――多感な年頃の中高生の間じゃ、こんなのよくあることだ。いちいち気にしてたって仕方がない。
西浦高校1年9組の藤堂奈々は必死にそう自分に言い聞かせた。
『大丈夫、いくら友達でも好きになれない部分なんて誰だってある。人間は完璧じゃないんだから。そんで、それを人に愚痴ってしまいたくなる時があるのだって当然だ。私だって人の悪口のひとつやふたつ言うことあるし、私が言われる側になる時だって当然あるよ。気にすることないって。』
心の中でそう自分を慰める奈々。実は、奈々はつい先ほど自分がいつも仲良くしている女子グループの友人達が教室で自分の悪口を言っているところをたまたま聞いてしまったのだった。
田島夢小説「頼もしい背中」
本日の授業終わり、特に部活動をやっていない奈々はこの後部活がある友人達とは別れを告げて校門へと向かっていた。そこでふと明日から数日間は入試のため学生は休みになることを思い出す。入試期間中は学校には入れない。
『そうだ、体操着持ちかえって休みのうちに洗濯しとかなきゃだ』
慌てて体操着を教室に取りに戻る奈々。1年9組の教室の扉を開けようとした時、教室の中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「え、大塚が奈々のこと好きなの?本人がそう言ったの?」
教室のドアを開けようとしていた手をピタリと止める奈々。気配を消して見つからないように教室の扉の横にある窓から中の様子を覗うと、そこには普段仲良くしている女子グループのメンバーが集まっていた。そのうちの1人は俯いていて、遠目からははっきりとは分からないが、どうやら泣いているようだった。
「美紀、ずっと大塚のこと好きだったもんね」
泣いている女の子が美紀だ。美紀が大塚のことを好きなのは、奈々が所属するグループの女子みんなが知っていた。もちろん奈々も。だからこそ、今が奈々にとってマズい状況であることは明らかだった。
「今日…バレンタインデーじゃんっ。奈々、大塚にクッキーあげてた…っ!奈々は義理だって言ってたけど、でも大塚すごい喜んでて……っ!」
泣いてしゃっくりあげながら話す美紀。
「はぁ!?奈々、美紀が大塚のこと好きなの知ってるのにそんなことしたの?」
友人のうちの1人が怒って声を荒げる。
「ありえない!」
もう1人もそう言って不満をあらわにする。
「奈々って、大塚狙いだったの?美紀の気持ち知ってんのに、自分は隠して陰でこっそり大塚にアプローチってわけ?サイテーじゃん!」
「ムカつくね!」
自分の悪口で盛り上がる友人たち。奈々はそっと教室の側から離れた。体操着を持ち帰るのは一旦諦めた。だって今教室に入るのは絶対無理だ。彼女たちはこの後部活に行くはずだから、少し時間を置いて、彼女たちが教室を離れた頃合いを見計らって取りに戻ってこよう。
行くあてはない。でも今はじっとしていられるような気分でもなくて、奈々は学校の敷地内をぶらぶらと歩いた。歩きながら今聞いてしまった友人たちの会話を反芻する。確かに奈々は今日大塚にクッキーをあげた。でもそれは今日奈々が現国の教科書を忘れてしまって隣の席の大塚に教科書を見せてもらったから、そのお礼だった。女友達とバレンタインデーのお菓子交換会をするために作ってきたクッキーがまだ余ってたから、せっかくだからとあげただけで別に他意はなかった。でもよくよく考えれば大塚のことを好きな美紀がそれを快く思わないのも納得だった。
『私、ばかだ。ちょっと考えれば気付けたことなのに、軽率なことした…。』
自分が悪かったんだ。でも友人だと思っていた人たちが自分の悪口を言っていたという事実は奈々の心を抉った。目に涙が込み上げてくるのを奈々は必死で堪えた。
落ち込んだ気持ちのまましばらく歩いていると気付いたら裏グラの側まで来ていた。カキンッというイイ音が鳴り響く。あれは野球部だ。今はピッチングマシンを使ってバッティング練習をしているようだ。皆、飛んでくる球に器用にバットを当てている。硬いボールにバットが当たる音が心地いい。奈々は思わず足を止めて野球部の練習風景をフェンス越しに眺めた。
『あ、あそこに田島君がいる。あと、泉君も。』
田島と泉は1年9組のクラスメイトだ。奈々は夏に桐青高校との試合を観戦に行った。その時は…そうだ、さっき私の悪口を言っていたあの友人たちと一緒に行ったんだ。奈々はまた先程の出来事を思い出して、悲しみで目頭が熱くなって俯いた。
「あれっ藤堂じゃん」
名前を呼ばれてハッと顔をあげると、フェンスの向こう側から田島がこちらを見ている。「よ!」と右手を挙げながらタタッとこちらに駆け寄ってくる田島。
「藤堂って帰宅部だよな?こんなとこで何してんの?まだ帰ってなかったんだ。」
奈々は涙を必死で引っ込める。フェンス越しに対面する奈々と田島。奈々は、自分の目は今赤くないだろうか、泣いていたことがバレばれやしないかと内心ヒヤヒヤする。
「なんもしてないよ。ちょっと散歩したい気分だっただけ。」
作り笑いをして涙を隠す奈々。
「……散歩?」
「うん、散歩。」
ジッと奈々を見つめる田島。
「………、藤堂、どうかした?」
何かを察したのだろうか、そう問う田島に奈々は内心ギクっとなる。
「えー、なんもしないよー?」
奈々はどうにか誤魔化そうと笑顔を作った。そして田島に話題を振る。
「田島君は部活…だよね!大変そうだね!」
「いや、これが案外楽しいんだよー!」
「えーすごいね!頑張ってね!また試合応援行くよ。」
「おう!サンキュー!」
ニカッと笑う田島は練習に戻るためにフェンスから離れていく。
『ふう…誤魔化せたみたいだ』
田島に"どうかした?"と言われた時は自分が泣いてたのがバレたのかと思ったが、練習に戻っていった田島を見て奈々は大丈夫だったとホッと胸を撫でおろす。
『そろそろ教室に戻っても大丈夫かな』
奈々は裏グラから離れて教室に向かう。歩きながら先ほど自分が言った言葉を思い出す。
――また試合応援行くよ。
『また、応援、行くことあるかなァ…。』
対桐青高校との試合を応援に行ったのは、あの例の友人たちが誘ってきたからだ。実際のところ、奈々は野球なんて全然知らない。あの友人たちが誘ってこなかったら行くこともなかった。明日以降、あの友人たちは自分にどんな風に接してくるだろうか。何事もなかったかのように振る舞うか、……最悪、グループからハブられる可能性だってある。最悪のシナリオが頭をよぎった奈々はまた涙が込みあげてきて、ついにその瞳から涙がポロリと零れ落ちた。
『ヤバい、こんなところで泣くなんて…』
でも、幸いなことにもう夕方で辺りは薄暗くなってきているし、この時間帯の裏グラ周辺には生徒はほとんど歩いてない。
『教室に着くまでに涙を引っ込めれば大丈夫、大丈夫』
そう思っていたら後ろからタタタタタ…と駆けてくる足音が聞こえてきてガシッと肩を掴まれ引っ張られた。引っ張られるままに振り返ると、そこには田島の姿があった。
「ホントにどーかした!?」
どうやら田島は奈々の異変に気付いて、練習中なのに抜け出して駆けつけてくれたようだった。その優しさが心に沁みた。奈々はもう涙を堪えることができなかった。ボロボロと目から涙が零れて、わんわん泣き出した奈々に田島は「わぁ!?なんだ?どーした!?」と慌てながらも奈々を他の人達から見られない物陰の方に連れて行ってくれて奈々が泣き止むまでずっと側にいて背中を擦ってくれた。
「なんかつらいことがあったのか?」
奈々はコクッと頷く。
「話したくないか?」
奈々は田島にどこまで話していいものかと一瞬迷ったが、簡単に説明することにした。
「友達に…嫌われたの、たぶん」
「へー、そりゃまたなんで?」
「…私が悪いの。軽率なことしたの。」
「ケーソツってなんだっけ?」
こんな簡単な言葉が分からない田島に奈々は思わずフフッと笑ってしまう。田島は「お、笑ったな」と言いながら釣られてニッと笑う。
「軽率は、モノをよく考えないで良くないことしちゃったってこと、だよ」
田島は「へーそうなんだ、藤堂って頭いいんだな」と返す。奈々は「こんなのフツーだよ」とまた笑う。
「じゃーさ、謝ったらいいじゃん」
田島はあっけらかんと言う。奈々は少し考え込んでから「…うーん、謝ってすむかな?」と不安げな顔をした。
「すまないの?」
「どうだろう」
謝っても大塚にクッキーを渡してしまったことをなかったことにはできない。もし美紀が言ってたことが事実だったら、もし本当にあれのせいで大塚が奈々を好きになってしまったんだとしたら、謝って許してもらえるものだとは思えない。
「じゃあさ、もしすまなかったらどうなるんだ?」
「……ハブられて、…友達がいなくなるかもしれない」
奈々はまた目に涙がじわじわと浮かんでくるのを感じた。すると田島は奈々の頭をポンッと叩く。
「だいじょーぶ!もしハブられたらオレらと一緒にいればいいよ!オレらっていうのは、オレと泉と三橋と浜田のことな。オレら藤堂を1人ぼっちにはしないから、何も心配しなくていいぞ!」
予想外の田島の言葉に奈々は呆気にとられる。
「………ホントに?」
「おう、ゲンミツにな!」
奈々は『げ、"厳密"?言葉の使い方おかしくない?』という疑問がよぎるが今その指摘をすると話が本筋から逸れそうなので放っておく。
「オレら今日から友達な!はい、握手!」
手を差し出す田島。奈々は一瞬呆気にとられたが、おずおずとその手を握り返す。そしてなんだか照れ臭くなってきてヘヘッと笑う奈々。
「今度篠岡も紹介してやるよ!女子の友達も欲しいだろ?」
「篠岡さんってマネジの子?クラス違うじゃんよー。」
「違くたっていいじゃん。選択制の授業で一緒になることだってあるかもだし。それから篠岡経由でまた友達紹介してもらおーぜ!」
親指をグッと立ててサムズアップしてみせる田島。
「田島君てすごいポジティブだね」
奈々がどれだけネガティブなこと言っても全部撥ね退ける田島に奈々はクスクスと笑い出す。
「わかった、まずはさ、謝ってみるよ。」
「おう!当たって砕けてこい!」
「いや、できることなら砕けたくないんですケド…。」
「あ、そっか!」
ケラケラと笑う田島。奈々もアハハと笑い返す。
「おいー!田島ァー!あいつどこ行きやがった!!」
裏グラから田島を探す声がする。
「やっべ、花井だ!藤堂もうへーきか?」
「うん、もう平気。大事な練習中だったのに邪魔してごめん…。もしかして私のせいで田島君怒られる?」
奈々はすごく申し訳ない気持ちになる。自分も一緒に行ってキャプテンに事情を説明するべきだろうか。でも正直、散々泣いて赤くなった目であまり人前に出たくない。
「怒られるかもだけど、オレが勝手にやったことだから藤堂は気に病む必要ないぞ。それに練習も大事だけど、友達の方が大事だからいんだよ!もう暗いから気を付けて帰れよ!」
「うん!ありがとう!田島君は部活頑張ってね!」
「おー!じゃーな!」
タタッと裏グラの方へ戻っていく田島の背中を見送ってから、奈々は本来の目的を果たすために教室の方へと歩き出した。先ほどまでの絶望的な気分が嘘のように今は足取りが軽い。明日から入試休み期間になるので間が空いてしまうけど、休み明けには美紀にちゃんと謝ろう。許してもらえないかもしれないけど、許してもらえるかもしれない。そんな風にポジティブになれたのはあの新しい友達のおかげだ。奈々は田島の小柄なのになぜか頼もしい背中を思い返して胸がポカポカした。