「私たちの志」
藤堂奈々はここ数日は野球に関する本を読み漁っていた。図書館で借りてきた本数冊と田島が兄から借りてきてくれた野球初心者におすすめだという野球ルールの解説本だ。奈々はそこそこの進学校である西浦高校において毎回の定期試験でトップ10入りするくらいの好成績の持ち主なので元々地頭は悪くない。これまで野球とは無縁の人生であったが、本を数冊読んで野球のルールについてはだいぶ把握できた。
『野球ってすごく頭を使ってやるスポーツなんだ!今まで興味がなかったけど、結構面白そうかも!』
奈々はそう思った。去年の夏、奈々は野球部の夏大2回戦(対桐青高校戦)を観戦に行ったのだが、それは友人に誘われて付き合いで行っただけで全然ちゃんと試合を観てなかったし、戦況もよく分かってなかった。でも、新学期に新しくできた友人の話によるとあの日の田島は決勝打を打ったらしい。奈々は最近田島と仲良くなったばかりだ。当時の奈々は田島に微塵も興味がなかったからそういったことに注目していなかった。今になってあの日ちゃんと観戦しておけばよかったと奈々は後悔した。
朝、登校した奈々は自席についてすぐに田島の様子を窺った。田島はいつも朝は朝練終わりで疲れて仮眠を取っているか、あるいは宿題がある日は宿題を終わらせるために四苦八苦している。今日は寝ないでプリントと教科書と比較してにらめっこしていた。
『たぶん英語の宿題をやってるんだな』
今日の時間割と出された宿題を思い出しながら、奈々はそう結論付けた。奈々は田島に近づいた。
「田島君、おはよう」
「お?おお、藤堂!はよー!」
いつもの明るい笑顔で挨拶をしてくれる田島。
「宿題?手伝うよ!」
奈々は協力を申し出た。
「マジ!?助かる~~~!これってどこ見ればわかる?」
宿題のプリントのわからない部分を指さす田島。奈々は田島の教科書を持ってページをパラパラとめくった。
「それは教科書のこのページ。ここ。」
「おお、藤堂、すぐわかるんだな!スゲー!」
「いや、私も同じ宿題出されてるから」
奈々はハハッと笑った。
「お、これもこのページに載ってるな」
「そうだね、今日の宿題はだいたいこの辺りを見ればできるよ」
奈々は田島が宿題を終えるまでそばで見守りつつ時々手助けをした。
「よっしゃ!これで終わったー!」
田島は両手をあげてぐーんっと伸びをした。
「藤堂、サンキューな!超助かったぜ!」
田島はニコニコと満足気な笑顔だ。
「いーえ」
奈々もニコッと笑い返した。
「ところで、私、田島君に話したいことがあるんだ」
「え?なに?」
「野球部がこれまでやった試合ってビデオ撮ってたりしない?あったら借りたいんだけど。野球部がこれまでどんな試合をしてきたのか観てみたいの。」
本を読んで野球のルールをだいたい把握した奈々は今度は実際の試合を観てみたくなった。今の自分の知識でどれだけ試合の戦況を理解できるのか確かめる狙いもある。
「あー。あるけど、野球部として撮ったビデオはたぶん部外秘なんだよなー。」
「マジか…」
部外秘と言う言葉にガックリとうなだれる奈々。
「あ!夏大5回戦の県営球場でやった試合ならテレビ中継されたから、ウチで録画してあるぜ!それならDVDにしてやるよ!」
「ホント!?いいの?」
奈々は顔をパアッと輝かせた。
「いいぜー。ま、でもその試合オレたち負けちったけどな。」
「あー、それは残念だったね」
「あの試合、オレが初めて公式戦で捕手やった試合なんだ!」
「捕手やったの?…あっ、あれか。正捕手の人が怪我した試合か。旧9組の時に噂で聞いたよ、そういえば。」
夏大5回戦を観戦に行った友人たちがそんなことを言っていた。ちなみに奈々は4回戦・5回戦は家族で祖父母の家に泊りに行ってたので参加できなかったのだった。
「そうなんだよ。あの試合は大変だったなー。」
田島は、当時の試合を回顧しているのだろうか、腕を組みながら目をつぶっている。
「でも、オレたちあの試合、最後まで諦めずにがんばったんだ。結果は負けだったけど、ぜひオレらの勇姿を見てほしいね!」
「うん、見る!見せて!」
「そいじゃ、明日…はオレ春大の地区予選があるからな、明後日持ってくるな!」
「ありがとう。明日の授業は私が田島くんの分もちゃんとノート取っておくし、プリントとか配られたら代わりに貰っておくし、勉強わからなくなったら私が教えるよ。だから安心して試合がんばってきて!絶対勝ってよ!」
「おう!」
田島と奈々は互いの拳と拳をコツンッとぶつけ合った。そしてニヒッ/フフッと笑い合う。
翌日、田島は試合のためにお昼過ぎまで公休となった。奈々は昨日田島に宣言した通り、田島の分のプリントを代わりに貰っておいたり、田島が不在だった授業のノートのコピーを取ったりして少しでも野球部に貢献しようと心がけた。田島は午後から登校してきた。
「田島君!おつかれ!試合どうだった!?」
「勝ったぞー!」
「やったね!イエーイ!」
田島と奈々は両手を合わせてハイタッチした。
「はい、これ」
奈々は田島に今日の授業で配布されたプリントと奈々のノートのコピーを手渡した。
「おーっ!藤堂、マジ助かる!ありがとなー!」
田島が目をキラキラさせて喜ぶ。
「いいんだよ。次も勝って県大会まで進んでね!私、観戦行くの楽しみにしてるんだから!」
「おう!オレらは次も勝つよ!」
田島がニカッと笑った。
「それからこっちもあげる。次回の古典の授業で小テストやるらしくて、そのテスト範囲をメモった付箋ね。今日の授業でやった部分が含まれるから、もし教科書とノート見ても分からないことあったら2人とも私に聞いて。教えるから。」
「藤堂って神…!」
田島は奈々に「マジ助かる!サンキュー!」と言いながら屈託のない笑顔を見せた。
「そういや藤堂って定期試験で成績1位になるのが目標って言ってたよな?」
田島はたった今渡したプリントで顔を扇ぎながらそう言った。
「そー。ていうか全教科満点取るのが目標なんだよね。でも、これがなかなかうまくいかないんだ。完璧に覚えたつもりで試験に挑んでもケアレスミスしちゃったり、ど忘れしちゃったりして1教科辺り平均3~5点は失点しちゃうね…。それが8教科とかあるとトータルで24~40点の失点になるから、そんだけ失点しちゃうと1位にはなれないのよ。」
「え!それってつまり8教科とかある試験、全部95点以上取ってるってことか!?」
「や、教科強化によっては90点とかだったりもするよ。逆に満点取れることもある。平均すると95点くらいかな。」
「ひえー!藤堂はそんな厳しい戦いに挑んでるのかよ!藤堂ってゲンミツにカッチョイイな!」
奈々は『田島君はどうも"厳密"の意味を間違って覚えているなー?』と思った。
「野球部だって全国1位目指してるんだから、厳しい戦いに挑んでるっていう点では一緒でしょ!野球部もカッコイイよ!」
奈々がそう言うと田島はニヘッと笑って「そうだな、オレらはある意味同志だな!」と言った。
「そんだけ勉強がんばってんのは大学国公立に行くためか?」
「そうだね、それもある。あと恥ずかしい話なんだけど、家があんまり裕福じゃなくて私立大に進学すると家計がかなり厳しくなりそうなんだ。それから…うちの父親、すっごいムカつくから見返してやりたくて!」
「父親?」
頭に疑問符が浮かんでいる田島。
「うちの父親さ、何かある度に"誰が養ってやってると思ってるんだ"とか言って脅して私を服従させようとしてくるの。子どもなんだから働けないんだから養うのは親の責務じゃん…って思うんだけどやっぱ自分でお金を稼げてない身分だからそれ言われると何も言い返せなくて、それが子どもの頃からずっと悔しくて!私、大人になったらバリバリ働いて自分でお金稼いで誰にも"養ってやってる"なんて言われないような立場を確立したいの!そのためにもいい大学を出たい!」
メラメラと燃える奈々。田島は惚れ惚れとした表情で「藤堂、お前、スゲーやつだな!」と言った。
「そんだけ向上心がある上にちゃんと努力できるんだから、お前の夢、絶対叶うよ!」
田島はニッと笑った。
「オレ、藤堂みたいなやつ、スキだぜ!」
「えっ、おっ、あ、ありがとう」
奈々は"スキ"と言われてちょっと動揺した。もちろんこの"スキ"はあくまで人間としてという意味で他意はないのはわかっている。ただ田島の気持ちの表現があまりにどストレートだったので少し照れてしまった。
「そうだ、野球部でやってるメントレ教えてやるよ!」
「メントレ?」
「すっげー簡単なんだ!メシ食う前に"うまそう"って思って、食べながら"うまい"って幸せ噛みしめて、食べ終わったら"うまかったー"って振り返るだけ!これだけで日々の集中力が増したりやる気になったりするんだってシガポが言ってた!
「あ!野球部が食事前に"うまそう"っていつも言ってるのってそういうこと?」
「そー!」
「へー、そんなんでメントレになるんだ?」
「チロなんちゃらっていうホルモンと、コルチなんちゃらってホルモンと、アドレナリンが活発になるんだって~」
「おいおい、ホルモンの名前、全然覚えてないじゃんよ」
奈々はクスクスと笑った。
「でもわかった。私も今日からやってみるよ。集中力増したらケアレスミスなくなるかもしれないしね。」
「そーゆーこと!な、いいアイディアだろ?」
ガハハッと豪快に田島が笑った。
翌朝、奈々が登校するとまた田島が今日分の宿題を終わらせようと格闘しているのが見えた。奈々はクスッと笑って田島に近づく。
「田島君、おはよう」
「お、藤堂、はよー!あ、DVD持ってきたぞ!」
田島は「じゃじゃーん」という効果音とともにDVDを取り出した。
「わーい、ありがとー!今日家に帰ったら観るね!」
「おう」
「…で、今日はどこに悩んでんの?」
「神様、ここ教えてくれぇー!」
奈々は先日と同様に田島の宿題の手伝いをした。この日以降、奈々と田島はほぼ毎朝一緒にその日の宿題や小テストの勉強をするようになった。奈々は田島に合わせて野球部の朝練終わりには教室に着くように登校時間を変更した。そうして田島と奈々の仲は日に日に深まっていったのだった。
<END>