ソフのたまねぎ ※本サイトは各作品のネタバレを含みます

おおきく振りかぶって 創作 <その名前は希望>


※注意:オリジナルキャラクターが登場します※


その名前は希望


 それは4月半ばの出来事だった。

 野球部専用のグラウンドがない西浦高校では野球部は裏グラと呼ばれる第二グラウンドをソフトボール部をはじめとした他運動部と譲り合って使うことになっている。その日は、グラウンドの左手側に女子ソフトボール部がいた。
 高校に入学してからまだ1週間ばかり。毎日練習で顔を合わせているとはいえ、チームメイトたちが皆打ち解けるにはまだその期間は短すぎた。そんなわけでまだ少しぎこちなさが残る西浦高校野球部の選手たちの中に三橋廉はいた。"普通"の人たちでもまだ打ち解けられないのに、まして人見知りの激しい三橋がチームに馴染めてるはずもなく、三橋は練習中も心休まる時はなかった。二人一組でやるキャッチボールをやる相手を見つけることすら緊張してしまう。幸い西浦高校野球部選手は10名と偶数なのでハブられたことはこれまでない。大抵は最後まで一人ポツンとしている三橋に誰かしらが声をかけてくれる。今のところはまだみんなからは嫌われてはいないようだ。
三橋『…でも……』
 三橋は自分の中学時代を思い出す。自分を嫌う元チームメイトたちはよく三橋のことを死んだ魚のような、光のない暗い目で見ていた。その目に軽蔑と敵意が宿っていることは、あまり頭のよくない三橋でもわかった。三橋はこの西浦高校野球部でもいずれまた中学時代みたいにチームメイトたちから嫌われてしまうんじゃないか、また無視されるようになるんじゃないかとそんな恐怖が常に心の片隅にあった。
三橋『今はまだ…オレの性格が悪いこと、オレがダメピなこと、バレてないから嫌われてないだけ……』
GW合宿の最終日に三星学園と練習試合をすると言ったモモカンの言葉を思い出して恐怖で身震いする三橋。
三橋『三星との練習試合できっとまたオレは沢山打たれる…!そしたらチームのみんながオレにがっかりして…きっとまた嫌われるよ…』
 入学初日に花井と3打席勝負をして勝った三橋は阿部のリード能力のおかげで自分にも多少は使い道はあると思えるようになったが、それでも中学時代にパッカスカ三橋の球を打ってきた三星学園のみんなを相手してはさすがに勝てないと思っていた。中学時代にチームメイトたちから嫌われて、徹底的に無視されてきた三橋の暗い思い出、それが三橋にずっとまとわりついて離さない。三橋は暗いトラウマの沼に引きずりこまれていく。

 実は三橋はここ数日あまり眠れていなかった。モモカンから「性格変えなきゃ投げさせない」と言われたことを気に病んでいたからだ。部活の練習時間中であるにも関わらず、ボーっと昔のことを思い出して暗くなっていた三橋の足元に突然ボールが転がってきた。見るとそれは硬式野球のボールではない。ソフトボール部のボールだった。野球部の左側で練習しているソフトボール部の誰かが球を捕りこぼして野球部の方まで転がってきたらしい。ソフトボール部の女子生徒がボールを追ってこちらにやってくる姿が見える。"普通"の人なら捕ってソフトボール部に返球してあげるのだろうけれど、三橋はそれを躊躇した。中学時代、三橋が転がってきたボールを捕って返送するとチームメイトはあからさまに嫌な顔をしていたからだ。そういうことが何回かあった後、三橋は自分の方に転がってきた球を捕るのはやめることにした。
三橋『オレが捕ったら嫌がるかもしれない…。オレが捕らなくってもあの人が自分で拾いにくるんだから、それいいんだ…。』
足元のボールを無視することに決めた三橋、近づいてくるソフトボール部の女子生徒に背を向ける。近づいてくる足音。その足音が途中でパタリと止んだ。一向に拾われないボールを不思議に思って振り返ると、三橋の方を向いて立っているソフトボール部の女子生徒がいる。しばしの間、沈黙が流れる。するとその子生徒はグラヴをこっちに向けた。
三橋『え…っ』
返球を待っているように見える女子生徒に戸惑う三橋。なお沈黙が流れる。一向にボールを拾わない三橋にしびれを切らしたのかその女子生徒は口を開いた
女子生徒「……三橋君!ごめん、ボール取ってとくれる?」
三橋「…!?」
まさか自分の名前が呼ばれると思っていなかった三橋は驚く。
三橋「オ、オレの…名前…」
女子生徒「知ってるよ〜。私同じクラスなんだけど覚えてない?…か。まだ入学して1週間だもんね。」
三橋「う…ごめん…なさい」
女子生徒「いーよいーよ。それよりボール投げてくれない?ごめんね、うっかり捕り損ねちゃったの。」
その女子生徒はカラッと笑って、グラヴを再度こちらに向ける。三橋は球を拾って返球する。
女子生徒「ありがとー!ごめんねー!」
女子生徒はそう言ってソフトボール部の練習場所に帰っていった。

 たったそれだけのことだった。それは"普通"の人にとっては別に何でもない日常のひとつにすぎなかっただろう。でも三橋にとってはそれは特別なことだった。自分が捕っても嫌な顔をされなかった。中学時代、嫌われて徹底的に無視されていた三橋。嫌われていたのは野球部内に限った話ではなくて、最初の頃試合に応援に来てくれていたクラスメイトや他にもチームメイトと仲のいい他クラスの男子生徒たちからも三橋は疎まれていた。徹底的に無視され、それが当たり前になっていた三橋はまるで自分が透明人間になったみたいにずっと感じていた。中学を卒業してまだ一ヶ月も経ってない。"透明人間"の感覚はまだ三橋の中からなくなっていなかった。そんな折、自分のことを知ってて、名前を呼んでくれて、三橋が球を捕っても嫌がらなかった人がいた。

 雲の隙間から光が射してきて三橋を照らす。三橋がふと三橋の足元をみるとそこにはクッキリと影ができていた。
三橋『……オレ、もう、透明人間…じゃないんだ』
グラウンドにできた自分の影をみながら自分が今確かにここに存在することを実感する三橋。雲の隙間から顔を出す太陽の光とその光に照らされる木々やグラウンドの土、グラウンドで練習に励むチームメイトたち、そしてグラウンドの土の上にできる様々な影を三橋はじっくりと見た。もう一週間も通っているこの場所を、まるで初めて訪れたかのように眺めた三橋は、この時この景色を初めて『美しい』と感じた。
三橋『そうだ…、ここは三星じゃないんだ。』
一大決心をして三星を出た三橋は、新しいこの場所で再スタートを切るのだ。起きてしまった過去は変えられないけれど、未来はまだどうなるかわからない。
三橋『…わからないっていうことは、色んな希望が存在してるってことだ』
新しい出会い、新しいチームメイト、新しいクラスメイト、新しい学校生活…。全部始まったばかりの新しい毎日をこれから作っていくんだ。

空を仰いで太陽に向かって右手を伸ばす三橋。
三橋『未来って…"希望"なんだ』
まだまだ不安に思うことはたくさんあるけれど、少し気持ちが前向きになれた三橋だった。


<END>

≪筆者ソフィアのあとがき≫
乃木坂46の名曲「君の名は希望」の歌詞を読んでいて、三橋にぴったりだなと思い、そこから着想を得て書きました。