。ナマエが「尚治はさ…――」と言って話しかけたら巣山は一瞬面食らったような顔をしたがすぐに状況を察したらしく、普段通りに返事をしてくれた。ちょうど今日と明日でナマエがまだ名前呼びしていない沖と西広も田島家に自主練にやってくるので、ナマエはその2人のこともこのタイミングで名前呼びに切り替えようと決意した。
昼食を食べ終わった後、午前練習を終えた巣山は帰ることになった。今日の田島家での午後練習は沖の番だからだ。
「尚治、また明後日ね!気を付けて帰ってね。」
ナマエが田島家の玄関先で巣山に声を掛けると巣山が「あのさ」と話しかけてきた。
「どした?」
「オレも今後はミョウジのことは"ナマエ"呼びしていいのかな?」
「うん、いいよ。嫌なら"ミョウジ"のままでもいい。でも私はこれからは"尚治"と呼ばせてもらうよ。もー、花井以外の野球部男子はみんな名前呼びにしちゃうわ。区別すんのめんどくさいもん。」
ナマエはそう言って笑った。
「そか、わかった。じゃ、ナマエ、また明後日な!」
そうして巣山は去っていった。その後、ナマエは田島母たちと一緒に昼食の片付けを手伝った。といっても田島家には大きな食洗器があるので、汚れたお皿を食洗器に詰めるだけの簡単な作業だ。すぐに終わった。ナマエは再び縁側に座った。沖はまだ到着していないが田島・三橋・阿部は練習開始前に再びアップでジョギングをやっていた。寒いので念入りにやって身体を温める。そうしているうちに沖が田島家に到着した。
「お、カズトシ来たな!」
田島がそう言ってニカッと笑っている。田島家の人々は「カズトシ!久しぶりだな!」とか「よく来たね、寒かったでしょう?」と言って沖を歓迎していた。ナマエも意を決して「よっ、一利!」と声を掛けた。ナマエに名前呼びされた沖は「えっ!?」と言いながら顔を赤くしていた。
「あ、もしかして花井と一緒で名前呼びNGの人?」
ナマエがそう言うと沖は「いや、そんなことはないよ。ないけど…ちょっとビックリした。」と答えた。
「違和感ある?嫌ならやめるよ?」
「うーん、違和感はあるけど、でも他の野球部員のことも名前呼びしてたよね?」
「うん。悠一郎に、隆也に、レンね。」
ナマエはそう言いながらこの場にいる野球部員の3人の名前を呼んだ。
「それならオレも一利でいいよ。…でも、ごめん、オレは"ミョウジ"呼びのままでいい?女子のこと下の名前で呼ぶのちょっと恥ずかしい。」
沖はそう言いながら目を逸らした。
「全然いいよ!花井も"ミョウジ"呼びのままだし、気にしないで!」
ナマエはそう言ってカラッと笑った。
14時から練習を再開した選手たちを縁側で1時間見守ったナマエは途中で身体が冷えてきたので田島家の中の和室にあるこたつに入れさせてもらった。
「ナマエちゃん、みかんもお煎餅も好きなだけ食べてね」
田島母はそう言ってくれた。
「はい、ありがとうございます!」
ナマエはこたつの上のみかんを手に取って食べ始めた。それを食べ終えたらナマエは勉強をすることにした。カバンから教科書とノートを取り出す。そうして1時間勉強し、時刻が16時になると田島母が「そろそろ悠たちに出すおむすびを準備しましょうか」と言って立ち上がった。ナマエもお手伝いをするべく田島母のあとを追いかけた。ナマエはおにぎり作成を担当した。選手1人当たり4個で合計16個のおにぎりを佳乃子と手分けして作った。田島母はコーンポタージュを作ってくれた。果物はみかんを出し、飲み物は麦茶だ。準備ができる頃には16時半を過ぎていた。この時期はこのくらいには日の入りを迎える。空にはもう1番星が輝いていた。
「さ、おむすびの用意ができましたよー」
田島母はそう言っておにぎり・コーンポタージュ・みかん・麦茶を載せたお盆を縁側に運んだ。選手たちは「ありがとうございます!!」と言って急いで田島家の洗面所に向かって走っていった。手と顔を洗って縁側に戻ってきた選手たちは恒例の"うまそう"の儀式をやってからすごい勢いでおにぎりを頬張り始めた。ナマエは男子たちが食事をしている間にバットやヘルメットなどの道具の手入れと片付けを行った。そうして大学入学共通テスト1日間の自主練は終わり、ナマエたちは自転車に乗って帰宅した。
大学入学共通テスト2日間の日曜日、前日と同じく朝10時に阿部・三橋・西広・ナマエは田島家に集合した。ナマエはまず西広に話しかけた。
「今日から西広君のこと"辰太郎"って呼ぼうと思う。いい?」
「うん、いいよ。そしたらオレも"ナマエ"って呼ぶよ。」
西広はそう言って朗らかに笑った。その後、田島の家族にあいさつをしたら選手たちはさっそく練習に入る。ナマエは昨日と同じくクッションと電気ひざ掛けと温かいお茶を貰って縁側の阿部の真後ろの位置に腰かけた。1時間阿部と三橋の投球練習を眺めたナマエは今日も田島家での昼食作りを手伝った。みんなでわいわいと話をしながら田島家での昼食を楽しんだ後、西広は帰宅し、その入れ替わりで泉がやってきた。
「よっ、孝介!」
「おう」
泉はそう言いながら右手をチョイッとあげた。泉がナマエのことを好きだと知ってから、ナマエは一時的に泉のことを強く意識してしまってドギマギしてしまった時があった。でも今はすっかり慣れて自然に振る舞えるようになった。
「んじゃ、アップ始めるか」
田島がそう言うと田島・三橋・阿部・泉は田島家の庭を4人でジョギングし始めた。その後は2人1組になって柔軟を始める。ナマエはその間ずっと泉の姿を目で追っていた。泉から"オレのことちゃんと見とけよ!"と言われたから…というのもその理由の1つではあるが単純にナマエ自身がつい気になってしまうのだ。そして泉はナマエのその目線によく気が付く。目が合うと泉はいつもフッと優しく微笑む。そんなところもまた素敵だ…なんてナマエは思ってしまうのだった。
「ナマエちゃん、寒くない?そろそろこたつ入ったら?」
ゆず香がずっと縁側に座って選手たちの練習を眺めているナマエの身を案じてくれた。確かに冬の縁側はいくらクッションと電気ひざ掛けがあっても長時間いると身体が冷えてくる。でもナマエはちょうどトスバッティングを始めたばかりの泉の姿をまだ見ていたかったので「もう少しだけ見ていきます」と言って一旦断った。泉のトスバッティング練習が終わるまで見届けてから田島家の和室に移りこたつで暖を取った。その後は田島家の人たちと雑談を交えながら勉強して過ごした。16時になったら昨日と同様に選手たちに出すおにぎり作りを手伝った。選手たちがおにぎりやみかんやスープを喫食している間にナマエは道具の手入れと片付けを行った。今日の練習もこれにて終了だ。
「じゃ、また明日な!」
田島は田島家の門のところで阿部・三橋・泉・ナマエの4人に向かって別れを告げた。
「おう、今日もあんがとな」
阿部がそう返事をした。
「ゆう君、ま、また明日!」
三橋も続けてあいさつを返す。
「お前、明日ベースとメット忘れずに持って来いよ」
泉は田島に注意喚起をした。田島は「おう、ゲンミツにな!」と言ってニカッと笑った。
「悠一郎、またね~!」
ナマエはそう言って自転車のサドルに腰かけ、自転車を漕ぎ始めた。阿部・三橋・泉・ナマエは田島家からの家の方角は最初は一緒だ。それから徐々に分かれ道で少しずつ人が減っていく。まず最初に別れるのは泉だ。その後、阿部と分かれ、最後に三橋と別れた。そうしてナマエが最後1人になって家に向かっているとスマホから着信音が流れ始めた。自転車を漕ぐ足を止めたナマエが自転車の前カゴに入れてあるカバンからスマホを取り出すと画面には"泉孝介"と表示されていた。ナマエは応答ボタンを押して耳にスマホを当てた。
「もしもし?孝介?」
ナマエがそう言うと電話口の向こうから泉の「おー」という声がした。
「どーした?」
「さっきLINEしたんだけど見てねえみたいだったから電話した」
「え、メッセージくれてた?ちょ、今見る。」
ナマエがそう言いながらスマホの画面を操作し、LINEのトーク画面を見ると確かに泉からメッセージが来ていた。内容を確認すると"この後、何か予定ある?"と書いてあった。
「今、読んだよ。この後の予定は家に帰ってお母さんと晩ごはん作りでもしようかなって思ってたところだけど?」
ナマエがそう言うと泉は「あー、そっか」と言った。心なしか残念そうに聞こえる。
「何かあった?晩ごはん作りは全然断ることできるよ?」
「いや、何もねーよ。ただ、まだ17時だしせっかくの休みだし、もうちょっとナマエと話す時間欲しかったなって思っただけ。でもオレの勝手な都合で晩メシ作り断らせるのはナマエの母ちゃんにワリィから今日は諦めるわ。」
泉はそう言って電話を切ろうとした。
「お母さん今買い出しに出かけてるところだからあと1時間くらいでいいなら話せるよ」
「マジ?いいの?」
「いいよ。どこで会う?」
「今どの辺にいんの?」
「もう家のすぐ近くまで来てる」
「じゃ、ナマエんちの近くの公園にすっか。寒いかもだけど1時間じゃカフェ探してる余裕ねーし。」
泉はそう言った。
「わかった。じゃあ、あの公園で待ってるわ。」
「おう、すぐ行く。また後でな!」
泉がそう言った後、電話は切れた。ナマエは自転車を漕いで約束の公園に向かった。先に公園に到着したナマエは自転車を他の人の邪魔にならない場所に停めてブランコに腰かけた。そのままゆっくりとブランコを漕ぎ始める。
『ブランコ乗るの久しぶりだな』
ナマエがそうしてぼーっとしながら無心でブランコに揺られているとキーッという車輪の音が聞こえた。泉が公園に到着したようだ。
「早かったね」
ナマエはそう言った。
「実は返信を待ってる間に既にこっちに向かってたんだよ」
泉はそう言いながら自動販売機の方へと歩いていった。
「ナマエ、何飲む?」
「え、奢ってくれるの?」
「おー。だって寒いだろ?オレが付き合わせたんだし、このくらいは払う。」
ナマエは「やった!」と言いながらブランコを降りて泉のそばに駆け寄った。そしてナマエは自販機を眺めて何を購入しようか考える。
「決めた!ほっとレモンにする!」
ナマエがそう言うと泉はほっとレモンのボタンを押下し決済端末にスマホをかざした。ガコンッという音とともにペットボトル飲料が落ちてきた。
「ありがとー!」
ナマエはそう言いながらほっとレモンを取り出した。続けて泉はホットのほうじ茶を購入した。そして泉はブランコの方に向かって歩き始めた。
「ベンチじゃなくてブランコに座るの?」
「ナマエが乗ってるの見たらオレも久々に乗りたくなった」
「そっすか」
泉が乗りたいというなら別に反対する理由もない。ナマエも泉のあとを追ってブランコに腰かけた。
「じゃ、ありがたくいただきまーす」
ナマエはそう言って泉に向かってほっとレモンを掲げて見せた。
「おー」
泉はそう答えながら自分のほうじ茶の蓋を外している。ナマエもほっとレモンの蓋を外して一口飲んだ。
「はー、温かくておいしい」
ナマエがそう言うと泉は「そうだな」と答えた。しばらくの間2人は無言のまま飲み物を飲みつつ、ゆらりゆらりとブランコに揺られた。その沈黙を破ったのは泉の方だった。
「最近オレのことよく見てるよな」
泉はそう言いながら空になったペットボトルを何度もくるんと空中で回転させてはポスッとキャッチしていた。
「だって孝介が"よく見とけ!"って言ったんじゃん?」
「おお、そーだな」
泉はそう言いながら尚も空のペットボトルを空中に投げて遊んでいる。
「? 何の確認?」
ナマエは泉が何のためにこの話題を振ってきたのか真意を測りかねていた。
「別に確認じゃなくて――」
泉はそう言うとペットボトルで遊んでいた手を止めてナマエの方を振り向いた。
「――…ナマエがオレを見てくれてて嬉しいってだけの話」
泉はそう言いながらニアッと笑った。その顔は本当に本当に嬉しそうでキラキラして見えた。ナマエは胸がキューッとなるのを感じた。
「孝介君」
「えっ、なに!?」
ナマエが"君"付けで呼んだことによっぽど驚いたのかギクッとなっていた。
「ちょっと…グイグイ来すぎかな」
ナマエがそう言うと泉の顔が曇った。
「悪いな。嫌だったか…。」
泉は見るからにしょんぼりしている。ここでナマエは言葉選びを間違えたことに気が付いた。
「あー、ごめんごめん!違うの!そんなつもりじゃなくて…、嫌だとかじゃなくて…!」
ナマエはそう言いながらブランコから立ち上がり泉の方に近づいた。
「?」
泉は今度はポカンとした表情を浮かべていた。
「嫌なんじゃなくて…、むしろトキメキすぎてこのままだと私の心臓がもたないの!このままだと引退するまでとかいうレベルじゃなくて早々に孝介に陥落しちゃいそうなの!両想いになったのに付き合えないとかツラいじゃん。だからまだ好きになるには早すぎるよ…っ!」
ナマエは自分の顔が熱くなっていくのを感じた。今自分がどれだけ攻めたことを言ってるのか自分でわかる。こんなのもう"あなたのことを好きになりかけてます"って言ってるようなもんだ。
「ナマエは両想いになったらツラくなるのか」
「孝介はツラくないの?引退まであと2年も付き合えないんだよ?」
「んー、そうかなァ。オレは今、ナマエに振り向いてほしい気持ちが強くて両想いになれたら嬉しいだろうなってことしか想像できねえや。」
「……もし私が孝介のこと本当に好きになったら、引退するまではこうして2人きりで会ったりするのはやめるよ?だって両想いなのわかっててそれやったらそれはもう逢引きでしょ?完全に恋愛禁止ルール違反だよ。」
ナマエがそう言うと泉はちょっとショックを受けたような顔をした。
「そうか。両想いになったらもうこうやって会っちゃいけねーんだな。」
「……正直、今の時点でもこうして2人きりで会ってるのはルール違反してないって言えるのかなって心配になる」
ナマエがそう言うと泉は「えっ」と言って固まった。
「オレは…ナマエはオレのこと好きじゃねーんだからまだこんくらいは大丈夫だろって思ってた。オレは好きだし落としたいと思ってるけど、オレの一方通行な間はナマエからしたらただ単にチームメイトに会ってるだけだろ?」
「でも私は孝介の想い知っちゃってるんだよ?知っててこうして2人きりで会ってるのは清廉潔白とは言えなくないかな?」
「……まー、グレーゾーンって感じか」
泉はそう言うと「うーん」と言いながら考え込むような素振りを見せた。そしてしばしの沈黙の後、再び口を開いた。
「ナマエは真面目だもんな。もしナマエがその辺気になっちまって罪悪感を覚えるっつーんなら、もう2人きりで会うのはやめとくか。」
泉にそう言われたナマエは即座に「そうだね」と言おうとした。でも言えなかった。元旦に2人で映画を観に行ったのも楽しかったし、今日泉から電話が掛かってきてこうして会うことになった時も正直言ってワクワクした。なんなら今日の午後練習は泉が来るっていう時点でかなり意識していた。
――…もう2人きりで会うのはやめとくか
そう言われた瞬間、寂しいと思ってしまった。でも、同時に気が付いた。
『寂しいって思う時点でもうかなり惹かれてるって証拠じゃないの。私側にも気持ちがあるなら尚更こうして会うのはダメだ。』
ナマエは寂しいという気持ちを必死に押し殺して「うん、もうやめよう」と泉に言った。
「……なんでそんなツラそうな顔すんだよ」
泉は困惑した表情を浮かべていた。ナマエはなんて返事をしたらいいのかわからなくて黙り込んだ。
「そんな顔されっと申し訳ないやら期待しちまうやらでオレの感情が忙しいんだけど…」
泉はそう言うとブランコから立ち上がってナマエの顔を覗き込んだ。
「ちなみに今のナマエはオレのことどう思ってんの?」
「……なんかもうよくわかんなくなってきちゃったっていうのが正直なところ。もしかしたらもう孝介のことが好きなのかもしれないし、単に自分に好意を寄せてくれる人がいるのが嬉しくて舞い上がってるだけなのかもしれない。自分で自分の感情がよくわからない。」
「まー、それはオレがまだナマエの気持ちを掌握しきれてねーってだけの話だからいずれ確信を持ってオレを好きだと思わせてやるから気にすんな」
泉はそう言ってニシシッと笑った。
「でも好きになったらなったでツラいの確定じゃん?」
「付き合えないから?でも毎日部活で会うだろ?」
「孝介はそれだけで満足?私は満足できない気がする。」
ナマエがそういうと泉は顔がボッと赤くなった。
「それはやっぱ2人きりで会いたいっつーことなのか?」
「そりゃ好きになったらそう思うんじゃないのかな…」
「へー、ナマエって積極派なんだな。……例えばさ、会えない代わりに毎日通話するとかじゃダメなのか?」
「毎日通話も恋愛禁止ルール違反な気がする。てか私は孝介を好きになったとしても孝介にその好意を伝えたらダメなんだよ。その時点で恋愛スタートしちゃってるもん。自分の好きな人が自分を好きだと知ってるのに好きって言っちゃいけないし、それを匂わせるようなアプローチをするのもダメってやっぱ地獄だと思う。だからやっぱ私を落とそうとするのは高3くらいまで待って!1年以内ならまだ耐えられる気がする!」
ナマエがそう言うと泉は「まるでオレが攻略を試みたら確実に落ちるみたいな言い方だな」と言って笑った。
「う…っ、少なくとも今のペースでグイグイ来られたら抗える自信ない…。いや、でも高3になるまでの間に他の人を好きにならないって保証はできないしな…。うわ、なんかもう難しいこの問題。」
ナマエがそう言いながら頭を抱えると泉はナマエの頭をポンッと軽く叩いた。
「まー、わかったよ。最近のオレはちょっと前のめり過ぎたし、一旦2人きりで会うのはやめよう。つか、そもそも野球部に今日みたいな休日がある方が珍しいんだから、そんな決め事しなくても2人きりで会える機会が来るのなんてまた1年後とかだろうよ。」
泉はそう言うと自転車を停めている公園の入り口に向かって歩き出した。もうそろそろナマエの母親が買い出しから帰ってくる時間だ。ナマエは先を歩く泉を追いかけた。
「あ、ちなみにだけど」
泉はそう言って立ち止まりナマエの方を振り返った。
「多少は控えるけどアプローチを全くやめる気はないし、ナマエはこれからもオレのことをちゃんと見とけよ?」
泉はそう言ってフッと微笑んだ。
「御意。アプローチはお手柔らかにお願いします。」
ナマエはそう言ってフフッと笑った。そうして泉とナマエは公園の入り口に停めておいた自転車を取り出し、別れを告げてそれぞれ帰途に就いた。
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