田島夢小説「いい人じゃないから」
「藤堂」
昼休み、クラスの女子たちとランチを食べ終わって雑談としていると奈々に声をかけてきた人がいた。振り返るとそこには大塚が立っていた。
「…あれ、大塚君」
奈々は大塚の顔を見てバレンタインデーに起きた苦い記憶を思い出してしまい、ちょっとブルーな気分になる。いや、それは別に大塚が悪いわけではないし、奈々もそのことは重々承知しているのだが。
「久しぶりだね。どしたの?」
奈々は大塚にそう尋ねた。奈々と大塚は旧9組の元クラスメイト同士だし、2月頃は席が隣同士だったので多少話をすることはあった。けれどその程度の仲だ。決して親しいほうではない。大塚がわざわざクラスが離れた奈々の元へとやってきたのにはそれなりの理由があるはずだった。
「…あのさ、これ、遅くなったけど…バレンタインデーのお返し。」
大塚はおずおずと菓子折りを奈々に差し出した。奈々と一緒にランチを食べていた女子たちから「キャーッ」っと黄色い悲鳴があがった。色めき立つ女子たちと裏腹に奈々はサァ…ッと顔から血の気が引いていった。
「いや、ゴメン、大塚君、あれはただ単に教科書を見せてもらったお礼で、特に深い意味は…」
「わーってるって。さすがのオレもそこまでうぬ惚れてないって!」
大塚は、必死に言い訳をしようとした奈々を制してそう言った。
「だけどさ、あの日の夜に母親からバレンタイン貰えたか訊かれて、オレ貰ったって言っちゃったんだよ。そしたら母親が舞い上がっちゃって、絶対お返ししろってうるさいんだ。これも母親が用意したやつで、オレの方も深い意味はないよ。でもこれ渡さなかったらオレが母親に怒られるから、貰ってくんね?」
大塚はポリポリと頭を掻いている。今や大塚と奈々はクラス中の注目の的だった。
「えー…」
奈々は非常に困った。これで受け取ってしまったらまた美紀の気分を害してしまうかもしれない。せっかく仲直りできたのに、また同じ過ちは犯したくない。けれど貰わなかったら貰わなかったでせっかくお返しを用意してくれた大塚のお母さんと勇気を出して渡しに来てくれた大塚自身に申し訳ない…。
「ちょ、ちょ、ちょっと、あっちで話そう」
奈々は大塚を連れて教室を出た。あんなにクラス中から注目された状態では恥ずかしくて言葉を発することすら躊躇われたからだ。廊下の端、階段の近くまでたどり着いて、奈々は大塚に向き直った。
「5分だけここで待っててくれない?ちょっと、さ、私、確認してこなきゃいけなくて…」
「確認?」
大塚は何が何だかわからないといった顔だ。
「あのね、それ貰っていいかどうかちょっと確認してくる!」
「………」
大塚はしばし考え込んだ後、「ああ!」と言った。何か察しがついたらしい。大塚が何を察したのか奈々にはちょっとよくわからなかったが大塚が「わかった。待ってる。行ってらっしゃい。」と返事をしてくれたので、奈々は「じゃあ、ちょっと待ってて!」と言って廊下をダッシュした。向かった先は美紀がいる5組だ。
「美紀!」
奈々は5組の一角で友人たちと食事をしている美紀を見つけて声を掛けた。
「ゴメン、ちょっと急用なんだけど一瞬だけベランダで話せる?」
奈々はベランダに誰もいないのを確認してからそう美紀に提案した。
「わ、わかった…」
美紀は奈々のあまりの形相にちょっと驚いているようだった。ベランダに出る美紀と奈々。
「どうしたの?そんなに慌てて…」
「美紀、あのね、怒らないで聞いてほしいんだけど…」
奈々は美紀に今起きたことを説明した。大塚がバレンタインデーのお返しを持ってきたこと、大塚は奈々があくまで教科書のお礼にクッキーをあげただけだと理解していること、お返しは大塚の母親が用意しただけで大塚側にも特に深い意味はないと言ってること、貰わないと大塚が母親から叱られるらしいこと。
「ねえ、どうしたらいい!?」
慌てる奈々。意外にも美紀はフフッと笑った。
「貰ってあげなよ。私は大丈夫だから。気を使ってくれてありがとね。ちょっと嫉妬はするけど、好きな人が母親に叱られちゃうのもやだし、せっかく勇気を出してお菓子を渡しに行ったのに断られて大塚がしょんぼりすると思うと私も気掛かりだし。」
「え、い、いいの?」
「いいよー。別に深い意味ないんでしょ、お互いにさ?」
「ない!全然ない!」
「うん、じゃあ、貰ってあげて!」
美紀はニコッと微笑んだ。寛大な友人に奈々は心から感謝した。
「わかった!ありがとう!ゴメンね!じゃあ、待たせてるから私もう行く!」
「はーい!またね~!」
奈々は階段のところで待たせている大塚のところに急いで戻った。
「ゴメン!おまたせ!」
「おー、全然いいよ。で、どうよ?」
「…ありがたく頂戴します!」
「おお!よかった!」
大塚はホッとした様子で笑った。
「クッキーありがとうな!」
「こちらこそ教科書とコレありがとう!」
「やーよかった。これで母親に叱られないで済むよ。」
大塚と奈々は教室に向かって歩き出した。2組の教室は階段のすぐ近くだ。
「じゃあ、私はここで」
奈々は2組の教室の扉を開けた。
「おー。てか藤堂って彼氏いたんだな。」
「…は!?」
「確認を取らなきゃいけない相手って彼氏だろ?え、違うの。それ以外になくね?」
どうやら大塚は奈々が急いで話しに行った相手が奈々の彼氏だと勘違いしているようだった。まあ、確かに奈々と美紀の事情を知らなかったら、普通に考えたらそういう結論になってもおかしくはない。
「ちが…」
奈々は反射的に否定しようとしたが、はたと"もしここで否定したら美紀のことを説明しなきゃいけなくなるのでは?"と考えた。美紀の気持ちを奈々が勝手にバラすわけにはいかない。それならばそういうことにしてしまった方が都合がいい。
「いや、まあ、なんていうか…そんなんだね~…」
「寛大な彼氏で助かったよ。お礼言っといて!」
「あはは~…」
「じゃあな」
「じゃあね~」
奈々がふぅ~とため息をついて振り返ると、田島が立っていた。ジッとこちらを見つめる田島。
「それ大塚から貰ったのか」
田島は奈々が手に持っている菓子折りを見てそう言った。
「あ、うん」
「バレンタインデーのお返しって言ってたな」
「あ、そう、バレンタインデーにクッキーあげたんだ。…っていっても教科書見せてもらったお礼にあげただけの義理だよ!?」
「ふーん」
奈々は田島の態度に違和感を覚えた。
『なんか、ちょっと、怖い…?』
いつも明るい田島の顔が今は真顔だから違和感があるだけだろうか?それとも本当に何か怒っている?
「藤堂って彼氏いるんだな」
「……へ!?」
「今大塚がそう言ってただろ」
「いや、今のは…」
誤解だと説明しようとした奈々の言葉を田島が遮った。
「彼氏いるのに、毎朝あんなオレにばっか構ってたらマズいんじゃないの?…もう今後はいいから。あの日のお礼ならもう今までので十分もらったし。試合も無理に応援来なくていいよ。土日は彼氏と会いたいだろ?」
その言い方があまりに冷たくて、恐怖で奈々は固まってしまった。ちゃんと説明したいのに、言葉が出てこなかった。田島は「オレ便所行くわ」と言いながら奈々の横を通り過ぎていった。
『な、んで…?』
奈々にはなんで田島があんな態度になるのか、不思議でならなかった。田島が、奈々に彼氏がいると勘違いしているにしても、別にそれが毎朝田島に勉強を教えちゃいけない理由にはならないはずだ。試合の応援だって、彼氏がいたら行っちゃいけないのか?そんなわけない。奈々があの日のお礼のために無理して彼氏との時間を削って田島と一緒にいたと思ってる?じゃあ、あの冷たさは申し訳ないと思う気持ちからくるものだろうか。
いずれにせよ、奈々には彼氏はいないし、奈々は毎朝無理して田島と一緒にいたわけでもない。試合の応援に行きたい気持ちだって本心だ。
『誤解を解かなくちゃ!』
奈々はくるりと踵返しをして田島を追いかけた。廊下を歩く田島の背中を見つけた。
「田島君!」
後ろからその右腕を掴んで引っ張る。
「…なんだよ。」
田島は相変わらず怖い顔をしていた。
「誤解です!!」
「…何がだよ」
「彼氏いません!毎朝田島君に勉強教えてたのも、試合の応援も、全部私がしたいだけ!無理とかしてない!」
「…えっ、でもさっき……」
「大塚君には嘘を吐きました!便宜上!嘘も方便って言うでしょ!」
「………」
田島は一瞬ポカンとした後、カァァァッと顔が真っ赤になった。
「うわ、オレ、はっず……」
奈々は田島が何がそんなに恥ずかしいのかわからなかったが、とりあえず誤解が解けたようなので一安心した。
「だから、今後も毎朝一緒に勉強したいし、試合の応援も行きたい!……んだけど、ダメ?」
「! いいよ!藤堂、ゴメンな!オレ、誤解してヒドいこと言った。」
「いいよ!最初から誤解だもん!それに私が大塚君に嘘ついたのが事の発端だし。」
田島と奈々は顔を見合わせて笑い合った。
「これで仲直り…だね!」
奈々はくしゃっと笑った。そんな奈々の顔を田島は惚れ惚れと眺めた。
「……オレ、藤堂のことが好きみたいだ」
田島はポロッと零れ落ちるようにそう言った。
「…はい?」
唐突に田島の口から紡ぎだされた意味深な言葉に動揺する奈々。田島と奈々の間にしばしの沈黙が流れる。田島も奈々も両者ともに無言でお互いに見つめ合った。
「…えっと」
戸惑いながらも口を開く奈々。。
「……友達として好き、ってこと…よね?」
「……友達、として…好、き?」
ここでハッと我に返った田島は自分が今口にした言葉をようやく理解したのか、カァァァと顔が真っ赤になった。そしてバッと顔を横に背け、右手で顔を覆いながら言う。
「いや、ワリィ!今のなし!忘れてくれ!」
そして言うだけ言ったら「オレほんとに便所行くから!」とそのままダッと駆け出して消えてしまった。
『―――…は?はい?え?ええ!?ええええぇ!?!?』
奈々は自分の顔が次第に火照っていくのを感じた。
『いやいやいや!待て待て!早とちりするな!』
奈々は自分の両頬をパチンッと叩いた。
『あの田島君の言うことだ、たぶんそんな深い意味はない。スキって言ったって単に人としてだよ。"いいヤツだと思った"とかその程度の意味だって!絶対、そんな、深い意味じゃ…ない…』
――…だけど、
奈々は顔を真っ赤にした田島の姿を思い浮かべた。
『じゃあ、あの反応は何!?あれじゃ、まるで…まるで…私のことを"恋愛対象として好き"みたいな反応じゃない…!……ない、ないない。あの田島君に限ってそれはないって…!自分に都合のいい解釈をしちゃだめよ、奈々!』
奈々はそう自分に言い聞かせた。
『きっと、あの反応の理由は、勘違いされかねない言葉を言っちゃったことに気付いて恥ずかしくなっただけ…!それ以上でもそれ以下でもない!本人が"忘れてくれ"って言ったんだから、私も忘れなくちゃだめよ。トイレから戻ってきたら、いつも通りの無邪気で天真爛漫な田島君が今まで通り"友達"として仲良くしてくれる。それを変に今の言葉を意識してぶち壊しにしたらダメ!私も変な期待はしないで今まで通り"友達"を続けるのよ。…だって野球部は恋愛禁止なんだから!甲子園優勝を目指してて、恋愛なんてしてる場合じゃないんだから!』
奈々は自分を落ち着かせるためにスゥーっと息を吸い込んで深呼吸をした。
『……それにしたって、今の田島君の言葉は、ちょっと、酷い。』
奈々は胸がチクッとした。
『野球部が恋愛禁止だって知った時、私がどれだけショックを受けたか』
それは奈々にとって自分の田島への恋心を自覚した瞬間であり、同時に奈々が失恋した瞬間でもあった。
『色々考えて、沢山悩んで、それでようやく"叶わない恋心は内に秘めてずっと友達としてやっていこう"って決心したのに、そんな私にあんな意味深なことを言って一瞬でも期待させて…いくら無邪気で天真爛漫なところが魅力的な田島君とはいえ、あれは酷い…!』
奈々はちょっぴり田島を恨めしく思った。
奈々は先に教室に戻った。田島は結局午後の授業が始まるギリギリまで戻ってこなかった。休み時間は、奈々はまだ平静な気持ちで田島に接することができる気がしなくて女友達と一緒に過ごした。授業が終わると田島はダッシュで部活に向かってしまった。結局あの後、一度もちゃんと話せてない。
『でも、明日にはきっと気持ち切り替えて、いつも通りに接してくれるはず…!私も切り替えよう!』
奈々はそう決意した。
翌日、奈々は昨日の言葉は忘れて今まで通りに友達として田島に接するつもりで登校した。部活が終わって教室に入ってくる田島にいつも通りに挨拶をして、きっと田島も今まで通りにニカッと笑顔で挨拶を返してくれると思っていた。しかし、その予想は裏切られた。
「田島君、おはよ!」
田島の姿を見つけて声をかけた奈々。いつもなら「おっ、藤堂、はよー!」といった感じで明るく返事がくるはずだった。しかしその日の田島はそうではなかった。
「……おう」
一応返事はしてくれたが、いつもの明るい笑顔はない。それどころか目を合わせてさえくれない。
『な、なに…?なんで?』
奈々はあからさまによそよそしい田島の態度に戸惑った。
『昨日のことのせい…?でも、あれは深い意味はなかったんでしょ!?"忘れろ"ってそっちが言ったんじゃない。だから私は忘れることにしたのに、なんでそっちがそんな態度になるの!?昨日せっかく仲直りしたと思ったのに…!』
田島はいつもなら昨日の部活中にあった面白い出来事とか三橋君とどっか出かけたとかそういうことを奈々に話してくれるのに、そんでいつもなら一緒に宿題とか小テストの勉強をやるのに、なのに今日はそそくさと奈々から離れて同じクラスの野球部員のところへ行ってしまった。
――ど…っ!どーしてそうなるのっ!?
奈々は呆然と立ち尽くした。
その後の授業の合間の休み時間なんかも田島はあからさまに奈々を避けた。奈々は悲しかったり、腹立たしかったり、今日の田島の変な態度の理由を色々推察したり、どうしたら元に戻れるか頭を抱えたりして過ごした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「コースケ、ちょっと相談あるんだけど、今日昼メシの時、時間もらってもいいか?2人きりで話したいんだ。」
2限目が終わったところで、田島は4組に顔を出して泉に声を掛けた。
「お、おう。わかった。どこで食う?食堂?」
「今日弁当だよな?あんまり人に聞かれたくない話だから中庭のベンチで食おうぜ」
「わかった」
泉と田島は泉の前の席に座って仮眠を取っている阿部を見る。三橋の方を見るとあっちも机に突っ伏して寝ている。
「2人には後でオレから言っとく」
「おー、頼んだ。じゃ、また後で」
田島は手をあげて挨拶をした。
「おう」
泉も同じように手をあげて応じた。
そして迎えた昼休み。
通称万葉の庭と呼ばれる中庭の一角のベンチに座る田島と泉。
「で、なに、話って。深刻そうな顔して。」
泉は心配そうな、緊張したような、そんな面持ちで田島に訊ねた。田島は泉の顔をじっと見つめた後、すぅ~っと息を深く吸い込んで深呼吸をした。それを見守る泉。
「コースケ、単刀直入に言うな。…あのな、オレ、好きな子ができちまったんだ。」
「…っ!」
驚いて固まる泉。
「野球部恋愛禁止って提案したのオレなのに、言い出しっぺがなにやってるんだろうな…。」
田島は自嘲ぎみ笑った。
「……ふーん、そいで悠はどーしたいの」
「わかんねえから困ってるんだ。オレらの目標は"全国制は"だろ。そのために毎日練習ばっかで恋愛なんてしてるヨユーねーじゃん?それはわかってんだよ。だから付き合いたいとかじゃねーんだ。もし付き合えたって、どっか遊びに連れていったりなんてできなくて、ろくに構ってあげられないのは目に見えてるだろ。そんなん付き合ってるって言えねーもん。な?」
田島は泉に同意を求める。
「そうだな」
泉は頷いた。
「でも、だからって好きって気持ちが消せるわけじゃねえ。けど、恋愛禁止だし。」
「…………例えば、引退まで待っててもらう…っていうのは、無理なのか?」
「そんなオレだけに都合のいいこと相手に要求できないだろ~~!全国制はするなら引退まであと1年半近くあるんだぞ?」
「んー…、でも相手も悠のこと好きだったら、待っててくれるかもよ。途中で心変わりしちゃったらそれは仕方ないとして。恋愛禁止だけど、恋愛にうつつ抜かして野球に影響が出たり、その恋愛のせいでチームメイトと揉めて泥沼状態とかにならなきゃいいんじゃねーか?」
「相手がオレのことスキかなんてわかんねーじゃん。いや、嫌われてないのは確かだけど、ただの友達としての好きと恋愛の好きは違うだろ。それに、意地でも野球に影響は出さねえけど、他のチームメイトと揉めないかどうかなんて言い切れねェよ。万が一チームの誰かがあいつを好きになった時にオレはどうしたらいいんだ?それに野球部に限らず、あいつに誰か好きな人ができたらオレはどうしたらいいんだ?」
田島は「うわあー」と言いながら自分の頭をぐしゃぐしゃと掻きまわした。
「悠、オレは告白して引退まで待っててくれって頼むのがいいと思うぞ」
「ええ!?告白すんの!?恋愛禁止なのに?てかさっきも言ったけどそんなオレにだけ都合のいいような告白ズリィくない?」
「恋に落ちっちゃったもんはもうどうしようもねーんだから。告白して振られて諦めるか、引退待っててもらうかのどっちかしかねーだろ。相手も悠のことが好きなら悠が部活がんばってるのだって応援してくれんじゃねーの?」
「うわー、もう振られるところしか想像できないぃぃ。既にしんどいぃぃ」
「……悠、あんまり無責任なこと言うのは良くないかもしれないけど、オレは結構望みはあると思うぞ」
「へ?」
田島は泉の"望みはある"という言葉があまりに予想外でポカンとした顔で泉を見る。
「オレ、お前が好きな子、誰かわかる」
「えええ、なんっ…なんでぇええ!?」
田島は顔をカァァと赤らめた。
「いや、だってなァ、お前ここんところよく藤堂の話してたじゃん」
「え?オレってそんなバレバレな感じだった?オレ自身スキって気付いたのつい昨日なんだけど…」
「いや、バレバレってことはねーよ。でも最近仲良さそうだなと思ってたし、もしかしたらこのまま恋に落ちちゃうんじゃねーかなって思ってた。で、その通りになったってわけ。」
「うっわ、マジか…。」
田島は恥ずかしくて両手で顔を覆った。
「…で、オレは藤堂もお前のことスキなんじゃないかなって、傍から見てて思うよ」
田島はピクリと反応した。
「マジ?」
「マジ」
「なんでそう思う?」
「いや、だって、これから野球部の応援全部来るって言ってたし、勉強も教えてくれるって約束してくれたじゃん。実際、宿題とか小テストの勉強とか毎朝一緒にやってんだろ?わざわざ悠に合わせて朝早めに来てくれてるってことじゃん。」
確かに藤堂とは幸いにも2年生でも同じクラスになれて、そっからは朝練の終わりの田島にほぼ毎朝藤堂が小テストやら宿題やらの面倒を見てくれていた。
「でもよー、それはたぶん"お礼"なんだよ。恋愛の"好き"じゃねーよ。」
「そうかもしれないけど、それだけじゃない気がオレはしてんだよね。まー、あんま無責任なこと言って期待させんのはやめとくわ。」
「あのー、その言葉が既にもうオレに期待を持たせちゃってんですけど、コースケくん?」
田島が泉をジト目でみる。
「ワリィね!でもちょっと期待持たせないとお前告白しないだろ?」
「なんだよ、そーいう狙いかよ!」
「いや、望みありそうだなって思ってんのはホント。」
「…………」
田島は頬を若干赤く染めたまま考え込んで黙っていた。泉も黙って田島の様子を見守った。
「……おし、わかった。告白すっか!」
「おー、してこい。してこい。」
「じゃーオレ行ってくるわ!」
食い終わった弁当を急いで畳み始める田島。
「え、今から…!?」
「放課後は練習あるから時間取れねーし、こんなもモヤモヤした気持ちのまま今日の部活始めたくねーもん!じゃ、行ってくるわ!」
「お、おおお、がんばれよ!」
泉はダッと駆け出した田島の背中を見送った。
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「藤堂っ!!!」
教室の片隅でクラスの女子たちとお弁当を食べていると、急に教室の扉がバンッと開いて自分の名前を呼ばれた。あまりの勢いにビクッとなる奈々。扉の方に目をやると田島が立っていた。今朝そっけない態度を取られて、いつもなら休み時間にも話したりするのに今日は全然顔を合わせてくれなかった田島が、今奈々のことを呼んでいる。
『一体どういう心境の変化?』
奈々は怪訝に思った。一方で、また話してもらえて嬉しいとも思った。田島はずんずんと奈々の方に近づいてくる。
「藤堂、今ちょっといいか?話があるんだ。」
言い方からしてここでは言えない話なんだということは察しがついた。
「え、まだお弁当食べ終わってないんだけど、急ぎ?」
「急ぎ!超急ぎ!」
田島は凄い剣幕だ。
「わかった。いいよ。」
奈々はまだ食べ終わっていないお弁当を畳んで、友人たちに「ちょっと抜けるね」と声を掛けた。田島は「こっち来て」と言いながら奈々の前をスタスタと歩く。連れてこられた場所は…
「ここって野球部の部室?」
「そう。この時間なら部員はまず来ないから、邪魔されずに話できるのはここだと思って。」
奈々はその田島の仰々しい物言いに内心ギョッとした。
『何言われんだろ…』
やはり昨日の"好き"の話だろうか。それなら奈々は田島がそんな深い意味で言ったんじゃないってもう自分を納得させた。田島だって"忘れてくれ"って言ったし、今更釘を刺されなくったってわかってる。野球部が恋愛禁止だって話だって前ににきいたし。では、今朝から奈々に対してよそよそしくしたことに対する謝罪か?でもそれってこんな人目のないところに連れて来ないと言えないような話だろうか。
色んな思考を頭の中で逡巡させる奈々に田島は部室の扉を開けて「ホラ、入れ」と促した。促されるままに部室に入る奈々。
「…部室って結構狭いんだね」
帰宅部の奈々は運動部の部室に入ったことがない。物珍しくて部屋を眺めた。
「そーそー。10人で入るともうギュギュウのおしくらまんじゅう状態よ」
へへッと田島が笑った。
『よかった、いつも通りの明るい田島君だ』
今朝のそっけない態度に少々傷付いていた奈々はいつもの田島が見られて胸がじわっと温かくなるなるのを感じた。
「……今日、朝からなんか冷たかったよね。なんで?」
奈々は聞くなら今だと思って口を開いた。
「あー、ゴメン!オレちょっと混乱しててさ、藤堂にどう接したらいいかわかんなくなっちゃってたんだ。ゴメンな。」
田島は「悪かった!」と頭をガバッと下げた。
「…混乱ってなんで?」
奈々は『これはやっぱり昨日の"好き"のせいだろうな』と思った。きっとこれから"あれには深い意味はないから誤解しないでくれ"とか"友達として仲良くしてくれ"とか言われるんだろうなと思った。田島にひそかに恋心を抱いている奈々にとってはそれはつまり野球部恋愛禁止のルールを告げられた時に次いで2度目の失恋ということになる。しかも今回は本人の口からはっきりとそれを聞かされるわけだ。奈々は憂鬱な気分になった。
「…………」
田島は無言で真剣な表情で奈々を見つめた。そして、すぅ~と深く息を吸い込み深呼吸をする。奈々はその間に2度目の失恋の覚悟を固めた。
「藤堂、あのさ、昨日も言ったけどオレお前のこと好きなんだ」
全くの予想外のセリフに奈々は思わず目をパチクリした。
「………いや、でも、それは"友達"としてって意味だったんでしょ…?」
「え、オレそんなこと言った?」
「…いや、言ってない…けど、じゃあ、どういう…」
「女の子として好き」
「…っ!」
奈々は自分の耳を疑った。
『"女の子として好き"って言った!?それって…恋愛感情で好きってことだよね?…両想いってこと?』
奈々は自分の顔が火照ってくるのを感じた。心臓はバクバクしていた。田島は真剣な表情で奈々を見つめている。田島も頬が若干赤い。
「でも…野球部は、恋愛禁止って…」
「そうなんだ…だからどうしたらいいかわからなくなったんだ。」
「………」
奈々は好きと言われて舞い上がりかけた気持ちがしぼんでいくのを感じた。
『じゃあ、これは好きだけどその気持ちを捨てたいから告白してるってことだ。私は断らなきゃいけないんだ。私が断るのを期待しての告白だ。』
奈々はそう思った。奈々だって田島のことを恋愛感情で好きなのに、田島も好きだって言ってくれてるのに、せっかく両想いなのに、奈々から断らなきゃいけない。なんて…むごい仕打ち。
たぶん田島は奈々が田島のことを好きなんて思ってないから、こういう行動を取ったんだろう。田島は今自分が奈々にいかにむごいことをさせようとしているか自覚してない。奈々が胸がえぐられるような感覚を覚えた。
「……藤堂?」
奈々は今どんな顔をしているのだろうか。ただ、田島が異変を感じて心配して声をかけてくるくらいには"何か"を表に出してしまっているようだ。
「………田島君て、天真爛漫だよね」
「テンシンランマン…って何だっけ?」
「無邪気ってこと」
「あーそれならよく言われるぜ!」
「無邪気なのは、田島君の魅力の一つではあるけど、でもちょっと気を付けた方がいいよ!」
「…気を付けるって、何を?」
田島はキョトンとしている。
「無邪気は…場合によっては無神経だよ!人を傷付けるよ!」
奈々はそれを言葉にした途端に胸の痛みが抑えきれなくなった。奈々の目に涙がじわり滲んだ。ギョッとする田島。
「え!?ゴメン、オレ今無神経なこと言った?なに?どれが?」
「…………」
奈々は無言で目に浮かんだ涙を拭った。
「ゴメン、オレ、バカだからわかんない。教えてくんね?」
田島はショボンとした顔で奈々のことをみている。眉尻が下がっていて、こんな顔の田島を見るのは初めてだ。
「………田島君、私に振られることでその気持ちを捨てようとしてるでしょ」
「……えっ…と…」
田島は言い淀んだ。奈々はその反応を"イエス"だと解釈した。
「じゃあ、私は今から田島君のことを振らなきゃいけないわけだ。随分とむごいことするよね!」
「……え、藤堂?それって…」
「振ってあげないから!私も田島君のことが好きだもん!"友達"としてじゃないよ、"男の子"として!恋愛感情で好きだもん!!」
奈々は勢いに任せて気持ちを吐露した。
「どーすんの、この状況!?野球部は恋愛禁止なんでしょ!でも私、両想いだって知っててあえて振るなんてできないから!私、そんないい人じゃないから!」
奈々は目を吊り上げてキッと田島を睨んだ。奈々の告白に田島は呆気に取られていたが、次第に奈々が言った言葉の意味を理解したのかみるみるうちに顔が赤くなっていった。耳まで真っ赤になった田島を見て、奈々も自分の顔が赤くなるのを感じた。
「……藤堂」
「……なに」
「ハグしてもいい?」
思ってもいなかった言葉に奈々は「はあ!?」と言った。
「ダ、ダメ!だって野球部は恋愛禁止じゃん!付き合えないじゃん私たち!」
奈々はダメだって言ったのに、田島は奈々の腕を掴んで強引に奈々を引き寄せてハグをした。
「ちょっと…!」
口ではそう言ったが好きな男の子からハグをされて嬉しい気持ちが湧かないなんてことはなくて、奈々は田島を拒否できなかった。
『田島君の身体、温かい。しかも田島君のいい匂いがする。』
奈々は胸がキュッとなった。
「……藤堂、あのさ…」
田島は奈々を抱きしめながら口を開いた。耳元でする田島の声に奈々は胸が高鳴った。
「……オレもいい人じゃない…から、今から、すごいワガママなこと言う。」
「……なに」
「部活引退するまで待っててくれないか?」
奈々はまさかそんなことを提案されるとは思っていなくて驚いた。
「引退って…3年生の夏大の終わり?」
「そう、だから1年半後くらい。オレは1年半くらいヨユーで藤堂のこと好きでい続けられる自信あるよ。」
田島のドストレートで情熱的な愛情表現に奈々はたじたじになった。でもとても嬉しかった。奈々は田島の背中に腕を回して田島を抱きしめ返した。
「私も、1年半後もずっと田島君のことが好きだと思う。田島君が私を好きでいてくれてるのに田島君以外に目移りするなんてありえない。」
奈々がそう言うと、奈々を抱きしめる田島の腕により力が入った。
「それは、待っててくれるってことだよな?」
「うん、待てる。ヨユー。」
「ありがと」
田島と奈々はギュッとお互いを抱きしめ合った。
しばらくの間そうしてハグをしていた田島と奈々だが、もうそろそろ昼休みが終わって午後の授業の時間だ。2人はゆっくりと離れた。そして何だがお互いに気恥ずかしくて目をそらす。両者ともに顔が赤い。
「…そろそろ戻らなきゃだね」
奈々の方から口を開いた。
「おう、教室戻るか」
部室の扉の方へと向かう田島。奈々はその後ろを着いていった。
「なあ、藤堂」
部室の扉を開けながら田島が奈々に声を掛ける。
「これからはさ、奈々って呼んでもいい?」
ようやく顔の火照りが収まってきたところだったのにその言葉のせいで奈々はまた顔を赤くした。
「い、いいよっ!私も悠って呼んでもいい?」
「おー、いーよ!」
田島は嬉しそうにニィッと笑った。
「じゃー、よろしくな、奈々」
「う、うん…よろしく」
「なんだ、そっちは名前呼んでくんないの?」
「…よろしく、悠」
「よくできました!」
田島は奈々の頭にポンッと手を置いた。
「さー早く戻らねーと!遅刻だっ」
「ホントだ、もうこんな時間だっ!走ろう!」
奈々は田島と一緒に教室に向かって走りながら『走って戻ったら顔が赤いままでも周りから不審に思われないで済むな』と考えた。だってまだしばらくはこの顔の火照りは収まりそうにない。
<END>