田島夢小説「君の名前」
「奈々」
聞き慣れた大好きな声からそう呼ばれて奈々はドキーッとしてぎこちなく振り向いた。
「な、に…?」
思わずどもってしまう奈々。田島は「お前レンみたいになってんぞ」と言いながら笑った。
「オレこれから部活行くんだけどさ」
「うん、知ってるよ?」
「コースケにはオレらのこと言うけどいいよな?」
「えー!!」
奈々は思わず声が大きくなった。"オレらのこと"っていうのは田島と奈々が両想いだということだ。今日の昼休み、2人はお互いに告白しあって、それを確かめた。でも野球部は恋愛禁止だから田島が引退するまでは2人は付き合えない。つまり今の状態は両思いだと確認し合ったし、引退後に付き合う約束はしたけど、まだ恋人ではないという複雑な関係性だった。これを他人にどう説明するというのだろう。
「言うの!?」
「イヤか?でもオレお昼にコースケに奈々のこと相談しちまったから、間違いなくコースケは結果訊いてくるぞ。」
「泉君に相談したの!?じゃあ、言うしかないか…。でもいいの?恋愛禁止なのに野球部内で問題にならない?」
奈々は正直、今の状態が"恋愛してない"扱いになるのか怪しいと思っていた。
「コースケなら黙っててくれんだろ。他のヤツらには言わねえよ。」
ここでふと奈々の頭に疑問が浮かんだ。
「てかさ、よくよく考えたら呼び方が奈々と悠に変わった時点でバレない?」
「……そうか」
「……藤堂と田島君に戻そうか」
奈々がそういうと田島がムーッとした顔で不貞腐れた。
「ヤダ」
「ヤダって言われましても…どう言い訳すんのよ、じゃあ」
田島は「うーん」といいながら必死に考えた。そして何かを閃いたようで「そうだ!」と言った。
「奈々、今日夜21時とかになっちまうけど晩御飯ウチで食わねえ?帰りは車出してもらうからさ。」
「え?悠のウチでご飯は月曜日にすんじゃないの?」
「それじゃまだ一週間近くあるじゃん。そんなに待てねえよぉ!」
「なんで急に待てなくなったの?どういうこと?」
奈々はどうして名前呼びと田島家での晩御飯が関係するのかもわからなかったし、なぜ月曜日に行く予定だったのをわざわざ早めるのかもわからなかった。
「あのな、野球部って今ほどんど全員名前呼びなんだけど、それのきっかけがウチに来たことなんだよ」
「ほう?なんで?」
「ウチでは来客のことは下の名前で呼ぶんだ。それに影響されて野球部員同士も名前呼びになった。」
「あーなるほどね」
奈々が野球のルールや戦略・戦術を学ぶ目的で田島家に行って、結果として名前呼びになりましたよってことにしたいというのが田島の目論見だった。月曜日まで待てないのは月曜日まで名前呼びを我慢したくないっていうことだろう。
「わかった。今家に電話して聞いてみる。帰りは本当に車で送ってもらえるの?」
「おう!ゲンミツにな!」
奈々は自宅に電話した。田島は親にメールしているようだ。
「家から許可降りたよ」
奈々が答えた。
「うっし!じゃあ、20時半くらいに裏グラに来てくれ。その時間に練習終わるから、あとは急いで後片付けする。」
「オッケ。私は一旦家に帰って荷物とか置いてくる。そんで借りてる野球戦略・戦術の本急いで読み終えなきゃ。」
「おー、じゃあまた後でな!」
「はーい、後でねー。」
田島は部室に向かい、奈々は帰る準備をした。
―――――――――――――――――――――――――――――――
田島が練習着に着替えるために部室に着くと泉が「悠!」と呼んで傍に寄ってきた。どうやら田島が来るのを今か今かと待ちわびていたらしい。
「どうだった?」
小声で田島に訊ねる泉。田島はサムズアップしてウインクしてみせた。
「おおお!!マジで!?」
泉は大興奮だ。ちょっと声がデカくなったので田島は「シーッ」とジェスチャーして声のボリュームを下げるように示唆する。
「オレの予想は当たってたってことか?」
小声で泉が尋ねる。
「おう。んで、引退まで待っててくれるって。」
「おお、やったな!おめでとう!」
泉はニシシッと笑った。田島もニッと笑い返す。
「コースケ、わかってると思うけど他言無用で頼むぞ」
「もちろん、わかってんよ。安心しな。」
―――――――――――――――――――――――――――――――
20時半、奈々は裏グラに到着した。フェンスの中を覗くと野球部員が集まって締めの挨拶をしている。こうしていると初めて田島と友達になった日のことを思い出す。あの日友達が自分の悪口を言っているところを耳にしてしまった奈々は、ここで田島に出会い、慰めてもらい、心救われたのだった。全てはあの日から始まった。たった2ケ月前のことなのにあの日から随分と奈々の世界は変わった。
『運命的っていうのは、こういうことを言うのかな』
なんて考えるのはロマンチストすぎるかなと奈々がクスッと笑ってると締めの挨拶を終えた田島が奈々に気が付いた。「おー!」とこちらに手を振って奈々が立ってるフェンスの方へ近づいてくる。フェンス越しに顔を合わせる2人。
「奈々、すぐ片づけ終えるからベンチで待ってな」
「え、部外者がいいの?」
「ベンチくらい、いいんじゃねー?」
奈々はお言葉に甘えてベンチで待たせてもらうことにした。
「失礼しまーす」
「ちわ!」
「ちわー」
「ちわす!」
田島に案内されながら裏グラ内へ入ってきた奈々に何人かの野球部員が気付いて挨拶をしてくる。会釈で返す奈々。『ほんとにいいのかな?』と思いながらベンチで待っていると泉が奈々に気付いて近づいてきた。ギクリとする奈々。泉は田島から話を聞いてるはずだ。
「よ、藤堂」
「おつかれ、泉君」
「悠から聞いたぞ。オレが言うのも変かもだけどごめんな!」
「え?何がごめん?」
奈々はキョトンとした。
「引退まで待っててくれるんだろ。うちのルールに巻き込んでごめんな。」
「いや、それは、全然、あの、待ちたいのは私なのでいいんです…」
奈々は自分で言ってて恥ずかしくなって俯いた。泉も「お、おお…!」と奈々の実直な気持ちを聞いて照れくさそうにしている。
「今日は悠ん家で晩メシ食うんだって?」
「うん」
「すぐ片づけて悠を解放してやるから待っててな!」
泉は片づけをする部員のところに戻っていった。
「じゃーオレ今日用事あるから先行くわっ!じゃーな!」
片づけが終わり、田島が他の部員に大声で挨拶する。
「よし、藤堂行こーぜ!」
田島は奈々を呼んだ。あえての"藤堂"呼びだ。奈々は「失礼します」とグラウンドに声を掛けてから田島についていった。
「奈々、自転車だよな?どこ停めた?」
「そっちの方。取ってくる。」
そして田島と奈々は2人で自転車で田島宅へ向かった。田島の家はホントに1分で到着した。
「近っ!校舎見えるじゃん!学校近いのいいなー。」
「へへーん、だからオレ西浦にしたんだもん」
奈々は確かにこれだけ学校が近かったら私もそれ基準で学校選んだかもなと思った。
「ただいまー!奈々連れてきたー!」
「はーい、いらっしゃい!あら、ホントに女の子連れてきた!はじめまして、悠の母です。」
「はじめまして!悠一郎くんと同じクラスの藤堂奈々です!あの、これつまらないものですが…」
奈々は母親から渡すように言われた菓子折りを田島母に手渡した。
「あら、どうも!晩ご飯の準備、もうすぐできるからここ座って待っててね。」
「お母さん!オレ、急いでシャワー浴びてくる!奈々、みんなもう集まってくるからみんなと話して待ってて!」
田島はそう言ってダッシュで風呂場へと消えていった。
「えっ、ちょ、ちょっとー!?」
奈々は『知らない人の中に1人で置いていかないで~』と思ったが時既に遅し。
「みんなー!悠のお友達が来たわよー!」
田島母が大きな声で家中に呼びかける。
「おー、悠の友達か。どーも!
田島祖父らしき人物が食卓にやってくる。
「どーも、…って女の子じゃないか!」
これはおそらく田島父だ。
「えっ、女の子?ホントだー!」
その後ろから女性(姉?義姉?)が顔を出した。
「どうもー。こんばんは。」
「いらっしゃい!あれ悠はどこいった?」
続々と集まってくる田島家族に奈々は『本当に大家族なんだな~』と圧倒された。
「どうも。君が藤堂奈々さんかな?オレがアマチュアの審判をやってる悠の兄です。」
「あ!藤堂奈々です。野球のルールブックありがとうございました!すごくわかりやすかったです。戦略・戦術の本も今読んでるところです。今日は色々教えて下さるとのことで、どうぞよろしくお願いします。」
奈々は頭を下げた。
「まあまあ、そんなかしこまらないでいいよ。気軽に聞いて。ところで悠は?」
「シャワー浴びにいきました」
「もーあがったよ!」
ここで田島が首から下げたタオルで頭を拭きながら登場した。
『ずいぶん早いな』
奈々は田島のシャワーを浴びる時間の短さに驚いた。これで全員が食卓に揃った。全員で「いただきます!」と食前の挨拶をする。
「じゃあ、悠、みんなにお友達を紹介して」
田島母が言う。
「ん。同じクラスの藤堂奈々。2月くらいから仲良くなった!今度の春大の試合、応援に来てくれるって。」
田島が奈々を紹介する。
「悠一郎君と同じクラスの藤堂奈々です。今後は悠一郎君の試合の応援に行くつもりなので事前に野球のことを勉強中です。みなさん野球に詳しいと聞きました。どうか色々とご教授くださると嬉しいです。」
奈々は自己紹介をした。
「奈々ちゃんっていうの?可愛いねー!」
「応援にあたって野球をわざわざ勉強するなんてすごい熱心じゃないか!感心感心!」
「応援来てくれるのはありがたいな、悠」
「奈々ちゃんってマネジじゃないんだ?てっきりマネジかと思ってた!」
「今野球のことで具体的に知りたいことってある?」
奈々の自己紹介に様々な反応をしてみせる田島家の面々。どれから答えたらいいのか困惑する奈々。
「おーい、そんな一気に話しかけたら奈々が困っちゃうだろ」
田島が困惑する奈々に気付いて家族に声を掛けた。
「悠、お前この間まで奈々ちゃんのこと"藤堂"って呼んでなかった?」
審判をやってる田島兄が言う。
「今日から奈々って呼ぶことにした。」
「奈々ちゃんは悠のこと何て呼んでるの」
「…今日から悠と呼んでます」
「……。奈々ちゃんって、もしかして悠の彼女だったりする?」
ギクリとなる奈々。
『いや、でも私今は彼女じゃないし、ギクリとする必要ないよ、うん』
奈々は自分にそう言い聞かせた。
「彼女じゃないよ。でもオレの好きな子。」
田島はそう答えた。
「!?」
まさか田島がそんなことを言葉にするとは思っていなくて驚く奈々。
「え?なに、悠は奈々ちゃんのことが好きなの!?」
話に食いつく田島の実姉。
「え?でも彼女じゃないってことは悠君の片思い?悠君、振られたの?」
田島の義姉も興味津々だ。奈々は田島を肘でつついた。小声で話しかける。
「ちょっと、悠、どう説明するのよ、この状況!」
「どーしよっかな」
「ええー、無計画!?」
「だって"彼女じゃない"だけで終わらせたくなかったんだ」
真剣な表情でそう言った田島を見て、奈々は自分だけ逃げちゃだめだなと思って口を開いた。
「振ってないです。私も悠のことが好きです。でも野球部は恋愛禁止だから引退するまで付き合いません。」
「えっ、ホント!?悠のこと好きなの?」
「きゃー、両想いだった!」
「え?悠んとこの野球部って恋愛禁止なのか?」
「そうよー、この間そういってたじゃない」
田島と奈々の一言一言に様々な反応を示す田島家の面々。奈々はなんだかちょっとおもしろくなってきた。田島は奈々が田島家の前ではっきりと言葉にしたことが意外だったみたいで一瞬ちょっと驚いた顔をしたが、すぐにニッと笑顔になった。
「だから、今は彼女じゃないけど、いずれ彼女になるから、みんな奈々のこと覚えといて!」
田島はそう宣言した。
「こんなおもしろい話忘れるわけないよな」
「ねー、ついに悠に彼女ができるなんて!」
「おいおい引退までまだ1年半あるんだぞ。気が早いぞ。」
「奈々ちゃん、まだ彼女じゃなくてもいいから、これからもいっぱい遊びに来てね!」
奈々は賑やかな大家族を見てフフッと笑った。そして、奈々を歓迎してくれる田島家のみんなに「ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えた。
「あの…ちなみに野球部は恋愛禁止なんで、ほかの野球部の面々にはこのこと秘密にしておいてもらえますか?」
田島から聞いた話だと野球部のメンバーはよく田島家に遊びに来るらしい。その時にポロッと野球部員に話されては困るので奈々はその点をちゃんと伝えておかなければと思った。
「おお、そうか。気を付けないとな。」
「わかった!言わないようにするね!」
「てかなんで野球部って恋愛禁止のルールがあるの?アイドルみたい。」
これは田島の実姉だ。
「野球部は全国制覇が目標だから休日もろくになくって毎日練習に明け暮れてるし、付き合ってもどこにも連れて行ってやれないだろー?それに恋愛沙汰で部員同士でいざこざとかも困るし。」
これを答えたのは田島だ。
「それを言ったら、もし他の部員が奈々ちゃんのこと好きになっちゃったらどうするんだ?」
田島兄がそう言ったら田島の顔がサッと青ざめた。
「イヤだ~!!」
田島は子どもみたいにジタバタする。
「私、悠以外の野球部と仲良くないし、そんなこと起きないよ」
奈々は田島を落ち着かせようと慰めた。
「タカヤと楽しそうに話してただろーっ」
「配給について教わってただけだもん」
「でもあのタカヤが女子相手にあんな笑顔向けるって珍しいんだぞ」
「そうなの?」
奈々は『確かに阿部君は最初はニコリともしない不愛想な人だったもんな』と思った。
「タカヤ、奈々のこと好きになったらどうしよう」
「……ないと思う。けど、もしそうなっても、私は悠意外に目移りしないから、何にも問題ないよ。」
奈々がそう言うと周囲から「おおー!」とか「ひゅーひゅー!」といった声が上がった。田島もちょっと驚いた顔をしつつも若干頬を染めて嬉しそうしている。
「もし心配なら阿部君には言ってもいいよ、私たちのこと」
奈々はそう続けた。
「いいの!?」
「ちゃんと他言しないように釘刺しといてね!」
田島は「しとく、しとく!」と言って笑顔になった。
その後は田島家の男性陣と野球のルールの話をしたり、戦術・戦略について教わったりしてわいわい楽しく会話ができた。
「ごちそうさまでした!おいしかったです!」
夕食を終えて奈々は田島母にお礼を言った。
「はーい、ぜひまた遊びに来てね」
「あ、奈々、帰る前にオレの部屋見せてやるから来いよ」
田島が奈々を呼ぶ。奈々は田島の後をついていく。
「ここな!」
「おお?意外と片付いてる!悠のことだから取っ散らかってるかと思った!」
「散らかしても母親が片づけてくれっからな」
「お母さんのおかげかい!」
奈々はツッコんだ。
「部屋の中見てもいい?」
奈々は田島に訊ねた。
「おう、なんでも見ていいぞ」
田島の部屋には野球関連のフィギュアや表彰状がいくつも置いてあった。バットやボールもあるし、部屋の隅っこでは猫が寝ていた。
『いかにも悠の部屋って感じだな~』
奈々がそう思って部屋を眺めていると田島が後ろからハグしてきた。
「え、悠?」
「ちょっとだけ」
田島は奈々の頭に頬を当て、腕にギュッと力を込める。奈々は自分も田島に触れたくなって、くるんと振り返った。そして、正面を向き合う2人。2人は再度正面からハグをした。
『悠のいい匂いがする』
田島の首筋に頬を当てながら奈々はそんなことを考えていた。
「奈々」
田島が奈々を呼んだ。奈々は顔をあげた。至近距離で田島と目が合う。真剣な顔をしている。田島と奈々はどちらからともなく顔を寄せ合い、軽く唇の触れ合うキスをした。奈々は自分の顔が熱くなるのを感じた。田島の方も頬が若干赤い。
「悠ー?奈々ちゃんー?車準備できたよー?」
田島母が1階から2人を呼んだ。今日は帰りは車で奈々の家まで送ってもらうことになっているのだ。
「今行くー!」
田島が母親に返事をする。
「じゃ、行くか。」
名残惜しいけれど、もう今日は時間も遅い。明日も朝から学校がある。早く帰って寝る支度をしないと。
「うん」
田島と奈々は最後にもう一度ぎゅっとハグをしてから身体を離して2人で1階へと降りていった。
「じゃあ、また明日ね」
「おう、また明日な。気を付けて帰れよ。」
最初、田島は一緒に車に乗って奈々の家までついていくといっていたが野球部は明日も朝早くから朝練があるのだから早く寝た方がいいと奈々から断った。田島は引き下がったが母親にも同じように諭されて渋々受け入れた。そうして田島と奈々は玄関先で別れを告げたのだった。
奈々は田島家の車に乗って送ってもらいながら、先程した田島とのキスについて考えていた。
『初めてした。ドキドキした。悠はどうだったかな。悠も初めてだったかな。そういえば悠は前は彼女いたことあるのかな。』
奈々は自分はまだまだ田島のことを全然知らないなと思った。
『今度訊いてみよう』
奈々は田島のことがもっと知りたいかった。知れば知るほどもっと色々田島のことが知りたくなっていく。私たちには時間はまだまだたっぷりある。田島について、『これからも色々教えてもらうんだ』と奈々は思った。
<END>