三橋夢小説「鳴かぬ蛍 第3章」
5回戦(対美丞大狭山戦)の翌々日、7月25日の朝8時40分頃、西野夏波は西浦高校の裏グラに到着した。今日は夏波にとって野球部の活動2日目だ。
「おはようございまーす!」
そう挨拶をしてからフェンスをくぐってグラウンドに入る。
「おお、西野、はよーっす!」
そこにはもう花井がいて挨拶を返してくれた。
「あれ、花井君、早いね。私早く着きすぎたと思ってた」
「あーオレ性格的に遅れないようにしようと思ったら予定よりかなり早く着いちまうタイプなんだ」
「あー!私もー!」
「おおっ、マジか。血液型A型?」
「いや、O型。でも母親がA型で超心配性だからそれの影響でA型ってよく間違われるよ」
「なるほどな」
ハハッと花井が笑って「西野ってマネジ向いてるかもな」と言った。
「じゃ、私あっちで着替えてくるねー」
夏波は女子の着替え場所になっているベンチ横の物置に入って体操着に着替えた。
着替え終わって物置から出ると時刻は8時50分で選手たちがわらわらとグラウンドに到着していた。ベンチで着替えをする選手たち。なかには上半身裸になっている人もいて、夏波はギクリとして目を逸らした。そんな中、篠岡がグラウンドに到着して、選手たちが着替えをしている中、平然とベンチに入っていく。
「夏波ちゃん、おはよー!早いね!」
「千代ちゃん、おはよう。うん、なんか気負って早く着いちゃった」
篠岡は着替えのために夏波が立ってる物置の前まで近づいてくる。そんな篠岡に夏波は小声で話しかけた。
「男子たちが着替えてんの見るの気まずくない!?私、目のやり場に困るんですけど…っ!」
篠岡はそれを聞いてプフッと吹き出した。
「あ、ごめんね、たしかに私にもそんな時期はあったよ~。でももう慣れちゃった。練習中だけじゃなくて試合中も選手たちはベンチでアンダー着替えたりするしさ。夏波ちゃんも気にしないでベンチ入っていっていいよ。誰も気にしないよ」
「え~、まじかぁ~…」
「大丈夫!慣れだよ、慣れ!」
篠岡は着替えのために物置の中に入っていった。夏波は意を決してベンチに向かう。なるべく選手たちの着替えを目に入れないようにしながらベンチの壁に掛けてあるホワイトボードをみて前日のトレーニングの順位を確認する。
『ふむ、昨日は泉君がトップか。泉君の好みはイクラと…あ、今日ってイクラあるのかな?』
夏波は各家からの差し入れをまだ確認していないことに気付いた。
『差し入れの具が何かわからなきゃ、誰に何出すか決められないもんね』
夏波は着替えをしている選手たちの前を横切って保冷バッグの方へ歩き出した。保冷バッグを開けて中身を確認する。
『あ、イクラある。あとはコンブと梅とタラコだ。』
今日の差し入れの具材をメモして、再度ホワイトボードの前に立った。各選手の好みのおにぎりの具を記録したメモ帳を開いて誰に何を出すべきか考え始める。
「西野、おにぎりの具考えてんの?」
水谷が話しかけてくる。
「そう。これ結構難しいね~…」
「はははっ、たしかに考えるのメンドクサそうだよなぁ~」
水谷は夏波のメモを覗き込みながら「今日は泉はイクラか!」と言い、それを耳にした泉が「っしゃー!」と喜んだ。
「ちなみにイクラ差し入れしたのオレん家ね。オレが食べたかったから親に頼んだ。」
泉が自己申告した。夏波はアハハッと笑いながら「そりゃいーね、こっちも助かるよ!」と言った。
着替え終わった篠岡が倉庫から出てくる。夏波は篠岡に今考えてみた今日のおにぎりの具の配布案を見せて篠岡の意見を訊ねた。
「うん、これでいいと思う!」
「ホント?よかったー」
夏波は自分の考えた案が通って安心した。
9時になると練習開始…なのだが、まず最初にサードランナー瞑想をやるという。
「サードランナー瞑想って?」
「ピンチの時もチャンスの時も、三塁にランナーがいるでしょ?そういう状況でリラックスできるようにサードランナーとリラックスを紐づけする瞑想を毎朝やるの。メントレの一環だよ。」
「マネジもやるんだ?」
「うん、一応。夏波ちゃんは今日は一旦見てよっか。あとで何やってたか教えるよ」
「あ、うん、お願いします!」
部員たちは手を繋いで打席の近くに立った。そしてサードランナーをチラッと見た後に目をつぶって深呼吸をしていた。5分そうして過ごしたところでピピピピ…とアラームの音が鳴り瞑想はそれで終了した。
選手たちは次はアップに入る。選手たちのアップの時間はマネジにとっては水撒きの時間だ。夏波は昨日教わった通りにホースで水を撒き始めた。篠岡はそれを後ろから見守る。
「ついでにさっきの瞑想について説明するね。水を撒きながら聞いてて。」
篠岡が夏波の背後から話しかける
「はーい」
「夏波ちゃん、見ててみんなが何やってたかわかった?」
「うーんと、サードランナー見て深呼吸してるのはわかったよ」
「そうそう。深呼吸をすることでリラックスした状態を作ろうとしてるんだ。サードランナー見ながらそれをやることで、サードランナーとリラックスが紐づけできるってわけ」
「へー!なるほど!」
夏波は『そんなことができるんだ』と感心した。
「じゃあ手を繋ぐ理由は何だと思う?」
「え?なんだろ?手を繋ぐと人肌の温かさでリラックスできるとか?」
「あーたしかに温かい人の手は安心するよね!」
篠岡はアハハッと笑った。
「でも違うんだ。正解はリラックスしているかどうか確かめるためなの!」
「え?どーゆーこと?」
「人の手は緊張すると冷たくなって、リラックスすると温かくなるんだって。これは手で触って分かるくらいの温度差があるらしいの。手を繋ぐことで相手がリラックスできてるかどうか確かめられるってこと。」
ここで夏波はあることを思い出した。
「あ!あのさ、試合中、三橋君とキャッチャーの阿部君よく手合わせてるよね!それってもしかして…」
「そう!まさしくそれ!夏波ちゃん、よく見てるね~!」
篠岡は"感心!"といった表情をしてみせた。
夏波は『や、それは私が試合中三橋君のことばっか見てるからなのよね』と思ったがさすがにそれは口には出せない。
「何やってんのかなって思ってたんだよね。ようやく点と点が線で繋がったわ!これぞアハ体験ってやつだね」
「ふふ、たしかに瞑想のこと知らないと何やってんのって思うよね」
篠岡はクスクスと笑った。
水撒きが終わったらドリンクを用意するためにジャグを持って数学準備室に行く。ついでに差し入れのおにぎりの具材も持っていって数学準備室の冷蔵庫にしまった。志賀先生はここにいた。篠岡から瞑想については志賀先生が詳しいから後で詳細を聞いてくるようにと言われたので、夏波は志賀先生にサードランナー瞑想について訊ねた。
「ああ、西野は瞑想見るのは今日が初めてだったのか」
「はい」
「じゃあ、ちゃんと説明するね。でも、ちょっと長くなるから先にベンチにジャグ設置した方がいいかもな。選手たちが飲み物ないと困っちゃうだろ」
「あ、そですね。じゃあ一旦設置してから戻ってきます」
「いや、先生がグラウンドに行くよ。ちょうどそろそろ向かおうと思ってたからね。瞑想の詳細はベンチで話そう。先生はグラウンドまで歩いていくから西野は自転車で先に戻りな」
夏波は言われた通りに急いでグラウンドに帰り、ベンチにジャグを設置した。そして蚊取り線香の用意をした後、ボール修理をしていると志賀先生がグラウンドに到着した。夏波はボール修理を続けながら志賀先生から瞑想についての講義を受けた。
「面白かったです!講義ありがとうございました!」
講義を受け終わった夏波は志賀先生に頭を下げた。
「いーえ、どういたしまして。強いメンタルってマネジにも必要なことだから西野もメントレがんばってね!」
「うー、私メンタル弱いんですよね。でも、はい、瞑想でがんばって鍛えます!」
志賀先生からのレクチャーを終えた後は、ピッチングマシンに球を入れる役割を担当した。ピッチングマシンは2台あるので1台は篠岡がやってもう1台を夏波が担った。
バッティング練習後は2度目のドリンク作成をした。数学準備室からジャグを持ち帰ってきた夏波に篠岡が声を掛けてくる。
「よし、夏波ちゃん、それ設置したら今のうちに買い出し行っちゃお!お椀2つ買いに行かなきゃ!」
「あ、ショッピングモールだ!」
「そうそう!午後にはおにぎりの用意しなくちゃだし、今日は天気も崩れる予報だから行くなら今!」
「オッケー!」
ショッピングモールは裏グラから自転車で片道15分のところにある。到着したらまずは食器売り場へ。今おにぎり作りで使ってるお椀と同じくらいの大きさのお椀を探す。
「あ、この辺でいいんじゃない?」
夏波は篠岡を呼ぶ。
「ホントだ、ジャストサイズだ」
「このサイズで一番安いやつにしよう」
値段を見ながら選ぶ夏波。
「これでいいね」
購入するお椀2つを買い物カゴに入れた。
「ついでに牛乳も買おう」
篠岡が食品売り場へと向かおうとした。
「あ、千代ちゃん!私さ、今までスポーツと無縁の人生だったから運動着を全然持ってなくて、今ここで買ってきてもいい?1着じゃ足りなくてさ。」
夏波は千代に相談する。
「うん、いいよ。明日から合宿もあるし、他にもタオルとか足りないものあるなら今のうちに買っちゃいなよ。私は牛乳探してレジで精算してくる。自転車置いたところで待ち合わせよう」
篠岡は快く応じてくれた。
「ありがとー!なんかあったらケータイ鳴らすね」
夏波はそういってスポーツ用品売り場に足を運んだ。ほぼ毎日部活があるんだから、とりあえずあと2着は運動着が欲しい。スポブラとタオルも欲しい。それから運動用の靴下も。篠岡を待たせるわけにはいかないので夏波はさっさと選んでレジで会計を済ませた。
「おまたせー!ごめんねー!」
夏波なりに急いで買ってきたつもりだったが、待ち合わせ場所には既に篠岡が着いていた。
「全然平気!結構たくさん買ったね!」
「運動用品全然持ってないから色々必要でね」
「これで明日からの合宿はバッチリ?」
「バッチリ!」
篠岡と夏波はニッと笑い合った。
自転車でショッピングモールから帰ってきた頃にはまたジャグの中身が無くなりかけていて、3度目のドリンク作成をした。それが終わったらもうランチの時間だ。昨日と同じように選手たちと篠岡と一緒にごはんを食べる。
「そういえば西広君に聞きたいことがあるんだけど」
夏波は西広の隣に座った。
「うん、どうしたの?」
西広は優しく微笑んでいる。夏波は『感じのいい人だな』と思った。
「西広君、野球初心者って聞いたんだけどホント?」
「うん、そうだよ。未経験で高校から野球部に入ったんだ」
「そうなんだ。あのさ、私野球のルールとか全然知らなくて勉強したいんだけど、西広君はどうやって勉強してる?」
「あーオレはね、そもそも野球やりたくなった理由が野球漫画なんだ」
「へー!」
夏波は『漫画がきっかけってのは意外だな』と思った。
「野球漫画読んでるとある程度は自然に覚えるし、わからない単語は調べながら読んでるよ。あとはベンチからみんなの試合の様子を眺めてても学べることは多いし、日々の練習の中でもわからないことあったらみんなに聞いてる」
夏波は話を聞きながらメモを取る。
「野球のルール学ぶのに良さげな漫画ってある?オススメ知りたいな」
「漫画ならオレの家にたくさんあるからよかったら貸そうか?」
「いいの!?貸してほしい!」
「明日持ってくるから合宿中の空き時間とか読んでみてよ」
「うん!ありがと!」
夏波はペコリと頭を下げた。
「野球のルールかー。漫画以外だと、初心者はどうやって覚えるのがいいんだろーね?」
西広と夏波の会話を聞いていた栄口がポロリと口を開いた。
「オレら小・中から野球やってるヤツらばっかだから何もアドバイスできねえよなァ」
花井が頭をポリポリ掻きながら言う。ここで三橋が何か言いたそうに口をパクパクし始めたことに夏波は気付いた。
「三橋君どうかした?」
「た、たっ、田島、君の家、本、た、くさんっ、あるっ!」
「ん?オレんち?」
田島はお弁当を食べるのに夢中で話を聞いていなかったらしい。"何の話?"という顔をしている。
「野球、の、ル、ルールの本!」
「ああ!オレの兄ちゃん、アマチュアの審判してるから野球のルールに関する本なら色々あるぜ!」
「え!ホント?初心者向けの本ってあったりする?」
「どーだろな、今日帰ったら兄ちゃんに聞いてみるよ!良さげな本あったら貸してやるよ!」
「助かる~!ありがとう!お願いします!」
夏波は再び頭を下げた。
「そーだ、夏波ちゃん、明日から夏合宿でしょ。まとまった時間が取れる時があったらスコア表の見方とか書き方教えるよ」
篠岡が口を開いた。
「あー、それ、めっちゃ難しそうなやつだー」
夏波はスコア表と聞いて青ざめる。
「そだね、ちょっと覚えるのに苦労するかも」
「お手柔らかにお願いします…」
怖気づいてズーンとなっている夏波を見て篠岡はアハハッと笑った。
「大丈夫!ゆっくり覚えていこうね!」
ごはんを食べ終わったら選手たちは13時までは昼寝の時間だ。篠岡の夏波は2人でゆっくりお昼ごはんを食べた。
「野球のルールってどのくらいまでわかる?」
「えっと、バッターが打ってランナーが一塁・二塁・三塁を回って本塁に帰ってきたら得点はわかる。あとストライクとボールがあって、3ストライクで1アウト、3アウトで攻守交代なのも知ってる。フォアボールとデッドボールで塁に出れることもわかる。」
「うんうん」
「あとは、ボール球でもバット空振りしたらストライク扱いなのもわかる。」
「うんうん」
「あとは打った球がノーバンでキャッチされたらアウト」
「フライのことね。結構わかってるね。逆にわからないのは?」
「えっと、牽制とか盗塁がよくわからないかな。牽制ってつまり投手が投球してバッターが球打つ前でもランナーにボール持ってタッチすればアウトにできるってことだよねぇ?盗塁は、あれって投球開始したらバッターが打ってなくてもランナー進塁していいもんなの?てかタッチしなきゃアウトにならない時と塁踏めばアウトになる時があるじゃん?あれの差もよくわからない。あとランナー一塁&三塁の時にわざわざ満塁にしたりするのも理由がわかんない。あとなんちゃらフライ?打ち上げた球を選手が捕球する前にアウトって審判が言うやつ。あれもわかんない」
「おお、わからないことを具体的に言えるのはすごいことだよ。全部ちゃんと説明するね。まず…―――」
篠岡は夏波がわからないといったところを一つ一つ教えてくれた。
「へえー!ありがと!でもインフィールドフライってやつはまだいまいちよくわかんないかも…。あとでネットで詳しく調べてみる!あとは、ランナーの位置によって守備位置が変わるっていうのも、まだ覚えられないんだよねー。こういうのもわかるようにならなきゃだよね」
「焦らずゆっくり行こう。あ、あとはマネジをやるにあたっては選手が怪我をした時の応急処置を覚えないと!テーピングのやり方とかRICE処置とか…」
「RICE処置?」
「一昨日阿部君が怪我した時に実際にやったんだよ!私もRICE処置を実際にやったのは一昨日が初めてだったけど、やっぱ知っててよかったと思ったよ」
「怪我した時にやるのか」
「詳しくはあとで教えるね!もう13時になっちゃうから食堂いかなくちゃ」
「わっもうこんな時間。じゃあ後でお願いしまーす!」
13時からは昨日と同様にお勉強タイムだ。夏波は今日はちゃんと勉強道具を持ってきた。夏波は今日は英語の勉強をする。家で作ってきた単語帳を使って英単語の記憶をする夏波に西広が話しかけてきた。
「西野さんってさ」
「んーなに?」
夏波は単語帳から顔をあげて西広を見た。
「もしかして…ハリポタ好き?」
「!! 超好き!え、もしかして西広君わかる!?」
夏波は嬉しくなって思わず前のめりになった。
「やっぱそーだよね!西野さんが着てる制服のネクタイ、ハリポタの各寮のやつだよね?」
「そうなの!4つの寮のやつ全部持ってて気分で取り替えてるんだー!」
「やっぱり!オレもハリポタ好きなんだ。だから昨日西野さんが自己紹介してる時から気になってたんだよね」
西広も趣味の合う人が見つかって嬉しそうだ。
「あー、実はオレも気になってた。昨日はグリフィンドールで今日はハッフルパフだったよな?」
ここで花井が口を開いた。
「妹がハリポタ好きで家にDVDがあってさ、オレも一緒に観たんだ」
「おおっ、花井君もわかる!?嬉しいな!私、高校を西浦に決めた理由の一つがなんちゃって制服でハリポタ制服着たかったからなんだよね~」
「ははは!そんな理由!ローブは着ないの?」
これは西広だ。
「いや、ローブはさすがにムリ!完全にコスプレになっちゃう」
夏波は笑った。
「この英単語帳も英語版ハリポタに出てきた単語で意味わかんなかったやつを書き出してるの」
「原書を読んでんの!?スゲーな」
花井は感心している様子だ。
「英語力も上がるし、楽しいし、一石二鳥でしょ」
「へーオレもやってみようかな」
西広が興味を示した。
「うん、ぜひやってみてよ!よかったら英単語帳貸すし!私今2巻の途中だから、1巻分の単語帳ならもうできてるよ!」
「じゃあ、必要になったら言うね」
「うん」
一時間お勉強をした後は14時から午後の練習開始だ。昨日と同様に浜田がやってきた。アップ中の選手たちの横で夏波は水撒きをした。それが終わったら4度目のドリンク作成だ。
「夏波ちゃん、水撒きとドリンク作成はもうバッチリだね!」
篠岡が夏波を褒めた。
「ヘヘッ、これなら私でもできる!」
「すっごく助かるよ~!」
「あ、今日はお米研ぐの私やってみるから見ててほしい!」
「もちろん!そういえば今日は午後から雨の予報だから、もう今からお米研いじゃおう!」
「うっし!」
篠岡と夏波はテニスコート近くの水道まで移動した。そして米を10合分はかって炊飯ジャーに入れる。
「ガシガシ研いでいいんだよね?こうでいい?」
「そうそう、どんどん研いじゃって!」
「はーい」
ガシガシと米を研いではゆすぐを繰り返す夏波。
「んで、これで3回目のゆすぎ終わり!」
「うんうん、いい感じだよ~」
夏波は炊飯ジャーのメモリの指定線まで水を注ぎ、炊飯器にジャーをセットした。
「炊飯器はここのボタンでタイマー設定してからこのボタンだよね」
「そう、正解でーす」
「おーし、できた」
「完璧だ!」
篠岡はパチパチと拍手をしてくれた。
炊飯器をセットした後は篠岡が夏波にテーピングのやり方やRICE処置について教える時間を設けてくれた。
「へー、一昨日阿部君が怪我した時ベンチではこんなことやってたんだね。すごいな~」
「そういえば監督は看護学校出身なんだって。だから怪我の処置とかは詳しいから、今度監督にも教わってみるといいよ!」
「えっそうなんだ!監督すごい!」
炊飯器のセット完了後は5度目のドリンク作成だ。同時に数学準備室の冷蔵庫からおにぎりの具材を取ってきた。そして今日はフォームチェックのためのビデオ撮影のやり方を教わった。三橋のピッチングフォームを機材で撮影する。
「こういうお仕事もあるんだー!おもしろい!」
「撮影するのが楽しい?」
「や、ピッチングをこんな間近で見るのが初めてでおもしろい!」
「そか!マネジやってないとなかなか見れないか」
夏波は内心『ピッチングやってる三橋君、カッコイイな』と思いながらドキドキしていた。
フォーム撮影の後はおにぎり作成の時間だ。新しく買ってきたお椀を使って篠岡と2人で20個のおにぎりをどんどん作っていく。そして今朝夏波が決めたおにぎりの具の分配案を見ながらまん丸のおにぎりに具を詰めて、形を三角形に整えた。
「私、おにぎり作るの楽しくて好き」
夏波はお椀2つでコロコロするのが楽しくて、そう口にした。
「それはよかった。2人でやると早く終わるし楽ちんだ!」
「あー今まで1人で22個とか作ってたんだよね。そりゃ大変だよねぇ。」
「そーなんだよ~。しかもこうやってお話する相手もいなかったから孤独だったし。夏波ちゃんホントに正式入部しよーよ!」
篠岡は熱い眼差しを夏波に送る。
「うん、私もそうしたい。問題は野球のことをどこまで覚えられるかに掛かっている…!」
「野球のこと覚えてくれたら嬉しいけど、万が一覚えられなくてもいいよ!それでもいてほしい!」
「えー?野球わかんなくても、野球部のマネジでいていいのかな?」
夏波は野球がわからない状態でマネジを名乗るのは申し訳ないと思っていた。
「全然いいよ!だってわからなくてもできること沢山あるって、この2日間でわかったでしょ?」
「それはたしかにそうだね!」
篠岡と夏波はおにぎりを作り終わった。夏波が6度目のドリンク作成のために数学準備室に向かおうとすると雨がポツポツと振り始める。
『雨…ついに来たか』
夏波は今日は雨に備えて折りたたみ傘もカッパも持ってきている。今から自転車に乗るため傘は差せないので夏波はカッパを着てジャグを持って数学準備室へと自転車を漕いだ。夏波が裏グラに戻ってくる頃にはもう雨は本降りだった。でも選手たちは雨の中でランニングをしていた。
「こんなに雨降ってるのにランニングするんだね」
夏波はベンチにジャグを設置しながら篠岡に話しかけた。
「大変だよねぇ」
篠岡が答える。
「選手たちって本当にがんばってるんだね。私もマネジとしてがんばらないとだ。」
夏波は雨の中練習に励む選手たちを見て、身が引き締まる思いがした。
17時になった。休憩の時間だ。
「みんなー!おにぎりだよー!」
夏波は選手たちに声を掛けた。
「今日は泉君がいくらで、それから……―――」
夏波は昨日のトレーニングの順位に従って決めたおにぎりの具の配布案を思い出しながら、みんなにおにぎりを配った。その後はおにぎりを乗せていたトレーを裏グラ近くの蛇口の水で洗った。今日の牛乳の配布は篠岡の担当だ。それから、夏波はみんながおにぎりを食べている姿を横目にベンチの蚊取り線香を取り替えた。これで今日のマネジの仕事は終わりだ!
篠岡と夏波はベンチ横の物置で服を着替えた。
「おつかれさまでーす」
「お先失礼しまーす」
2人はグラウンドに向かって挨拶をしてからフェンスをくぐって外に出る。
「明日から合宿だー!私、部活で合宿って初めてなんだ!ちょっとワクワク!」
夏波は明日からの合宿を楽しみにしていた。
「明日はみんなのお母さん方もお手伝いに来てくれるんだよ。夏波ちゃんのこと父母会のみなさんに紹介するね。」
「おっ、ありがとー!」
「お母さん方、色々やってくれるからすっごく助かるよ。だから合宿中にスコア表のこと教える時間取れると思う!」
「うわー…、覚悟しておきます…」
スコア表と聞いて青ざめる夏波。
「そんなに怯えなくてもだいじょーぶだって!」
篠岡はアハハッと明るく笑った。篠岡と夏波は昨日と同様に学校の校門で別れた。
いよいよ明日から夏合宿開始!
<END>