※注意:三橋相手の夢小説です。が、今回全然絡みません※
※三橋夢小説「鳴かぬ蛍 第1章」の続編です※

三橋夢小説「鳴かぬ蛍 第2章」


 5回戦(対美丞大狭山戦)の応援観戦後、家に帰ってきた夏波は自室でベッドに横たわりながら、今日芽生えた自分の気持ちについてぼんやりと考えた。

――私はこの気持ちをどうしたらいいんだろう?私は三橋君と付き合いたい…かな?でも、三橋君は毎日野球部の練習で忙しくて今は恋愛なんて興味がないだろうな。私も、ああやって毎日一つのことを一生懸命がんばってる三橋君を応援したいのであって、恋愛にうつつを抜かす三橋君が見たいわけじゃないし、第一そんな三橋君は全く想像ができない。

私はあの人のことを見ていられれば、想いが叶わなくったっていい。ただあの人のもっと色んな姿を見てみたい。そしてできることなら、毎日がんばるあの人の力になりたい。私もあの人みたいな強さを手に入れたい。

色々と考えた結果、一つの結論にたどり着いた。


 5回戦の翌朝、今は夏休み中なのにも関わらず夏波は学校へ向かう準備を始めた。家を出て自転車を漕いで、通称裏グラと呼ばれる第二グラウンドへ到着する。フェンス越しに中を覗くと既に野球部が集まって何かミーティングをしていた。
『う…やっぱり無謀かな…やめとこうかな』
ここまできたのにいざ野球部を目前にして夏波は弱気になる。

野球部はミーティングが終わったようで、キャプテンの男の子(確か…花井君?)が「おし柔軟!」と他の部員たちに声を掛けて、ともに皆でグラウンドを駆けていった。
『あ、あそこに三橋君がいる…』
そりゃ当たり前のことなんだけど、夏波は野球部の練習風景を見るのは初めてなのでなんだか新鮮だった。練習に励む三橋の姿を目の当たりにして『三橋君って野球部なんだよなぁ…』と改めて思った。

「おはよう!野球部に何か用ですか?」
その掛け声にハッと我に返ると裏グラから髪の長い長身の女性が出てきて、こちらに向かってくるところだった。
『あの人は…百枝監督だ!』
夏波はもう3回も野球部の試合を観に行ったのでその女監督のことは知っていた。
「あ…っ、お、おはようございます!」
夏波は慌てて頭を下げた。
「うん、おはよう」
百枝監督は改めて挨拶を返してくれた。
「あっ、あ、あの…っ」
夏波は少しパニックになった。
『言うか!?言っちゃう?やっぱやめといたほうがいいかな…。自信ないしな…』
「どうしたの?慌てなくていいよ」
百枝監督はニッコリと爽やかな笑顔をこちらに向けた。とても感じがいい。実は夏波は百枝監督に対して怖そうというイメージを抱いていたので百枝監督の笑顔には少し驚いた。だが夏波はその笑顔を見て少し緊張がほぐれた。
「あの、私、西浦高校1年9組の西野夏波っていいます!昨日の試合、スタンドで応援させてもらいました!あと、2回戦も4回戦も観ました!」
「そうだったんだ。西野さん、何度も応援ありがとうございます!」
パッと明るい顔になった百枝監督に夏波は胸がホカホカした。
『よし、言おう!』
夏波は決意を固めた。
「あの、百枝監督にご相談があるんですけど…っ」
「うん?」
バクバクしている心臓を落ち着かせたくて深呼吸をする夏波。そして、勇気をふり絞って口を開く。
「あのっ!マネジに興味あるんですけどっ、募集してますかっ!?」
夏波は『言っちゃった、ついに言っちゃったぞ…』と冷や汗タラタラでぎゅっと目をつぶって俯く。するとガシッと両手を掴まれた。驚いて顔をあげると百枝監督が夏波の両手を握りながら目をキラキラさせていた。
「大歓迎だよ!!」
百枝監督のその勢いに一瞬圧倒されてしまった夏波だが、マネジをやるにあたって懸念事項があることを思い出す。
『それもちゃんと伝えなきゃいけない』
夏波は口を開く。
「でも、監督、私、実は野球のルールもろくに知らないんです…。だからできるか自信ないんです。そんなんでもマネジとして役に立てますかね?…それともやっぱりそれじゃ務まらないですか?」
『野球のルールも知らないマネジなんて…"ナシ"って言われるかもしれない。もしそう言われたらそしたらおとなしく諦めよう。』と夏波は思った。だがしかし…
「大丈夫!できるよ!!」
そう言いながら夏波の両手をギュッと握る百枝監督。
「……でも、私、野球どころか料理とかもできないんです…」
「おにぎりは作れる?」
「え、と、それくらいはできる、と思います…」
「じゃあ大丈夫!野球のルールとかスコア表の書き方は自然に覚えるし、それに野球のこと分からなくても他にもいっぱいやることあるよ!スポドリ用意したり、グラウンドに水撒いたり、あとはボール修理とか蚊取り線香用意したりとか、…それから雨降った日の翌日なんかは草むしりもやらなきゃいけない。うちはたった今チームの目標を"甲子園優勝"に決めたところなの。人手はいくらあっても足りないくらいだよ!そういう地味な作業は嫌い?」
「いえ、嫌いじゃないです」
「じゃあ大丈夫!!」
百枝監督は夏波の右手首をつかんでグイグイ引っ張り、夏波をグラウンドの中へと連れていく。
「おはよー!みんなー!新しいマネジが来たよー!」
「え、あ、ちょ…、百枝監督!?」
夏波は心の準備がまだできていないのにいきなり野球部員に"新しいマネジ"だと紹介されてしまって狼狽えた。野球部員たちは"新しいマネジ"を言う言葉を聞いて「ええ!?」「うっそ!」「マジで!?」と食いついて集まってくる。
「あれ、西野じゃん!」
同じクラスの泉が言う。
「あー!西野だー!なに、マネジやってくれんの?」
田島がタッと夏波に近づいてきてキラキラした目で夏波を見つめてくる。
「知り合いか?」
キャプテン(の花井君…だったはず)が泉に訊ねる。
「うちのクラスメイトだよ」
泉はそう答えた。
「マネジやってくれるんですか!?」
水撒きをしていた女の子(確かこの子がたった一人のマネジの子だ)も目をキラキラさせながら食いついてきた。みんなの注目の的になってしまい小心者の夏波は縮こまる。
「……やりたい…んですけど、あんまり自信なくて、…だから一旦"お試し"ってことにさせてもらえませんか」
夏波はおずおずと百枝監督に切り出した。百枝は「うん、いいよ。じゃあ、試用期間ってことにしましょう」と頷いた。
「じゃ、改めてみんなの前で自己紹介をお願いします」
百枝監督が夏波に自己紹介を促す。全員の視線が夏波に集まる。夏波は腹をくくった。
「1年9組の西野夏波です!野球部の試合は2回戦・4回戦・5回戦を観戦させてもらいました。みんなすごかったです!とても感動しましたし、勇気をもらいました!私もみんなと一緒にがんばってみたいなと思ってマネジに志願します。野球のルールも分からないようなド素人ですけど、何らかの形でお役に立てれたら嬉しいです。よろしくお願いします!」
野球部員から「おー!よろしくー!」「おなしゃーす!」といった返事が返ってくる。

「じゃー千代ちゃん、夏波ちゃんにマネジの仕事色々教えてあげて。」
百枝監督に指示された篠岡は「はい!」と元気に返事をする。
「あと夏波ちゃん、早速なんだけど、うち明後日から夏合宿なの。参加できる?」
「が、合宿!?…わかりました!参加します!」
いきなり合宿はちょっと不安だが、夏波は『みんなと打ち解けるチャンスだと思え』と自分に言い聞かせた。
「じゃー合宿についても千代ちゃんから教わってください」
「はい!よろしくお願いします!」
夏波は千代と呼ばれたマネジの女の子に頭を下げる。
「はーい。えと、まずは私も自己紹介するね。私、7組の篠岡千代です。同い年なんだし、そんなにかしこまらないでタメ口でいいからね。夏波ちゃんって呼んでもいい?」
「はい!…じゃなかった、うん!じゃあ私も千代ちゃんって呼んでいい?」
「うん、いいよー。マネジ来てくれてすっごい嬉しい!実は1人でやるの結構大変だったんだぁ~」
「そーだよねぇ。でも私ホント野球のこと全然わかんないからあんまり力になれなかったらごめん」
「大丈夫だよ!教えるから何でも聞いて!試用期間なんて言わずにホントに入部してくれたら嬉しい!」
「が、がんばってみる…!」
「じゃーまずは水撒きを終わらせよー」

 水撒きを終わらせた後は、ジャグと呼ばれる飲み物を入れる容器を自転車に括り付けて数学準備室まで持っていった。数学準備室には冷蔵庫・冷凍庫があって氷や食料やお弁当はここに保管しておくことになっているらしい。夏波はここで数学教師の志賀先生に会った。篠岡から野球部の専任教師を務めているのが志賀先生だと教えてもらう。
「あれ、西野じゃないか。マネジやるのか。」
「はい、9組の西野夏波です!マネジ、務まるのかちょっと自信がなくて、一旦試用期間ということにさせてもらいました!正規のマネジになれるようにがんばるのでよろしくお願いします!」
夏波は志賀先生に頭を下げた。
「やー助かるよ。篠岡1人じゃ大変だったもんな」
「そうなんですー!もうすっごい嬉しい!」
「篠岡、西野が試用期間で辞めちゃわないように最初は本性隠して優しくするんだぞー」
「本性って何ですかあ、私は元から優しいですよ!」
夏波は篠岡と志賀先生の絡みを見て『へー、この2人って仲いいんだな』と思った。

数学準備室では清涼飲料の粉と水と氷でスポドリを作った。
『清涼飲料の粉2袋にこのくらいの水と氷か』
篠岡がドリンクを作る様子を見ながら夏波はメモを取る。

スポドリを入れたジャグをまた自転車に括り付けて裏グラまで戻り、ジャグをベンチに設置する。
「数学準備室が遠いからこれだけでも一苦労だね」
「そうなの。しかもすぐ飲みつくされちゃうから何度も補充しなきゃいけなくて。だから人手があると助かるよ!」

ジャグを設置した後はいつもはノックのボール渡し等の練習の手伝いをしたり、不足した備品の買い出しに行ったり、ボールの修理をしたり、フォームチェック用のビデオ撮影をしたりするらしい。だが、今日は初めてマネジとして練習に参加する夏波へのマネジレクチャータイムを作ってもらった。

 まず篠岡は部員全員の名前・クラス・守備ポジション・好きなおにぎりの具と逆に苦手な食べ物を教えてくれた。どうやら毎日夕方に選手たちにおにぎりを出すらしい。そのおにぎりは当然マネジが作るのだが、おにぎりの具は毎日部員の家から何かしら差し入れがあって、それを朝に確認して誰に何の具を出すか考えるところから一日が始まるそうだ。部員は毎日トレーニングで競い合って順位付けをしていて、順位の高い人は翌日に好きな具のおにぎりを用意してもらえるという制度らしい。
「毎日差し入れの具材が変わって、選手の順位も変わって、考えるの案外大変だよねこれ?」
夏波は千代に訊ねた。
「あー最初は大変かも。でも段々慣れてくるから大丈夫だよ。基本1位の子に好きな具を出して、ペケには最悪白むすびでいいから、悩むのは中間の人たちかな」
「私はまず顔と名前を一致させるところから始めないと。同じクラスの三橋君・田島君・泉君とキャプテンの花井君はわかるんだ。けど他のクラスの子はまだ全然わからないや」
「あーそうだよね。でも4人はわかるんだからあと6人だけだよ」
「あ、そういえばキャッチャーの阿部君もわかるよ!いつも三橋君に会いにうちのクラスに来てるから」
篠岡は「あははは、そーいやそーだね!じゃ、残り5人だ!」と笑った。

「阿部君てさ、昨日怪我しちゃったんだよね?大丈夫なの?」
「Ⅱ度の膝の捻挫で、全治2~3週間だって。新人戦に間に合うかどうか微妙なところみたい」
「新人戦ってのがもうすぐあるの?」
「あ、そうか、知らないよね。夏大終わると3年生は引退するから新チーム体制になるんだけど新チーム体制で初めて戦う大会が新人戦なの。それが8月にあるんだよね。その後9月には秋大、11月には4市大会があるよ。12月~3月半ばまではシーズンオフで大会も練習試合も一切ないんだ。んで4月には春大があって、来年の7月にはまた夏大。これが今後の一年間の大会の予定」
篠岡の説明を聞きながら夏波は必死にメモを取る。
「8月から新人戦で全治2~3週間じゃ正直厳しくない?」
「そうなんだよねェ~…。監督も迷ってるみたい。大会の重要度合いは秋大の方が上だからさ、新人戦は大事をとって休ませて秋大に備えた方がいいんじゃないかって。でも控え捕手の田島君はキャッチャーやり始めてまだ日が浅いから正直うちは今かなり厳しい状況なんだ。田島君はもともと抜群の野球センスがあるからそれでも形にはなってるけど、やっぱ正捕手の阿部君が復帰してくれるに越したことはないよ」
「そっか…」
野球部が今は厳しい状況にあると聞いて思わず夏波は「うーん」と唸った。
「明後日の合宿には阿部君も参加するから、その時に阿部君のこと紹介するね」
「お願いします!」
「はーい。じゃあ次は明後日から始まる夏合宿の説明をするよー!」
「はーいっ!」

 篠岡から夏合宿で必要な持ち物や夏合宿中にマネジがやるお仕事について夏波は説明を受けた。そして次は体育館で篠岡と一緒に選手たちの綱登りのタイム計測のお仕事を教わる。篠岡がタイムを読み上げる様子を後ろから見学する夏波
『これは私にもできそうだな』
そして夏波は練習に励む選手たちを眺めながら顔と名前をポジションと好きなおにぎりの具(と嫌いな食べ物も)を記憶するためにメモを読み返した。
『もう一人の坊主頭の人が巣山君。淡い髪色の優しそうなイケメンが水谷君。同じく淡い髪色だけど短髪なのが副主将の栄口君。あとは…どっちが沖君でどっちが西広君だっけ?2人とも3組で優しそうな・気が弱そうなタイプだからわっかんなくなるなー…』
夏波は人の顔と名前を覚えるのが苦手だった。
『よしわかった、丸顔の方が沖君で、面長の方が西広君だ。そう覚えよう、これでイケた気がする』
夏波はもう3回も野球部の試合の観戦をしたのでなんとなくだけど名前とポジションは元々うっすら頭に入っていたし、勉強でモノを暗記するのは割とできる方なので顔と名前さえ一致させられれば他は覚えられそうだ。

綱登りが終わった頃にはジャグのスポドリがなくなりかけていたので2度目のドリンク作成のために数学準備室に行く。2回目はスポドリではなく麦茶を出すらしい。篠岡から麦茶の作り方を教わる夏波。必死にメモを取る。

「どころでさ、今日ってジャージは持ってきてない?」
2度目のジャグの設置が終わったらところで篠岡からそう訊ねられた。夏波はいつも学校に通う時は"なんちゃって制服"を着ていて、今日もその格好でここまでやってきたのだった。
「実は体操着を持ってきてる。ちょっとタイミングが分からなくてこの服のままやってたけど…やっぱ着替えた方がいいんだよね?」
「うん、持ってきてるなら着替えちゃおー。あのね、そこに大きな物置があるんだ」
篠岡はベンチのすぐ横にある大きな物置まで夏波を案内をした。
「ここ人が入れるだけの十分なスペースあるから、私はいつもここで着替えてるよ」
「へー、そんなところで着替えてるんだ。了解!じゃ、鞄から体操着持ってくる!」

裏グラの物置で着替えをした後は、備品の在庫管理のために棚卸しをしたり、蚊取り線香の設置方法を教わった。
「ここ蚊がすごいよね。私蚊に刺されやすくってさー、蚊取り線香切らさないようにしなきゃ!」
実は夏波は既に脚や腕など数か所を蚊に刺されてしまって痒い。
「そーなんだ!それは大変だね。私はあんまり刺されないんだよね」
「羨ましい!私は夏は虫刺されの塗り薬が手放せないよ」
夏波は蚊に刺された箇所に塗り薬を塗りながら答えた。

その後はボール磨きとボール修理の方法を教わる。
「ボール磨きはまだ大丈夫だけど、ボール修理は結構大変だね。私裁縫とか全然できないからさ」
「最初はちょっと大変かもねー。大丈夫、慣れるよ」

そしてその後は買い出しだ。大体は近くのスーパーやコンビニで食料調達するくらいだが、場合によってはショッピングモールまで足を運ぶこともあるらしい。学校の購買で買えるものだったらそこで済ませることもあるとか。今日は蚊取り線香が無くなりそうなので補充の買い出しとついでに夕方の休憩の時間に配る牛乳も調達する。今日は大丈夫だけど、まれに差し入れのおにぎりの具材が足りない日なんかは追加で購入することもあるそうだ。
「蚊取り線香も牛乳もスーパーで買えるから、今日はそっちに行こう」
篠岡と夏波はスーパーに向かって自転車を走らせた。
「マネジって色んな事やるんだねー」
自転車をこぎながら夏波は篠岡に話しかける。
「意外と忙しいでしょ?だからずっともう一人マネジほしいって思ってたの!夏波ちゃん、どうかな。やれそう?」
「今まで教わったところはやれそうだよ!あとは野球の知識がないからその辺が習得できるか不安だぁ~」
「あー試合中スコアつけたりとか、父母会のお母さんたちが撮ってきてくれたビデオ見ながらスコア書き起こしたりとかしなきゃいけないんだよねー。あれが結構大変でさ」
「めっちゃ大変そう!私できる気がしないよぉ」
弱音を吐く夏波
「大丈夫だよ!焦らずに少しずつ覚えていこう!すぐにはできなくても他の部分担当してもらえるだけでも私はかなり楽になるしさ!」
「そう言ってもらえるとこっちも気が楽になるよ!野球のことに疎い分、他の私にできることはどんどん私が引き取る!あ、もちろん野球のことも勉強する!」
「あ、そういえば西広君も野球初心者で勉強中だから、どうやって勉強してるか聞いてみるといいかも!」
「お、マジ?あとで話しかけてみる!」
スーパーに到着した。もうすぐお昼の時間になるので夏波は野球部の買い出しのついでに自分のランチもそこで購入した。そして再び自転車を漕いで裏グラへと帰った。買ってきた蚊取り線香を備品棚にしまい、牛乳を数学準備室の冷蔵庫にしまいに行く。ついでに3回目のドリンク作成も行う。ドリンクの作成方法は先程習ったので今回は夏波が1人で行うことになった。
『私にもできることって結構あるな。雑用だけどこういうのやるの割と好きかも』
夏波はマネジの仕事を結構楽しく思い始めていた。

ランチの時間はマネジの篠岡も夏波も、選手たちと一緒にご飯を食べた。知らない人たちに囲まれて、人見知りの夏波は少し緊張した。端っこの方で小さくなって大人しく食事をとる夏波
西野さん、マネジの仕事はどう?」
そんな夏波を気遣ってくれたのか栄口が話を振ってくれた。
「あ、結構楽しいよ!」
「おー、それはよかった!な、篠岡!」
「うんっめっちゃ嬉しい」
篠岡はニコッと笑った。
「でも、まさか西野がマネジ志願するとは思わなかったぜ」
泉が口を大きく開けてパンを貪りながら言う。
「やー、私もまさか自分が野球部のマネジに興味を持つようになるとは思ってもなかったよ」
「試合観戦したのがきっかけって言ってたよね?な、オレらそんなによかった?」
水谷はなんだか嬉しそうな、誇らしげなそんな顔で夏波に問うた。
「すっごいよかったよ!本当に!私、昨日応援席で泣いちゃったもん」
「マジ?どこで?」
嬉々として訊ねる水谷。夏波は答えるかどうかちょっと迷ったが、隠すことでもないかと思いなおし、言うことにした。
「…三橋君の"ワンナウトー!"をきっかけにチームが持ち直したところ」
「…う!?…オ、レ…??」
三橋は急に自分の名前が話題に上がって青ざめている。慌てたせいで食べ物が気管に入ったようでゴホッとむせ始めた。
「確かにあれはよかったよな」
巣山が感慨深げに言う。
「実はさー、オレもあの時ちょっと泣きそうになったよ」
栄口はそう告白した。
「あの時の三橋はチョーカッチョよかったぞ」
田島が三橋の肩に腕を回しながらニィっと笑った。三橋は褒められて嬉しいのか顔を赤くしてフヘッと変な顔で笑っている。
「田島君もカッコよかったよ。三橋君に続いて"ワンナウトー!"って声出してたでしょ。三橋君が出した勇気を支援してる感じが伝わってきた。その後に他のみんなも声出し始めたのもよかった。すごくいいチームだなって思った!」
夏波は素直に思ったことを口にしただけなのだが、褒められて恥ずかしいのか多くのメンバーが顔を赤くして俯いたり目をそらしたりしていた。
「じゃあ、夏波ちゃんが来てくれたのはみんなのおかげだねっ」
篠岡が明るく笑った。

 昼食後は選手たちは13時まで格技場で昼寝をする。私たちマネジは選手たちほど体力消耗していないので仮眠をとる必要はない。夏波は篠岡とゆっくりご飯を食べながら他愛のない話をして親睦を深めた。

 13時から1時間は勉強会タイムだ。夏波はまさか勉強会タイムがあると思っていなくて勉強道具を一切持ってきていなかった。
「三橋か田島、お前ら教科書全部学校に置きっぱなしなんだろ?西野さんになんか貸してやれよ」
花井が2人に声を掛ける。
「おーいいぜ!西野、何にする?なんでもあるぞ!」
田島がガハハッと笑う。花井は「えばることじゃねーぞ」と呆れている。
「あ、オレと三橋は今日は花井から英語教わるから英語以外な」
「うーん、じゃあ数学の教科書貸してくれる?」
「オッケー!じゃーちょっと教室行ってくる!」
「ありがと!私はその間に購買でノート買ってくる」
「おう」
夏波は田島から数学の教科書を借りて自習を始めた。

西野さんは何の科目が得意なんスか?」
隣に座っている巣山が夏波におずおずと遠慮がちに話しかけてきた。
「えと、巣山君…だよね?同い年だしタメ口でいいよ。てか"さん"も付けなくていいよ。千代ちゃんのことはみんな名字で呼び捨てにしてるよね?私だけ"西野さん"だとなんか距離感じちゃうな」
夏波のその発言を耳ざとく聞きつけた田島は「そうだよなぁ!花井さっき"西野さん"って呼んてたろー!あれ禁止な、禁止!みんなも"さん"付け禁止!」と周りに宣言する。周りのみんなはそれに「オッケー」「りょーかい!」と返事する。しかし、三橋だけは"さん"付け禁止発令に口をパクパクさせて青ざめていた。
「あ…三橋君は無理しなくていいからね!」
「あー!西野、三橋だけ甘やかしてる!」
田島が口を尖らせる。
「いや三橋君は千代ちゃんのことも"篠岡さん"って呼んでるし」
「三橋はこの際篠岡のことも呼び捨てにしたらどうだ」
三橋はまた口をパクパクさせて青ざめていた。
「いや、三橋君、ホント無理しなくていいって」
篠岡と夏波は顔を見合わせて苦笑いした。

「んで西野は何の教科が得意なの?」
水谷が脱線した話を元に戻す。
「んー、英語が一番得意かなー。」
「英語はもう花井が教えてくれんだよー!他に得意なのはー?」
花井は「もう教えてもらう気満々かよ」と呆れている。
「公民とか化学も好きだよ」
「おっ、いいね!じゃあそれ教えてもらおーっと!」
田島はニカッと笑う。
「逆に苦手な科目ってある?」
これを訊ねてきたのは西広だ。
「うーん、一応どの教科も平均以上にはできるよ。でも、歴史はあんまり好きじゃないかな。あと数学は今のところは大丈夫だけど、この先数学Ⅲ・Cとかまでいくとできる気がしないから文系に進もうと思ってる」
「数学ならシガポがいるし、あと今日はいないけど阿部が得意だから心配ないよ」
栄口がそう教えてくれた。
「あと西広は全教科できるよ。通称"西広先生"って呼ばれてるんだ」
これを言ったのは沖だ。
「へー!すご!先生!」
西広は「いやなんか改めて言われると恥ずかしいな…」と照れている。

 勉強会が終わって14時からは午後練開始だ。午後からは浜田も練習に参加するらしく、「ちーす!」という挨拶とともにグラウンドに入ってくる姿が見えた。選手たちはアップをしている。選手のアップ中はマネジにとっては水撒きの時間だ。午前中は篠岡が水撒きするところを見学させてもらったので、今回は夏波がやることになった。
「こう、でいいの…かな?」
「うん、いいよ。上手~!」
夏波は『千代ちゃんは指導がうまいな』と思った。沢山褒めてもらえて夏波はやる気が出る。水撒きが終わったら4度目のドリンク作成だ。今回はスポドリ。これも既に篠岡から習ったので夏波はもう1人でできる。
「じゃあ、私1人で行ってくるよ!」
「よろしくねー。何か困ったことあったらケータイで連絡して。気付けるように身につけておくから。」
篠岡はケータイを手に持ってこちらに見せる。ほぼ空になったジャグを持ち上げてベンチから運ぼうとしたら浜田が近づいてきた。
「よ、西野!マネジやるんだって?今花井から聞いたよ」
「あはは…そうなの、試合観戦してたらなんかやってみたくなっちゃった」
西野スゲー熱心に応援してたもんな!オレよく練習協力してんだ。だからオレも世話になるからこれからよろしくな!」
「こちらこそよろしく」
浜田と夏波はニコッと笑い合った。

 4度目のドリンク作成が終わると、次はいよいよ夕食のおにぎりの準備開始だ。お米を研ぐためにテニスコート近くの水道まで行く。裏グラの水道水は飲めない水なので使えないらしい。焚く米の量は10合!
「0.5合が約お茶碗1杯分だよね?選手が1人あたり2個おにぎり食べるんだっけ。あ、三橋君だけ3個か。2×8=16と三橋君の3個で19個。残り1個は監督の分?」
「そうそう。よくわかるね。」
「マネジとか浜田君はおにぎり食べないんだ?」
「浜田さんが練習参加するのは基本17:00までだから。私たちマネジもおにぎり配り終わったらもう帰るだけだよ」
「なるほど」
「お米の焚き方はわかる?」
「あ~一応家庭科の授業で習ったけどうろ覚えだ。最初に何回か洗って研き汁がうっすら透けるくらいにするんだよね?」
「普通はそうなんだけど10合でそれやってると埒が明かないから、もー豪快にガガッと数回洗って終わらせちゃうよ。やって見せるから見てて!」
夏波は千代が米を研ぐ姿を見る。
「これ、今は夏だからいいけど、冬は寒くてツラそうだね」
「あー、確かに!」
「冬だけでも無洗米にしてもらえないかな」
「うーん、どうだろうね、無洗米高いからな。うちの部は予算そんなに貰えてないから節約できるところはしないと厳しいんだ。それにね、監督がバイトして稼いだお金を自腹切ってくれてるから」
「え!?監督の自腹なの?それはわがまま言えないや」
「だよねえ」

お米を炊飯器にセットした後は、外野ノックをやっている浜田にボールを手渡す"ボール渡し"という役割を担当した。篠岡は内野ノックをやっている百枝監督へのボール渡しをやっている。ノックが終わったら、5度目のドリンク作成のために数学準備室に行き、ついでに冷蔵庫に保管していたおにぎりの具を引き取ってきた。もうごはんが炊き上がる時間だ。
「千代ちゃん、もどったよ~」
「おーありがと。ごはん丁度炊き上がったよ!いよいよやりますか、おにぎり!」
「うっしゃ!」
今日誰に何の具を出すかは夏波が来る前にもう篠岡が決めていた。
「じゃあ、おにぎりの作り方説明するから見ててね」
「はいっ!」
「おにぎりはこうやってお椀2つを使ってコロコロして作っていきます。まず先に20個分これをやって、次に中に具を入れてから形を整えるんだ。というわけでお椀でコロコロやってみよ!はい!」
「えーっと、よそうごはんの量はどのくらい?」
「お椀1杯分でいいよ」
「こう?」
「もうちょっと多く」
「こんくらい?」
「そうそう。で、コロコロ」
「コロコロ…」
カパッと開くとまん丸のおにぎりができた。
「おお、ちょっとこれ楽しいぞ」
「でしょ~」
篠岡がウフフと笑う。まずは20個分のまん丸のおにぎりを作った。そして篠岡の指示に従って中に具材をつめていく。
「これ、具材の量の分配、間違えないようになきゃ」
「もし心配なら先に具をおにぎりの個数分に分割してからつめてってもいいよ」
「あ、それいいね。そうする。えと、まずシャケを6等分…」
「うんうん!その調子!」
篠岡に見てもらいながら2人でおにぎりを20個作った。
「ふぅー!これ1人でやるのはなかなか大変だね!」
「これからは2人で同時進行できるようになるね!あっ、お椀を2つ追加しなくちゃ。明日空いてる時間にショッピングモールに買いに行こう!2人で分担したらかなり楽になるよ~!」
「おお、ショッピングモール行きたい!」

おにぎりを作り終わったら6度目のドリンク作成だ。ついでに牛乳も取ってくる。その間、篠岡は選手たちのベーランに付き合ってタイムの読み上げをしていた。

そして17:00、休憩の時間だ。ここで先程作ったおにぎりをみんなに配布する。
「おつかれさまでーす。今日のおにぎりは夏波ちゃんと一緒に作りましたー!」
「おおおお」
選手たちがダッと集まってくる。夏波は誰に何の具のおにぎりを出すのか事前に必死に覚えておいた。
「まずシャケおにぎりが花井君と…――」
記憶に従って選手たちに順番におにぎりを配布する夏波。篠岡はその様子を後ろから見守っている。おにぎりを受け取った選手たちは「うまそう!」と皆で言い合ってからものすごい勢いで食べ始めた。夏波はその勢いに圧倒された。
「これはなんか…猛獣を餌付けしてるような感覚になるね」
夏波がそう言ったのを聞いた篠岡がプッと吹き出してから「あはは!確かにそうだね!」と明るく笑った。おにぎりを出し終わったら篠岡はおにぎりを乗っけていたトレーを近くの水道で洗う。一方、夏波はその間に選手たちに牛乳を振る舞った。

「おーし、休憩終わりだ!素振りすんぞ!」
キャプテンの花井がみんなに声を掛ける。バットをもってグラウンドに駆け出す選手たち。夏波はちょうどベンチの蚊取り線香を取り替え終わったところだ。
「さ、夏波ちゃん、私たちの仕事は今日はこれでおしまい」
「お!」
「初日おつかれさま。どうだった?」
「結構楽しかった!」
「よかった!明日も朝9時から練習なんだ。着替え終わった状態で9時を迎えたいから、8:50くらいには着いててほしいかな」
「了解!」
「じゃー着替えて帰ろう」
篠岡と夏波はベンチ横の物置で一緒に着替えをした。

「お先失礼します!」
「おつかれさまでした~!」
選手や監督たちはまだこの後も練習を続ける。そんな中でマネジだけ先に上がるので2人はグラウンドに向かって挨拶をしてからフェンスをくぐって外に出た。

夏波ちゃんは家から学校までどのくらいの距離なの?」
「自転車で20分くらいだよ。千代ちゃんは?」
「私は電車とチャリで35分くらい」
「どっち方面?」
「川越の方」
「あー私とは逆方面だ」
「じゃあ校門で別れる感じかな。そこまでは一緒に行こー」
「うん」
自転車を漕いで校門に向かう2人。

校門に着いて篠岡の方から口を開いた。
「じゃー、夏波ちゃん、また明日!」
右手をこちらに向けて手を振る篠岡。
「うん!今日は色々教えてくれてありがとう。明日もよろしくお願いします!」
夏波は自転車に乗りながらペコッと軽く頭を下げた。
「こちらこそありがとう!絶対に夏波ちゃんを正式入部させてみせるから!逃がさないからね!」
「おお…」
篠岡の強気発言に夏波は若干驚いたが頼もしいマネジ仲間にフフッと笑いが漏れた。
「じゃーね!」
そうして2人は別れた。

――マネジの仕事、結構楽しかったな。
明日も色々教えてもらって、早く色んな事を覚えて、いっぱいみんなの役に立てるようにがんばろう。

<END>